奈落

 

土井先生の受難は続きます。そして、相変わらず暗いです。

冒頭から流血、死亡シーンがあります。苦手とされる方は退避をお勧めします。

 

    はじまりの場所へ   REGO~はじまりの場所へ~

    捕囚         REGO~捕囚~

    奈落         REGO~奈落~

    Intermezzo

    脱出         REGO~脱出~

    たどりつく場所    REGO~たどりつく場所~

 

  

 一人の囚人が、獄吏に連れてこられた。
 若い男だった。年は…半助より5、6歳ほど上だろうか。半裸のその体には、ひどい責めを受けたあとが生々しかった。半助は、思わず眼をそむけた。
「こやつの顔を知らぬとは言わせぬぞ…」
 兵衛の言葉に、半助は、思わず男の顔を見やった。
「どうだ。見覚えがあるだろう」
「!」
 覚えていないはずがなかった。
「恒光…!」
 思わず声に出してしまっていた。
 -しまった。
 思ったときにはもう遅い。兵衛は勝ち誇ったように畳み掛けた。
「さすがに、世話になった乳母子の顔を知らないとは言えないとみえる」
 恒光は、半助の乳母子だった。兄弟のいない半助にとって、恒光は唯一の兄弟のような存在だった。また、地方の小さな領主の家では、年齢と身分が釣り合う遊び友達も、恒光しかいなかった。実際は恒光は5歳年上で、幼い半助をいつも兄のように見守ってくれていた。元服する前に家を失った半助と異なり、元服して恒光という名をもらい、ひときわ大人らしくなった彼を、半助は…幼かった頃の勢至丸は…いつも眩しい思いで見上げていたのである。そして当の恒光はいつも、半助の前で主従の礼を崩さず、そしていつも暖かく包み込んでくれていたのだ。そして、あの夜、恒光がたまたま乳母たちについて石清水へ参詣に行っていたあの夜以来の再会だった。
「その声は…勢至丸様…ですか?」
 ひどく殴られたのだろう。眼はもはや開かないほど腫れ上がっていたが、半助の声はなお聞き分けたようだった。もはや勢至丸だった頃とは声もずいぶん変わっていたはずなのだが。
「そうだ、私だ…勢至丸だ」
「お懐かしゅうございます」
 どさり、と獄吏に体を投げ出されて、恒光はうめき声を上げた。だが、すぐに半助の声のするほうに体を捩らせ、手をついてみせるのだった。
「勢至丸さま…お元気でおられましたか。あの夜いらい、私は身も世もなく案じておりました…」
「私は大丈夫だ…見よ。もう背も恒光と変わらないくらい伸びたぞ…いや、恒光を抜いたかも知れないな」
「そうですか…さぞご立派になられたのでしょう」
 -なぜ恒光がこのような目に。
 半助が憎悪をこめて兵衛たちをにらみつける。
「苦労して探し出したのだ。感動的な出会いだが、我々もあまり待ってはいられない」
 そして兵衛は、ひときわ冷たく低い声で命じた。
「始めよ」

 いっせいに恒光の背を鞭が襲った。
「ぐあ…」
 恒光が声を上げた。
「やめろ! やめるのだ! やるなら私を叩けばよい。なぜ恒光を!」
 半助は精一杯身を乗り出して恒光を庇おうとした。もっとも、縛られた両手が柱に結わえられていて、まったく庇うことはできなかったのだが。
「それなら、一刻も早く己の罪を認めることだな」
「何を! 何を認めろというのだ!」
「勢至丸様…」
 恒光の声に、半助は思わず動きが止まった。恒光の表情には、もはや苦痛はない。法悦に近いものがあった。
「節を曲げてはなりませぬ…なんどもお話したはずです。お忘れですか」
 あえぎあえぎ、恒光はいう。
「勢至丸様。何も認めてはなりませぬ。認めれば、勢至丸様は、一生ご自身をお責めになるはず…そのような勢至丸様を、私は見たくありませぬ」
 -恒光…私はもはや、お前が知っている勢至丸ではない…。
 半助は歯軋りする。あれから何年もの年が過ぎ、自分は名を変え、心を消した忍として、数限りない命をやりとりし、血を浴びてきた。だが、恒光に見えているのは、いつも恒光につきまとって遊んでいた勢至丸だった頃の自分なのだろう。それでも、半助は思わずにはいられない。
 -もし恒光の眼が開けば、今の私にもきっと喜んで受け入れてくれただろう。勢至丸様、こんなにご立派になられて…などと言いながら。

