訪れる理由

用間論(5)で、思えば唐突に登場させてしまったタソガレドキ忍者隊ですが、登場にいたる事情も書いてみました。

組頭は、いろいろ変わっているけど、基本的に部下思いで、部下たちからも慕われているんだろうな、と思います。義理堅いところもあって、粋な思いやりをみせるところもあって…上司でいてほしいと思うタイプです。

  

 

「や、善法寺君と保健委員の諸君」
 その晩、三年生の三反田数馬、二年生の川西左近に薬の調合を教えていた保健委員長の善法寺伊作は、天井裏から突然現れた客人を、顔色ひとつ変えずに笑顔で迎えた。
「これはごぶさたです。雑渡昆奈門さん」
「今回は間違えずに思い出してくれたようだね」
 いつもなら、雑踏だの粉もんだのと自分の名前を間違える伊作たち保健委員だった。
「お茶をいれましょう」
 左近が煎じ器で湯を沸かし始める。
「すまないね。何かやっていたようだが」
「はい。数馬と左近に、薬の調合を教えていました…ちょうど終わって片付けていたところです」
「それは、邪魔せずに済んでよかった」
 実のところ、昆奈門は、伊作たちが片付けに入るまで天井裏に潜んでいたのだし、伊作はそんな気配をとっくに勘付いていたのだが。
「小さい子たちは、どうしたのかね」
「ああ、一年生の乱太郎と伏木蔵ですか。薬の調合の話は、まだ一年生には難しいので、2人は先に帰したのです」
「そうかね」

 


 どうぞ、と左近が人数分のお茶を淹れる。ありがとう、と湯飲みを受け取った伊作が言う。
「左近、もう一杯分、淹れてくれないか」
「もう一杯、ですか?」
 誰か湯飲みが行き届いていない人がいたかときょろきょろする左近に、伊作はにっこり微笑むと、天井板に向かって声をかける。
「尊奈門さんも、そんなところにいないで入ってらしたらいかがですか」
 天井裏で気配がした。
「はやく降りて来い、尊奈門」
 昆奈門も声をかける。
「それにしても、伊作君にあっさり気配を勘付かれるとは、まだまだ修行が足りんな。それとも、今から気が浮き立っているのか」
「いえ、そんなことはありません」
 天井から飛び降りてきた尊奈門は、そう言いながらも、真っ赤になっている。
「何か、楽しみにしていることでもあるのですか?」
 ずず、と茶をすすりながら、伊作が訊ねる。
「明日から、タソガレドキ忍者隊の慰安旅行なんでね」
「はい…温泉に行くのです」
 尊奈門が、うつむきながら答える。うれしくて表情が緩むのを見られたくないのだ。
「温泉ですかぁ。それは、うらやましいな」
 心底うらやましそうな声を上げながら、伊作はにっこりする。
「そういえば、園田村の戦いのときも、途中で温泉に行かれてましたよね」
 左近が、ふと思い出したことを口にする。
「…温泉には、よく行くんですか?」
「これも、福利厚生の一環だ。忍者隊は激務だから、時には慰安旅行に連れ出してやらんと、士気を維持できなくなる」
「組頭って仕事も、たいへんですね」
 数馬が、感に堪えないように呟く。
「それもこれも含めて、組頭の仕事だからね」
「ごもっともです」
 おせんべいもどうぞ、と盆をすすめながら、伊作は相槌を打つ。
