Apprivoiser-moi

 

サン=テグジュペリの「星の王子さま」に登場するキツネは、「かんじんなことは、目に見えないんだよ」という名言をものしていますが、キツネと王子さまが出会う場面でキツネは「アプリボワゼして」と頼みます。

アプリボワゼとは、直訳すれば「飼いならす」という意味なのだそうですが、「星の王子さま」の新訳の著者の一人は、「アプリボワゼとは能動的に仲良くなること」と発言し、また「アプリボワゼ=きずなを結ぶ」という解釈もあるようです。

忍たま長屋で同室で、誰より近くにいるはずなのに、なぜか距離を感じてしまう庄左ヱ門を、伊助はアプリボワゼできるのでしょうか。

 

 

「ねえねえ、庄左ヱ門、宿題おしえて」
 すでに寝間着に着替えて文机に向かっている庄左ヱ門と伊助の部屋を訪れたのは、乱太郎だった。
「いいよ」
 翌日の予習をしていた庄左ヱ門は、気軽に応える。
「ごめんね、こんな時間に」
 頭をかきながら乱太郎が入ってくる。
「…きり丸のバイト手伝ってたら、遅くなっちゃって」
「いいよ。伊助の宿題もみてたところだから」
「伊助もこんな時間に宿題やってんの?」
「うん…火薬委員で在庫調べやってたんだけど、なかなか数が合わなくて、調べてたら遅くなっちゃった」
「そりゃたいへん。原因はわかったの?」
「うん。三年生が授業で火薬を持ち出したときに、出庫票に書き忘れていたんだ」
「ふーん。でも、わかってよかったね」
「そういえばさ、きり丸としんべヱはどうしたの?」
 突っ立ったままの乱太郎と伊助がのどかに話しているのを見ていた庄左ヱ門が、ふと気がついて声を上げる。
「それがね、実はまだバイトは終わってなくて…」
 苦笑いしながら、庄左ヱ門の前に乱太郎が座る。
「とりあえず私が宿題を教えてもらって、それをきり丸としんべヱがあとで写すことにしたんだ」
「それじゃ宿題にならないじゃない」
 庄左ヱ門も苦笑する。
「そりゃそうなんだけど…緊急事態だから」
「それを言ったら、乱太郎たちはいつも緊急事態じゃない」
「そうだね…ははは」
「ははは…」
 3人の笑い声が上がったところに、襖が開いた。
「楽しそうだね…なにしてんの?」
 顔をのぞかせたのは、団蔵と虎若である。
「あ、団蔵、虎若。どうしたの?」
「庄左ヱ門に宿題教えてもらおうと思って…乱太郎は?」
「私も…みんな、考えることは同じだね」
「で、みんな、どの問題がわからないの?」
 庄左ヱ門の声に、乱太郎たちははっとして宿題を広げる。
「「「ぜんぶ」」」
 乱太郎たちの声に、庄左ヱ門が脱力する。
「ぜんぶって…一問もわからないの?」
「算数はニガテだし…」
 宿題のプリントをひらひらさせながら、団蔵が文机についた肘にあごを乗せる。
「しょうがないなぁ。じゃ、一問目だけど…」


