変装の奥義

 

学年の近い忍たまたちは、互いに張り合って仲が悪い…などという話がありましたが、上級生になると、あまりそういう傾向も見られなくなるようです。表立って張り合ったりしないだけなのかもしれませんが。

そして、その中間にいる四年生たちは、まだまだ上級生への対抗心を隠し切れず、それゆえ上級生にからかわれたりすることもありそうです。

 

 

「教科も実技も学年トップ! 戦輪を扱わせれば忍術学園ナンバーワン!」
「石火矢や火縄など過激な武器が得意な忍術学園のアイドル!」
「…は措くとして」
「なんだ、滝夜叉丸。私を呼び出したりして」
 放課後の四年い組の教室には、滝夜叉丸と呼び出された三木ヱ門の2人だけがいた。
「われわれはふだん、ライバルとして時に勝負し、時にそれぞれの得意分野で実力を発揮したりしている。だが、総合的に見れば、やはり上級生にはかなわないことも多い」
 腕を組んだ滝夜叉丸が語る。
「何が言いたい、滝夜叉丸」
「つまりだ」
 滝夜叉丸が眼を見開いた。
「われわれ四年生は、もっと上級生の技術を盗まなければならない、ということだ。どう思う、三木ヱ門」
「上級生の技術を盗む…なるほど」
 こんどは三木ヱ門が腕を組んで考えこむ。
「たしかに私たちは、得意分野では実力があるが、それだけでは一人前の忍にはなれない、ということだな」
「そういうことだ」
「だが、誰の、どの技術を盗むというのだ」
 一年か二年の違いとはいえ、体格や体力の差はどうしようもなく大きい。たとえば組手で上級生に勝とうとすれば、そうした格差をカバーするほどの技術がないと勝負にならない。それも、たいてい上級生のほうが技術も上だったりするのだ。
「そこでだ…まずは、五年生の鉢屋先輩の変姿の術を盗むことにする」
 重々しく宣言するはずのところで、滝夜叉丸の口調がやや性急になる。その変化に気づくところがある三木ヱ門がにやりとして滝夜叉丸を指差す。
「そうか、滝夜叉丸…おまえ、私を巻き込んで上級生の技を盗むなどと言い出したが、さては鉢屋先輩に変姿の術でからかわれたな」
「な、そんなことは…」
 図星を突かれた滝夜叉丸が、一瞬、動揺をあらわにする。
「…措いといてだ」
 取り繕うようにこほんとわざとらしく咳払いをしてみせてから、滝夜叉丸は続ける。
「三木ヱ門。お前はどうする。鉢屋先輩の変姿の術の秘密を知りたいとは思わないのか?」
「まあいい。たしかに鉢屋先輩の変姿の術は、間違いなく学園ナンバーワンだからな。それを体得することは、だいじなことだ」
 考え深げに頷いた三木ヱ門が顔を上げる。
「わかった。私も、その話に乗るとしよう」

 


「それで、どうするのだ」
「先輩方は、われわれがいつもライバルとして角突きあってるところしか知らない。よもや、われわれが共同作戦を行っているとは思いもしないだろう。それを利用するのだ」
「なるほど、雨鳥の術だな」
「そうだ。そこで、まずは、私が鉢屋先輩に、直接変姿の術の極意を聞きにいく。ただし、それだけでは十分ではない」
「どういうことだ」
「自分の得意技の極意を、後輩とはいえいずれは敵になるかもしれない相手にペラペラ話すと思うか?」
「…それもそうだな」
「そこで、三木ヱ門の出番だ」
「私は、どうすればいいのだ」
「お前は、鉢屋先輩と仲のいい不破先輩に、鉢屋先輩の変姿の術の秘密を聞き出しに行く」
「そうか。不破先輩なら、鉢屋先輩と同室だし、いろいろ間近で秘密を見ているに違いない」
「そういうことだ。では、手分けしていくぞ」
「よしわかった」

 


