La Follia


コレッリの有名なLa Folliaは典雅で憂いを帯びた舞曲ですが、フォリアとはもとはかなり騒がしい踊りの曲だったそうです。
世の秩序が崩れ、閑吟集の「ただ狂へ」のような刹那主義的な空気にあふれた社会では、人々の帯びる熱量もいやが上にも高くなりがちで、それは冷め切った心を持つ昆奈門にはどのような違和感として捉えられるのだろう、と考えながら書いたお話です。



「…一揆勢の首領は西岡兵庫という名の牢人、出身地及び前職不詳。現在カエンタケ領内の村々の者どもを糾合しつつあり。一揆勢は急速に膨張し総勢三千人を下らない規模。目下、町の土倉や酒屋、寺院の襲撃に向けて移動を始めている模様」
 事務的な口調で報告する陣内左衛門だったが、その内容はその場にいたタソガレドキ忍軍の心胆を寒からしめるに十分だった。
「三千人とは…」
 尊奈門が絶句する。
「して、いかがしますか」
 陣内が横座りしている上司に声をかける。
「ちょっとばかり厄介だが」
 たいして気にも留めてなさそうな口調で昆奈門が言う。「ま、ウチに影響がないようにしておけばいい。陣内、侍所に報告して領民がウチの領内で騒ぎを起こさないよう言っといてよ」
「かしこまりました」
 短く応えた陣内が姿を消す。
「さてと」
 おもむろに立ちあがると呼ぶ。「椎良、反屋、五条、いるか」
「は!」
「ここに!」
「お呼びでしょうか」
 呼ばれた3人が控える。
「これから一揆勢の様子を探りに行く。来い」
「は…はい!」
 意外な台詞にきょとんとした3人だったが、次の瞬間、眼を輝かせて勢いよく立ちあがる。
「あ、あの…」
 慌てて尊奈門が声をかける。
「どうした?」
「一揆勢の偵察なら私たちにお命じください。組頭にはこちらでご指揮を…」
「このあたりでは近年まれにみる規模の一揆だ。牢人の西岡兵庫の名は耳にしたことがある。それに」
「それに?」
「ここでじっとしてても退屈じゃん」
 不意にくだけた口調になる昆奈門に尊奈門たちが脱力する。
「それから」
「まだあるのですか」
「帰りに忍術学園に寄るかもしれないから、夕食に間に合わなかったら取り置きヨロシクね」
 明らかに浮かれた口調に再び脱力する尊奈門たちを傍目に昆奈門たちは出かけて行った。
「…それにしても、どうして組頭は勘介たちをお連れになったんでしょう。いつもなら私を帯同されるのに…」
 ぶつくさ言う尊奈門の頭を「気にするな。これも組頭のご方針だ」と陣内左衛門がぽんぽんと軽くはたく。
「どういうことですか?」
 首をすくめながら尊奈門が見上げる。
「先日の小頭会議で仰ってたそうだが」
 陣内左衛門が応える。「組織が大きくなるとメンバーへの眼が届きにくくなる。だから今後は機会をとらえてメンバーと直接話すようにする、とのことだ。だから手始めにあの3人に声をかけられたのだろう」
「そういうことですか」
 尊奈門がようやく納得したように頷く。