「ありがとうございます…でも、組頭は…」
「尊奈門」
 口ごもる尊奈門を、昆奈門が遮る。
「どうかしたのですか?」
「その、組頭は…ご自身は温泉に入れないのに、私たちを温泉に連れて行ってくださるのです」
 ためらいがちに、だが決然と、尊奈門は言う。やれやれ、というように昆奈門が肩をすくめる。
「せっかく温泉に行くのに、入らないのですか?」
 信じられない、といった風で数馬が訊く。
「まあ、この身体だからね…たいていの温泉は、私には刺激が強すぎる」
 淡々と、昆奈門が説明する。
「そうでしたか…」
 その顔をじっと見つめていた伊作は、手にしていた湯飲みを置くと、立ち上がって戸棚から壷を持ち出してきた。
「おそらく、今の状態では、温泉に入らなくても痛むことがあるはずです。かなり化膿しているようですから」
 微笑をたたえたままの伊作の言葉に、はじめて昆奈門はたじろいだ。
「なぜそれを…」
「見れば分かります。かなりひどい火傷を負われたようですね」
「まあ、そうだが」
「いい機会です。ここにいい薬がありますから、塗ってあげましょう。温泉に入れるほど治るというわけにはいきませんが、だいぶ楽になるし、化膿もおさまります」
 言いながら、伊作は壷口の紐を解きはじめた。
「いや…だが」
「ああ、これですか。これは、ごま油にテレメンテイカ(生松脂)、マンテイカ(豚脂)などを加えて煉き上げたものです。南蛮医方を取り入れた最新の薬なんですよ」
 本当は膏薬として使うものですが、そのまま塗ってももちろん効果がありますよ、と伊作は付け加える。その間にも心得た左近が桶に水を汲みに行き、数馬は新しい包帯を用意する。
「だが…ここでというのは…」
 当惑した声を上げる昆奈門に構わず、伊作は続ける。
「左近、医務室の外に施術中の札をかけておいてくれないか。数馬も、左近と一緒に医務室に誰も入らないよう、廊下でガードしていて欲しいんだ」
「はい」
「分かりました」
 数馬と左近が立ち上がる。
「だから、ちょっと待って…」
「尊奈門さん、あなたなら、文次郎が踏み込んできても撃退できますよね。お願いします」
 思わぬ展開に呆然と見守っていた尊奈門が、弾かれたように立ちあがった。
「は、はい! 私も警備しますから、ご安心してください!」
 そう言うと、尊奈門は天井に姿を消した。
「さて、これでいいですか」
 新しい包帯を用意しながら、伊作は微笑む。
「いや…しかしだな」
「僕を信じられるかどうかは、あなた次第です。ですが、医療者としては、雑渡さんの状態は、今すぐ何とかすべきレベルであり、治療を行うべきだと考えますが」
 まっすぐ自分を見つめる伊作に、昆奈門はなおも訊く。
「なぜ君は、これほどまでに?」
 その答えは、以前も聞いたことがあった。答えになっているようでなっていないような、それでいて力強い答えだった。
「それは僕が、保健委員だから」
「…」
 しばし、黙って伊作の眼を見つめ返していた昆奈門は、ふっとため息をつく。
「また、厄介になるようだな。保健委員長さん」
 忍装束を脱いだ昆奈門は、ゆるゆると包帯を解いていく。