「どうだった」
 夕食後、倉庫の裏に、人目につかないよう待ち合わせた滝夜叉丸と三木ヱ門の姿があった。
「ああ、鉢屋先輩に聞いてみたのだが…」
 歯切れの悪い滝夜叉丸の言い方から、三木ヱ門は、早くも首尾よくいかなかったことを感じ取っていた。
「いろいろ教えてはくださったが、どうも本質的なことではなかったのだ…要は観察力が大事というところまでは聞き出せたのだが」
「まあ、当然といえば当然だな」
「しかし、それだけで変姿の術があれほどまでになるはずがない…」
「たぶん、鉢屋先輩は半分しか教えてくれなかったのだろうな…」
 考え深げに三木ヱ門があごに手をやる。
「…観察したあと、実際に変装するという後半部分は教えていただけなかったということだ…つまり、その後半部分に変姿の術の極意があるにちがいない」
「なるほど、そういうことか…それで、三木ヱ門はどうだった」
 滝夜叉丸にも、探るべきポイントが見えてきたようである。続けて三木ヱ門の首尾を確認する。
「それがだな…」
 三木ヱ門が言いよどむ。のっけから雷蔵に「そんなこと、三郎に直接聞いたほうが早いじゃないか」と言われてしまったのだ。
「不破先輩には、鉢屋先輩に直接聞いたらどうだと言われたのだが、そこはまあ、客観的な見方もほしいからといってごまかした」
「それで、どうだった」
「それが…注意して見たこともないから分からないと言われてしまった」
 滝夜叉丸が脱力した。
「それだけか…」
「まあ、そんなところだ」
 三郎は僕と違って几帳面だからね…と笑う雷蔵の言葉は半ば記憶から消えていた三木ヱ門は、腕を組んだ。
「つまり、あまり成果なしということか…」
 釣られるように腕を組んでいた滝夜叉丸が顔を上げた。
「こうなれば、最終手段だ」
「最終手段?」
「そうだ。鉢屋先輩と不破先輩の会話を盗み聞きするしかない」
「先輩がたの部屋に潜るのか?」
「そうだ。床下か、でなければ天井裏に」
「よし。どうあっても、後半部分を聞き出すぞ」
「もちろんだ」

 