「土井半助。この者がこれ以上苦しむさまを黙って見てはいられまい…どうだ。白状する気になったか」
「なぜだ! なぜ恒光を巻き込む! 責めるなら私にしろ!」
 -ほほう。
 兵衛は半助の反応に満足していた。これでこそ、苦労して半助のアキレス腱ともいうべき人物を探し出した甲斐があるというものである。
「早く言うのだ」
「言ってはなりませぬ…」
 床に這ったままの恒光が、辛うじて顔を上げながら弱々しく訴える。
「わかった」
 半助は低く呟いた。
「…なりませぬ」
「何もかも話そう。その代わり、恒光を完全に安全な場所で開放することが条件だ。それが保証されない限り、私は何も話すつもりはない」
 -引き伸ばしか。
 そう思ったものの、半助の反応は、予想以上の効果だった。兵衛はまっすぐ伸ばした指を半助に向けながら、勝ち誇った口調で言う。
「よかろう。早速、洗いざらい話してもらおうか…だが、お前には条件を決める権利などないことを忘れてもらっては困る」
「くっ」
 半助は思わず相手を睨みつける。

 


「そうか。どうだ、お前も元の主人に言いたいことがあるのではないか」
 兵衛は上機嫌だった。そして、自らの言葉に対する恒光の返事の意味を、すぐには図りかねた。
「勢至丸様。久しぶりにお目にかかることができまして、うれしゅうございました」
 腫れ上がった両目から、涙が筋を引いた。
「またしばしの、お別れでございます」
「!!!」
 肉の引きちぎれる音がした。ごぼっと恒光の口から赤黒い血が吐き出された。
「しまった! こやつ舌を…」
「早く! 早く血を止めるのだ」
「水を! いや塩か…」
 パニックに陥った取調べ勢の声が、半助の耳から急速に遠のく。
「こやつを死なせてはならぬ!」
「早く止血を…」
 牢番たちが慌しく部屋を出入りしている。何かを運んできたり、持ち出したりしている。転んで床に何かをぶちまけている者もいる。牢番頭が怒鳴っているようだ。それらすべてが、半助の目には、スローな動きにしか見えない。牢番たちの動きと対照的に、床几に掛けていた兵衛は、腰を浮かせたまま固まっているように見える。そして、その奥の二郎左衛門は、腕を組んだまま目を瞑っている。
「早くするのだ!」
「いやもう手遅れかと…」
「なんという失態…」
 徐々に、半助の耳に、騒ぎが戻ってきた。
 -恒光が、死んだ…。
 床は血の海だった。そのなかに置きやられたままの恒光の体がなんどか痙攣し、やがて動かなくなった。
 -恒光が、死んだ…私のせいで。
「恒光…」
 瞳がとらえた光景が、ようやく頭の中で意味をもってつながりだした。
 -恒光が、死んだ…私のせいで。
 ひたひたと赤黒い血が石の床を染める。
 -…私の、せいで…。
 むくむくと、憤怒が膨らんできた。それはあっという間に半助の中で臨界に達し、なにかが切れた。
「貴様らぁッ! 貴様らぁッ! 貴様らぁッ!」
 もはや縛られていることも忘れていた。半助は狂ったような雄叫びをあげながら暴れていた。自由になっている足を振り上げて、なんども恒光のもとに駆け寄ろうとした。そのたびに頭や体を床に叩きつけられても、半助はなおも暴れ続けた。
「お…おい、こいつも早く何とかするのだ。縄を引きちぎったらどうする」
「は、はい」
 喉も張り裂けんばかりに動物的な声を張り上げて暴れまわる半助を、獄吏が数人がかりでぐるぐる巻きに縛り上げて、ようやく部屋から引きずり出す。
「執事殿」
 なおも慌しく牢番たちが出入りしている部屋に、いつの間にか小姓が入ってきていた。黙然と床几に掛けている二郎左衛門に、純白の足袋がすり足で近づいて用件を告げる。
「会議の刻限でございます。ほかのお奉行方は、もうお待ちです」
「わかった」
「会議の資料に、差し替えがございます」
 小姓は紙束を手渡した。
「勘定奉行の鳴海殿が、お城の普請に伴う年内の収支見通しについて議題を追加されたいということで」
「うむ」
「それから、ご家老さまからこの文をお渡しするよう承っております」
 小姓が恭しく手渡す文を広げる。薄暗い部屋で、高い場所にある格子窓からうっすらと差し込む光を頼りに素早く眼を通す。その間にも、小姓は耳元に顔を寄せてささやく。
「…お急ぎくださいますよう」
「うむ」
 もはや動かない恒光も床の血だまりもまったく目に入らないように、やや前かがみで先導する小姓について、二郎左衛門も部屋を後にする。出がけに兵衛に声を掛ける。
「あとで、私の部屋に」
「は」
 善後策をどうするか、詰められることは目に見えている。
「しまったなぁ」
 床にたまった血を避けて、まだ半助の叫び声が響いている出口に向かいながら、兵衛は手にした扇子を神経質にいじっていた。
「せっかくあの者の弱点を見つけたというに…」

