Auld Lang Syne

 

日本では「蛍の光」のメロディーで有名な曲ですが、スコットランドでは旧友との再会をよろこぶ曲として歌い継がれているようです。その味わい深い歌詞にもぜひ触れてみてください。

旧友五十衛門との再会に、土井先生はどんな思いを抱くのでしょうか…。

 

 

「先生、石川五十衛門さんのこと、聞いてます?」
 ある朝、朝食の雑炊をがっついていたきり丸が唐突に口にした名前に、半助は思わず箸を止めた。
「いや…最近は聞かないな」
「俺、昨日バイト先で聞いてきたんすけど、五十衛門さんが、ドクタケ城の家宝を盗んだらしいっスよ」
「ほう?」
「家宝がなんなのか分からないけど、もしかしたら五十衛門さん、久しぶりに土井先生に会いに来るかも知れないっスね」
「…そうか」
 考え込むようにしばし椀を置いた半助に気付いた様子もなく、雑炊をかきこんだきり丸は、椀を手早く洗うと、「じゃ、行ってきまーす!」と飛び出していってしまった。

 


「…ただいま」
「おう、お帰り」
 いつもと違って元気のないきり丸の声に、炉辺で鍋をかき回していた半助は振り返る。と、その手が止まった。間口に突っ立っているきり丸は、手足といい顔といい、傷だらけである。
「どうしたんだ、きり丸」
 思わず声を上げる。
「ちょっと、屋台を出す場所とりで町の連中とトラブっちゃったもんスから…」
「とにかく中に入れ」
 傷を洗ってやるために甕から水を汲みながら、半助が言う。
「それが…」
 まだ間口から足を踏み入れずに口ごもるきり丸の背後に、大きな影が現れる。
「よ、久しぶりだな、土井」
「石川!」

 


「実は、俺が町の連中にボコられてるところに、五十衛門さんが来て、助けてもらったんす」
「そうだったのか…」
 ようやく土間に足を踏み入れたきり丸の傷を洗ってやりながら、半助はふと懸念が過ぎった。
「ところできり丸、お前、そのときに忍術を使わなかっただろうな…」
「んなわけないじゃないスか。でなかったらこんなにボコられてないっスよ」
「まあ、それもそうだが」
 安心すると同時に、きり丸が気の毒になる。
 -きり丸には、忍のことを伏せさせているだけに辛い思いをさせているのかも知れない…。
「安心しろ。受け身のまま、反撃しようとはしてなかった」
 後から入ってきた五十衛門が言う。
「そうか…石川にも厄介をかけたようだな。酒があるから、きり丸の手当てが終わるまで飲みながら待っていてくれないか」
「そうさせてもらおうか」
 板の間に上がった五十衛門は酒の入った瓢箪と湯呑を手にすると、どっかと囲炉裏端に腰を下ろす。

 

 

「ずいぶんと、ひさしぶりだな」
 きり丸を隣の部屋で寝かせつけた半助は、囲炉裏端に座り込んだ五十衛門に向き合う。
「そうだな」
 ぐっと湯呑を干した五十衛門は、瓢箪を手にすると、半助と自分の湯呑に酒を満たした。
「戦が近いせいか、街の人も何かと気が立っているのだろう。いつもなら、きり丸があんなトラブルに巻き込まれるようなことはないのだが」
 言い訳がましく口の中でもそもそ言って、半助は湯呑を傾ける。タソガレドキの軍勢の動きによっては、この街も戦闘に巻き込まれかねないという噂がまことしやかにささやかれていた。
「まあ、そうだろうな」
 戦が起これば、多かれ少なかれ被害はまぬがれない。人々の気が立つのも当然だった。
「それにしても相変わらず狭い部屋だな。こんなところによく2人も住んでいられるな」
 不意に口調を変えた五十衛門が部屋を見回す。
「狭くて悪かったな。これでもファミリー向けの部屋なんだぞ。まあ、お前から見れば小屋みたいなもんだろうがな」
「当然だ。俺にとっちゃ、この天下が俺の家みたいなもんだからな」
「ははは…石川らしいな」

 


