空華

<リクエストシリーズ 土井半助&きり丸>

 

空華(くうげ)という言葉に出会ったのは、比較的最近のことでした。

仏教の言葉で、煩悩が見せる幻をいうことのようですが、実際はもっと深い意味があって、そのあたりは山田先生に語ってもらいました。

ちなみにこのお話の発端は、忍たまミュージカル第5弾再演の終盤、きり丸が花を捧げるシーンに激しくインスパイアされたことは、いくら強調しても足りることはありません!

 

 

「きり丸! あれほど戦場でのアルバイトはいかんと言っただろう!」
「でも、あれいい稼ぎになるんすよ」
 きっかけは、きり丸がかなりの量の銭をゼニ目になって銭壺に移すのを見とがめた半助が声をかけたことだった。あれほど危険だからやめるよう注意したはずの戦場での具足回収をやっていたことに、ついいつもより口うるさくなっていた。
「だからといってやっていいことと悪いことがあるんだ! 弁当売りや具足の修理ならともかく、軍の撤収も終わらないうちから具足の回収などもってのほかだ!」
「え~、でも、今回の戦のスッポンタケ城もエゴノキタケ城も具足にはカネかけてるから、回収すれば高く売れるんすよ。それに、競争相手が多いからいそいでいかないとめぼしいものが…」
「お前は命とゼニのどっちが大事なんだぁっ!!」
「ゼニ」
「きり丸! お前というやつは…!」
 そんなことを言うのはこの口か、と伸ばしかけた半助の手をひょいと避けると、きり丸は銭壺を抱えて土間に飛び降りる。
「こら、待つんだ、きり丸!」
 半助が腰を浮かせかけたとき、上り框に足をかけたきり丸が振り返って叫ぶ。
「土井先生のわからずやっ!」
「こら! どこへ行くきり丸っ!」
 半助が玄関から身を乗り出したとき、きり丸の姿はすでに往来から消えていた。
 

 

「ホントに土井先生はなんにもわかってねえんだ…」
 陽が暮れてきた。街道沿いの辻堂に潜り込んだきり丸は、銭壺を抱えながらぶつぶつ文句を言っていた。
「おれがゼニをかせがなきゃいけないわけなんて、とっくにわかってくれてると思ってたのに…」
 ぐぐ、と腹が鳴った。
 -あ~あ、腹へったな…。
 そういえば今日は具足を集めるのに夢中で昼食をとる暇もなかったことに気付く。
 -今日はかせいだし、街でなにかうまいものでも食おうかな…いやいや、それはダメだ…!
 いつもより稼ぎがあったときについ気が大きくなってしまうことが銭失いの道だとドケチの師匠のおりんばあさんから常々聞かされていた。それに、街に行けば自分を探し回っている半助に見つかってしまうかもしれなかった。
 -しょーがねーや。今日はこのまま寝よっと。明日から学園がはじまるし、制服や荷物は土井先生が出かけた後に取りに行けばいいんだし。
 そこまで考えると、埃っぽい辻堂の床にごろりと横になる。
 -ホントに土井先生はなんにもわかってねえんだ。
 天井板を睨みつけながら考える。
 -おれの気持ちなんかぜんぜん…。

 


