REGO~捕囚~

  

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 閑蔵は、夕闇にまぎれて堺の町を後にしていた。一門の者が、目立たぬように警護にあたっていたが、神経は張り詰めていた。半助が黒松氏の手に落ちたという知らせが入ったのは、つい昨日のことだった。甚七をとおして連絡しようとも思ったが、どうせ会うのだからと事前に知らせる手はずは採らなかった。
 -それにしても、さすがは大家の主人だ。
 そこらの肝の小さい城主なら、聞いただけで失神しそうな知らせにも、眉ひとつ動かさない。長い付き合いでなければ、本当にことの重大性を理解したか疑いたくなっていただろう。そんな閑雅な表情のまま、福富屋はゆるりと言ったのである。
「黒松殿は、調査を行ったことは知っても、何が報告されたかはご存じないでしょうな。だから、必ず動きを起こしてくるでしょう。ここは、相手の動きを見極めてからでも遅くはありますまい。それと、これはあくまでお願いだが…」
 福富屋は、そこで初めて困惑したように眉を寄せて続けた。
「…その土井という者、助けられないでしょうか。忍というものは、敵の手に落ちたとき、責めを受ける前に果てると聞いたことがあります。だから、もう手遅れかもしれない。だが、私には、あまりに惜しく思えるのです」
 なぜそのようなことを言ったのか。直接、半助と会っている閑蔵にはよく理解できた。とにかく優秀な忍である。フリーの忍であり、これまでどのような仕事をしてきたかも噂で聞く程度だったが、仕事は実に手早く、確実だった。ちょうど手が足りなかったこともあり、福富屋の仕事も依頼したのだが…。
 -まさか敵の手に落ちるとは。
 播磨とその周辺の報告を送ってきたあとだった。摂津の地で、半助は黒松氏の手に落ちてしまったのである。
「ごもっともです。しかし…」
 閑蔵は言いよどんだ。調査のことを知ったということは、下島一門との関係についても知られていると考えるのが当然だった。そんなところへ、自分の手のものを送り込むことは、危険すぎた。
「危険はごもっともだ。しかし、なんとかなりませんか」
「そうですな…ふむ」
 閑蔵にひとつのアイデアが浮かんだ。
「福富屋殿、穴太衆(あのうしゅう・近江の石積みを得意とした職業集団)へ協力をお願いすることはできますか」
「穴太衆ですか。…ふむ、つてがないわけではありませんが」
 しかしなぜ、という視線に、閑蔵は答えた。
「土井はおそらく、黒松殿の城に置かれているものと思われます。土井からの報告によると、黒松殿の城は、先般の地震で石垣が大破していて、穴太衆が入って大普請が行われているとありました。そこへ、手のものを忍ばせられるかもしれません」
「なるほど。よくわかりました。それでは」
 福富屋は筆を執ると、文をしたためた。
「私の知り合いに、坂本の問丸の今津屋さんがいる。今津屋さんを通じて穴太の長にお願いしてみましょう。そのかわり、穴太の皆さんに決して迷惑が及ぶことはないと書きますから、お願いしますよ」
 こうして、閑蔵の懐中には、今津屋あてと穴太衆の長あての文がおさまっている。
 -急がなければ。
 あまりに急いでは、怪しまれる。しかし、いまごろ下島一門の主だったものたちが、自分の帰りを待ちわびているはずである。福富屋との話を報告して善後策を講じたら、すぐに坂本に向かわなければならない。
 すでに陽は落ち、残照が急速に衰えて夜が迫っていた。虫の声が高くなり始めていた。

 

 

 -さて、どうしたものか。
 閑蔵との対面を終え、屋敷に向かいながら、福冨屋は考えをめぐらせていた。閑蔵の要請にあのような形で応えたものの、これから事態がどう転ぶかまだ予断を許さなかった。
 -われらの背後を黒松殿に知られたら、ちとややこしいことになる。
 そもそも、調査は福冨屋が必要としたものではなかった。明との外交実務を担っている京の五山が、貿易実務を通じて関係の深い福冨屋に依頼してきたものである。そして五山の背後には、将軍家と、将軍を擁する糸川家がいる。
 従って、福冨屋の背後関係が全て黒松に知られるということは、黒松に京を攻める口実を与えることになる。戦になれば、福冨屋が扱う銃や弾薬はよく売れるかもしれないが、それ以上に大きな市場である京やその周辺が戦場になることによるデメリットは大きい。
 -だから、戦になるようなことは、なんとしても避けなければならない。

 