「きり丸は、相変わらず忍者を目指しているのか」
 湯呑に酒を注ぎたしながら五十衛門は訊く。
「ああ。私のクラスで元気に学んでいる…もっとも、教科の成績はひどいもんだがな」
 それは私の責任なんだが、と半助は苦笑する。
「そうか」
 ぼそりと言う五十衛門を、半助がいぶかしげに見つめる。
「…おまえは、きり丸をどうしたいのだ」
 いかにも唐突な問いだった。その眼はしかと自分を捉えている。
「どうしたい…か。そうだな」
 半助は言葉を切った。さて、どう答えるか。自分でも確たる考えのない問いに対して。
「…少なくとも、私のようにはなってほしくない、いま考えられるのは、それだけだ」
「忍…か」
「そうだ」
「どうしてだ」
「私が知っているのは、忍の世界だけだ。あの世界だけには…」
 お前は忍術学園の教師だろう? という問いを覚悟しながらの答えだった。たしかに、自分は忍術学園の教師として、忍術を生徒たちに教えている身だ。お前は、自分の生業を否定するつもりなのか?
 だが、五十衛門は、そうは訊かなかった。

 


「それだけか?」
 伏せた顔から眼だけぎょろりと半助を見据えながら、五十衛門はいう。
「どういう…ことだ」
「お前はいまは、教師だろう。そして、生徒を通じて多くの人生を見ている。違うか」
 はっとした半助が、顔を上げる。だが、すぐに、その視線はさまよう。
「お前のいうとおり、学校にはたくさんの生徒がいて、たくさんの人生がある…だが、私には、教え導くことのできない人生だ」
「ほう?」
「…所詮、私は、忍の世界しか知らない人間だ。きり丸に違う人生があることを教えてやりたくても、私には教えてやれる何も持っていない。私には…」
 -人を殺め、傷つけ、誑かす術しかない…。
 一人の忍として渡り歩いてきた自分に残っているものは、畢竟、それだけの経験にすぎないのだ。

 


「あ~あ。ったく辛気くせぇ。お前みたいなまじめ人間といると、こっちまで窮屈でしかたねぇ」
 だしぬけに、大きく伸びをしながら五十衛門は吐き捨てるように言う。
「私が、まじめ人間だって?」
 半助の眼が大きく見開かれる。
「ああ。まじめもまじめ、大まじめだ。そんなにきり丸が気になるなら、養い親にでもなっちまえ」
 どうと床の上に寝転がる。組んだ腕に乗せた頭を半助のほうに傾ける。
「で、忍の道から足洗わせちまえ。その方が、話は早いだろ。もっとも…」
 言葉を失う半助に、軽く片目を瞑る。
「きり丸が承知するとは思えんがな」

 


「ありがとう…やはり、石川だな」
「うん?」
「お前はいつも、スケールの大きい視野を持っている。私が目の前の小さいことにとらわれているときも、お前は違った。そして、いろいろな途があることを教えてくれたな」
「よせやい」
 五十衛門は、軽く顔を背ける。
 -それはお前の買いかぶりだ、土井。ほんとうの俺は、そんなスケールの大きい男じゃない。
 卑屈で、矮小な魂の、こそ泥にすぎないのだ。
 そして、ただ気になるだけなのだ。忍に向かない、忍の世界しか知らない土井半助という男が、道を探しあぐねて、もがいていることが。
 -土井、お前は、忍というものを子どもに教えるのが、辛いんじゃないのか?
 それはきっと、半助も自覚している問いなのだろう。同時に、半助にはまだ辛すぎる問いなのかもしれない。
「なあ、土井」
 寝そべって天井板を眺めたまま五十衛門は口を開く。
「なんだ?」
「お前が教室で生徒に何を教えているか知らんが、お前がきり丸に本当に教えたいことは別にあるんじゃないのか?」
「…」
 顔を伏せた半助の表情は、豊かな前髪に隠れている。だが、その沈黙が答えだと五十衛門は思った。

 