「つぎ、五問目だけど…」
 だいぶ疲れが見えてきた団蔵たちに、庄左ヱ門は励ますように声をかける。
「ほら、もうすぐ終わりだから、がんばろうよ」
「いや、もう、なんか…」
「授業よりつかれるというか…」
 乱太郎も虎若もすでに精根尽き果てたような表情である。
「この問題は、速さと距離の問題だね…一日に6里歩ける人と一日に8里歩ける人が、100里離れた街道の両端から同時に歩き始めると、何日目に出会うか…ほら、乱太郎、しっかりして。団蔵も起きて」
 二人の肩を揺すりながら庄左ヱ門が声をかけたとき、襖が開いた。
「ねえ、庄左ヱ門。ぼくのものさし、見かけなかった?」
 入ってきたのは兵太夫である。後ろから三治郎もスマイルを見せる。
「ああ、教室に置きっぱなしにしてなかった? 掃除のときにみかけたけど?」
 つい先ほど見たばかりのように、庄左ヱ門が即答する。
「あっ、そうだった」
 兵太夫はぽんと手を打った。
「そういえば、授業で使うかと思って持っていったんだった…よかったぁ。庄左ヱ門のおかげで思い出すことができたよ」
「どういたしまして」
 兵太夫は庄左ヱ門の後ろに座った。
「で、みんな、なにやってるの?」
「みれば分かるでしょ…宿題おしえてもらってるところ」
 乱太郎がぼやく。
「そうなんだ。庄左ヱ門もたいへんだね」
「兵太夫たちは、もう終わったの?」
「ぼくたちは、今日は委員会もなかったからとっくに終わらせた! だからせいせいしてるんだ」
「だったら部屋に戻ってよ。気が散るから」
 団蔵が口を尖らせる。
「え~、いいじゃん。みんながここにいると思うと、なんか部屋にいても落ち着かないし」
「ね、庄左ヱ門、いいでしょ?」
 兵太夫と三治郎が言う。
「ぼくは別にかまわないけど」
 あっさりと庄左ヱ門が答える。
「じゃ、きまり」
 兵太夫と三治郎は、部屋の隅のほうでなにやら図面を広げている。


「ちょっと庄左ヱ門、聞いてよ!」
 言いながら入ってきたのは金吾である。
「どうしたの?」
 宿題のペーパーに落としかけていた眼を上げながら、庄左ヱ門が訊く。
「喜三太がまたナメクジを…」
「だからさ、金吾、聞いてよ」
 続いて喜三太も入ってくる。
「喜三太のナメクジが、ぼくの寝間着のなかにはいっていたんだ!」
「いつも言ってるでしょう? ナメ千代はとっても寒がりなんだって」
「だからって! 風呂あがりに寝間着を着たら、そのなかにナメクジがいるんだよ! 想像できる?」
 大仰に手を広げながら、金吾が口角泡を飛ばす。喜三太以外の全員が、ナメクジが肌に張り付く感覚を想像して怖気(おぞけ)をふるった。
「あのさ、喜三太…」
 庄左ヱ門が静かに声をかける。
「ナメ千代たちがだいじなのはわかるけど、金吾の気持ちももう少し考えてほしいんだ…誰だって、着物の中にナメクジがいたらびっくりするだろ?」
「はにょ~」
 喜三太がうなだれる。
「それから、金吾も」
 庄左ヱ門は続ける。
「前にも、ナメクジが寝間着に入ってたって騒いでたよね。今度から、着物を着る前に、ナメクジが入っていないか見るようにすれば、気持ち悪い思いをしなくていいんじゃない?」
「うん…なんかナットクできないけど、そうするよ」
 金吾も、不承不承ながら頷く。
「ごめんね、金吾」
「わかればいいよ…ところで、みんななにしてるの?」
「見ての通り、宿題やったり、それ以外のことをやったりしてるとこ」
 説明する気力もなく文机に突っ伏している乱太郎に代わって、伊助が説明する。
「ふーん、じゃ、ぼくたちも宿題みてもらおうか」
「金吾たちも、まだ宿題やってないの?」
 伊助が訊く。
「やるにはやったけどさ…なんか合ってるかどうか急に心配になったから。な、喜三太」
「うん。だから、宿題もってくる!」 
 金吾たちがばたばたと駆け出すのと入れ替わりに顔を出したのは、きり丸である。
「おーい、乱太郎。宿題、まだ終わらねぇのか? こっちのバイトはもう終わったぜ?」
「やあ、きり丸。いま5問目に取り掛かるところだから、もうすぐだよ」
 庄左ヱ門が返事をする。
「悪ぃな、庄左ヱ門…て、まだ終わってないのかよ」
 きり丸が頭を掻きながら、傍らのしんべヱに声をかける。
「どうする、しんべヱ」
「それなら、ぼくたちもいっしょに教えてもらった方が早くない?」
「そうだな。俺たちも宿題もってこようぜ」


