【Book Review】法然 15歳の闇

まだ神回のショックを引きずっているが、あの一言のあとの土井先生の笑顔をどう表現しうるかずっと考えている。ただの優しい微笑とはとてもいえないし、寂しさや諦念とも違う。それは慈愛ともいうべきものかと思い至ったとき、ふとつどい設定を思い出した。

 

…そうだ! 土井先生の生きざまのモデルは、法然上人だった!

 

あの慈愛の笑顔は、きっとさまざまな感情を味わいつくした先に到達した表情に違いない。そして、その裏には強い意思を秘めているに違いない。その意思とは、法然上人は衆生を救うというものだったのだろうし、土井先生はきり丸やは組の生徒たちを慈しみ、守りたいというものに相違ない。

 

というわけで思わず再読してしまった。

 

法然上人という人の幼少時は、記録が多い割にはあまりはっきりしていない。ただ明らかなのは、美作(今の岡山県)の領主クラスの家の子で、親を夜討ちで亡くしているというところである。本書でもそのあたりの事情についてはいかにも梅原氏らしい粘度の高い論証が繰り広げられている。結論として、氏は法然上人は15歳のときに両親を夜討ちで失ったとしている。それから上人は、一人ぼっちで生きていくことになる。

 

法然上人は言うまでもなく浄土宗の開祖であり、その思想は、それまでの仏教の常識では、もっとも仏の救いから程遠いといわれた悪人(犯罪者というわけではなく、仏の功徳や寄進を積むことのできない貧しい人々や、武士、猟師など殺生を生業とした人々)をどのように救うかという一点に集約されているといっていい。そのために、あらゆる知識を総動員し、古の学説をほぼ恣意的な誤読に近いレベルで換骨奪胎して、南無阿弥陀仏と唱えれば往生できる、という学説を作り上げたものであり、むしろ寺や仏像を寄進したり、写経をしたりするみたいな余計なことをすると救いから遠ざかるというラジカルなものだった。きっとそうまでしなくてはならないほど人々は救いから遠く、法然上人の危機感は強かったのだろう。時は源平合戦の頃、社会がとりわけ不安定化した時期であり、鴨長明が「方丈記」を書き、栄西が日本に禅宗をもちこんだ時期である。

 

とはいえ、ここまで牽強付会なロジックがそれなりに説得力を持って受け入れられるためには、相当の理論構築が必要である。梅原氏は、法然上人の論理の明晰さを、デカルトと比較したい誘惑に駆られる、と述べる。その明晰さは生まれついての頭脳によるものだったのだろうが、それがこのような形に結実するには、両親を非業の死で失うという経験が大きく影響したに違いない。

つどい設定によれば、土井先生は将来、学園の先生をやめて孤児院をひらくらしい。それもまた、自身の性格が忍に向かず、より広範な救いを子どもたちにもたらしたい、という強い意思の表れなのだろう。

 

梅原猛著

角川ソフィア文庫

ISBN978-4-04-181506-9(上)

ISBN978-4-04-181507-6(下)