「そんなことを、私に言いに来たのか?」
 沈黙に耐えきれずに口を開いたのは半助だった。
「なに。ちょっと昔話でもしようとおもったまでさ…」
「そんなことはないだろう」
 五十衛門の言葉にかぶるように半助の口調が強くなる。
「お前のような筋金入りの合理主義者が、無駄話のためにこんなところまで来るはずがない」
 -それこそが、私とお前を隔てるもっとも大きいものだった…。
 半助は唇をかむ。
 -私は、お前のような合理主義者になりきることはできなかった。いろいろなものに心を留め、惑うばかりに、私は中途半端な忍として終わらざるを得なかった。そして、他のことも…。
 割り切る、という点ではきり丸のほうがはるかに合理主義的だと半助は考える。眼の前のことどもに惑うこと多かった自分に比べ、五十衛門の高く、遠く、透徹した視点はどうだろう。
「さすが土井だな。お前は昔からそういうとこだけは聡い」
 眉一つ動かさず、五十衛門が返す。
「お前とは古い友人だからな」
「まあいい。分かっているなら話は早い。今日俺がここに来たのは、お前に頼みがあるからだ」
 よっと身を起こした五十衛門は、半助に向き合う。
「…そうか」
「断らないのか?」
 手にした湯呑を眼のあたりまで持ち上げて、五十衛門は半助をじっと見据えた。
「まだ話を聞いていない」
 眼を伏せたまま半助は答える。
「それもそうだな」
 ぐびりと湯呑を干した五十衛門は、身を乗り出した。誰かに盗み聞きでもされているように素早く左右に視線を走らせると、声を潜める。
「タソガレドキのお宝を盗み出す」

 


 不思議となんの感慨も湧かなかった。何事もなかったように「そうか」とただ一言口にして、半助は湯呑を傾けた。
「驚かないのか」
 五十衛門が初めて眉をびくりと動かした。
「石川。お前はいつも突拍子もないことを言うが、いまのは私をからかったものだと思うことにするからな」
「土井。俺は本気だ」
 低く言う五十衛門に、半助は初めてぎょっとした表情を浮かべた。
「お前はドクタケのお宝を盗み出したらしいな。だが、タソガレドキは格が違う。我々忍術学園から見ても手強い忍者隊をもっている。何を盗むつもりか知らないが、お前のかなう相手ではない。それに、タソガレドキはいま、戦の準備で警戒態勢にある。このあたりの町や村でも、制札をとったり、家族や財産を避難させたりしている」
「だからこそ、ということが分からないのか。土井」
 悪戯っぽく五十衛門はにやりとする。
「ドクタケのお宝など、行きがけの駄賃みたいなものだ。俺が狙っているのは、黄昏陣兵衛の家宝だ。あれがなくなったとなれば、やっこさん、戦どころじゃなくなるだろうな」
 くっくっと五十衛門は小さく肩を震わせて笑った。
「そんなことをして…」
 言いかけた半助ははっとして言葉を呑み込んだ。
「まさか石川、お前は戦を止めるために…」
「違う」
 五十衛門が遮る。
「俺の辞書に、他人のためなんて言葉はない。俺は、俺が欲しいものを手に入れるだけだ」
「だが…」
「お前も、きり丸も、戦で家族をなくしたんだったな」
 興味なさそうに足を投げ出すと、ぼりぼりと脛を掻く。
「だが、そんなことは俺には関係ない。俺にとっては戦はむしろ大歓迎だ。大名や兵どものおこぼれにあずかるチャンスがいくらでもあるからな」
「石川…」
 五十衛門の偽悪的な物言いには慣れていたつもりだったが、戦で家族と家を失った記憶を抉り出される思いがして半助はぐっと歯ぎしりをした。
「で、どうする、土井」
 不意にまっすぐな視線を射られて、半助は一瞬眼をそらせた。だが、視線を戻すと、低く、だがはっきりと言った。
「私は断る。私は子どもたちに教える身だ。悪事に手を染めることはできない」
「そうか…ま、そう言うだろうとは思っていたが、相変わらずだな」

 


