この雨がやむまで

 

…お前をあっためてやるからな、という留三郎を書きたかっただけです。敬愛する先輩のためについ頑張りすぎてしまう作兵衛と、困惑しつつもしっかりと守る留三郎を書きたかっただけです。そして、結果として妙な方向に展開してしまっていますw

後半の猟師の話は、子供のころに読んだ戸川幸夫あたりの小説にあったような気がしたのですが、今回出典を確認しようと調べても、見当たりませんでした。たしか、読んだような気がしたんだけどなぁ…ひょっとして、留三郎と作兵衛に対する愛が生み出した妄想?

 

 


「へっくしっ」
「どうしたんだよ作兵衛。風邪か?」
 くしゃみをした作兵衛に、左門が訊く。三之助もいぶかしげに首をかしげる。
「お前たちのせいだろうがっ! こんな寒いときに行方不明になりやがって!」
 作兵衛が叫ぶ。その手には、もはや二度と放すまいと握りしめた迷子縄がある。
「だってさ、方向音痴を治そうと思ってちょっと裏山まで自主トレ行こうとしたら、変なところに出ちゃって」
「俺もだ! 腹が減ったから食堂でうどんでも食べようと思って走っていたら、いつの間にか学園の外に出てたらしくてな!」
 しれっと言う三之助と、なんの屈託もなく腰に手を当ててあははは、と笑う左門に、もはや作兵衛は突っ込む言葉もない。
「わかったからさ、今日はこれ以上俺に迷惑かけてくれるなよ…そうじゃなくてもちょっと風邪ぎみなんだからさ…へっくしょ!」
「おい、大丈夫か、作兵衛」
「なんなら俺たちが医務室に連れてってやろうか?」
 心配げに顔を覗き込む2人に、作兵衛は苦笑しながら首を振る。
「いいよ。お前らにまかせたらどこ連れてかれるか分からねえから…それより、今日はもう学園からでてくれるなよ。わかったな」
「よし! 作兵衛がそう言うならそうする!」
「俺もだ!」
 力強く言い切るクラスメートに、迷子縄を離した作兵衛は力なく言う。
「じゃ、頼むぞ…俺、ちょっと医務室行ってくるわ」

 