「けっきょく、全員あつまっちゃったね」
 伊助がつぶやく。ふたつの文机では足りず、ほとんどの生徒たちは床の上に宿題を広げている。そして、庄左ヱ門は、伊助の声も耳に届かないらしく、皆の宿題を見て廻っている。その姿に眼をやりながら伊助は考える。
 -ねぇ、庄左ヱ門。庄左ヱ門はいつだってみんなのことを考えている「みんなの」庄左ヱ門なんだね。
 つい、筆が止まったまま庄左ヱ門の姿を追ってしまう。
 -もうこんな時間だし、今日はぼくと話す時間なんてないだろうな…。
 いつも、部屋に戻ってから寝るまでのわずかな時間だけが、伊助にとって庄左ヱ門とゆっくり話ができる時間だった。部屋に戻ったときの庄左ヱ門は、傍目にも分かるほど学級委員長としての立場を脱ぎ捨てたくつろいだ態度を見せるのだった。そんな庄左ヱ門と話をすることが、伊助にはたまらなく楽しみな時間だった。
 -でも、きっと今日はもう疲れているだろうから、すぐに寝ちゃうんだろうな。
 今夜のようにクラスの仲間たちが自分たちの部屋に集結して遅くまで宿題をしたり話したりすることは珍しいことではなかった。だから、そんな夜は少し疲れた表情の庄左ヱ門が早々に眠ってしまうことも分かっていた。そっとしてやるのが庄左ヱ門のためだということが分かっている伊助は、話したい気持ちを我慢して自分も眠ることにしていた。だが、そんな夜は寂しくて仕方がないのも事実だった。
 -それに、庄左ヱ門は、ぼくが心配してることなんて分かっちゃいないんだ…。
 伊助には、学級委員長としてつねにクラスの先頭に立ち続けている庄左ヱ門は、ほんとうの自分でいる時間があるのかと思えてならない。
 -ねぇ、庄左ヱ門。庄左ヱ門は、ほんとうはムリしてるんじゃないの? 庄左ヱ門は責任感が強いけど、あんまりがんばりすぎるのはよくないんじゃないかって思うんだ…。
「どうしたの? 伊助。わからないところがあるの?」
 気がつくと目の前に庄左ヱ門がいて、伊助は危うく筆を取り落とすところだった。
「う、ううん。なんでもない」
「そう? 伊助はもうぜんぶ解き終わったかな?」
 自分の宿題を覗きこむ庄左ヱ門の揺れる髷を見つめながら、伊助は考えてしまう。
 -ねぇ、庄左ヱ門。宿題なんかどうでもいいから、はやく学級委員長じゃない庄左ヱ門にもどってよ…。


「ねぇ、庄左ヱ門」
 全員が引き払ったあとの部屋で布団を敷きながら、伊助は声をかける。
「なに、伊助」
 伊助の声が少し不機嫌を帯びてることに気づかないふりをして、庄左ヱ門は返事する。クラスメートたちが遅くまで居座っていて、疲れているのかな、と考える。
「庄左ヱ門はつかれないの?」
「つかれる?」
 -そうか、伊助はぼくのこと、気遣ってくれてるんだ。
 いかにも伊助らしい言葉だった。本当は自分とゆっくり話したかったのに、その気持ちをあえて抑えてしまうのだ。
 -ぼくだって、伊助とゆっくり話をしたかったんだよ。
 それも偽らざる気持ちだった。伊助とは朝から晩までほぼ一緒に行動しているが、たいていはクラスの仲間たちが一緒だし、クラスの仲間といるときには、学級委員長として全員に対して無意識のうちに平等に接していた。だから、誰かと親密に話をするということもなかった。
 夜、寝る前のわずかな時間に同室の伊助と取りとめのない話しをする時間は、庄左ヱ門にとって学級委員長という立場から開放される数少ない時間なのだ。
 -伊助、さびしそう。
 今日はなにか話したいことがあるのかもしれない。ふとそう思った。
 -ぼくも、今日は伊助と話したい気分なんだ。それに、やってもらいたいこともあるし…。

