とりかえばや

安藤先生とやりあっている土井先生は、いつものカッコいいだけではないいろいろな表情を見せていて、実はけっこう好きだったりします。教科の成績は決して良くないは組が、実戦経験は豊富で、結局い組の線の細さを凌駕するあたりに、土井先生がは組を誇るというのがいつものストーリーですが、そこまでのプロセスで、感情的になったり、口惜しそうな表情を見せる土井先生が、どうしようもなく好きです(←そろそろ自重しry)

 

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「ああ、それにしても、どうしてい組のよい子たちは、あんなに成績がいいのでしょうか」
 感に堪えないという声を上げるのは、安藤夏之丞である。
「…」
 少し離れたところで、土井半助はむっつりと口を引き結んでいる。その後に続く言葉は、ほぼ予想できたから。
「…それに引き換え、一年は組のよい子たちときたら…」
 -やっぱり…。
 あまりに予想通りの展開に、思わずちいさくため息をつく。気持ちを落ち着かせようと、硯に水を足し、墨をする。
「なんですかね、あの成績は。クラス全体の合計点が100点だったと聞きましたが、まるでこの間のい組のテストの平均点みたいですな…まあ、あのときは少々問題が易しすぎましたがね」
「…」
 墨を持つ指に力がこもる。
「まあ、安藤先生、ここはひとまず、は組の成績のことは措きましょう」
 部屋の隅にうずくまっていた斜堂影麿が、か細い声をあげる。一年生の合同野外訓練の実施を学園長に命じられて、教科担当が集まった会議は、劈頭から不穏な空気に包まれていた。 
「措いといていいんですかね、あんな成績で」
「いいも悪いも…!」
 思わず半助は声を上げてしまう。
「誰も何も言わないほうが、むしろ問題だと思いますがね」
「どういうことですか!」
「言うまでもないでしょう」
 てからせた頬をなでながら、安藤は泰然と言う。
「ここまで差が開くということは、もともとの素質の差だけではとても説明できないということです」
「だから、まあ、安藤先生も土井先生も、落ち着いてください」
 斜堂がなだめようとするが、もはや手遅れである。
「私は落ち着いています! ただ、安藤先生が一方的に…!」
「一方的とはなんですか! 私はただ、事実を述べているまでです!」
「一方的な言いがかりじゃないですか!」
「言いがかりとはなんですか、失礼な。私は、ここまで差が開くということは、外的要因があるのではないかと指摘しているまでです」
「なんですか、外的要因って!?」
「わかりませんか?」
「ええ、ちっとも!」
「それが、やはり教育者の差というものでしょう」
 安藤が、にやりとしてふたたび頬をなでる。
「どういうことですか!」
「つまりそれは、経験の差といってもいいかもしれませんな」
「く…!」
 次に来る言葉が、ほぼ想像がついて、半助は歯軋りする。
「こう言ってはなんだが、土井先生はまだ経験が浅い。生徒たちにどのように接するべきか、理解されているとはとても思えません」
 経験が浅いということは、否定しようのない事実だった。反論の途を封じられて、半助は俯く。
「いいですか、土井先生。生徒たちには、はっきり言って出来不出来がある。それに応じた、ふさわしい対応ができなければ、教師としての適性に疑問符がつく。お分かりですかな?」
 勝ち誇ったように言い放つと、安藤は俯く半助を見下ろした。と、次の瞬間、襖の外に気配を感じて、全員が顔を向ける。
「よーし! いいことを思いついたぞ!」
 声とともに、職員室の襖が開いた。もっとも、教師たちは、声の主が姿を現す前にすでにげんなりした表情を浮かべていたが。
「何事ですか、学園長先生」
 いやそうに、安藤が口を開く。
「安藤先生、たしかにあなたの指導する一年い組は教科においてはきわめて優秀じゃ。そこでじゃ!」
「はい…」
「安藤先生には、一年は組の教科の成績が向上するまで、は組の教科の授業を受け持ってもらう。どうじゃ、すばらしい思い付きじゃろう!」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「それじゃ、私は…」
 安藤と半助が同時に当惑声を上げる。
「なに、は組の教科の成績がまともになるまでの間じゃ。安藤先生ならすぐにできるじゃろ。土井先生はその間、い組の授業を持てばよい。ついでに、安藤先生の指導方法を参考にするとよかろう。土井先生は教師になって間がないから、いろいろ参考になることも多かろう。どうじゃ、これこそ一石二鳥の素晴らしい思いつきとは思わんか?」
「さすが学園長先生。まさに仰るとおりです」
 褒められて悪い気はしない安藤は、すぐに同調する。
「学園長先生の仰るとおり、土井先生はまだ若く、経験も少ない。ま、優秀ない組の授業を通して、私のやり方を吸収されると良いでしょう。はっはっは」
「く…」
 半助にはもはや反論の余地はなかった。拳を握り締めて、叫び出しそうになる衝動を必死で堪えていた。
「あのぅ…」
 それまで存在を忘れられていた斜堂が、うっすらを姿を現す。
「どうしましたかな、斜堂先生」
「私の担任するろ組はどうしましょうか…」
「そ、そうじゃな…どうしますか、安藤先生」
 例によって人魂を背負っての斜堂にたじろぎながら、大川は安藤に視線を送る。
「そうですな…ま、まあ、ろ組は、斜堂先生のご指導宜しきを以って問題なしと思われますので、特に担任換えをする必要もないかと…」
 話を振られた安藤が、かかわりを避けようと逃げ口上を見出す。
「そういうことじゃ。よってろ組は変更なし!」
「そうですか…では…」
 人魂とともに、斜堂が片隅へと戻っていく。

