捕囚

    はじまりの場所へ   REGO~はじまりの場所へ~

    捕囚         REGO~捕囚~

    奈落         REGO~奈落~

    Intermezzo

    脱出         REGO~脱出~

    たどりつく場所    REGO~たどりつく場所~

 


「このようなところで報告とは、どういうことだ」
 深見弾正に人気のない書庫に連れ込まれたのは、城の一般行政を担う政所で政所代を務める後藤兵衛だった。
「摂津で、忍を捕えました」
「どういうことだ」
 苛立ちを隠しきれずに兵衛は訊く。侍所が所管している忍者隊とは別に、政所でもっぱら治安維持を担当させている忍組のトップである弾正は、その立場ゆえにさまざまな機密を知っている。わざわざ自分にこのような場所で報告するということは、それなりの事情があるのだろうが、兵衛は弾正の情報を高く売りつけるような勿体ぶった態度が前々から気に食わなかった。だから、つい口調が荒くなる。そうでなくても政所代という役職は、多くの雑事が持ち込まれて忙しいのだ。
「下島一門の手の者であることは、確かです」
「下島…?」
 聞いたことのある名前に、思わず眉を上げる。
 下島一門は、主家をもたず、大名や在地の土豪や、大商人の依頼に応じて忍を出す派遣業のような集団である。今回の雇い主はどこだというのだろう。
「それで、何をしていたのだ…その忍は」
「津の商人や水軍、一揆勢の動きについて調べておったようです」
「ふむ…一揆勢か」
 それは厄介だ、と兵衛は考える。いろいろな口実をつけては年貢や段銭(たんせん・臨時課税)の減免を求める一揆や逃散の動きが、領内でも多発していた。多くの場合、名主や村役人を通じて圧力をかけたり懐柔したりして、なんとか動きが表ざたになるのを防いできたのだが、またぞろそのような動きがあるということか。
「それで、誰の指図によるものか」
「それはまだ」
「その忍に吐かせればよいではないか」
「このような場合、忍に本当の依頼主が知らされることはまずありません。現在、別ルートから調査中です」
「そうか」
「それより後藤殿、この忍の素性が、なかなかのものでして」
 じらすように、弾正は言葉を切った。
「申せ」
「実はその忍、土井と名乗っておりますが、実は十数年前に滅びた福原のご領主、漆間殿のご嫡子、勢至丸様だったのでございます」
「なに…漆間と」
「は」
 兵衛もその事件は知っていた。たしか、明石家との領地争いがもつれた果てに、明石が仕掛けた夜襲によって果てたと聞いた。
「それは事実なのか。嫡子が行方不明になったとは、聞いていなかったが」
「はい。勢至丸様の件は、行方不明となっていることが知れると、漆間の再興を狙うものの格好の旗頭になりますから、あえてはっきりさせなかったと聞いております」
 実のところは、漆間家の追い落としを図る勢力と通じた弾正が、明石家をけしかけて夜討ちを実行させたというのが真相だったが。
「なぜその忍が、漆間の嫡子と分かるのか」
「当時の事情を知るものが、勢至丸様の行方をずっと追っておりました。そして、下島一門の下にいるところまでは掴んだのですが、諸国の調査を行っていたため、正確な居場所を見つけるまでに時間がかかったものでございます」
「よりによって、われらの足元で見つかるとはな」
「その通りで」
 -そういえば、奇妙な事件だった。
 兵衛は、ふと当時の疑問を思い出した。
 通常、このような私闘があれば、被害者の親族から領主に訴えが出され、加害者への罰を求めるはずである。しかし、この事件に関しては、ついにその種の訴えが出てこなかったのである。当時、兵衛は近隣の大名との戦に参陣していたので、詳しい経緯を耳にしたわけではなかったのだが。
 ぼんやりと当時の記憶をまさぐる兵衛に、弾正がささやく。
「それから、勢至丸に関連して、興味深い人物が見つかりました…」

 