 


 城の石垣の修理にかかる費用が思いのほか嵩み、戦に備えた兵力の整備計画などに大きな影響を与えることが判明した会議は、普請奉行の新見と勘定奉行の鳴海に、侍大将が加わった大激論となり、予定時間を大幅に超過して終了した。二郎左衛門がなんとか裁定して終わらせたが、問題点をぶつけあった以上の何の収穫もなかった会議に、二郎左衛門は疲れきっていた。
「執事殿、急ぎのご裁可を」
「執事殿、こちらも急ぎのご報告が…」
 会議を終えて評定の間を出ると、それぞれの用件を携えた用人たちが廊下で待ち構えていた。
「決裁も報告も部屋で行う。黙ってついて参れ」
 思わず声が荒くなる。しゅんとした用人たちが、それでも二郎左衛門を取り囲むようについてくる。
 -そういえば、土井はどうしているのだろう。
 恒光の姿が思い出された。その半裸の身体は無数の傷や痣で黒ずみ、血にまみれていたが、半助に語りかける姿には光が差しているような輝きが感じられた。それは、恒光の絶命を目の当たりにした半助の叫び、暴れる姿にまとわりつく深く暗い絶望とあまりに対蹠的だった。自分が小姓について評定の間に向かう最中にも、廊下には半助の叫び声が響き渡っていた。
 -新井殿の言うとおり、土井に責めを与えても無駄だろう。
 半助は、自身の肉体がどんなに痛めつけられても、耐え抜くだろう。だが、部下や民のこととなると激しく逡巡する。そこを突けば有効な供述を引き出せたかも知れなかった。その点については、兵衛も弾正も正しかった。しかし、半助のアキレス腱ともいうべき恒光は、自ら果ててしまった…半助を、守るために。
 -美しく、哀しい主従だった。我々がそうしたのだ。
 背後に、押し黙ってついてくる用人たちの無数の足音が迫っている。部屋の文机の上には決裁や報告の文書が山をなしているだろう。また、次の間で自分を待ち構えている人々が、自分の遅い戻りにいらいらと眉間にしわを寄せているだろう。今日の会議の結果は、あえて新井には報告しないまま下がってきている。いずれ報告を求める新井の使いがやってくるだろう。そして、会議では一言も発しないくせに会議の後で二郎左衛門にぐちぐちと繰り言を垂れる癖のある奉行たちの使いも、アポイントを求めて来るに違いない。ひょっとしたら、囚われの半助よりも、自分のほうがはるかに多くのものに囚われているのかもしれない。ふとそんなことを考える。

 