 


「今日から、私がは組の教科を教えることになりました。みなさん、がんばって勉強しましょう」
 翌朝、は組の教室に現れた安藤が宣言すると、全員が「え~」と抗議の声を上げた。
「なにが『え~』ですか。私が担当するからには、みなさんをい組のよい子たち並みに優秀な忍たまにしてみせますから、みなさんもしっかりと私の言いつけを守り、ついてくるのですよ」
「はい」
 手を上げたのは、庄左ヱ門である。安藤は満足そうに頷いた。
「さすが学級委員長ですね。率先して手を上げて同意するとは」
「いえ。質問です」
 安藤は脱力する。
「なんですか、庄左ヱ門君」
「なぜ、安藤先生がは組の担任になったんですか。これからずっと、安藤先生がは組の担任になるのですか」
「さすが庄ちゃん、冷静だね」
 乱太郎がきり丸としんべヱにささやく。
「いいえ。これは担任の変更ではありません。同じ学年の間で実力の差が大きいため、一時的に私がヘルプに入ったということです」
「それでは、ろ組はどうするのですか」
 ふたたび庄左ヱ門が手を上げる。
「ろ組は」
 こほんと安藤は咳払いをする。
「今のところ、斜堂先生が問題なく教えておられるので、今回の措置の対象外です」
「あんなこと言って、ぜったいろ組が不気味だから教えたくないだけなんだぜ」
 きり丸が乱太郎たちにささやきかける。
「そこ、きり丸君。なにをごそごそ話しているのですか」
 安藤の声に、きり丸たちがぎょっとする。
「皆さんが守るべきことのその一は、授業に集中すること。むだ話をせず、きちんとノートをとること。いいですね」
「は~い」
 数人がいやそうに細く返事をする。
「声が小さいですよ。みんなもっと元気よく、大きな声でお返事しましょう。いいですか」
「は、は~い」
「よろしい」
 満足したように小さく頷くと、安藤は抱えていた紙束を生徒たちに示した。
「まずは、君たちの学習がどこまですすんでいるか、どこまで理解しているかをつかんでおきたいので、ここで小テストを行います」
「「え~」」
「いちいち『え~』と言わないように。なんですか、君たちは。そんなにテストが嫌かね。い組のよい子たちは、いつもお勉強をしているからテストなど嫌がらないし、実力を見せるいい機会だとむしろ喜んでいますよ」
「またイヤミがはじまったぜ」
 きり丸がつぶやく。
「なんですか、きり丸君。言いたいことがあるならはっきりと言うように」
「いーえ。なんでもありませんー」
 頭の後ろで腕を組みながら、ふてくされたようにきり丸は答える。

 