「失礼、します」
 よろめきながら医務室の襖をあける。
「はい…って、作兵衛、どうした?」
 薬の処方の本を読んでいた数馬が慌てて立ち上がって駆け寄る。
「ちょっと熱っぽくて」
 数馬に身体を支えられながら、ようやく作兵衛が答える。
「わかった。とにかくここに横になって」
 作兵衛の身体を布団に横たえると、数馬はまず作兵衛の額に手を当てた。
「ちょっと熱があるみたいだね」
 そう言って聴診器を取り出すと、作兵衛の胸に当てる。
「お、おい、数馬…おまえ、そんなんで分かるのかよ」
 いきなり診察を始めた数馬に、思わず声を上げる。
「僕だって初歩的な診察くらいは教わっているさ。それに、新野先生は出張中だし、伊作先輩は演習で出られているんだ」
 淡々と説明しながら、数馬は薬研を置くと、薬戸棚から薬種を慣れた手つきで取り出す。
「風邪による熱には葛根湯がよく効くんだ。いま処方するから、ちょっと待っててね」
 薬研で砕いた薬種を煎じる。作兵衛はただ感心して見守るしかなかった。
「すげぇな、数馬は…ホンモノの医者みてえだ」
「ぜんぜんそんなことないさ」
 煎じ器に団扇で風を送りながら、数馬は言う。
「でも、保健委員会は六年生の伊作先輩の次は僕しかいないから。だから、いろいろ教わっておかないとって思うんだ」
 -それは俺も同じだ…。
 作兵衛は考える。
 -用具委員会も、六年生の留三郎先輩の次は、俺しかいねえ。でも、数馬は薬の処方とかで先輩の役に立っているけど、俺はどうなんだろ…。
「ほら、作兵衛。これ飲んで」
 考え込んでいたところに、湯呑を手にした数馬が声をかける。
「あ、ああ」
 はっとした作兵衛は、湯呑を両手で受け取る。
「うへっ、なんだこのニオイ」
 口をつける前にくんくんと嗅いでみた作兵衛だったが、思わず声を上げる。
「文句言わない。良薬は口に苦しって言うだろ」
 しかめっ面の作兵衛にまったく取り合わずに調薬道具を片づけながら数馬が言う。
「わ、わかったよ…」
 いやそうに湯呑の中身に眼をやった作兵衛は、おもむろに眼を閉じて一気に飲み干した。
「ぐっ、げほっ」
 思わず咳き込む。
「大丈夫か?」
 慌てて数馬が背をさする。
「あ…わ、悪い」
 背中をさすってもらって一息ついた作兵衛は、大きく息を吐くと数馬に向き直った。
「どうかした?」
 作兵衛の視線に気づいた数馬は、当惑したように視線をさまよわせる。
「いや、数馬ってすげえなって思ったから」
「どういうこと?」
「だってさ、新野先生や伊作先輩の代わりに診察して、薬まで作ることができるなんて、俺にはぜったいムリだし…」
 そうなのだ。自分はまだまだ委員長の助けになるには程遠いのに、数馬はすでに保健委員長の伊作の片腕のように振る舞っているではないか。
「そんなことないさ」
 だが、顔を伏せぎみにしながら数馬は言うのだ。
「僕なんか、伊作先輩の足元にも及ばないよ。僕ができるのは、すり傷や切り傷みたいな外傷や風邪みたいな診断しやすくて治療も簡単なものだけなんだ。ちょっとでも症状に疑わしいものがあれば、すぐに新野先生や伊作先輩を呼ばないといけない…僕ができるのは、まだまだほんのちょっとだけなんだ」
「そんなもんなのか…?」
 意外そうに作兵衛が訊く。
「ああ…だって、命にかかわることだからね」
 苦渋をかみ殺しながら、静かに数馬が答える。
「でも、だからこそ、もっと僕は勉強しないといけないんだ」

 


 -それに比べて俺は…。
 作兵衛は考えずにはいられない。
 -留三郎先輩は何でもできるし、俺は不器用だからあんまり役に立ってねえし、もしかしたら…というか、確実に俺って先輩から使えないヤツって思われてるんだろうな…。
 そう考えながら黙然と天井板の染みに眼をやったとき、
「失礼します」
 早足に廊下を伝ってきた足音がつと止まると、押し殺したような声が聞こえた。
「どうぞ」
 数馬が答えるのと同時に襖が押し開かれた。
「作兵衛! 風邪を引いたそうだな。大丈夫か」
 足早に入ってきたのは留三郎である。
「先輩…!」
 作兵衛が身を起こそうとするが、その動きはすぐに留三郎に肩を抑えられて封じられる。
「じっとしていろ」
 作兵衛がおとなしく布団に身を委ねたのを見届けた留三郎は、ようやくほっとしたように小さくため息をつく。
「少し顔が赤いが、それほど容体が悪いわけではなさそうだな」
「はい。いま、葛根湯を飲ませたばかりなので熱が残っていますが、そのうち汗をたくさんかいたら熱も下がると思います」
 数馬が答える。
「そうか。よかった」
 安心したように笑顔を見せた留三郎は、ぐりぐりと作兵衛の頭を撫でる。
「ったく、心配かけさせやがって。だけど、しばらくは安静にしてろよ…街の鍛冶屋に修理に出した物の引き取りは俺がやっておくからな」
「あっ、そうでした!」
 作兵衛が突然叫び声をあげて身を起こしたので、留三郎と数馬がぎょっとした顔を向けた。
「ど、どうした作兵衛」
「いいから寝ていろ」
 2人がかりで肩を抑えつけられ、布団をかぶせられたが、なお作兵衛は手足をばたつかせる。
「鍛冶屋さんへの引き取り、俺に行かせてください!」
「何を言ってるんだ。お前は風邪をひいてるんだぞ」
「そうだよ。熱が下がるまでは安静にしてないと」
 口ぐちに説得する声も耳に入らないように作兵衛は抵抗する。
「いやです! 俺、どうしても行きてぇ! 先輩、行かせてください!」
「わかったわかった…」
 暴れる作兵衛の身体を押さえつけながら、留三郎がなだめる。
「熱が下がったら一緒に連れてってやるから…だから今は寝ていろ。じゃないと熱が下がらないぞ、な?」
「…うぅ」
 不服そうながらも、ようやく作兵衛がおとなしくなる。数馬が腕を伸ばして、その体に布団をかけ直す。

