Eclipse

Eclipseを辞書で引くと、日食などの食現象の意味とされ、ネットで検索するとソフトウェアの統合開発環境としてヒットすることが多いのですが、18世紀のイギリスに実在した競走馬の名前でもありました。たいへん有名な馬で、現在の競走馬の多くがその血筋にあるのだそうです。というわけで、駿馬の名にふさわしい少年にはこのタイトルで。きっとEclipseの名に恥じない活躍をしてくれることでしょう。  


「よお、庄左ヱ門」
「やあ、団蔵」
 黒木屋の店先に訪れた馬借の隊列の先頭にいた団蔵が駆け寄る。庄左ヱ門が笑顔で出迎える。
「こんにちは、黒木屋さん」
「これはこれは。今回も頼みますよ」
 隊列を率いてきた清八と庄左ヱ門の祖父が店先で和やかに話している間に、かがんで草鞋を結びなおしていた庄左ヱ門が立ちあがる。
「じゃ、団蔵、行こうか」
「あの…若旦那」
 ふいに振り返った清八が、気がかりそうに眉をひそめながら声をかける。「やっぱり、庄左ヱ門さんと2人だけで行くんですか?」
「だいじょうぶだって。清八は心配性だな」
「どうかしたのですかな?」
 庄左ヱ門の祖父が訊く。
「はい。実は最近、このあたりの山の中で山賊が出るんです。うちの村の喜六もこの前荷物を奪われてしまって…」
 しかもそれは団蔵の馬だった。とっさに顔をそむけて歯をぎりと食いしばる団蔵に気づいて、余計なことを言ってしまったと後悔する清八だった。
「そりゃ大変じゃ。庄左ヱ門、子どもだけで山道を通るなんて危ないからやめなさい」
 山賊と聞いて顔色を変えた庄左ヱ門の祖父が声を上げる。
「そうしてください。私がご一緒しますから…」
 清八も説得にかかるが、庄左ヱ門はごく冷静に応える。
「そんなに心配しなくても大丈夫だから。山賊だってうばうものがあるからおそってくるんだろうし、

ぼくたち子どもがなにも持たずに歩いていれば、おそってもしょうがないと思うんだ」
「そうそう! なんかあったって、おれたち忍たまなんだから…」
「まあそういうことなんで、心配しないで」
 尻馬に乗ったように自慢げに言いかける団蔵の足を踏みつけながら、庄左ヱ門は手早く話を切り上げて言う。「じゃぁね、行ってくるから」
「ふむ…庄左ヱ門はしっかりしているから大丈夫とは思うが…気をつけてな」
「若旦那もお気をつけて」



「庄左ヱ門といっしょに行くのはひさしぶりだね」
 頭の後ろで腕を組みながら団蔵が言う。
「そうだね」
 登校日前にたまたま黒木屋に炭の集荷に行くことになったのを幸い一緒に登校することにした2人だった。
「ねえ、休みのあいだはなにしてたの?」
 団蔵が訊く。
「う~ん、お店の手伝いとか、庄二郎とあそんだりとか、宿題とか…あ!」
 ふと気づいたように庄左ヱ門が声を上げる。「団蔵、宿題ちゃんとやってきた?」
「え…えと、いや、あの…」
 明らかに動揺した団蔵が口ごもる。「その、わかんないところがあったから、庄左ヱ門におしえてもらおうかなって…」
「そんなことじゃないかと思ったよ」
 やれやれ、と庄左ヱ門がため息をつく。「それで、どこがわかんないの?」
「うん、まあ、いろいろ…」
 さすがに全部、とは言いかねて言葉を濁す。「だから、学園についたらおしえてくれる?」
「いいよ」
 探るように訊く団蔵に、庄左ヱ門はあっさりと頷く。どうせ自分を除く全員が多かれ少なかれやり残した宿題を抱えているのだ、まとめて面倒をみればいいととっくに腹をくくっていたのだ。