 -堺の福富屋か。
 さきほど小姓が手渡した勘解由からの文によれば、半助を派遣した下島一門の背後には、堺の大商人である福富屋が控えているという。その動きには、紀伊の鉄砲衆である雑賀衆が絡んでいる可能性も仄めかされていた。
 -だが、堺の商人なら、各地の商人や水軍からいくらも情報が入るはず。なぜ、わざわざ忍を使ってまで情報を取ろうとしているのか。それに、雑賀衆がどう絡んでいるというのだ。堺で火器を調達するなど、よくあることではないか。そもそも堺は火器の生産地で、福富屋は火器も取り扱っている商人なのだ。
 そんな疑問も過ったが、まずは真相を探ることが先決である。
 -そういえば、土井は領内の一揆勢の動きも追っていたと聞く。
 あるいは福富屋が扱う物産の流通経路の状況を探るためなのかもしれない。むしろ、それは商人にとっては死活的な情報であり、忍を投入してまで探らせることは大いにありうることだった。だが、何かが引っかかっていた。
 -それは表向きの理由で、裏では何か別のことを探っていたのではないのか。
 それを聞き出そうにも、最も効果的であろう乳母子である恒光は、つい先ほど、果ててしまったばかりである。そして、眼の前で始終を眼にしてしまった半助は、半狂乱になって牢へと引っ立てられて行ったのであった。
 -つまり、土井から福富屋の真の狙いを聞き出すことはもはやできないと考えるべきだろう。だが…。
 眉を寄せながら、二郎左衛門は廊下を歩き続ける。薄暗い廊下の足元を、小姓が灯を差しかけながら先導するが、それも眼に入らなかった。
 -土井の身元は我らの手元にある。少なくとも、そのことは福富屋に対するカードになりうるかも知れぬ。
 政所の自分の間の前に着いた。床に灯を置いた小姓が襖を開く。

 


 部屋で待ち構えていた多くの人々の決裁や報告を終わらせると、二郎左衛門は人払いをして兵衛を呼び寄せた。
「土井はどうしている」
「牢に戻しました。あの乳母子と同じことにならないよう、相応の措置をしております」
 もったいぶった言い方だが、要は口に布切れでも押し込んでいるだけのことなのだろう。
「そうか…あの乳母子が果てたときの暴れようは、ただごとではなかった」
「は…不覚にもあのようなことになってしまい、申し訳ありませんでした」
 平伏する兵衛の姿が眼に入っているのかいないのか、二郎左衛門はぽつりとつぶやく。  
「あの者には、領主の血が流れているのだな」
「芝殿」
 顔を上げた兵衛が、小さくたしなめる。
「そのようにのどかに感想を述べられている場合ではありませんぞ。我々は困難な場面に立たされているのです」
「分かっておる…ところで」
「は?」
 兵衛が首をかしげる。
「御家老様から文があった。それによれば、土井を遣わした下島一門の背後には、堺の福富屋がいるということだ」
「福富屋…ですか?」
 弾かれたような表情で声を上げた兵衛が、すぐに声を潜める。
「…我らの動きを察知してのことでしょうか」
 兵衛もすぐに、黒松が海上交通の制圧に動いていることと、それが堺に与える影響に思いが至ったようである。
「そうかも知れぬ。だが、まだ確証はない」
「では、何のために…」
「だからこそ、我らはそれを探らねばならぬ」
 -とにかく、土井と福富屋の関係は作り上げるしかない。
 もはや、土井から供述を引き出すのは無理と二郎左衛門は判断していた。それならば、でっちあげでも供述調書を作り上げ、福富屋に突きつけ、福富屋が認めようが認めまいが攻めたてるしかない。勢いで福富屋を押しまくれば、雑賀衆の動きの背景について情報を引き出し、あるいはその動きを変えさせることもできるし、ついでに武器取引で有利な状況を作れるというものである。
 -御家老の新井殿とも協議して、すぐ殿の御裁可をいただかなければ。
 その一方で、二郎左衛門の瞼の奥には、果てた恒光を前に獣のように叫び暴れる半助の姿が焼きついていた。半助の瞳を、二郎左衛門はしっかりと捉えていた。
 -あの眼は、すでに死んだ者の眼だった…。
 自責、絶望、憎悪、怒り、あらゆる感情がない交ぜになりすぎ、死んだ眼だ、と二郎左衛門は考えていた。
 -土井はあのまま、廃人になってしまうかもしれない。
 それはそれでいいかもしれない。廃人になってしまえば、そのまま放り出しても、都合の悪いことを口走る懼れはない。
 -しかし、御家老様に報告すれば、すぐに消せと仰るだろう。
 リアリストの勘解由にとっては、福富屋との交渉材料になる限りにおいては、半助は有用であり、そうでなければ、のちの憂いの芽を摘むためにも消すべきものでしかない。現在の半助がどちらかは明らかだった。しかし、総括管理者として城の円滑な運営のために、広範に目を配らなければならない立場の二郎左衛門には、城の牢から死体を搬出することが広まったときの風評を、気にせずにいられなかった。
 -この城で牢に入ったら最後、生きては出られないなどという話が広まったら…。
 一揆勢も犯罪者も、牢に入るくらいならと死に物狂いで抵抗するだろう。また、他国の大名を引き入れてでも黒松を転覆させようという動きも激化するだろう。そしてまた、人の口には戸を立てられないということも、実務を担当する者としてよく弁えておくべき事実だった。
 -そのためにも、御家老様には、土井が駒として使えることを強調しておかねば。
 それがほぼ不可能であることも、二郎左衛門には見えていたのだが。