 


「作兵衛のやつ、一体どうしたんだ? 熱でうかされているのか?」
 やがて寝息をたてはじめた作兵衛を横目に、留三郎が訊く。
「さあ…さっきまでは、具合は悪そうでしたが、あんなに暴れたりとか訳わからないことを言ったりとかはしてなかったのですが」
 困惑顔で数馬が答える。
「そうか」
 留三郎がため息をつく。
「その、鍛冶屋さんへの引き取りって、そんなに大事なことなんですか?」
 あんなに暴れてまで行きたがるほどのことなのだろうか、と思いながら数馬が訊く。
「いや、そんなものじゃない。別に急ぎのことでもないし、ただ、吉野先生に言われる前に行っておこうと作兵衛と話していただけのことなんだが」
「それなら、なんで作兵衛はあんなに行きたがってたのでしょうか」
「それがな…俺にもさっぱり分からん」
 ため息をついた留三郎は、作兵衛の寝顔に眼を落とす。
「…なんでそんなにこだわるんだよ」

 


「先輩、雲行きが怪しくなってきましたね」
 作兵衛が空を見上げる。
「そうだな」
 束ねた鍬を担ぎ直した留三郎もちらと視線を向ける。
 数日後、作兵衛の体調もほぼ回復したと新野が診断したこともあって、留三郎は作兵衛を連れて、街の鍛冶屋に修理に出した鍬の引き取りに来ていた。新野の診断が出るまでは、作兵衛がどんなに行きたいと騒いでも頑として拒否していた留三郎だったが、ようやく連れて出ることに同意したのである。
 張り切っている作兵衛の様子は元気そのものに見えたが、それが空元気でもあるようで、留三郎はやや気がかりだった。何かにつけて自分に心配をかけまいとする作兵衛だったから、実はまだ体調が回復していないのを隠している可能性があった。そして留三郎にも、必ずしもそれを見抜ける自信があるわけではなかった。
「やっぱり俺が持つ。作兵衛はムリするな」
 山道に差しかかって、留三郎と同じ数の鍬を担いでいる作兵衛の足取りが見るからに遅くなった。息遣いも荒くなっている。どうしても半分ずつ運ぶと言い張る作兵衛に根負けして荷物を分けたが、今の作兵衛には重すぎることは明らかだった。
「いえ、だいじょうぶです。俺、はこべます」
 息を切らしながら作兵衛が答える。数本の鍬すら運びかねるほど体力が落ちている自分が情けなかった。
 -せっかく、先輩の助けになるチャンスだってのに…。
 だが、意思に反して身体はこれ以上の運搬には堪えられなかった。ついに座り込んでしまった作兵衛が荒い息を吐きながら頭を反らせる。と、その顔に冷たい感触を感じた。
「あ…雨?」
「まずい!」
 鋭い眼でちらと空模様を捉えた留三郎が舌打ち交じりに吐き捨てると、作兵衛の荷物を自分のものとまとめて結わえ始めた。
「先輩?」
 急な動きについていけない作兵衛がいぶかしげに訊く。
「あれは大雨になるかもしれない雲だ。急いで雨宿りできる場所を見つけないと大変だ」
 言いながら2人分の荷物を背負った留三郎は、作兵衛の腕に手をかける。
「行くぞ、作兵衛。しんどいかもしれないが、雨宿りできるところを見つけるまで歩くぞ。いいか?」
「は…い」
 よろよろと作兵衛が立ち上がっている間にもみるみる空はかき曇り、大粒の雨が降り始めていた。