「ふむ…忍を」
「はい」
 兵衛は、弾正の話を上司である政所執事の芝二郎左衛門に報告していた。
「一揆勢の動きを探っていたとは、穏当ではないな」
 眉をひそめる二郎左衛門に、兵衛が続ける。
「下島一門の者とか」
「ふむ…」
 顎鬚をつまんだり引っ張ったりしながら、二郎左衛門は考える。
 -一揆勢を操って騒ぎが起きたところに攻め込むというのは、いかにも近隣の大名がやりそうなことだ。だが、下島一門はフリーの忍者派遣業のようなものだから、相手は大名とは限らない。京や堺あたりの大商人が探索方として雇っていることも考えられる。
 黙然と考え込んだ二郎左衛門に遠慮して、兵衛が黙ったまま上司の様子をうかがう。
 -たとえば堺の商人どもの誰かが、あるいは共同で調査を入れたとしても十分ありうることだ。
 現在、黒松家は、瀬戸内の海上交通の権益を手に入れようとして、各地の水軍に接触を図っているところだった。それは、瀬戸内の海運を抑える堺の商人としてはとうてい受け入れられないことだろう。当然、あらゆる手段で情報を探り、妨害を仕掛けてくるはずである。
 -だが、そうはさせぬ。
「…芝殿」
 遠慮がちにかけられた声に、二郎左衛門は我に返る。
「なんだ」
「その忍についてですが、興味深いことを弾正から報告されています」
「申せ」
「はい」
 膝を進めた兵衛が声を潜める。
「その忍の素性ですが、十数年前に滅びた福原の漆間の嫡子、勢至丸であるとか」
「…なに」
 二郎左衛門は、頭がくらくらしてきた。どうしてこう物事は複雑な方へと進むのだろう。
「それは間違いないのか」
「弾正は、間違いないと」
「漆間の嫡子が行方不明とは、聞いたことがないが」
「私もそう思い、確認したのですが、漆間の再興を目論む者が旗印にしかねないとの当時の判断で、伏せたとの由です」
 -なぜ、弾正がそのようなことまで知っているのか…。
 不審な感じもしたが、いまはそれを考えている場合ではない。
「仮にそれが事実として、そのことは、他の者には伏せてあるのだろうな」
「ええ…いや、はい、そうと思いますが…」
 兵衛の返事は心もとない。
「侍所を通じて、牢番どもにはきつく口止めせよ。城内に、漆間の嫡子が囚われていることなど、決して知られてはならぬ。弾正にも念を押しておくように。埒もない噂が野放図に広がることほど胃に悪いものはない」
 -漆間の嫡子であろうがなかろうが、われらのスタンスに変わりはない。
 二郎左衛門は、すっかり散らかってしまった思考をなんとか元に戻そうとしていた。まずはこの事実を家老である新井勘解由にどう報告するかが問題だった。
 -まずは、その忍の背後を探ることが先決だ。それは新井殿も同じこと。
 ただし、変な噂が広まってしまった場合には、それなりの対処は必要になる、そのことは、頭の片隅にとどめておかなければならない。

 


「なん…だと」
 二郎左衛門と兵衛から報告を受けていた家老の新井勘解由は、急ぎということで会見中に持ち込まれた文を一読して、小さくうめいた。
「…?」
 ほんの一瞬、うめき声とともに顔色を変えた上司を、二郎左衛門たちが不審そうに伺う。もとの面差しにもだった勘解由は、何ごともなかったように言う。
「…続けよ」
「は…土井はその後もなにも話さず、ただ寝ておるだけとか」
 二郎左衛門が苦りきった表情で口を開く。
「そうか」
「じつのところ、手を焼いております…ここはぜひ、責めの許可を」
「責めの必要はない。ただし、自ら果てることのないよう、見張りを厳重にせよ」
 ほんの少し腕を組んで思案していた勘解由の答えに、二郎左衛門たちが顔を見合わせる。だが、上司の命であっては従わざるを得ない。だから、短い返事とともに平伏する。
「はっ」

 


 着ていたものはすべて剥がれて検められ、代わりに小袖を与えられていた。自殺用の毒薬も、あと一歩のところで見つかり、取り上げられた。もはや、武器になるものは、なに一つない。
 なにより、脱出しようという意志がなくなっていた。生きる意志さえ失いかけていた。意志さえあれば、あらゆる手段を講ずるために、脳がフル回転するはずだった。しかし、いま、頭の中は重い霧がたちこめているようだった。ピンチになるほど冴え渡るはずの頭が、いまは泥でふさがれている。
「お前のせいでな」
 弾正の言葉が、まだ心をざっくりと抉り出している。
 -私のせいで、多くの者を死に追いやってしまったというのか…。
 それも、近しく親しんでいた親族や家臣たちを、である。
 -それを知らずに、私は生き延びていたということか…。
 それはひどく理不尽なことに思われた。冷たい石張りの床の上で、半助は頭を抱えて背を丸める。全身が泥の中に埋もれたように疲れきっていた。牢に入れられたのは、ほんの昨日のことなのに、もう何年も閉じ込められているような気がした。

 


「警備は大丈夫か」
 黒松の城の地下牢へと下る階段を歩きながら、二郎左衛門は訊ねた。
「はい…しかし、より強化するよう申し伝えます」
 兵衛が答える。
 -特に牢周りは固めなければならない。
 無理もなかった。黒松の城は、半年前の地震で土台の石垣におおきな亀裂が入ってしまい、大普請の真っ最中である。
 そもそも城の地盤がよくないのではないかとは、家臣たちの間で広くささやかれていた。それが、地震で一気に石垣にダメージが出てしまったのである。もはや領民から徴した普請役では足らず、石積み専門の穴太衆をも投入して、築城工事に近いものになってしまっていた。
 地下牢の周辺にも、床といい壁といい、大小の亀裂が入ったため、一部は石を張り替え、あるいは亀裂を埋めるなどの作業のために、多くの職人が出入りしていた。こんな状態が、思いがけず厄介な囚人を受け入れてしまった牢の警備にいいわけがない。
「工期はあと半年だったな…牢周りの修理はいつ行う予定だ」
「それが、2,3日後にはとりかかりたいと、御普請奉行の新見様が仰っているとのことで」
「少し遅らせるわけにはいかないのか」
「いかんせん、この部分を固めてしまわないと、城全体に歪みが出てしまうとのことで」
「その忍を別の場所に移すことも考えないといけない、ということか」
「は」