「見て、団蔵、あれ…」
 庄左ヱ門が低く言う。山の中で見かけた怪しい人影に、とっさに2人は藪の中に身を潜めていた。
「ああ。あれ、ドクタケ忍者だ…」
 小さく頷いた団蔵だったが、その眼が大きく見開かれる。「あ、あれ…!」
「どうかした?」
「あれ、うちの荷物だ…このまえ、喜六たちがはこんでいるとちゅうで山賊たちにうばわれたって言ってたやつだ…くっそぉ」
 歯ぎしりして立ち上がりかけた団蔵の肩を慌てて庄左ヱ門が押さえつける。
「ちょ、ちょっと待って団蔵。それ、たしかなの? ほんとうにあの荷物がうばわれた荷物なの?」
「ああ、わかるさ。だって、あの荷物のカバーについてるマーク、お客さんのもんなんだ。それにあの馬…」
 団蔵が唇をかむ。「おれの馬なんだ。能高速号っていうんだ」
「そっか…」
 ではどうやって取り返そうかと思案しようとしたとき、傍らの団蔵の押し殺した声に思考が断ち切られた。
「おれ、とりかえしてくる!」
「だからちょっと待って団蔵…」
 止めようとしたときにはもう遅い。立ち上がった団蔵はドクタケ忍者たちに向かって声を上げていた。
「やいっ! その荷物はうちのものだ! かえせっ!」
「なんだ、お前は」
 振り返った雷鬼が、突然藪の中から姿を現せた団蔵に眉を上げる。
「ぼくは忍術学園の加藤団蔵だっ! うちの荷物をかえせっ!」
「なに、忍術学園の忍たまだと!?」
 雷鬼の声にほかのドクタケ忍者たちも物陰から姿を現わす。
「えっ? あ、いや、その…」
 予想外に多くのドクタケ忍者に気勢をそがれた団蔵が思わず後ずさりする。その時、
「おぅい、八方斎様が来られるぞっ」
 どこからか聞こえた声にドクタケ忍者たちが明らかに動揺を見せる。
「なに? 八方斎様が?」
「来るなんて聞いてないぞ!」
「と、とにかくお迎えせねば…!」
 わらわらと動き始めるドクタケ忍者たちの注意がそれた瞬間、
「団蔵、こっち!」
 鋭いささやき声とともに藪から突き出された手が団蔵の手を掴んで走り出す。
「お、おい! さっきのガキはどうした!」
「いなくなったぞ!」
「逃げられたか!?」
 慌ててどよめき騒ぐドクタケ忍者たちの声がたちまち遠くなる。



「はぁっ、はぁっ…」
「つかれた…」
 必死で森の中を駆け抜けてきた2人は、追いかけてくる気配がないのを確認すると、ようやく荒い息のまま座り込んだ。
「それにしても…ここどこ?」
 周りを見渡しながら団蔵が訊く。「なんか、海にちかいみたいだけど…」
「ああ…そうだね…」
 庄左ヱ門も確認するように周囲に眼をやる。「とにかく、海のそばに行ってみようか…」
「ここ、どこだろう…」
 不安そうに団蔵が言う。2人が出てきた海岸は、見渡す限り人の気配が見当たらなかった。
「ぼくにもわからない…」
 不安が声にあらわれるのを辛うじて押さえつけながら庄左ヱ門が言う。「それに、もうすぐ陽がくれるね…」
 すでに陽は背後の森の向こうに消え、空は急速に暗さを増していた。
「とにかく、あの小屋にはいらない?」
 団蔵が指差した先には、半ば崩れかけた苫屋があった。
「そうだね」
 頷き交わすと、2人は苫屋に向かって歩き始めた。



「ごめん、庄左ヱ門。おれ…」
 弁当に持たされていた握り飯を分け合って食べると、2人は隙間だらけの苫屋の壁に寄りかかった。
「いいよ。だいじな荷物がうばわれたんだから、取りかえそうとするのは当然だよ」
 苫屋は壁と屋根があるきりで床はない。砂の上に足を投げ出した庄左ヱ門が静かに言う。
「でも、おれがよけいなことしたせいで、こんなことになったし…」
 胡坐をかいた団蔵が砂に眼を落とす。その横顔を板壁の隙間から差し込む月明かりが照らす。
「気にしなくていいよ。とにかく明日、どうすればいいか考えようよ」
 しょげ返っている団蔵を励まそうと庄左ヱ門はつとめて元気な声を上げる。
「おれ、いつもこうなんだよな…」
 俯いたまま団蔵は呟くように言う。「お客さんのだいじな荷物が、よりによってドクタケなんかにう