 


「よし、ここで雨宿りだ。作兵衛、大丈夫か」
 篠衝く雨の山道で何度も足をすべらせながら、半ば気力だけで留三郎の大きな背中を追いかけていた作兵衛は、返事をする気力もなくついて歩く。
「ここは…どこですか?」
 全身を打つ感覚がなくなったことに気付いた作兵衛が辺りを見回す。
「洞穴だ。ここならとりあえず雨をしのげる」
 ほら、座れ、と促された作兵衛は、言われるままに腰を下ろす。と、急に寒気を覚え始めた。
「ちっ、打竹もだめか」
 懐から取り出した打竹の火種も消えていることを認めて、留三郎は小さく舌打ちする。もっとも、火種が生きていたとしても、洞穴の中には燃えさしになるような乾いたものは何一つ見当たらなかったが。
「くっそ、しばらく止みそうにないな」
 洞窟に吹き込む雨をよけながら外を眺める。雨は止むどころか激しさを増していた。これでは、学園のあちこちでまた修補が必要な場所が出てくるだろう、とぼんやり考える。と、激しくなった風に奥まで吹き込んできた雨が足元を濡らす。
「おっと」
 一歩奥へ退いた留三郎は、不意に肌寒さを感じた。
 -じっとしてるから寒い、というだけじゃないな…。
 激しい風が冷たい空気を運んできて、急速に外気が下がり始めていた。
「作兵衛。寒くないか。だいじょうぶか」
 すでに体調が悪くなっていた作兵衛を、ここまでムリして歩かせていた。心配になって振り向きながら声をかける。
 -作兵衛! 
 眼にした作兵衛の状態に、心臓を搾り上げられるような衝撃をおぼえた。うずくまっている作兵衛の全身はがくがくと震え、その唇は紫色になっている。
「しっかりしろ、作兵衛! 俺の声が聞こえるか!?」
 慌てて駆け寄った留三郎が、片膝をついて作兵衛の身体を揺する。だが返事はなく、その眼はうつろにさまよっているばかりである。そして身体は、ぎょっとするほど冷たかった。
 -やばい。
 濡れた着物と冷たい外気が、作兵衛から体温を奪っているのは明らかだった。
 -そういえば、雪山や冷たい池に落ちたとき以外にも、低体温から凍死になることがあると習ったな…。
 忍として、生還して任務を全うするためのスキルのひとつが、救命術だった。そもそも任務中の事故では、医者を呼べる状況ではないことが多いから、必須の知識のひとつである。
 -低体温症の初期症状は、本人ががたがた震えて寒さを訴える。その段階で何とかしないといけない。次の段階では震えもなくなり、本人の意識もはっきりしなくなる。そうなってしまうと、生還できるかは神仏のご加護しだい、ということだったな…。
 いま、眼の前の作兵衛は、まだ初期症状のように見えた。だが、身体の震えが徐々に弱くなっている。容体は危険な段階に近づいていた。
「おい、作兵衛、しっかりしてくれ! 返事をしてくれ!」
 だが、ぐったりしたまま、反応はさらに鈍くなっている。
 -畜生! どうすりゃいいんだよ…!
 学んだ対処法は、乾いた着物に着替えさせ、火のそばで暖めると同時に、暖かいものを飲ませる、というものだった。
 だが、洞窟の中には乾いたものは何ひとつなかった。暖めてやろうにも火はなく、自分の着物もまだしずくが垂れるほど濡れているのだ。

 