「それにしても、なぜカエンタケ領で一揆が起こっているのでしょうか」
 すでにカエンタケ領内に入っている。壮太は周囲に注意を払いながら気がかりそうに訊く。
「民衆とは火薬のようなものだ。火の気がなければ大人しいが、導火線を伝って火がやってくればいとも簡単に爆発する」
 淡々と昆奈門が説明する。
「しかし、戦続きで段銭(臨時税)を上げているのはカエンタケだけではありません。それなのに、なぜこんなに大きな一揆になっているのでしょうか」
 弾が首をかしげる。
「火薬の状態と導火線によるということだ」
「どういうことですか?」
 謎かけのような台詞に壮太たちが顔を見合わせる。
「お前たちはもう少し周囲の城の事情を学ぶべきだな」
 肩をすくめた昆奈門に3人がうなだれる。
「申しわけ…ありません」
「勉強不足でした…」
「まあいい」
 少し疲れたらしい昆奈門が道端の大きな石の上に横座りになる。3人がすかさずその前に片膝をついて控える。「カエンタケ城は土倉との結びつきが強い。おそらく相当の上納金を受けているのだろう。だから徳政にそうそう応じるわけにはいかない。それに主だった寺はどこも高利貸しでいい商売をしているが、城主が仏事に入れ込んでるせいで寺を保護しているから寺に対する不満も城に結びついている。つまり火薬が非常に乾いて発火しやすくなっているということだ。そして導火線だが…」
 真剣な眼で見上げる3人を見下ろしながら昆奈門は続ける。「若いお前たちは知らないだろうが、20年ほど前にドクタケ城との戦いに敗れて落城したセミタケ城という城がある。落城後、セミタケに仕えていた連中は牢人となって散って行ったが、その一人がこの一揆の首領である西岡兵庫だ。西岡はこれまでも盗賊や一揆の頭領をやってきたと聞いている。西岡は神官のまねごとで八幡や蔵王権現の示現がどうのといっては民衆を煽動しているらしい。いわば騒動を起こすプロだ。こういう連中に煽動されれば、不満を持っている民衆が一揆勢に変身するのは理の当然だな」
「なるほど!」
「勉強になりました!」
 やっぱり組頭はすごいや! と弾んだ声で頷き交わす3人だったが、ふと慳貪な気配に顔を上げる。
 ≪火縄のにおいが…≫
 勘介が矢羽音を飛ばし掛けた瞬間、銃声が轟いた。
「「組頭ッ!!」」
 壮太と弾が昆奈門を守ろうと石の上に駆けあがろうとする。が、一瞬早く火縄に気づいた勘介は、自分が一番火縄に近い場所にいることを悟った。そしてためらいなく両手を広げて上司の身体の前に立ちふさがろうとした。たとえ銃弾が自分の身体を貫通したとしても、昆奈門が身をかわす時間は稼げるはずだと思った。
「!」
 立ち上がって盾となったつもりが、気がつくと顔は地面に押し付けられていた。次の瞬間、耳元で「バカな真似はしなさんな」とくぐもった声がしたかと思うと強引に襟首を掴まれ引っ張りあげられる。
「く…組頭?」
 襟首を掴まれたまま身を低くして駆ける昆奈門にようやく足が追いついた勘介が息を切らせながら訊く。
「…」
 だが返事はなく、ひたすらついて走るしかない勘介だった。



「代官の鎮圧部隊が火縄まで持ち出すとはね」
 ようやく安全な場所まで逃げおおせた昆奈門たちだった。平然を装う昆奈門の口調にも軽い動揺がにじむ。
「危ないところでした…」
 まだ命を取り留めたことがことが信じられない思いで壮太が息を吐く。
「組頭、私は…」
 勘助が声を詰まらせる。
「まあ、間に合ってよかったよ」
 言いながら眼の前に平伏する青年の肩に手を置く。「気にするな。お前のおかげで火縄の気配に気づくことができたようなものだ」
「しかし、私は…」
 お守りするはずが、逆に守られてしまいました…と言いかけて勘介はすすり上げる。
「でも、すげえよ勘介。とっさに立ちあがってお守りしようとするなんて」
「そうだよ。俺、完全に火縄の気配に気づくの遅れてたもんな」
 弾と壮太がしきりに声をかけるさまを昆奈門は黙って見ていた。
 -3人とも、完全に私を守るために身を挺するつもりでいた。命を散らしかねない場面だったのに、何のためらいもなかった…。
 自分がとっさに押し倒すように庇っていなければ、勘介の命はなかったかもしれない。ほんの一瞬で自分のやるべきことを判断して行動に移せた部下たちが誇らしい一方で、若い命を代償にするほどの価値が自分にあるのかと改めて考え込まずにはいられない昆奈門だった。そしてそれは、決して新しい疑問ではなかった。



「行くぞ」
 平板な声に3人が慌てて「「ははっ!」」とかしこまる。
「一揆勢は街に向かっている。五条は街につながる街道筋の封鎖状況を探って来い。一揆勢は必ずどこかの寺社を占領して本拠にするはずだから椎良はそれを見てくるのだ。反屋はどの土倉や酒屋が襲われたか、襲われなかった店はどこかを確認して来い。いいな」
 感傷を振り払うように淡々と指示を下す。 
「「ははっ!」」
 張りのある返事を残して3人はたちまち姿を消した。
「…さて」
 わざとらしく咳払いした昆奈門が声を上げる。「忍術学園がこの一揆に関心を持つとは意外だね」
「あまり広がるようでは授業に影響が出るからな」
 言いながら現れたのは伝蔵だった。
「授業?」
「一年は組の校外実習の場所を探していたらこの騒ぎだ。いつもの演習場所はドクタケが活発に動いていてな。あっちもこっちも不穏なことだ」
 大仰に肩をすくめる伝蔵に、昆奈門が眼を向ける。
「いつもならドクタケなど演習相手にして追っ払っているだろうに」
「終わってみれば結果オーライなのだろうが」
 伝蔵がため息をつく。「その過程ではいろいろありすぎて往生するのだ。特に学園関係者のダメージが大きくてな」
「あっそ」
「ところで、タソガレドキもこの一揆に関心を持っているようだな」
「当然だ。領内に飛び火でもされたらややこしくなるからね」
「それはそうだろうな」
 頷いてみせる伝蔵だったが、その眼は納得していない。
「侍所に情報を入れる必要があるのは事実だ」
 説明するつもりが言い訳じみた口調になっていることに気づいて昆奈門は言葉を切る。
「この一揆の首領は西岡兵庫だ」
 そして伝蔵にちらと眼をやる。
「そうか…あの神主くずれか」
「以前、ウチの領内でも騒ぎを起こそうとしたことがある」
「なるほどね」
 今度は納得したように頷く伝蔵だった。 