「…というわけで、きり丸が飛び出してしまって…」
 教師長屋には、伝蔵に事情を説明している半助の姿があった。
「ふむ」
 伝蔵は腕を組むと鼻を鳴らした。「まあ、土井先生が怒るのも無理はない。いくら稼ぎがいいといっても、戦が終わりきっていないうちから具足の回収など危険すぎる。うっかり見つかればその場で斬り捨てられてもおかしくないからな」
「そうなんですよ」
 小さく頭を振りながら半助が言う。「それなのに、命より銭が大事だなどと…」
「まあ、きり丸らしいといえばそうなのだが。それにしても」
 顎鬚に手をやりながら伝蔵が訊く。
「きり丸はそんなに銭に困っていたのですかな?」
 半助がはっとしたように顔を上げる。
「え…いや、そんなことは…」
「なかったと?」
「はい。むしろ、次期の学費を納めたばかりにしては、銭壺にずいぶん銭が残っているなと…」
「何かほかに、出費がかさむことでもあったのか…?」
 天井を仰ぎながら伝蔵が呟いたとき、廊下を小走りに近づいてくる足音が響いた。
「しつれいします」
 言い終わるか終らないうちに襖ががらりと開いた。
「どうした、庄左ヱ門」
 伝蔵が振り返る。
「きり丸がまだ来ていないのですが、どういうことですか?」
「なんだとっ!」
 思わず立ち上がった半助を制しながら伝蔵が訊く。
「どういうことだ。乱太郎としんべヱが一緒じゃなかったのか」
「はい。待ち合わせの場所でずっと待っていたのですが、ぜんぜんこないしこのままだと遅刻してしまうということで2人で来たということです。もしかしたら土井先生といっしょかもと…でも」
 動揺を隠しきれない表情のまま立ちすくむ半助をちらと見上げた庄左ヱ門が続ける。「ごいっしょではなかったのですね」
「そういうことだな…ということは」
 伝蔵が再び顎鬚を引っ張りながら言う。「きり丸を探さねばなりませんな」
「ということは…!」
 庄左ヱ門が期待に満ちた声を上げたとき、
「はい、は~い!」
「ぼくたちも行きま~す」
「てかむしろ、おれたちにまかせてくださ~い!」
 一斉に声が上がっては組たちが部屋になだれ込んできた。
「だめだ。お前たちは授業を受けなさい!」
 伝蔵が一喝する。
「「え~」」
「なにが『え~』だよ。早く教室に行くんだ」
「「は~い」」
 しぶしぶ教室に向かうは組たちを見送ると、伝蔵は半助に向き直る。
「では土井先生、授業をお願いしますよ」
「え? わ、私がですか…?」
「そうです。私は学園長先生にご報告してからきり丸を探しに行きます。では、は組の連中が勝手に学園を飛び出さないようにお願いしますよ」
 それだけ言うと伝蔵は足早に部屋を後にした。
「そ、そんな…」
 部屋に取り残された半助の口から呟きが漏れる。

 


 -これも土井先生のためだ。
 足早に半助の家のある街に向かいながら伝蔵は考える。
 -半助には辛いかもしれないが…。
 とっさの判断で半助を学園に残して授業に当たらせることにした。その判断に間違いはなかったと伝蔵は考える。保護者のようにきり丸を案じる半助のことだから、きり丸がまだ登校していないと分かった瞬間、真っ先に捜索に駆けつけるつもりでいただろう。
 -だが、それは危険だ。
 半助の忍としての技量は、第一線を退いたとはいえまだ一流を保っていると伝蔵は考える。通常の作戦行動で判断ミスをすることは滅多にない。だが、こときり丸に関することでは、その判断力が保てるかどうか、疑問を抱かずにはいられない。
 -だから、半助には学園にとどまってもらったのだ。仮に相手が忍だったときに、その判断力の曇りは命取りだから…。

 


 -もう土井先生でかけたかな…。
 きり丸は半助の家に向かって歩いていた。学園に行く日は早く家を出るのがいつものことだったから、この時間であればもう家の中は誰もいないはずだった。
 -でも、どっちにしても学園で顔あわせるんだよな…。
 その事実がきり丸の気を重くしていた。乱太郎やしんべヱと一緒にいればそれなりに取り紛れるだろうが、一方的に家を飛び出してしまった後味の悪さは残るだろう。半助の顔を見るたびに。
「あぶねえな。どこ見てあるってるんだ!」
 ぼんやりして歩いていたきり丸は、出会いがしらにぶつかるまで相手の男にまったく気がつかなかった。
「あ、す、すいません」
 慌てて愛想笑いを浮かべながらへこへこ頭を下げる。
「気をつけろ」
 言い捨てた男が立ち去る。
「すんません」
 もう一度言って顔を上げたとき、少し離れたところを歩く人物にふいに視線が吸い寄せられた。
 -あの人は…?
 包みを抱えて歩く女性の横顔は、なぜかひどく見覚えのあるものだった。
 -誰だったっけ…バイト先のおかみさんでもないし…。
 考え込みながら立ち止まってその横顔を追っていたきり丸の表情が凍りついた。
 -あのひと…母ちゃんだ…!
 気がつくと、その人物を追って足が動き出していた。

 

 -いや、そんなはずはない。母ちゃんはあの戦で死んじゃったんだ。他人のそら似にきまってる…!

 自分を納得させようとしていた。それでも、視界に捉えた相手を追って勝手に動きだした足が止まることはなかった。耳はすでに、追っている人物が発するであろう声を聞き始めていた。そして全身の皮膚は、その人物が差し伸べる手の感覚を、その身体の温もりややさしいにおいを期待していた。

 -母ちゃん、まってよ…。
 いつしか声にならない声が呼びかけていた。
 -まって、おねがい…!
 だが、その後ろ姿はだんだん足早になり、遠ざかっていく。
 -母ちゃん、置いてかないで…!