ばわれてたっておもっただけで、もうかぁってなって…」
「それは、団蔵が馬借の家のりっぱな若だんなだってことだよ」
「…」
 団蔵が黙り込んで、しばし松風の蕭々とした響きだけが苫屋に届いた。 
「なんでだろ…」
 団蔵の頭が庄左ヱ門の肩にもたれかかる。「なんで、おれ、いっつも庄左ヱ門にあまえてるんだろ…おれ、いっつも庄左ヱ門をたすけてやりたいっておもってるのに…」
 -ああ、そう考えてくれてたんだ、団蔵…。
 言われなくても分かっていた。いつも学級委員長として奔走している自分を、団蔵は勉強以外の全てで支えようとしてくれていた。たいていの場合、それは空回りの意思だったが、それでも庄左ヱ門はうれしかった。そして、いつもクラスの先頭にいながら感じる足元のおぼつかない自信を支える力強い土台になってくれた。底抜けの明るさで。 
「ねえ、団蔵。ぼくは、団蔵がそう考えていてくれているだけでうれしいんだ…」
 声に出してしまってから、何の反応もないことに気づいて傍らを見る。庄左ヱ門の肩にもたれたまま団蔵は寝息をたてていた。
 -ここもドクタケに見つかるかもしれない。僕は起きてないと…。
 そう思いながら周囲の気配を探っていた庄左ヱ門だったが、単調な波音と腕から肩にかけて押し付けられた団蔵の体温に誘われていつしか眠り込んでいた。



 夢を見ていた。既視感のある夢だった。
 -ああ、そういえばこんなこともあったっけ…。
 夢の中でも、庄左ヱ門は団蔵の体温を感じていた。
 -団蔵、すっかり身体が大きくなったのに、まるで僕に甘えてるみたい…。
 夢の中の自分も団蔵も、どうやら大人になっていたようだった。
 -まるで、大きい子どもみたいだ…。
 気がつくと、団蔵は端座した自分の膝に顔をうずめていた。広い肩と大きな背が小刻みに震えている。そしてその手は、自分の手をしっかりと捉えていた。
「庄左ヱ門、ごめん、俺…」
 ふいに大人の団蔵が声を漏らした。力強い、男らしい野太い声がむせび泣きに震えている。「いつも庄左ヱ門に頼ってばかりだ…」
「そんなことないさ」
 大人の自分が静かに答える。抑えた穏やかな声だった。「もう団蔵はじゅうぶん苦しんだ。頑張った。団蔵じゃなかったら、誰もここまでやることなんてできなかったさ…」
「でも、俺…」
「ねえ、団蔵。僕ができるのは、君を心配することくらいなんだ…」
 会話はここで途切れ、ふたたび嗚咽を漏らしながら震える背に昏い眼を落とす自分がいた。
 -団蔵、かわいそう…たった一人で、こんなにたくさんのものを抱えて、いつも気を張って笑顔でいなければならなくて…心の中はこんなにボロボロなのに…。
 痛ましげに団蔵の頭に手を添える自分を冷静に見つめる10歳の自分がいた。何があったか分からないが、将来の自分は、崩壊寸前の団蔵を支える立場になっているようだった。
 -そうか。未来の僕は、少なくとも団蔵に頼られる存在になっているみたいだ…いま団蔵に支えてもらっているお礼くらいは、できてるみたいだ…。
 そして考えるのだった。
 -どうして団蔵は、こんなに苦しい立場になっちゃったんだろう…僕は、団蔵がこんなことになる前に、何とかしてあげられなかったのかな。だって、僕は、団蔵がこんなに苦しむ姿なんて見たくないんだ…!



 -う…まぶしい…。
 苫屋の隙間だらけの板壁から差し込む日差しがまともに眼に当たって、団蔵は掌をかざした。波音が耳に戻ってきて、ようやく自分がどこにいるかを思い出す。
 -そうだ。ドクタケ忍者におわれて海まできちゃって、庄左ヱ門とこの小屋にかくれることにしたんだっけ…。
 -で、庄左ヱ門は…?
 庄左ヱ門の姿を探そうとして、自分の身体が動かないことに気づく。
 -庄ちゃん…?
 思わず顔が紅潮する。自分の身体は庄左ヱ門の腕に絡め取られていた。しがみつくように腕は両肩に回され、眉を寄せた寝顔が右肩の上に載っていた。
 -い、いったいどうして…!?
 だが、見開かれた眼はすぐになだめるように細くなる。
 -ま、いいか。きっと庄左ヱ門、こわかったんだ…。
 思いながらあたりを見回す。
 -こんなボロ小屋にとまったんだから、しょうがないよな…。
 自由になる肘先を動かして、庄左ヱ門の頭に掌を当てて自分の肩に押しつける。そして、少し苦しげに息を漏らして眠る庄左ヱ門の寝顔に眼をやりながら思う。
 -もっとあんしんして寝ていいんだぜ。おれがまもっているんだから…。