「なあ、雷蔵」
 夜の忍たま長屋で、風呂から戻ってきた三郎は、ちらと雷蔵の背後に眼をやってからうんざりした口調で声をかけた。
「なんだい」 
 本を読んでいた雷蔵は、泰然と応える。
「もう少し何とかならないのかな、いつも言ってるけど」
 三郎と雷蔵は衝立を使うことなく部屋をシェアしていたが、その境界は外目にも明らかなほどはっきりとしていた。几帳面な三郎のサイドは必要最低限のものしか外に出ていないのに対し、雷蔵のサイドは、きちんと掃除はしていたが、あちこちに本が積み上げられ、さまざまな道具がごたごたと並べられているのだ。
「そうかな」
 きょろきょろと自分の周囲を見回した雷蔵は、ふたたびにっこりとして三郎に眼を戻す。
「そうさ。そんなに身の回りがごちゃごちゃしていて、よく落ち着くよな」
「僕は、こうなってるほうが落ち着くんだけど」
「そんな散らかってて、どこに何があるか分からなくならないのかい?」
「もちろん。どこに何があるかだいたい分かってるから、ちっとも困ることなんてないさ…」
 スマイルを浮かべたまま言葉を切った雷蔵は、ほんの一瞬、天井に眼をやった。
 -来てるね。
 -ああ、来てるな。
 目配せで意思を確認し合うと、三郎は文机に向かって本を開きながら口を開いた。
「私にはちょっと考えられないな。そんなにごちゃごちゃしていたんじゃ、変装するにしたって必要なときに必要な道具を出せなくなる」
 変装、という言葉に、天井の気配が動いた。
「三郎はいつもきちんと整理してしまっているからね」
「そうさ。仮面だってヘアピースだって、すぐに出せるように整理しているからこそ、すばやく変装できる。整理整頓は変装のイロハのイだよ」
 -なるほど。変姿の術の基本は整理整頓か…。
 天井裏で、滝夜叉丸があごに手を当てて頷いている。
「変装といえば、さっき、滝夜叉丸が私のところに来てさ、変姿の術の極意を教えてほしいと言ってきたんだ」
 ふと思い出したように三郎は本から顔を上げて、雷蔵に眼をやった。
「へえ。今日、三郎に変装でからかわれたばかりだと言うのに、滝夜叉丸がそんなことを言ってくるなんて珍しいね」
 いつものように体育委員の後輩たちを相手にぐだぐだと自慢話をしていた滝夜叉丸は、小平太に変装した三郎に散々引っ張りまわされたのだった。
「そうなんだ」
「で、なんて教えてやったのさ」
「そりゃもちろん、変装には観察力が大事だよってね」
「それだけ?」
「当然さ。本当に大事なことは、そんなに簡単に教えられるものじゃないからね」
「そりゃそうだね…そういえば」
 雷蔵もふと思い出したように本を閉じると、三郎に向き直った。
「なんだい、雷蔵」
「今日、僕のところに三木ヱ門が来たんだ。三郎の変装の秘密を教えてほしいってね」
「そりゃまた偶然だね。それとも、示し合わせているのかな」
「まさか」
 あっさり雷蔵が言うと、天井裏に潜んだ2人はほっとため息をついた。次いで、会心の笑みを交わす。
 -やはり、私たちの共同作戦は、五年生の先輩たちといえども気づくことはなかったな。
 -当然だ。だからこその雨鳥の術なのだ。
「それで、雷蔵はなんて答えたのさ」
 何も気づいていないように三郎は続ける。
「実のところ、そんなこと考えたこともなかったから、注意して見たこともなかったって答えたんだ」
「それってどういうことさ」
「だって、三郎が変装しているなんて、僕にとってはいつものことだからね。そもそもいつもは僕の顔に変装しているんだし」
「まあ、そうだけど」
「日常のことにわざわざ注意を向けることなんて、そうあるもんじゃないだろ?」
「でも、そんな答えで三木ヱ門が納得するとは思えないんだけど」
「ああ、そうだったね」
 雷蔵はにっこりしながら続ける。
「三木ヱ門は、三郎が変装するためにどんな準備をしているのか見ていないのかって聞いてきたな」
「それで?」
「いつも使いやすいように整理してるみたいだよって答えたよ」
「だめじゃないか」
 三郎の声が尖る。
「それこそが変装の真髄だっていうのに、あっさりしゃべっちゃうなんて」
「ご…ごめん。だって、まさか変装の極意が整理整頓だなんて知らなかったからさ」
 いかにも驚いたように、雷蔵がうろたえた声になる。
「まあ…私が雷蔵に話すのも初めてだからしょうがないけど」 
 仕方がない、と三郎は大きくため息をつく。
「それにしてもさ、なんで三郎は、いつも僕に変装してるんだい?」
「それをいまさら訊く?」
「まあね。三木ヱ門の話を聞いているうちにふと気になったものだから」
「どんな話だったんだい?」
「僕が、いつも三郎に変装されてて気にならないのかってね」
「それで?」
「別に、って答えておいたさ」
 そんなの今に始まった質問じゃないし、と付け加えて、雷蔵はにっこりする。
「さすが、私の雷蔵だ」
 三郎は満足そうに頷いた。
 -私の、雷蔵だって!?
 天井裏の2人が顔を見合わせる。
 -どういう意味だと思う?
 -わからん。もう少し、話を聞いてみよう。

 


「そうだ。いい機会だから、変装の奥義についても雷蔵に話しておこうかな」
 天井裏の反応を愉しむようににやりとしながら、口調は変えずに三郎は口を開いた。
「奥義って、なにさ」
「それは、変装の対象になりきることさ。そのためには、何が必要だと思う?」
「さあ」
「それは、対象をまるっきり自分のものにする、ということさ」
 雷蔵の肩に手をかけながら、舌なめずりをする三郎の顔が近付いてくる。
「や、やめろよ…なにも今やらなくてもいいじゃないか」
 身体を押し倒しながら、のしかかるように迫ってくる三郎に、雷蔵は動揺したような声をあげる。
「今じゃなくてどうするのさ。私の雷蔵、っていうのはそういう意味なのに」
「それは分かったからさ…あ、どこ触ってるのさ、三郎…」

 