「パパ、パパぁ」
 屋敷に戻った福富屋をどたどたと出迎えたのは、しんべヱである。
「おやめください、若旦那様」
 しんべヱ付の女中たちがあたふたと追ってくる。
「おおどうした、しんべヱ。またなにかいたずらでもしたか。パパが一緒にママに謝ってあげようか?」
 とたんに蕩けそうな笑顔になる福富屋である。どうしても長男のしんべヱには甘くなってしまう。いや、長女のカメ子もかわいいのだが、しんべヱより5歳も年下なのにはるかに落ち着いているので、こちらも子供子供した態度ではいけないと思ってしまうのだ。それにくらべてしんべヱの無防備に鼻水たらして甘えかかってくるところなど…。
「ちがうんだよ。パパ。ぼくねぇ、忍者になりたいんだ!」
 一瞬、先ほどまで大盛寺で顔をあわせていた閑蔵の姿が頭を過ぎる。
「そうかそうか、忍者になりたいのか。でも、忍者は強くないとなれないんだよ」
「うん知ってる! ぼく、つよくなりたいの!」
「そうかそうか、しんべヱは強くなりたいのか。パパも強くなったしんべヱを見てみたいぞ」
「うん! だからね、これ!」
 しんべヱは一枚の紙を取り出した。一度破かれたものを膠で継ぎ合わせたものらしいが、仕上げを見ればしんべヱの手によるものであることは明らかだった。
「ふむ、なにかなこれは」
「忍術学園のチラシだよ!」
「忍術学園?」
「あのう…大旦那様」
 女中の一人が言いにくそうに口を開いた。
「そのチラシは、若旦那様がどこからか手に入れてこられて、奥方様がご覧になってたいへんお怒りになって破ってしまわれたのを、若旦那様がまた継ぎ合わせたものでございます」

 


 実は、忍術学園のチラシは、福富屋がさりげなく置いたものだった。たしかにしんべヱは可愛くて仕方がない。しかし、福富屋の跡を継ぐ者としては、あまりに精神的にも肉体的にも弱かった。自分が甘やかしてしまうから…というのが奥方の見立てではあったが。
 -だが、しんべヱには、少し自立してもらわなければならぬ。
 忍術学園の学園長の大川とは、古い友人であり、大事な取引先のひとつでもあった。忍術学園では、演習用に多くの火薬や砲弾を必要としたし、新式の銃も、敵の戦力を知るために必要としていた。また、薬品や書籍などの需要も少なくなかったのである。
 忍術学園は全寮制である。親元から離れ、また忍になるための厳しい訓練を積むことで、息子がいずれは会合衆の一員である福富屋を背負っていけるだけの強さを身につけてほしかった。だから、しんべヱが忍術学園のチラシに興味を示したということは、第一段階をクリアしたといえる。
 -それも、あの甘えん坊のしんべヱが、自分から強くなりたいと言い出したのだ。
 そうなのだ。しんべヱも、来年は10歳になる。それなりに福富屋の跡取りとしての自覚が生まれてきたのかもしれない。成長したものだ…考えるだけで、つい頬が緩みそうになる。
 -さて、次の関門はちと厳しいかも知れぬな。
 つまり、奥方をどう説得するか、という大問題である。

 


 福富屋の数寄を凝らした茶室には、4人の客人が着座していた。武家が2人、京から来た僧が2人。茶事はいま、主人が酒を勧め、客に椀盛りと焼物が供されたところだった。表の喧騒も、庭の茶室までは届かない。s蝉しぐれが途切れると、草陰で細く鳴く虫の声が耳に届いて庭の静けさをなお引き立てていた。
「いつもながら、福富屋殿のお庭はゆかしい静けさですな」
「ほんとうに、秋の訪れをひとあし早く感じられる」
「ははは…それはまた」

 2人の僧がほめそやすのにあいまいに応じる。
「ところで、福富屋殿」
 客の一人の武家が、酔った風を装って口を開いた。
「播磨殿はもはや、福原を飲み込む勢い。こちらも難しくなりますなあ」
 播磨殿とは、播磨を拠点とする黒松氏のことである。
 -あのことを知っているのか?
 ちらと疑念が過ぎったが、福富屋は分かりやすく作った困惑顔で返す。
「ほんに、福原は要の地。私どもには痛いところでございます」
「しかし、とうに手は打たれていることでしょう」
「いえいえ…ご政道の向きは、私どもにはいかようにも」
 相手は黒松氏とつながりのある武家である。他の客も、おそらくいくばくかはこの話を聞きかじっているに違いない。なにか新しい情報が出ないかと耳を研ぎ澄ましている。蝉しぐれの合間に訪れる静けさが、異様に張りつめている。晩夏の昼下がりの茶事には、穏やかさと殺気が交錯しているのだ。
「そういえば、大本屋さんが、天目の碗を手に入れられたとか」
 不意に、放心に近い表情で福富屋は話題を変えた。
「ほう、どちらの」
 僧の一人が、話に乗る。
「瀬戸とか」
「それはそれは。ぜひ、拝見したいものですな」
「近いうちに、茶の席を催すと仰ってましたので、そのときにでもご披露なさればよいと申し上げたのですよ」
 もう一人の武家が盃を静かに折敷に戻しながらつぶやく。
「それは運のよい客人ですな」
 ささ、と献酬しながら、福富屋がぽそりといった一言に、座が凍りついた。
「そうですな。雑賀の長(おさ)も、住吉詣でのまたとない土産話になるでしょう」

 雑賀衆といえば、名の知れた鉄砲衆である。住吉詣での名目で周辺の大名や土豪たちの情勢を見極めるつもりなのだろう。そして、堺に立ち寄る、ということは、鉄砲を調達する以外の目的はありえない。あるいは、雑賀衆は、福富屋から輸入銃を調達するつもりかもしれない。いずれにしても、戦の新たな兆候には違いなかった。

 

 

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