「ん…団蔵?」
 ようやく目覚めた庄左ヱ門が、がっしりと抱き竦められた状況に眼を丸くする。
 -え…どうゆうこと?
 自分の頭は頬が団蔵の肩に押し当てられたままぴくりとも動かせなかった。そして自分の両手は、なぜか団蔵の身体に廻されていて、満遍なくその体温を感じ取っていた。
「おはよ、庄左ヱ門」
 ひどく近いところで団蔵の声が聞こえた。「よくねれた?」
「あ、ああ…」
 恐ろしく間の抜けた声を上げながら庄左ヱ門は周囲を見渡そうとした。だが、視界には団蔵の着物のごわごわした肌触りだけがあった。
「あの、これって…?」
「おれもよくわかんないけど、起きたらこうなってた」
「そ、そう…」
 短い問答のあいだも、なぜか団蔵の身体に廻した腕を解くことができなかった。

 


「庄左ヱ門、なんかこわい夢でも見てたの?」
「どうして?」
 唐突に問う声にとっさに答えを見つけられなかった庄左ヱ門が問いを返す。
「だって…」
 この状況を見れば明らかだろうと団蔵は口ごもる。
「うん。ちょっとかなしい夢を見てた…」
 ようやく団蔵の身体に廻していた腕を解いた庄左ヱ門は、少し身体を離すと恥じらうように顔を伏せる。
「どんな夢だったの?」
「よくわからない…ただ、かなしったんだ…」
 それが自分たちの将来らしい夢だったとは言いかねて庄左ヱ門は俯いたまま言う。いつもの自信にあふれた態度とはまるで違うしおれた様子に、とっさに元気づけようとして団蔵は声をかける。
「ま、気にすんなって! おれがいたんだから!」
「…そうだね」
 あらゆる点で的外れで、そして力強い団蔵の言葉に小さく頷くと、庄左ヱ門は団蔵の顔をじっと見上げる。
「ねえ、庄左ヱ門、どうしたの?」
 まっすぐな視線に居心地が悪くなったのか、団蔵がもじもじしながら訊く。はっとした庄左ヱ門が慌てて視線を逸らして言う。
「その…団蔵がいてくれてよかったなって…こんなところでひとりでいたら、きっとすごくこわかっただろうから…」



「ぼくたちがいた山道がここだとすると、今いる海岸はこのあたりだと思う…」
 数分後には、拾った枝で砂の上に地図を描きながら説明する庄左ヱ門がいた。
 -すげえ。庄左ヱ門、すっかりいつもの冷静な庄左ヱ門にもどってる…。
 黙って頷きながら、団蔵は半ば呆然としていた。ほんの数分前まで自分の身体にしがみついてかなしい夢を見ていたと呟いていた庄左ヱ門は幻だったのだろうか。
「…だとすれば、この近くの村からこっちのほうにいく道をとおれば、学園に向かう街道に出ることができるはずなんだ」
「んなら、その村をみつければいいってわけだな!…でも」
 元気よく反応した団蔵だったが、次の瞬間、何かを言いかけて口ごもる。だが、庄左ヱ門には、何が言いたかったか察しはついているようである。
「でも、そのまま学園に帰るつもりはない、ってことだよね」
 団蔵の顔を覗き込みながら悪戯っぽく笑いかける。
「うげ…どうしてわかるの?」
 まだ何も言っていないのに、その笑顔は全てを見通しているように見えた。
「わかるさ…だって、は組の仲間なんだから」
 大きな眼で見つめながらためらいなく言い切る庄左ヱ門に、意思が完全に理解されていると確信した団蔵が声を弾ませる。
「じゃ、行くんだね!?」
「うん。だって、馬借の若だんなが荷物をうばわれたままなんて、カッコつかないでしょう?」
「そういうこと! じゃ、行こうぜ!」

 