 

 

 -あれは、きり丸ではないか。
 足を止めた伝蔵は、街外れの街道を憑かれたような眼で歩くきり丸の姿を捉えていた。
 -誰かを追っているようだが…。
 伝蔵の眼には、きり丸が追う者の姿を見ることはできない。
「きり丸」
 素早く近づいてきり丸の肩に手を掛ける。
「え…」
 弾かれたようにきり丸が振り返る。
「山田先生…」
「何をしてたんだ」
「なにって…母ちゃんがいたから…」
 反射的に言いかけて思わず口ごもる。
「お母上を…?」
 そのような女人は見なかったが、と言いかけて伝蔵は言葉を呑み込む。
 -そうか、きり丸が追っていたのは、お母上の幻像だったのか…。
「ちょっとそこの木の下で休んで行かないか」
 背を軽く押して、道端の大木の下に向かう。

 

 

 「なあ、きり丸。お前が見かけた女人は、空華のようなものだったのかも知れんな」
 木の下に腰を下ろした伝蔵は、静かに語りかける。
「くうげ…ですか?」
 不審そうにきり丸が見上げる。
「そうだ。仏教の言葉で、煩悩のある者が見る幻のようなものだ。かすんだ眼で空を見上げると、ちらちらと花のようなものが見えることがあるが、それは本物の花ではない。空しい花ということだ。だが」
 伝蔵は言葉を切ると顔を上げた。「煩悩の生み出す幻にしては、あまりに美しい言葉だと思わないか」
「おれの母ちゃんも…」
 きれいな人だった、と言いかけたが、なぜか言葉が続かなかった。
「お前の母親に会いたいという強い願いが、煩悩を生んで空華を見せたのだろう…だが、それは必ずしも悪いことではない。われわれ俗人には煩悩がつきものだ。お前のように空華を見るほどに親を慕うことは、むしろ当然なのかもしれない…」
 穏やかな声で伝蔵は語りかける。その横顔をきり丸が見上げる。
「金楽寺の和尚さまに伺ったことがある。空華とは、ただ煩悩が見せる幻というだけではない。この世にあるものすべては空華のごとく空しく実体がない。だが、それだからこそ永遠の生命をもち、それゆえの美しさを持つ。この世のものすべては永遠の生命が形を変えて現れたものだと考えれば、それは空華からあらゆるものが生まれたということなのだろう。空即是色ともいうな」
「はあ…」
 きり丸の視線が泳ぎ始める。
「まあ、難しいことは措くとして、学園に帰るぞ。土井先生が心配しているからな」
 半助の名前にきり丸の肩が反応する。
「…お前は土井先生に怒られたそうだが、それは土井先生がお前のことを本当に心配しているからだ…わかるな?」
 きり丸がこくりと頷いた。
「私の眼から見れば、土井先生もお前への思いの深さは妄執を見るがごときだ。だが、それだからこそ空華のように永遠の真心だけが持つ美しさがあるのだろう」
「先生…ぼくだって…」
 俯いたままきり丸は呟く。「土井先生のことがだいすきだし、そのために…」
 ゆるゆると片手を懐に運ぶ。

 

 

「きり丸っ! お前というやつは、どれだけ皆に心配をかけたと!」
 学園の教師長屋に伝蔵に伴われて現れたきり丸に、思わず拳を握って怒鳴りつけた半助だった。
「ごめんなさいっ!」
 反射的に頭を抱えてしゃがみこむ。いつもなら脳天に拳骨が落ちる場面だった。だが、何も起きない。きり丸はそろそろと顔を上げて、上目遣いに半助を見上げようとした。と、その動きが止まった。
「心配、したんだぞ」
 穏やかな声とともに大きな掌がそっと肩に添えられる。
「せんせい?」
 顔を伏せた半助の表情は、豊かな前髪に隠れている。
「きり丸。土井先生にまだ報告していないことがあるだろう。早く済ませなさい。私は学園長先生に報告してくるからな」
 おもむろに立ちあがると、伝蔵が部屋を後にする。

 

 