 -そうだ!
 おろおろと冷え切った作兵衛の腕をさすってやりながら考え込んでいた留三郎が、顔を上げた。
 -こうなったら、あの手しかないか…よし!
 それがうまくいくのかについては自信がなかった。それでも、容易ならざる状態に覚悟を決めた留三郎は、着ていたものを脱ぐと、絞って水気を落として、岩肌に広げる。
「作兵衛。俺がすぐにあっためてやるからな。ちょっとだけ我慢しろ」
 耳元の低く力強い声に、薄らいでいた意識がようよう戻る。とろんとした視界に捉えられたのは、褌一つになった留三郎の姿だった。
「せ、先輩…どうしたん…ですか、そんな格好で…」
 この寒いのに…とかすれ声で続けようとしたところに、留三郎が腕を差し伸べてくるのが視界にうつった。
 -!
 その腕が自分の着物を脱がせ始めて、作兵衛は動揺する。
「ちょっとだけ我慢しろ」
 低い声で言いながら着物を絞って、自分の着物の隣に広げる。
「ここに座れ、いいな」
 何が起こっているのか理解できずに裸のまま突っ立っている作兵衛に手を添えて、先ほどまでうずくまっていたところに膝を抱えて座らせる。
 -!
 言われるままに座り込んだ作兵衛は思わず眼を見開いた。背後に座った留三郎が、自分の身体を包み込むように腕を回してきたから。
「ひゃっ! 先輩…!? これって…」
 全身に氷を押し当てられたような感覚に、思わず声を上げる。
「誤解するな。俺に衆道の趣味があるわけじゃない…こうすることが、お前の体温を保つために必要なんだ」
 しっかりと身体に腕を回しながら、留三郎が言う。その両脚は作兵衛の身体を側面から挟み込み、背中を覆うように留三郎の身体が覆いかぶさっていた。つまるところ、作兵衛は両腕で膝を抱える以外のすべての動きをブロックされていた。背中と両脇に感じた氷を押し付けられたような冷たさは、自分のものなのか、それとも留三郎のものだったのだろうか。
 -ホントだ。もう、寒くねぇ…。
 冷たい感触はほんの一瞬だった。しなやかな筋肉に覆われた大きな身体が、自分を冷たい空気からガードしていた。締まった筋肉質の留三郎の身体は、もっとごつごつした感触だと思っていた。そういえば、これほどまでに留三郎の身体にくっついたことなどなかったことに作兵衛は気付く。一年生の後輩たちは、いつも留三郎にまとわりついたり抱きついたりして甘えていたが、三年生の自分はそんなことができるとは思ってもいなかったし、するべきでもないと考えていた。それなのに、今の自分はありえないほどに留三郎と密着している。
 -あったけぇ…。
 雨に打たれて芯から冷え切っていた身体が、じわじわと暖められていく。身体の震えもいつのまにかおさまっていた。背中から、心臓の鼓動がダイレクトに背中に伝わってくる。
「あの…先輩」
 かすれ声を漏らす。
「なんだ」
 耳元で、留三郎の声が低く響いた。
「先輩は、寒くないのですか…?」
 微かに震えている気配を感じて、作兵衛は訊かずにはいられなかった。
「気にするな。俺は頑丈にできている」
 その言葉は強がりなのだろうか。自分たちがいる洞窟の奥には、雨こそ届かないものの、凍える風は容赦なく吹き込んでいた。そんな寒さの中に、留三郎は肌をさらしているのだ。自分を包み込み、暖めるために。
「…それに、作兵衛の身体もだいぶ温まってきたようだな」
 だが、その声には安堵が混じっているのだ。
「先輩…俺、こういうやり方があること、知りませんでした…男が裸で抱き合うなんてって思ったけど、すっごくあったかいです…」
 いまや、全身が心地よい暖かさに包まれていた。ここまで冷たい雨に打たれながら山道を歩いていた疲れが急速に眠気となって押し寄せてきていた。