「見て。馬のあしあとだ」
 昨日、ドクタケ忍者たちを見かけた山道に戻った2人は、残された足跡を辿った。やがて萱葺きの屋根と、その周囲を歩き回るドクタケ忍者たちの姿が眼に入った。藪の中に身を潜めた2人がそっと近づく。
 そこは、やや大きい民家と言ったたたずまいの、ちょっとした連絡待機所のような場所だった。矢来でも作るつもりなのか、壁にいくつも竹の束が立てかけてあるのが眼を引いた。団蔵の馬は荷物を背にしたまま庭先の柵につないであった。
「…八方斎がいないね」
「お城にもどったのかな」
「いるのは…雪鬼、風鬼、雨鬼だ。あとの連中はどうしたんだろう…」
 周囲を見張るようにうろうろしているドクタケ忍者を数えながら庄左ヱ門が呟く。
「ていうか、いまがチャンスじゃない? ドクタケの3人くらいなら、おれたちでもなんとかなる!」
 拳を握った団蔵がにやりとする。
「ちょ…ちょっと待って」
 今にも飛び出しかねない勢いに、庄左ヱ門が慌てて肩を押さえつける。
「どうしてさ」
 勢い余って地面に胡坐をかいた団蔵は不満そうである。
「たしかにあの家の外にいるのは3人だけだけど、中にもいるかもしれないし、もしかしたらまわりにもひそんでいるかもしれない。それに、八方斎が仲間をつれてもどってくるかもしれない。ここはもう少し様子をさぐって、それから作戦を考えないと…」
 作戦プロセス重視の庄左ヱ門は、まずは状況の把握から入ろうとするが、何か閃いたもののあるらしい団蔵は、庄左ヱ門の肩に腕を回して耳元で素早くささやきかける。
「だいじょうぶ。あそこには3人しかいない。だから、庄左ヱ門は、あの家のかべに立てかけてある竹をたおしてくれないか。それでドクタケたちの注意がそれたときに、おれが馬をとりかえす。いいね」
「え、ちょっと、いきなり…」
 唐突に作戦らしきものを吹き込まれても…と言おうとしたときには、すでに団蔵は馬がつないである柵に近いほうへと藪伝いに動き始めていた。
 -しょうがないな…ま、ここは団蔵の直観を信じよう…。
 小さく肩をすくめた庄左ヱ門は、家の裏手に回る。



 がらがらん、と大仰な音を立てて壁に立てかけてあった竹の束が地面にぶつかってばらばらになる。
「なにごとだ!」
 周囲を見張っていた風鬼たちが慌てて駆け寄る。
「誰だ! 竹を倒したやつは!」
 雪鬼が怒鳴るが、もとより返事はない。
「仕方ねえな。片づけるか…早くしないとまた八方斎さまに怒られるし…」
 ぶつくさ言いながら雨鬼が散らばった竹をまとめはじめる。その間に柵につないであった馬が姿を消したことに気づいた者はいなかった。



「やったやった! 荷物をとりかえしたぜ!」
 馬の手綱を引きながら、先ほどから団蔵はうれしさをこらえられないように飛んだり跳ねたりしている。
「それにしても、どうしてあそこにドクタケ忍者が3人しかいないってわかったの?」
 傍らを歩く庄左ヱ門が感心したように訊く。
「馬をみててわかったんだ」
 満面の笑みのまま団蔵が言う。
「馬を?」
「そう。馬はとっても神経質だから、知らない人が近くにたくさんいるとおちつかなくなるんだ。それに」
 馬の鼻づらを愛おしそうになでながら続ける。「能高速号はおれの馬だから、くせもよくわかるんだ」
「そうなんだ…」
 はしゃぐ団蔵を横目に、庄左ヱ門は考え込まずにはいられない。
 -きっと、いつものぼくのやりかだったら、まだ馬を取りかえすことはできなかっただろう。そうしているうちに八方斎がもどってきて、いよいよ近づけなくなっていたかもしれない。団蔵のとっさの判断があったから…。
 自分のプロセス思考が間違っているとは思わない。だが、それでは対処できない場面というのがあって、そういう時には団蔵のような直観が力を発するのだ。そしてそれは、自分には決定的に欠けているものなのだ。
「どうかした?」
 浮かれ歩いていた団蔵が、難しい表情で考え込んでいる庄左ヱ門の顔を覗き込む。
「うん…団蔵ってすごいなって思ったから…」
「おれが?」
 きょとんとした顔になる
「そう。ぼくにはないものを持ってる」
 自分に言い聞かせるように言いながら、顔を上げた庄左ヱ門がにっこりと微笑む。そして思う。
 -だから、ぼくには団蔵が必要なんだ。



<FIN>



Page Top