「…お前が決めたことは必ずやることは知っている。だが、いまタソガレドキに手を出すのはあまりに危険だ。命がいくつあっても足りない」
 止めても無駄とは分かっていたが、半助は言わずにはいられなかった。
「だからこそ、と俺が思っていることも分かってるだろうな」
「それはそうだが…」
「なあ、土井」
 呼びかける声の穏やかさに、肩がびくりと反応する。
 -石川が、こんな穏やかな言い方をすることもあるとは…。
 修業時代を振り返っても記憶にない声だった。
「…お前は俺を合理主義者と言ったが、俺がいつもそうとは限らないということも覚えておけよ」
「ということは、やはり戦を止めるために…?」
「違う」
 鋭く低い声が遮る。
「だが、久しぶりにお前の顔を見たくなった、お前の青臭い書生論を聞きたくなったのは事実だ。そのためにわざわざ立ち寄った。お前の言う合理主義者なら、そんなことはしないだろうがな」
 だがその声はすぐに穏やかなものに戻るのだ。
「…そうか」
 呟いた半助は、瓢箪を手にしてふたつの湯呑を満たす。
「…それがどれだけお前にとって非合理的だろうが、私に会いに来てくれたのなら私はうれしいよ」
 寂しげな微笑みに、五十衛門の眼にひるむような動揺が走る。
 -畜生! コイツはいつもそうだ。そのスマイルで俺の戦闘意欲を根こそぎにしやがる…。
 動揺を苦労して押し殺している五十衛門に気付かないように半助は語る。
「…修業時代から、お前はずっと遠い先端にいた。私にはどうあがいても届かないような高みにいた。いずれ違う道を歩むのだろうと思っていた。でもお前と私はよく似ていると思った。どこがどう似ていると説明するのは難しいが」
「似ている…ね」
 湯呑をすすりながら視線を漂わせる五十衛門だった。
 -俺は、ここに何しに来たんだ。
 半助のもとに来て話をすれば、タソガレドキの家宝奪取に向けて高まっていたモチベーションが消されかねないことは分かっていた。それでも、つい足が向いてしまったのだ。
 -土井に、止めてもらいたかったとでも?
 いや、そんなことはなかった。作戦は作戦としてすでに始動している。いつものようにこなせばいいだけの話である。そして、半助に会いに来たのは、それとはまったく別のインフォーマルで非合理的な心の動きに過ぎない。
 -だから、用件を果たしたからにはとっとと作戦に戻るべきだ。
 そう思い至って、視線を半助に戻す。
「まあ、そういうもんかも知れんな。俺にもよく分からんが…」
 言いながら立ち上がる。 
「先生やってるほどのお前なら答えも出せるだろう。俺の代わりに考えといてくれ…じゃぁな」
「お、おい…!」
 半助も慌てて立ち上がる。
「行くのか…?」
「おう。きり丸によろしくな、半助」
 軽く手を挙げた五十衛門は、風のように走り去る。
「五十衛門!」

 


「ふぁ~あ、おはようございます…って、あれ?」
 翌朝、寝室の襖を開けて土間に通じる部屋に出たきり丸は、囲炉裏端で背を丸める影に眼を丸くした。
 -土井先生、こんなところで寝てら…って、五十衛門さんは?
 昨日、五十衛門がいたことが幻ではない証拠に、囲炉裏端にはもう一つの湯呑が残っていた。
「先生、先生ったら…なにこんなところで寝てるんスか。五十衛門さんは?」
 半助の背を揺すりながら声をかける。
「あ、ああ…」
 顔を伏せたまま半助は応える。
「石川は出かけた。次の仕事があるからとな」
「そうスか。朝になってから出かけりゃいいのに…」
 -俺も、もっと五十衛門さんと話したかったのに…。
 ぶつくさ言いながら湯呑を片づける。
「それに先生も、湯呑を洗いもしないでこんなところで寝こけて…」
「ああ、すまんな」
 ようやく顔を上げた半助に、きり丸はぎょっとした。
 -…先生?
 半助の眼はまっ赤に充血していた。その頬には涙の跡がくっきりと刻まれていた。
「先生、どうしたんスか?」
 顔を覗き込むきり丸に、慌てて眼をがしがしとこすった半助が作り笑いを浮かべる。
「あ、ああ…まあ、久しぶりに懐かしい友人と話したもんだからな」
「なつかしいと、泣いちゃうもんなんスか?」
「まあ、そういったところだ。いずれ、お前にもわかる」
「そんなもんすかね」 
 興味なさそうに言い捨てて立ち上がると、きり丸は土間で湯呑を洗い始める。半助はふたたび囲炉裏端に黙然と視線を落とす。
 -五十衛門、すまない…今の私は、どうしてもきり丸を守ってやらなければならない。でも、いつかきっと…。
 顔を上げて、五十衛門が座っていたあたりに眼をやる。
 -共に、思う存分あばれまわろうな。修行のころのように…。

 

 

<FIN>

 

 

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