「まったく、なんであんなお粗末な導火線で簡単に火がつくのか分からんね」
 不意に声を上げる昆奈門だった。
「導火線の良し悪しなどどうでもいい。爆発するための火さえもたらされればいい。民衆が望むのはそれだけなのだろう」
 難しい顔で伝蔵は呟く。「それだけ民衆は発散する機会を待ちかねているということだ」
「あんたの言うことが正しいのだろうな、山田先生」
 何の感情もない声で昆奈門は続ける。「ところで、あんたは神仏というものを信じるかね」
「いや。どうやら私は神仏を信じるには懐疑的すぎるようでな。あんたはどうかね」
 群衆の動きを鋭い視線で追いながら伝蔵が応える。
「そのような妄想に捉われる連中の気が知れないね」
 昆奈門の答えはにべもない。「だが、信じる者がいるからこそ神仏をまつる連中は権威をもち、それが権力に変わって民衆に出挙だなんだといって金を貸し付け、高利を貪る。西岡のような連中が神がかりのようなことを言っては民衆を煽動する。百害あって一利なしとはこのことだね」
「…」
 予想外に激しい昆奈門の口調に、伝蔵はしばし言葉を探した。
「私にはよく分かりかねるが…現世の生活は厳しい。神仏を信じずにはいられない人々も多いのだろう。だからこそ神仏は存在し、それを利用して人々を操ろうとする輩も現れるのだろう」
「なるほどね。さすがは忍術学園の先生だ。うまいことまとめるものだ」



「福蔵寺が借書を引き渡したぞ!」
 伝令の声に群衆からどよめきが上がる。叫んだり飛び上がって万歳を言う者もいる。その様子を眺めていた昆奈門が肩をすくめる。
「おやおや。あのがめつい福蔵寺が債務免除に応じるとはね」
「拒んで境内に火でもかけられるよりはと思ったのでしょうな」
 伝蔵も応じる。
「ま、いずれまたどこかの寺か土倉あたりに借書を取られることになるんだろうがね」
「そうして借金漬けになって、また一揆へとつながるのだろうな」
「借金の原因が地頭や他の惣相手の争訟ではあまり同情する気にもなれないね」
「誰もが誰かに対して戦う時代ということなのだろう。大名も、民もな」
「それはずいぶんと殺伐とした時代だ」
 他人事のようにうそぶく昆奈門だったが、部下たちが戻ってきた気配に立ちあがる。「さて、私はそろそろ戻るとしようか。ま、この一揆もこれ以上は大きくはなるまいからね」
 じゃ、と言い捨てて昆奈門は姿を消す。
 -つまり、鎮圧部隊が動き出したということか。
 なおも勢いに乗る一揆勢に眼をやりながら伝蔵は考える。そしておもむろに背を向け学園に向けて歩き出す。
 -まあ、ここは大人しく情報をもらって引き上げるとしよう。先方も学園があまりこの件に首を突っ込むのを望んでいないようだからな…。




「何をされているのですか」
 足を投げ出して板壁に寄りかかり、隻眼を閉じていた昆奈門がもの憂げに視線を上げる。眼の前に陣内が控えていた。
「なに、ちょっとね」
「少々騒がしいようです。静かにさせてきます」
 板壁の向こうは控えの間である。いま、勤務時間を終えた若い忍たちがにぎやかに話しているところだった。
「いや、いい」
 短い否定に陣内が眉を上げる。「よろしいのですか?」
「ああ」
 -もう少し、若い者たちの声を聞いていたいのだ。
「例の一揆の件ですが」
 黙り込んだ昆奈門におもむろに陣内が報告する。「騒動がカエンタケ領内から飛び火しないよう、侍所でも対応はするとのことです。すでに領内に一揆に呼応することのないよう通達を出したとか」
「侍所のやることは相変わらず脇が甘いね」
 居丈高に紙切れ一枚発出すれば世の中が思った通りに回ると本気で考えている人々がいるということ自体が昆奈門には驚異だった。
「は」
 昆奈門の反応を予期していたように陣内は続ける。「すでに黒鷲隊がカエンタケに呼応して首謀者になりかねない者どもの身柄を拘束しております」
「わかった」
 騒動の芽を事前に摘み取ることこそがあるべき治安維持の姿である。そして、それを徹底するほど忍軍は恨みを買う。社会の中の居場所を失う。若者たちの未来を忍軍という狭い世界に閉じこむ。