 

 

「起きろ」
 いつの間にか牢に入ってきた牢番に背を蹴られ、半助は軽いうめき声を洩らした。牢番は、半助を後ろ手に縛ると、牢から引き出した。
 拷問、という言葉が頭を過ぎった。なにを訊くというのだろうか。
「入れ」
 小さな部屋に、半助は押し込まれた。
 -ここで、責めを受けるのか。
 部屋の梁には、いくつも滑車がついていて、縄が垂れ下がっていた。部屋の隅には、拷問の道具が並べられている。たいていの者は、この部屋に連れ込まれただけでパニックを起こし、洗いざらい自白してしまうのだ。
 部屋には、先客がいた。床几に腰を下ろした武家が二人と、獄吏が数人。半助は、床几の前に引き据えられた。
「手間を掛けさせおって…だが、観念しろ。土井半助…いや、勢至丸」
「私に、何の用だ」
「それを訊くのが私の役目だ。さあ、何もかも白状するのだ」
「何を白状しろというのだ」
「お前の知っていることすべてだ」
「捕まえた相手に罪を考えさせるとは、変わった城だな」
「黙れ…減らず口をいつまでも叩いていられると思うな」

「…」
「お前の雇い主は、堺の商人だ…思い当たる節があるだろう」
「…」
 誰が依頼者かは聞いていなかった。また、聞く必要もなかった。言われた任務をこなすのが忍なのだから。だが、大名たちが海上輸送に対してどれだけ手を出すつもりかを探るのが目的だとすれば、合点がいく調査内容だった。再び、最初に口を開いた武家が言う。
「堺の商人が、下島一門を使って調査させていることは分かっている」
「分かっているのなら、結構じゃないか」
「われらが知りたいのは、堺の後ろに誰がいるのか、ということだ」
「そのようなこと、私が知るはずがないだろう」
「その通りだ。だから、お前への質問は、お前が何を報告したか、ということだ。答えよ」
「断る」
「あまり賢明な態度とは思えないが」
「断るといったら断る」
「そうか。それならお前に聞くことはない…牢に戻すのだ」
 いやにあっさりと取調べは終了した。

 


「我らには時間がないのだぞ。あんなことでは、いくら時間があっても足りないのではないか」
 自分たちの部屋に戻りながら、二郎左衛門は苛立っていた。
「責めの許可は得ていません」
 淡々と兵衛が答える。
「場合による。このままでは埒が明かぬ。だいたい、堺の商人などと、何の証拠があってのことだ」
「しかし、否定はしませんでいた。いずれ、下島一門が動き出せば、土井の背後も明らかになりましょう。それに…」
「それに?」
「弾正によれば、土井の乳母子なる者を発見したそうです。現在、城下で弾正が取り調べているとのことです」
「ほう」
「新井殿の仰るとおり、土井には責めは無意味でしょう。あの者には、自分が責めを受けるより、自分のために他人が責めを受けることのほうがダメージが大きいように思われます。それを生かせるでしょう」
「それがそなたの見立てか」
「私の見立てであり、弾正の見立てです。弾正からは、その乳母子の取調べにも立ち会われたいとの要望がありますが、いかがしましょうか」
「あいにく、私は会議が立て込んでいる。兵衛、立ち会ってくれ」
「は」
 城の総括管理者として会議が立て込んでいるのは事実だったが、二郎左衛門は上級家臣としての家格から、拷問の場面を目にすることに慣れていなかった。戦国の世に武士として生きている以上、血を見るのが苦手とは言っていられないことは承知の上だが、特に弾正の行う取調べは手荒なことで有名だった。そのような場面に延々と立ち会っていたくはなかったのである。本来、そのような取り調べに立ち会うべきはもっと下の身分の者の務めであり、自分のような地位であれば、報告を受けるだけでとどまるはずなのだ。
 -早く、このようなお役目からは放免されたいものよ。どこかの陣の責任者にでも転出できないものか。
 実際、二郎左衛門クラスの武将は、戦に参陣しても、前線に立って戦うわけではない。本陣の作戦会議に参謀として参加するほか、ロジスティクスの確保や兵士たちの志気や規律の確保のために必要な指示を出したり、総大将や指揮官として参陣する領主たちを饗応したりと、血腥さとは無縁の世界で動いているのだ。

 


 数日後のことだった。半助は再び牢から引き出され、例の小部屋に連れて行かれた。
「私に何を聞いても無駄だと言ったはずだ」
「それはどうかな」
 床几に腰を下ろした兵衛が無表情に言う。半助は嫌な予感がした。
「連れてまいれ」

 

 

continue to 奈落