もののもどり解題

自分で書いたお話を自分で解説するほどヤボなこともないものだが、忘れてしまわないうちに書いておこうと思った次第。

 

■「もののもどり」とは

そもそもこのお話を書こうと思ったきっかけは、落乱47巻と桜井英治の著作をほぼ同時期に読んで、「コレぜったいストーリーになる!」と滾ったからなのだが、私たちが知る所有概念とは全く違う概念がかつての日本人にはあったという事実がとても刺激的だったからでもある。

「もののもどり」の概念についてはキャプションにも書いてみたけど、実はまだ腹にすとんと落ちるほど理解できているわけではない。ただ、大昔の日本人にとって、「所有」するということは特別なつながりを意味する概念であって、それゆえに贈与や交換という行為は自分の一部を切り取るような覚悟を要するものだったのかも知れない。

 

■日本における信用経済

落乱47巻で為替(かわし)の話が出てくるが、紙切れ一枚で金品のやりとりを行うには、強固な信用経済というバックが必要であり、日本においてはそれが著しく発達した社会だったといえる。

日本で歴史上、信用経済が発達した時期は、平安時代後期、室町時代後期、江戸時代中期以降といわれている。平安時代には、年貢の貢納が手形化され(つまり遠方から米や特産品を現物で都に運ぶことがなくなり)、室町時代にはそれが民間にも広がって為替などの取引が活発化し、江戸時代には世界初の商品先物取引の発生など高度な信用経済の隆盛がこれに当たる。なお、源平の戦や戦国時代が信用経済の一時的な衰退をもたらしているのは興味深い。信用経済には社会の安定が必要条件なのだ。

 

■貨幣の話

鎌倉時代と室町時代の日本は、自国で貨幣をつくろうとしなかった社会だった。なんでそうなったのかは私にはまだ理解できていない。事実としては、奈良時代や平安時代の皇朝十二銭以降、戦国時代に各地の戦国大名が地域通貨としていくつかの貨幣をつくるまで日本では貨幣が製造されず、もっぱら中国からの輸入に頼っていたということである。中国の元代に紙幣が流通するようになったとき、不要となった貨幣が日本に流れ込んできたというようなこともあったようだが、明代の後半ともなると貨幣の輸出を禁止したため、日本国内で銭が足りなくなるようになる。また百年以上も使っていれば金属でできた銭も劣化して鐚(びた)となり、低品位貨幣となる。(ちなみにきり丸は銭と鐚を音で区別できるらしい) 一方、東国でも貨幣経済が発達して、銭が東国に流入するようになると畿内を中心に銭不足が深刻になって、銀や金が交換に使われるようになったほか、戦国時代が近づくにつれて米も通貨として流通するようになったらしい。ちなみに米が取引の中心になるのは、たいてい社会の混乱期である。

 

で、「もののもどり」のような太古からの経済概念と高度な信用経済の発達がもっとも先鋭的にせめぎ合った時代が室町時代後期であり、落乱47巻はその一端を見せてくれるゆえに特異かつ刺激的な巻なのである。