 


「…そのようなわけで、事ここに至った以上、一刻も早く土井の供述を福富屋に突きつけるほかに途はないと心得ます」
 二郎左衛門が武張っていう傍らで、兵衛が平伏している。
「…」
 勘解由は黙ったままである。扇子を静かにつかっているが、無意識に手が動いているだけのようにも見える。
「…御家老様?」
「…ほかに途はないと申すか」
「は」
「話にならぬ」
 ぱし、と音を立てて勘解由は扇子を閉じた。
「は?」
「わからぬか」
 いらいらと脇息の縁を指で叩きながら勘解由は続けた。
「そのようなものを突きつけたところで、福富屋が下島一門を使って忍を入れたことを認めると思うか。私が福富屋なら、知らぬ存ぜぬで通すであろう。それに福富屋は堺の会合衆ぞ。いま堺を敵に回せば、必要な銃や火薬が入らなくなる。それに、その土井とかいう忍は、福原の漆間の生き残りでしかも嫡子ということではないか。そのような者が我らの手にあると知れたらどうする。一揆の棟梁に担ぎ上げられる恐れもあるし、漆間の再興を狙う勢力がないとも限らぬ。いずれにしても、とるべき途はひとつ」
 勘解由の指が止まった。
「その忍を消し、福富屋とは手打ちをすることだ」

 


 牢の中で、半助は転がされていた。手足を縛られ、口の中には布切れを押し込まれている。恒光のように舌を切ることを懼れてのことである。
 ひどく息苦しかった。布切れが舌や口腔にへばりつき、息を妨げていた。
 半助の眼からは、生気が徐々に失われていた。自分が福原を去ったあとに起きたさまざまな忌まわしいできごと。それらすべての原因が自分ということ。そしてついさっき、目の前で、唯一無二の、友とも兄とも慕っていた恒光が果てた。自分のせいで。ここ数日で、あまりに多くのことを見、あまりに多くのことを知りすぎた。
 -もういい。私は、存在しては、いけなかったのかも知れない。
 あのとき、父や母とともに果てていれば…。
 -生きよ、と父上は言われた。しかし、その結果、私はどれほど多くの命を奪ってきたのだろう。
 仕事で絡んだ暗殺や戦、つい先ほど果てた恒光の姿などが頭を過ぎる。どれもこれも、自分が望むと望まざるとに関わらず失われた命だった。
 -私には、もはや生きる資格はない。
 この布を気道まで吸い込めば、窒息死するかもしれない…ふとそう思った。半助は、思うに任せない舌と息をつかって、なんどか布を深く吸い込もうとした。しかし、異物を検知した咽はそのたびに布を押し戻した。むせ返る苦しさに涙がにじんだ。
 ついに半助は力尽きて、ぐったりと床に凭れた。石張りの冷たい床が、横顔に触れる。
 -なぜ、お許しいただけないのですか…。
 閉じた目から、涙が一筋、頬を伝った。
 -私は、父上と母上のお側にまいりたいのです…。

 

 

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