旧き友よ

 

新シリーズ「五年生と顧問」を展開することにしました。

記念すべき第一弾は学級委員長委員会です。

勘右衛門は、やっぱり巻き込まれ型不運なんですね…どう考えても学園長と三郎の暴走を止めることはムリだろうしw

ところで冒頭の学園長の場面を書いている間、脳内をかまやつひろしの「我が良き友よ」がエンドレスで流れまくっていました。いかにも昭和! という哀愁を帯びた歌詞と曲が学園長のテーマにふさわしいように思えてきたのですが、どうでしょう?

 


 静かな夜だった。庵の縁側にひとり、大川は杯を傾けていた。
 -静かじゃのう。ヘムヘムはどこへ行ったのじゃ。
 肴になるものを探しにやったヘムヘムは戻ってこない。
 端近にいる大川を、秋の月がさやかに照らしている。折から渡る風に、庵の前の竹やぶがさやさやと鳴る。
 -そういえば、竹風(ちくふう)葉を鳴らす月の明らかなる前、なんぞと金楽寺の和尚は、訳知り顔に言っておったの…。
 この縁側に掛けて月を眺めながら、和尚がそんなことを言っていたことが、ふいに思い出された。それがほんの数日前のことか、何年も前のことかも思い出しかねて、大川はちいさくため息をつく。
 秋の風物でもっとも心いたましむるものを詠んだ田達音(島田忠臣)の受け売りということぐらい分からないとでも思ったのだろうか、と考えずにはいられない。
 -だが、同じようなことを言うような者はいくらもおったの…どいつもこいつも和漢の受け売りばかりしおって…。
 忍として、特に知識階級に取り入るには、和漢朗詠集程度の知識は必須だった。だからこそ、仲間同士の会話ではことさらにそんな知識をひけらかしていた時代があった。
 今となってはつくづくなつかしいことよ、と大川は考える。忍として活躍していた頃にともに過ごした仲間たち、敵ながら一目置いていた者たち、若き頃の自分を通り過ぎていった者たちの多くが、すでに泉下に去っている。

 


 秋とは、どうしてこうも物思いをしてしまうものなのか。
 手酌で満たした杯を運びながら、大川は思いをめぐらす。
 -思えば、若い頃には、ほんとうの物思いなどしていなかったんじゃの…。

 今となればわかる。ほんとうの物思いとは、女人を想ってするものでも、月や花を愛でてするものでもない。人生の、寒々しい荒野を眺め渡せるようになったときに、初めてするものなのだ。
 これまで、多くのことがあった。多くの者を見送ってきた。若き頃の仲間たち、学園で一人前の忍として育て上げ、送り出した若者たち。そのなかには、行方も知れず、命を落としたという話が風の噂に耳の届くことも多い。なぜ秋には、そんな者たちのかつての面影が脳裏にちらつき、交わした会話が耳によみがえるのだろうか。

 


 -わしがワガママじゃと? 何を言う。
 黙然と杯を傾けながら、大川は姿なき友に語りかける。
 -わしは、わしが必要と思うことをしているだけじゃ。それがワガママじゃと? ええい、うるさいわい。少しは年寄りを大切にせぬか。
 -なに? 年齢を数えるのをやめたくせに年寄りを自称するとは片腹痛い? 言うに事欠いて何を言いよる。わしが、何のために歳を数えることをやめたと思っておる…!
 流れる雲が、薄墨のように月を覆う。
 -断じて、めんどくさくなったからではないぞ。
 ほの暗さを増した庭に、誰かを探すような視線を送りながら、大川は口に出さずにつぶやく。
 -それは、歳を重ねるほどに、共に若い頃を過ごした仲間たちが遠くなってしまうように感じられてならなかったからなのじゃ…。
 雲の影から、ふたたび月が姿を現した。
 虚空に杯を掲げながら呼びかける。
 -のう、友よ、旧きよき友よ、わしらはずいぶん遠くに来てしまったが、せめて今宵は、ゆるりと酌み交わそうではないか…。

 