 
「もちろん、疲れることもあるけどね」
 まだ文机に向かって明日の予習をしながら、庄左ヱ門は答える。
「あのさ…庄左ヱ門は、いつも忙しすぎるように見えるんだけど」
 いつも思っていたことを言ってみようと伊助は決めた。
「そうかなあ」
「そうだよ。先生からはいろいろな指示があるし、さっきの金吾たちみたいに、何かあれば仲直りさせたり、学級日誌をつけたり、みんなの宿題をみたり…」
「それは、ぼくが学級委員長だから」
「学級委員長だから、やらなきゃいけないの?」
「それが仕事だから」
「でも、仕事ばっかりじゃない?」
「そうでもないさ。みんなとサッカーしたりとか、適当に遊んでるよ」
「それは分かるけど、庄左ヱ門、自分の時間はあるの?」
「自分の時間?」
「こう、一人でのんびりしたり、昼寝したりすることって、ないのかなって」
 たしかに、仲間たちと過ごす毎日は楽しい。それでも、誰とも話したくない、一人で過ごしたい時間もあって当然ではないかと伊助は考える。
 -一人で勉強したいときはあるけど、きっと伊助の言いたいこととはちがうんだろうな。
 伊助の言いたいことは、きっと学級委員長としての立場をもっと離れたほうがいいと言うことなのだろう。
 -たしかに、ついさっき、ぼくは「学級委員長」と「仕事」をごっちゃに言っちゃったけど、それって別のことなんだ。
 それを説明しなければ、と庄左ヱ門は口を開く。
「まえに、学級委員長委員会の鉢屋先輩に、言われたことがあるんだ」
「なんて?」
「学級委員長の仕事は、決められたものはない。だから放っておけばいくらでも仕事は増えてしまうし、そのためにも、学級委員長としての仕事の範囲は限ったほうがいいって」
「どういうこと?」
「ぼくがやってることのうち、本当に学級委員長の仕事といえることは、先生からの指示があったことと、学級日誌をつけるくらいなんだ。みんなの宿題をみたり、ケンカの仲直りをさせることとかは、別に学級委員長だからやってることじゃないんだ」
「じゃ、どうしてやってるの?」
「ぼくは、は組のみんなはそれぞれ役割を果たしていると思うんだ」
「役割?」
 伊助は首をかしげる。
「そう。ぼくは、ぼくができることをやるし、ぼくができないことは、みんながやってくれている」
 予習が終わったらしい。筆洗で筆先を洗いながら、庄左ヱ門は言う。
「たとえば?」
「たとえば、団蔵はみんなのリーダーだろ? ぼくには、あんなふうにムードメーカーになることはできない。きり丸はどケチだけど、自分で学費を稼いで、あんなこと、とてもぼくにはマネできない。それに、それだけ世の中をよく知っているし、外で騒動に巻き込まれたときには頼りになる。それに、伊助にはいつも助けられていると思ってるんだ」
 文机に片手を置いて、庄左ヱ門はまっすぐ伊助を見る。
「ぼくが…?」
「そうさ。これだって」
 傍らにきちんと畳まれた制服を手に取りながら、庄左ヱ門は続ける。
「あちこちほつれて、伊助に直してもらったよね。ぼくは不器用だから、伊助みたいにうまい具合に針仕事はできない。それに、伊助はよく気がつくから、ぼくが気がつかなかったことをサポートしてくれる。伊助のおかげで助かったって思ったこと、なんどもあるんだよ」
 初めて聞く庄左ヱ門の言葉に、伊助はどう答えればいいのかも分からず黙り込む。