 

 

「これで終了です。尊奈門さんに薬を渡しておきますから、包帯を替えるときにまた塗ってください」
 包帯を巻きおわった伊作が、残った包帯を片付けながら言う。
「すまないね」
「どういたしまして」 
 昆奈門が忍装束を身につけるあいだ、しばし沈黙が流れる。

「ところで、伊作君」

 壷の薬を小さい容器に移していた伊作が、顔を上げる。

「はい」
「最近、ドクタケの達魔鬼と会っているようだね」
 覆面の上に頭巾を巻きながら、昆奈門は、世間話のように言う。
「…雑渡さんのお耳にも入っていたんですね」
「私の耳に入らない情報はない」
「そうですか」
 それ以上、昆奈門はなにも言わない。だが、伊作の説明を待っていることは明らかだった。
「兵法にいうところの五間は、ご存知ですよね」
「もちろんだ」
「僕はいま、反間(二重スパイ)まがいのことをしています」
「ほう?」
 伊作は、達魔鬼に、ドクタケの忍術学園に対する内間(内部通報者)になるよう説得され、それを受けたふりをして、ドクタケの開発している水底雷を使用した作戦を妨害しようとしていることをかいつまんで話した。
「ほう、あのドクタケが、そのようなシャレたものを使うとはね」
「雑渡さんもお考えだと思いますが、ドクタケは、おそらく失敗するでしょう。水軍すらもっていないドクタケが、そのような高度な水中武器を使いこなせるとは思えないからです。まして、相手は兵庫水軍ですから」
「まあ、そうだろうな…それで?」
「それで、といいますと…?」
「私に、その話をする以上、我々に手伝ってもらいたいことがあるのだろう?」
「バレましたか…」
 伊作は、小さく舌を出した。だが、すぐに真顔に戻って続ける。
「少し、ドクタケにちょっかいを出していただけると助かるのですが」
「ほう?」
 説明を求める昆奈門の視線に、伊作は作戦を説明する。
「…つまり、兵庫水軍がドクタケの水底雷作戦を破ると同時に、我々が少しばかりドクタケの領域侵犯をして、ドクタケを城に戻らせるよう仕向ければいいということだね」
「はい。その通りです」
「では、来週、温泉の帰りに少しばかりドクタケに寄り道するとしよう。尊奈門を連絡役につける。それでいいかね」
「お願いします」
 伊作は頭を下げた。
「礼には及ばんよ。では、我々はそろそろ失礼するとしよう。尊奈門、帰るぞ」
「は」
 昆奈門たちが姿を消した直後、廊下が騒がしくなった。
「潮江先輩、待ってください。いま、施術中なんですから…」
「どけ、数馬! 中にあのタソガレドキの野郎がいるのは分かってる!」
「いまは、誰も入れてはいけないって、伊作先輩から言われてるんですから…」
 どこで察知したのか、文次郎がやってきたようである。医務室の入り口をガードしている数馬と左近が押しとどめているが、雑渡との勝負で頭が一杯になっている文次郎を止めるには、とうてい及ばない。
 ため息をついて、伊作は立ち上がる。
「どうした、文次郎」
 今にも医務室の襖に手を掛けようとした文次郎の目の前で、襖が開いた。
「お…おい、伊作?」
 気勢をそがれた文次郎が、辛うじて問いを口にする。
「部屋には誰もいないよ…もう、患者は帰ったから」
 ずかずかと医務室に入り込んだ文次郎は、仁王立ちになって部屋を見回す。
「ち、畜生! お前、かくまったな」
「かくまってなんかないさ。治療が終わったから帰っただけだよ」
「それをかくまったって言うんだ!」
 怒鳴り声を上げた文次郎は、ふたたび足音荒く廊下へと駆け出していった。
「興奮すると注意散漫となる性質とみえる。あまり忍に向いているとは言えないんじゃないかな」
 天井裏から、忍び笑いが聞こえた。
「そんなことを言ったら、文次郎が気の毒ですよ…学園一ギンギンに忍者している男なんですから」
 薬研を取り出しながら、伊作が指摘する。
「ほぉ…あれが学園一ね…」
「そんなこと仰ると、薬を返してもらいますよ」
「そうですよ、組頭…人の欠点をあげつらうのはよくないです」
 伊作と尊奈門にたしなめられた昆奈門は、やれやれ、と小さくため息をつく。
「そうかね…まあ、せっかくの薬を取り上げられてはかなわん。では、また来週な」
「よろしくお願いします」
「よいご旅行を」
 薬研で薬を調合しながら、伊作は静かに答える。天井の気配が消えると、伊作はふっとため息をついた。
 -結局、雑渡さんには頼ってしまう…。

 


「…まったく組頭は忍術学園に甘いんですから」
 尊奈門がぼやく。
「まあ、持ちつ持たれつというやつだ」
 他人事のように昆奈門が返す。
「それにしても、相手はドクタケですよ…下手をすると、戦になりかねません」
「だからこそ、だということが分からんのか、尊奈門」
「?」
「これだけ大手を振ってドクタケ領内に入れるチャンスはそうはない。ドクタケ城は空城同然で、おまけに水底雷なる新式武器のプロモーションも見られるというのだ。しかも、お膳立てはすべて忍術学園がやってくれるのだぞ。これほど都合のいい話があると思うかね」
「たしかに…そうですね」
「だから、持ちつ持たれつだと言うのだ」
「忍術学園は動かずしてドクタケにダメージを与えられる。我らはドクタケの敵情視察をできる、ということですね」
「そういうことだ」
「あの忍たまが、そこまで考えていたとは…」
 善意そのものの笑顔を見せる伊作の表情を思い出して、尊奈門は、あの人物が果たしてそこまで考えているのだろうかと思う。
「そこまで考えているかは分からん…ただ、善法寺君には、医者と忍者の二つの顔があるということだ」
 患者を前にして、本能的に手を差し伸べてしまう医者としての伊作と、間者としての顔を巧みに入れ替える忍者としての伊作と。
 -だからこそ、興味が尽きないのだ。あの忍たまには。
 かなりのやり手の忍になるか、まったく忍に向かないか、どちらかしかありえないのが伊作である。さてどちらだろうか。
 当面、見守っていたいと考える昆奈門だった。その横顔にちらと眼をやりながら、尊奈門は、上司が何を考えているか、少し解った気がした。
 -組頭は、あの善法寺伊作という忍たまに関心を抱かれてるんだ…タソガレドキ忍者隊にはいないタイプの人だから…。

 

 

<FIN>