「…先生、あの…」
 説明しかけながらも口ごもるきり丸を、半助は辛抱つよく待った。いつの間にか、きり丸の肩に置いた手がそっと背をなでている。
「あぶないバイトだってことくらい、わかってたんです…それで先生にどんだけ心配かけるかも…でも、どーしてもゼニが必要だったんです」
 ぼそぼそと説明するきり丸の背をなでながら半助は訊く。
「だが、学費は払ったばかりだろう? まだ銭壺にはずいぶん残りがあるように見えたが、なにか欲しいものがあったのか?」
 どうしても必要なら用立てないこともないが、と付け加える。
「…いや、これは、ぼくが自分でやらなきゃいけないんです」
 半助の手が止まった。
「…もうすぐ、父ちゃんや母ちゃんたちの命日なんです。いままでは食うだけで精一杯だったけど、いまは学園で寝る場所もうまい飯もあるし、バイトでそこそこ稼げるようにもなったから、なにか供養になることでもできたらなって…」
 -!
 思いがけない言葉に胸を衝かれて、半助は黙り込む。
「家族のなかで生き残ったの、おれしかいないから…おれが供養してやらなかったら、みんなさみしがるだろうなって…」
「そうか。お前は家族思いの優しい子なんだな…だけどな」
 背をなでていた掌をきり丸の頬に当てて少し持ち上げる。うるんだ眼が半助を見上げる。だがすぐに小さく顔を振って掌から逃れて視線を落とす。
「…もしお前が危険なバイトで命を落としてしまったら、ご家族はどう思うだろうな」
 きり丸の背が小さく揺らぐ。
「ご家族の願いは、お前が健やかに、毎日を元気一杯に生きることではないかな。お前はお前らしく、元気にドケチに生きていく。それが何よりの供養ではないかと私は思うぞ」
 低く静かに語りかける。
「…でも、ドケチだってつかうときはつかうんです」
 涙声のままきり丸は呟く。
「それはそうだな」
 悪いことを言ってしまったと思って、半助は言葉を継ぐ。「お前の言うとおりだろう。その思いは尊いと思う。だが、そのために命を危険にさらすような行動をすることを、ご家族が望まれるかな」
「…」
 黙りこくったままきり丸は俯く。
「なあ、きり丸」
 ふたたびきり丸の背をなでながら半助は言う。「供養というのは、お経をあげたりお供え物をするだけをいうのではないんだぞ」
「…そう、なんですか…?」
 きり丸がうるんだ眼のまま半助を見上げる。
「そうだ。供養というものは、当然生きている者でなければできない。ということは、亡くなった者に対して、精一杯、誠実に生きること、亡くなった者のことを忘れずに、時には心の中で会話すること、それも立派な供養だと私は思う。そのためには、ゼニなど要らないだろう?」
「でも…もう買っちゃったし」
 ぶつぶつ言いながら、きり丸は懐から細長い紙包みを取り出すと、「はい」と半助に渡した。
「だがこれは…きり丸のご家族のために買った物だろう?」
 包みを押し付けられた半助がうろたえながら訊く。
「いいから開けてください」
「これは…?」
 包みを開けた半助は、思わず声を上げる。包みの中身は、一本の筆だった。
「おれ、家族にどんなおそなえものがいいのかずっと考えてたんです。でも、考えれば考えるほど土井先生が古くなってぼさぼさになった筆をつかってるところしか思いだせなかったんです。だからそれ…」
 照れくさそうに顔をそむけながら、きり丸はぼそりと言う。
「…先生に、あげます」
「きり丸…っ!」
 気がつくときり丸を抱きしめていた。
「土井…せんせい、くるしいっスよ…」
 半助の胸に抱きすくめられたきり丸が声を上げる。
「す、すまない…だが」
 慌てて腕の力を緩める。
「ありがとうな。きり丸」
「べ、べつに…」
 却って冷静になったきり丸が、顔をそむけながら言う。「土井先生のために買ったわけじゃないっスから…ただ、いいのが思いつかなくて買っただけっスからね…」
「そうだな。それでも、私はうれしいぞ」
 愛おしそうに抱きすくめた身体をなでながら半助は言う。
「だから、それは…」
 なおも言いさしたきり丸の言葉が途切れる。横顔はすでに半助の胸に接していて、暖かい鼓動を感じていた。
 -土井先生、すっごいあったかいや…。
 もはや、これ以上抗弁する気力が蕩けていた。今だけは、半助にされるままでいてもいいかも知れないと思っていた。だから、ただ半助の忍装束の袷を握りしめる。
 そして半助は、抱き寄せたきり丸の頭に頬を寄せながら思う。
 -だが、お前は気付いていないだろうが、私にも幸せをくれたんだぞ。私がもっとも求めてやまなかった絆を、お前は私にくれたんだ。たとえそれが空華のごとくはかないものであろうが、もう二度と、手放すものか…!



<FIN>

 

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