「じゃ、なんで、みんなはそれぞれできることをやってくれるんだろうって、思わない?」
「うん、思う。どうして?」
「ぼくは、それは、みんなは組が大好きだからだと思うんだ。ぼくだって、は組が、は組のみんなが好きだから、宿題を見てあげようとも思うし、ケンカがあったら仲直りさせなきゃって思う。でもそれは、学級委員長の仕事じゃないんだ」
「…そうなんだ」
 -でも、それは庄左ヱ門がみんなのためにいろいろやることの説明にはなってるけど、庄左ヱ門がちゃんと自分の時間をもっているかどうかの答えにはなってないよ…!
 ぽつりと応えたきり黙って自分を見つめる伊助に、庄左ヱ門は心の中でため息をついた。
 -ごめんね、伊助。ぼくは、答えをごまかしていたね。
「ねぇ、伊助」
「なに?」
 伊助の眼に力がこもった。
「ぼくだって、いつもいつもみんなのために何かしようなんて思ってるわけじゃないんだよ」
 庄左ヱ門は観念して白状することにした。
「…だから、一人で勉強したり、団蔵と町に行ったりするときは、学級委員長とかじゃなくて、ぼくでいられるときだと思っているんだ。それに」
「それに?」
「この部屋で、伊助とこうやって話しているときは、すっごく心が楽になるんだ。それに、あれしてもらうときなんか、ほんとうに伊助に甘えてるなって思うんだ」
 伊助ならとっくに分かってると思ってたけど、恥ずかしげに首をすくめる庄左ヱ門に、伊助は思わず相手にしがみつきたくなるほどの嬉しさを感じていた。
 -よかった! 庄左ヱ門の「とくべつ」に、ぼくも入ってた! ぼくにとって庄左ヱ門はずっと「とくべつ」だったけど、庄左ヱ門もそうだったんだ!

 

「だからさ、伊助」
「え?」
 首をすくめたまま、顔を赤らめた庄左ヱ門がちらと上目で伊助を見る。その仕草で、すでに伊助は相手が何を言おうとしているか見当がつく。
「また、あれ?」
「うん…そうなんだ」
 頭をぽりぽりと掻きながら、庄左ヱ門はきまり悪そうに言う。
「…もう寝るんなら、明日でもいいんだけど」
「いいよ。今日やってあげる。耳そうじはこまめにやらないといけないのに、庄左ヱ門ったら、いつも耳あかがたまるまでだまってるし」
「ごめん。つい忘れちゃうんだ」
「しょうがないな。じゃ、横になって」
 髷を解く前のほうが、耳そうじはやりやすいんだけど、と呟きながら、伊助は燭台を手元に引き寄せる。
「うん。ありがと」
 友人の細い腿に頭を預けながら、庄左ヱ門は眼を閉じる。
「それにさ、ほんとは昼間のほうが耳そうじしやすいんだけど。こんどは昼間にそうじさせてよ」
「え、昼間に?」
 膝頭に当てられた庄左ヱ門の掌に熱がこもった。
「どうかした?」
「いや、でも、昼間は忙しいし…ちょっと恥ずかしいし」
 ぼそぼそと消え入りそうに付け加えた一言を、伊助はしっかりと捉えていた。
 -そうか。庄左ヱ門も恥ずかしいんだ。
 髷を解いたぼさぼさ髪を避けて耳かきを動かしながら、伊助はちょっと可笑しくなった。
「どうかした?」
 庄左ヱ門が眼を開いて顔を上げようとする。
「あぶないからじっとしてて」
「あ、ごめん」
「庄左ヱ門でも、恥ずかしく思うことってあるんだと思って」
「そりゃあるさ。こんなのみんなに見られたら、やっぱり恥ずかしいだろ?」
「そう思うなら、自分でやればいいのに」
「そうなんだけどさ…ぼくは不器用だし、伊助はうまいし。だったらうまい人にまかせる方が合理的だと思うんだ」
「へんなの」
「そうかな」
「そうだよ」
 他愛のない話をしながら、今まさに自分だけの庄左ヱ門が目の前にいることがうれしくてたまらない。
 気がつくと、庄左ヱ門はいつの間にか背中を丸めていた。その掌はまだ自分の膝頭を軽くつかんだままである。
 -庄左ヱ門たら、赤ちゃんみたい。
 いつもは自信に満ちて、クラスのリーダーとして先頭に立ち続けている庄左ヱ門は、ときに伊助にとってはあまりに遠くに見える存在だったが、いまの庄左ヱ門は、自分だけに見せる無防備な姿である。
 -だから、ぼくはうれしいんだ。
 そっと耳垢をかきとりながら、伊助は思う。
 -こういうふうにしてくれるときは、庄左ヱ門にとってぼくが「とくべつ」になっているんだよね、きっと…。

 

 <FIN>