「ヘムヘム」
 言いながらぬっと縁側に現れた大きな影を、大川はぎょろりとねめつけた。
「鉢屋三郎。下手な変装はよさぬか。お前がヘムヘムに変装しても、身体の大きさが変わらんのじゃからすぐに分かるわい」
「あ、失礼しました」
 たいして悪いとも思ってなさそうな声で言うと、三郎はふたたび変装した。
「わしに変装するのはよさぬか。お前がわしの変装をするなど50年早いわい」
「え、ダメですか。それでは」
「食堂のおばちゃんに変装するのもやめい…三郎、いい加減にせんか」
 大川の声が苛立つ。
「…いつものように不破雷蔵に変装していればよいだろう」
「それが、そうもいかないんです」
 食堂のおばちゃんの変装のまま、声だけ地声に戻った三郎が言う。その口調に当惑したような響きを認めて、大川は眉をぴくりと上げた。
「どういうことじゃ、三郎」
「いま、雷蔵の変装に戻ると、雷蔵に迷惑をかけますので…」
「迷惑じゃと?」
 訝しげに大川が訊きかけたとき、庵につながる渡り廊下をばたばたと走る音が聞こえた。
「だれじゃ、こんな時間に廊下を走る者は! 騒々しいわい!」
 大川の一喝もむなしく、庵に駆け込んだ影はひらりと畳を蹴ると、姿を消した。
「おーい、勘右衛門。どーしたぁ」
 縁側から室内に身を乗り出した三郎がのんびり呼びかける。
「三郎! おまえ、こんなときによくそんなのどかな声出していられるな…というか、おまえ、いったい何やらかしたんだよ!」
 長押に足をかけて庵の天井際の隅にひそんでいるのは、勘右衛門だった。あちこち逃げ回っていたらしく、額にはいく筋も汗が流れている。
「そうじゃぞ。雷蔵の変装はできぬと言い出すのも、勘右衛門が逃げ込んでくるのも、お前が原因じゃろう…正直に言うのじゃ!」
 尻馬に乗ったように声を上げる大川に、三郎は呆れたように肩をすくめる。
「なーに言ってるんですかぁ、学園長先生…もとはといえば、学園長先生のせいなんですよ」
「なに、わしのせいじゃと? わしがいったい何をしたというのじゃ」
「もう忘れちゃったんですかぁ? 学園長先生が街に新しくできたお汁粉屋がうまいって通いつめたせいでたまったツケを学級委員長委員会予算で何とかせいって仰ったんじゃないですかぁ…けっこう苦労したんですよ、うまいこと会計をごまかすの」
 そもそも学級委員長委員会には予算がついてないんですから、と付け加える。
「そ、そんなこと言ったかのう」
 形勢が悪くなったことを悟った大川が視線を泳がせる。
「おま…おまえ、そんな大それたことしたのかよ…」
 長押に足をかけたままの勘右衛門が青ざめる。と、その表情がふいに考えこむように眼を見開く。
「あ…でも、俺が追いかけられたのは立花先輩だったぜ? 予算のことには作法委員会の立花先輩は関係ないんじゃね?」