「そんでもってさ、探ってたらたしかに組頭の仰る通り、土倉や酒屋の中に一揆勢に襲われてないところがあるんだ。組頭の仰るには、そういう土倉や酒屋は一揆の頭領と通じてたり、強い手勢を持ってたりするところなんだってさ」
「へええ、今まで気づかなかったや。一揆勢なんて手当たり次第に火をかけてるもんだと思ってた」
 昆奈門に率いられてタソガレドキ城に戻った勘介たちは、任務を終えた気安さから控えの間でくつろぎながら声高に話していた。いま、興奮気味に組頭との任務を話して聞かせているのは壮太である。
「聞いたぜ、勘介。組頭が撃たれそうになったのを咄嗟にかばったんだってな。すげえや!」
 早くも昆奈門たちの危機を聞きつけた仲間が話に入ってくる。
「あったりまえだろ! タソガレドキ忍者として当然さ!」
 ドヤ顔が容易に想像できる話しっぷりの勘介だったが、すかさず茶々を入れられる。
「ま、組頭に助けられてたけどな」
「そ、それを言うなって…」
 慌てたような声に笑い声が上がる。
「でもさ…」
 声を上げたのは壮太である。「俺たちが火縄の気配に気づいて石の上にいらした組頭のとこ行こうとしたときには、もう勘介は立ちあがってたんだ。俺なんかせいぜい組頭に身体を屈めていただこうとしたくらいだったんだけどさ」
「俺も同じだよ」
 弾が頷く。「もっとも、気がついたら組頭のほうが勘介をかばっていて、俺たち石の上であやうく頭をぶつけるところだったんだけどさ」
「そうそ。もし頭ぶつけてたら俺たち眼まわして引っくり返ってただろうな」
「なんだよそれ…ははは」
 おどけて見せる壮太の台詞にふたたび笑い声が上がる。



 -彼らは、若い者たちは熱い。一揆の者どもにも負けないほどに。
 その違いは、一揆の熱情は時の勢いにまかせて寄る辺なく漂い、時宜を失えばたちまち消え入り、燠となってくすぶるしかないのに対し、配下の若者たちには仕える城や組織への揺るぎない信頼があるということだろう。その煌々とした熱情はときに昆奈門にはあまりに眩く、熱い。そしてその信頼と忠義の結節点にいるのは自分である。
 -私からはとうに消え失せた熱情だ…。
 そう思いながらもふと、反射的に勘介を守ったということは、まだいくばくかの熱情が自分にも残っているということなのだろうかと考える。それとも、単なる条件反射の行動に過ぎなかったのだろうか。
 -そうであったとしても、私には扱いかねるものだ。
 若者たちの、一途な熱い想いを、組頭としてどう受け止めうるのだろうか。
 思えば忍としてタソガレドキ忍軍でキャリアを重ねてきた中にそのようなミッションはなかった。組頭という立場になって初めて存在に気づいた課題だった。
 -忍術学園の山田伝蔵の話を聞いてみたいものだ…。
 忍を目指して、配下の若い忍たち以上にあつい熱を放っているであろう少年たちに日々接している教師たちはなにを感じているのだろうか。



「でも、今日はマジ楽しかったなぁ。また組頭と任務に行きたいなぁ」
「なに言ってんだよ。今度は俺たちの番なんだからな」
「いやいや、組頭だってきっとまた俺たちと行きたいって仰るさ」
「それはないな。二度とお前らと行くのはゴメンだって思われることはあってもな」
「なんだよそれ」
 屈託のないにぎやかな話し声に耳を傾けながら、昆奈門は小さくため息をついて腕を組む。
 -埒もない…。
 いま、そこらの若者と同じように他愛のない話に興じている部下たちが、いざとなれば自分のために命を投げ出す覚悟でいる。であるならば、自分も彼らのために命を投げ出すまでである。小頭として部下を持つ立場となったときからそう考えて行動してきた。ただそれだけのことなのに、なぜことさらに難しく考えていたのだろう。
 -人の命が鴻毛のごとく軽い狂った時代に生きているのだ。私も大いに狂えばいい。若い連中とともに。
 そう思うことで枯れ果てていたと思っていた熱情がわずかばかりでもよみがえる気がした。



「…陣内」
 眠たげな声に、黙って控えていた陣内が短く応じる。
「は」
「明日は黒鷲隊の若い者を二、三人連れて行くから、長烈にそう伝えておけ」
「かしこまりました」
 素早く姿を消す気配を確認しながらゆるりと考える。
 -そうだ、今からでも遅くはない。若い連中とただ狂えばいいのだ…。




<FIN>



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