 -それにしても、テスト中の態度からしてここまで違うとは…今まで土井先生も山田先生も、どんな指導をしてきたのやら…。
 テスト問題に向き合うは組の生徒たちを見ながら、安藤は心の中でため息をつく。
 -まともに問題を解いているのは庄左ヱ門だけ。あとの生徒たちはそもそも問題を解く気があるのかどうかも疑わしい…。
 鐘が鳴った。
「はい、やめ…テストを回収します」
「はい」  
 生徒たちが手渡しに来る答案を受け取りながら、安藤は早くもテストの結果が見え始めていた。
 -なんですかこれは。ろくに答えが書かれてないではないですか。答案に『わからない』などと、よく書けたものだ…。
 そう思いながら、団蔵が差し出す答案を手に取ったときだった。
「あの…ちょっと待ちなさい、団蔵君」
「はい、なんでしょうか?」
 訝しげに団蔵が振り返る。
「こ、この答案…字が…」
「ああ、団蔵の字ですね」
 乱太郎がにっこりする。
「あ…土井先生にも言われてたんですが…」
 団蔵がぽりぽりと頭を掻く。
「もうちょっとまともに書けないのですか…これでは解読不能です」
「そんな…直そうとは思ってるんですが…でも、土井先生は読んでくれます!」
 顔を高潮させながら、団蔵が抗議するが、安藤は聞き流す。
「それは、どっちみちまともに答えが書かれてないからでしょう…いずれにしても、字を何とかするのが先決ですな。はい、次」
「は~い」
「は~いって…ちょっと待ちなさい、しんべヱ君」
「なんですか?」
 しんべヱが首をかしげる。
「これはいったい…」
 安藤が指先でつまみ上げたしんべヱの答案は、たっぷりと湿り気を帯びて重たげにだらりと下がっている。
「これはって、しんべヱのよだれと鼻水に決まってるでしょう」
 きり丸があっさりと言い捨てる。
「よだれと鼻水って…これは答案用紙ですよ。鼻紙じゃない」
「ごめんなさい、鼻紙がなかったもんですから…」
 もじもじしながら、しんべヱが上目遣いに見上げる。
「こ、こんな汚いものを、私に採点しろというのですか!」
「したくないなら、してもらわなくてもいいんですが」
 どうせまともな点数じゃないし、と付け加えるしんべヱに、安藤のなかで何かが着火した。
「いいえ! 絶対に採点して見せます。こんな汚い答案を寄越す以上、それなりの点数は取っているという自信のあらわれでしょうからな…はい、次」
「はぁい」
「はい、喜三太君も、これまたできの悪そうな答案ですね…って、おや、これは?」
 答案用紙の端になにやら動くものを見つけて、安藤が顔に近づける。
 -気のせいか。あまりにひどいので動揺していたせいでしょう。
 答案用紙が動くはずもない、と顔から離そうとしたとき、答案用紙の端からナメクジが姿を現した。
「ぎえ~っ!」
 思わず声を上げてしまう。
「あ、ナメ之介、そんなところにいたんだね。テストの間じゅう、どこにもいないから心配したんだよ」
 喜三太が手を伸ばして、ナメクジを指にとる。
「ななな、なんですかそのナメクジは!」
「それは、喜三太が飼っているナメクジです」
 冷静に解説するのは庄左ヱ門である。
「飼っているって…しょ、庄左ヱ門君、分かるように説明してくれんかね」
「はい。喜三太はナメクジが好きなので、ナメ壷にたくさんのナメクジを飼っているんです。それで、ときどき、ナメクジが逃げ出すんです」
「ときどき、なんてレベルじゃないけどな」
 きり丸がぼそっと付け加える。
「な、なぜナメクジなんかを…」
 思わず漏らしたひとことに、喜三太が食ってかかる。
「なんか、とはなんですか! なんか、なんて…! みんな、ぼくのだいじなナメクジさんたちなんです!」
「い、いったいなんなんですかこのクラスは…テストに鼻水はつけるわ、ナメクジは持ち込むわ…基本的な授業態度がなっていない! こんなことでは到底だめだ! 明日から、君たちを徹底的に矯正しなければならん…君たちもそのつもりでいるように! 今日はここまで」
 残りの生徒から答案用紙を奪い取ると、安藤は足音荒く教室を後にした。

 

 

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