「いやぁ、それがさ…」
 これ以上にない爽やかさで三郎は頭をかいた。
「ちょうど変装用のマスクや化粧品が足りなくなってたから、学園長先生のお汁粉代に上乗せして、作法委員会の予算に付け替えたんだ☆」
「てことは…」
「…わしのお汁粉代と三郎の変装代を、作法委員会の予算から払ったということか?」
 長押に足をかけた勘右衛門と縁側で腰を浮かしかけた大川がこもごも言う。
「まあ、そういうこと…あ、来た」
「う、やべ!」
 三郎と勘右衛門が、それぞれ納戸と天井裏に身を隠す。取り残された大川がおろおろと立ち上がりかけたとき、
「三郎! どこいやがる!」
 ばたん! と倒された襖を踏みつけて、袋槍を手に修羅の形相となった文次郎が大音声を上げる。
「文次郎、なにか踏みつけてないか?」
 ふわりと長い髪をなびかせながら仙蔵が現れる。が、その眼は怒りでぎらぎらと輝き、手には焙烙火矢が握られている。
「お?」
 畳に下り立った文次郎が襖を持ち上げると、そこにはつぶされて平たくなった大川がいた。
「ほぅ、学園長先生…ちょうど、学園長先生からも事情をご説明いただこうと思っていたところなんですよ」
 平たくなった大川を持ち上げてひらひらさせながら文次郎が凄む。
「い、いや…わしは何も知らん」
 どもりながら答える大川に、文次郎はぬっと顔を突き出す。
「何も知らないわけがないでしょう!」
「い、いやその…じゃな。えへ☆」
「『えへ☆』じゃないでしょう!」
 文次郎が怒鳴り声を上げると同時に、天井に気配を感じた仙蔵が無言で手裏剣を打つ。放たれた手裏剣が天井板を突き抜いた次の瞬間、べりべりと天井板が破れて、尻に手裏剣が刺さった勘右衛門が落ちてきた。梁につかまって気配を消していたが、文次郎の怒鳴り声に思わずびくっとしたところを仙蔵に気取られてしまったのだ。
「っててて…!」
「よぉ。勘右衛門」
 手裏剣を抜いて尻をさすりながら起き上がろうとした勘右衛門の前に、袋槍を構えた文次郎が立ちはだかる。その全身から発散される殺気に思わずへたり込んでしまう。
「あ…ど、どうも。先輩」
 引きつった笑いを浮かべた勘右衛門は、へたり込んだままずるずると後退する。その背が、すでに腰を抜かしている大川にぶつかる。
「さて、残るは三郎だな…どこにいるのか言ってもらおうか」
 片手を腰に手を当てた仙蔵が、軽く上体を2人のほうへとかがめる。空いたほうの手には、相変わらず焙烙火矢が握られたままである。
「三郎は、雷蔵以外の姿に変装しているらしいからな。気をつけろ」
 周囲の様子をうかがいながら、文次郎が低く言う。

 


「いや、待て待て、文次郎…わしは本当に何も知らぬのじゃ」
 闇雲に腕を振り回しながら大川は言い訳を試みる。
「ほぅ」
 仙蔵がついとあごを上げて、大川と勘右衛門を見下ろす。懐から数枚の伝票を取り出すと、指先でひらひらさせる。
「それでは、学園長先生が街の汁粉屋にためたツケと、三郎の変装用の化粧具代が作法委員会の予算にまぎれて計上されていたのを、どうご説明されるというのですか?」
「そ、それはじゃな…のう、三郎、隠れてないで出て来ぬか」
 脂汗を垂らしながら、大川がことさら哀れっぽい声を上げる。
「学級委員長委員会及び顧問の学園長先生! 悪事は全て明らかになった! どう落とし前をつけてもらおうか…!?」
 大川の哀訴を歯牙にもかけずに文次郎は吼える。
「い、いやでも先輩…俺、いや僕はなんにも聞いてなかったですし…」
 事態の首謀者に巻き込まれまいと抗弁する勘右衛門に、大川が「わしを見捨てる気か!?」と怒鳴る。
「知っていようがいまいが、学級委員長委員会の上級生として同罪…それにしても、作法委員会を騙って予算をだまし取るとはいい度胸だ」
 いつの間にか点火されている焙烙火矢を掌で弄びながら、仙蔵は静かに言う。だが、そのぎらぎら光る瞳に、追い詰めたネズミをなぶるネコと同じものを感じた大川と勘右衛門がおびえきった眼で震え声を上げる。
「仙蔵、よ、よさぬか…三郎! いつまで隠れておる! 早く出てこぬか!」
「そんなぁ…って、先輩、それ、殺意があからさますぎますぅぅぅ…」
「作法委員会を敵に回す者は、誰であれ許されない…」
 平板な声で淡々と語る仙蔵の眼がふいに細められた。
「…天誅!」

 


「見つけたぞ、三郎!」
「待ちやがれっ!」
 庵が吹っ飛ぶ一瞬前に飛び出した三郎の姿を、文次郎と仙蔵が見逃すはずがなかった。手裏剣や焙烙火矢を投げつけながら追い回す。騒ぎを聞きつけて教師や生徒たちがわらわらと集まってくる。
 喧騒の中で、真っ黒焦げになりながら、大川はふいに夜空を見上げる。土埃や煙が次第におさまっていくとともに、煌々と光る月と満天の星空が見えてきた。
 -のう、旧きよき友よ。ご覧のとおり、わしは未だに騒動をともにしながら、子どもたちと過ごしておる。そして、わしはいま少し、この騒がしい巷にいようと思う…だから、ともに酌み交わすのは、もう少し先にしようかの…。

 

<FIN>