「これは、陸奥の猟師たちに伝わるやり方だと聞いたことがある。今日みたいな寒い嵐のときは、洞窟や大木のうろに山の動物が体を寄せ合っていることがあるらしい。ふだんは天敵同士の熊やオオカミと鹿や兎がぴったりと身を寄せ合っているそうだ。猟師たちも、裸になって動物と暖めあうという。そうやって体温の低下を防ぐのだろう。そういう時は、動物に弓矢や銃を向けるのは絶対に許されない。それが山の掟なのだろう」
 -すげえや。さすが先輩。何でも知ってる…。
 とろんとした意識の中でそう思ったとき、
「なあ、作兵衛。どうして、体調がまだ良くなっていないのに、ムリして街に行こうとしたんだ?」
 揺らいでいた首の動きが止まった。
「すいません…俺、もっと先輩の役に立とうと思っていたのに、こんなことになっちまって…」
 留三郎の言葉に、ふいに数馬とのやり取りを思い出してぐっと歯を噛みしめた。ひたすら自分が情けなかった。
 -なんのために、俺は先輩と一緒に街に行ったんだ…!
 そうだった。数馬のように、もっと役に立ちたいと思っていたのだ。それなのに今の自分は、荷物もろくに運べず、挙句に先輩に全身を暖められている始末なのだ。
 -そうか…コイツはそんなことを考えていたのか…。
 黙って豊かな赤毛の髷の向こうに見えるふっくらした頬に眼を向ける。絞り出すような作兵衛の台詞がどうしようもなく健気だった。包み込んでいる小柄な後輩の身体をぐっと抱きしめそうで、留三郎は理性をフル稼働させて堪える。
「なあ、作兵衛」
 代わりに穏やかに話しかける。
「お前がどう考えているか知らないが、俺はお前のことを頼りにしている。それだけは憶えておけ」
 抱え込んだ身体がびくっと反応した。
「お前も分かっているだろうが、俺は決して愛想がいい方じゃない。後輩たちに対しても、それは同じだ」
 思いがけず素直な思いを口にしていた。
「だから、お前が間に入ってうまく接してくれていて、俺はすごく助かっている。それに、一年ボーズと違って、お前は用具の修補もいい腕をしている。お前に任せている作業もたくさんある。間違いなくお前は俺の右腕だし、用具委員会に欠かせないヤツなんだ。わかるな…」
 低く語りかける優しい声の心地よさに、作兵衛は知らないうちに留三郎の肩に頭を預けていた。
「確かにお前には、これからまだまだ覚えないといけないことがたくさんある。だけど、お前ならできる。だから、もっと自信を持て。いいな…ん?」
 作兵衛は穏やかな寝息をたてていた。
 -寝ちまったか。
 肩口に無防備に預けられた重みに、小さく苦笑する。
 -まあ、これなら寝かせておいても大丈夫か。
 髪はまだしっとりと濡れたままだったが、作兵衛の身体はいつもの暖かさを取り戻していた。低体温の時に眠ることは熱生産の低下を招いて危険だが、今なら大丈夫だろう。だから、留三郎はそのまま眠らせておくことにした。
 -まだ三年生だからな…。
 精一杯背伸びして、それでもまだまだ届かないもどかしさを持て余す年齢だからこそ、無理して自分について来ようとしているのだと留三郎は考える。ほかならぬ自分も、三年生のころは、同じように実力が及ばないのに先輩に追いつこうとあがいていた。その記憶がかすかに過ぎる。
 -なあ作兵衛。
 口に出さずに呼びかけながら、指先を左胸のあたりに当てる。とくとくとく…と小さくも力強い動きを確認する。
 -この嵐がおさまったら、学園に戻ろうな。
 鼓動を確認した指先を離すと、ふたたび作兵衛の身体に手を回す。ゆるやかにリズムをつけるように全身を揺らしながら、膝から脛のあたりをゆっくりとさすってやる。
 -この嵐で、学園はあちこち修補するところだらけだぞ。お前にも存分に働いてもらうからな。俺の右腕として。だから今は、俺に任せてゆっくりしていろ。
 ぶおぅ、とひときわ音を立てて身を切るように冷たい風が吹き込む。それでも留三郎の動きが止まることはなかった。抱え込んだ作兵衛の身体は、いまは行火のように熱を帯びて留三郎を暖め返していた。
 -お前の性分じゃ、こういう時でもないと俺に甘えるなどできないだろうからな…。


 <FIN>