「ぜいっ、はぁっ」
「な、なんだったんだ今のは…!」
 忍たま長屋の天井裏から気配を消すことも忘れて脱出してきた滝夜叉丸と三木ヱ門は、長屋から離れた倉庫の裏に座り込んでいた。
「不破先輩と鉢屋先輩が仲がいいのは知ってたが、なんかタダゴトじゃない雰囲気だったぞ」
「そういうことなのか? あの2人は、そういうことだったのか…?」
 頭を抱えて呻いていた滝夜叉丸が、やがて顔を上げる。
「もし、変装の奥義がああいうことだとしたら、私には到底ムリだ…」
「というか、奥義と真髄は結局どういうことだったんだ…?」
 顔を伏せたまま、ちらと視線だけ隣の滝夜叉丸を見やりながら、三木ヱ門が膝を抱える。
「変装の真髄は整理整頓、そして奥義は、相手を丸ごと自分のものにすること…」
 その後の展開を思い出して、滝夜叉丸は思わず掌で口を覆った。
「どっちがどう関係しているんだ」
「…わからん」
「私たち…ひょっとして、また鉢屋先輩にからかわれたのではないのか…?」
 抱えた膝に頭を埋めながら、三木ヱ門が呟く。 

 


「…行ったか?」
「…みたいだね」
 仰向けになった雷蔵と、その上にのしかかっていた三郎が同時に天井の気配を探る。
「なんだ、もういなくなったのか。つまらないな」
 よっ、と先に上体を起こした三郎が、雷蔵が身を起こすのを手伝う。
「つまらないって…これ以上どうするつもりだったのさ」
 当惑声で相手に眼をやりながら、雷蔵がはだけた襟を直す。
「さあ…どうすると思う?」
 いたずらっぽく混ぜっ返す三郎だったが、雷蔵はすっかり聞き流していたようである。胡坐をかいて天井を見上げながら気がかりそうに言う。
「なんか、余計な誤解を招いてなければいいんだけど」
「招いたにしても、彼らが言いふらすことは考えられないさ」
 雷蔵の肩に腕を乗せた三郎が、雷蔵の髪をいじりながら答える。
「どうしてさ」
「考えてもみろよ。彼らが、私たちが変なことをしてると言いふらしたら、必ずどういう状況で見たのかと訊かれるだろ? そのときに、私の変装の秘密を探るために天井裏にもぐりこんで、しかも分かったのは整理整頓だけだったなんて言えるわけがないじゃないか」
「あはは…そりゃそうだね」
「だろ?」
 互いに寄っかかり合いながら、2人はひとしきり笑った。
「それにしても面白かったな」
 まだ笑い足りないように雷蔵は苦しげに言う。
「なにがさ」
「変装の奥義なんて言い出したときは、もう可笑しくて、笑い出しそうになるのを必死でこらえていたんだよ」
「そんなにへんなこと、言ったかな」
「へんだよ」
 ふたたび腹を抱えて笑いながら、雷蔵は続ける。
「だってさ…僕に変装してるときの三郎なんて、ちっとも僕になりきってないじゃないか。地のままの三郎だし…」
「雷蔵だって、『どこ触るのさ』なんて、サービスしすぎだろ」
「そうかな」
「そうさ…今頃あの2人、すごい妄想をふくらませてるんじゃないのか?」
「なんか…やっぱりまずい気がするんだけど」
「そんなことないさ。これもまた、ひとつの修行さ」
「便利な言い方だね」
「私の変装を見抜けるようになれば、変装が得意と言われるカワキタケ忍者だって敵じゃなくなるからね」
「当面、ムリなんじゃないかな」
「だからこそ、鍛えがいがあるってものさ」
「あんまりからかいすぎちゃだめだよ」
「私の雷蔵がそう言うなら、まあ気をつけるさ」
 いたずらっぽく笑いながら、三郎がまた雷蔵の肩に腕を乗せる。
「三郎は、しょうがないな」
 まったく意に介さないように答えながら、雷蔵は髷を解く。
「さ、もう寝ようよ。明日も早いんだからさ」
 するりと三郎の腕の下から肩を抜くと、雷蔵は立ち上がって布団を敷き始める。
「わかったよ…」
 なおも座り込んだまま、三郎はそんな友人に眼をやる。
 -いまのは天然なのか、それともあえてスルーしているのか。
 三郎としても、本気で雷蔵をどうにかしようと思っているわけではないのだが、あまりに何事もなかったような反応に、雷蔵の意思の所在を図ることができずに三郎は戸惑う。
 -ま、だから安心して私の雷蔵だと言えるんだけどね…。

 

<FIN>