Beloved


<リクエストシリーズ 八左ヱ門>

 八左ヱ門のお話のリクエストをいただきました。

 八左ヱ門といえば、「一旦飼った生き物はさいごまで面倒を見る!」がモットーの熱い男ですが、そこには飼っていた生き物との別れへの覚悟というものもあるんだろうなあ、と思いながら書いてみました。

 というわけで、しらゆり様、お待たせしました。



「竹谷せんぱ~い! たいへんで~す!」
 飼育小屋で虫たちにエサを与えていた八左ヱ門がいぶかしげに顔を上げる。いつになく上ずった声で駆けてくるのは、いつもはおっとりしている一平だったから。
「おぅい。一平、どうしたあ」
 小屋の戸口から身を乗り出した八左ヱ門のもとに、息を切らしながら一平が駆け寄る。
「はあ、はあ、はあ…せんぱい、たいへんです…!」
「どうした? 一平がそんなに慌てるなんて珍しいな」
 しゃがみこんで一平の顔を覗き込む。
「は、はい、それが…ケガしたタヌキをみつけました…」
 言いながら襦袢と上着の間にたくしこんでいたタヌキをそっと抱え出す。八左ヱ門の眼が一瞬、昏くなる。
 -かなり弱っているな。
 その灰褐色の毛には泥がこびりつき、もう何日も動けずにいたことがうかがえた。抱き上げられてもまったく抵抗しないところを見ると、かなり衰弱しているようだった。もう長くは持たないだろうなと思った。
「みてください、この右足…」
 一平が指した右足はだらりと垂れさがっている。
「骨が折れてるようだな…かわいそうにな」
「医務室につれていったほうがいいでしょうか」
「おいおい、あそこは人間を診るところだ。タヌキの治療はムリだろう」
「じゃ、どうすれば…」
「俺が診てやるさ」
 安心させるように笑いかけると、すぐに引き締まった表情になる。「一平、コイツの身体を支えててくれないか」
「はい」
 手拭いを裂いて、手近にあった端切れを右足に当ててぐるぐると巻いて固定する。
「とりあえず、手当てはこれで終わりだ」
 ふう、とため息をつくと、2人は同時に額の汗をぬぐった。



「ふん、ふん、ふ~ん♪」
 上機嫌で豆腐を作っているのは兵助である。いま、豆腐は最終工程に入っていて、布にくるんだ豆乳を型に入れて重しを載せているところだった。
「よお、兵助」
「しつれいします」
「やあ、八左ヱ門、一平…なにか用?」
 厨房に現れた2人に、兵助は軽やかに声をかける。
「おほ~っ、ずいぶん作ったなあ」
 すでに出来上がった豆腐を放してある桶を覗き込んだ八左ヱ門が感心したように声を上げる。
「ああ。きり丸に頼まれてね…俺が作った豆腐を街で売ったら大評判だったからまたぜひ作ってくれって言われちゃってさ」
 満更でもなさそうに説明する。
「そっか…それで、頼みがあるんだけどさ…」
 きまり悪そうに八左ヱ門が言いかける。
「おからだろ? あとで持ってくつもりだったんだけど」
 小さく肩をすくめた兵助がおからを盛った桶に眼をやる。生物委員会で飼育したり保護したりしている動物たちのエサにしたいと八左ヱ門が申し入れて以来、おからは生物委員会に引き渡すことになっていた。それなのにわざわざ引き取りに来るとは珍しいと兵助は考える。
「ああ、ちょっと急ぎで必要になってさ…よし、一平、このおから、もらってけ」
「せんぱい、ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げると、おからのはいった桶を盛った一平が走り去る。
「じゃ、サンキューな、兵助。わけは後で話すから」
 苦笑いしながら頭をぽりぽり掻いた八左ヱ門もあとに続く。
「ふ~ん…」
 2人が姿を消した戸口に眼をやった兵助が鼻を鳴らす。
 -ま、俺は持ってく手間が省けたから別にいいんだけど…。



「ほら、お食べ」
 飼育小屋の隅に積んだ藁の上にうずくまっていたタヌキは、一平がおからの入った桶を近づけると頭を上げて鼻をくんくんさせた。
「お、食欲はあるようだな」
 一平の背後から覗き込んだ八左ヱ門がほっとしたように言う。
「よし、少し離れたところから見ようぜ」
 肩に手を置いて八左ヱ門が言う。いぶかしげに一平が見上げる。
「野生の動物は警戒心が強い。人間がそばにいるとエサに手をつけない可能性があるんだ。だから、むやみに近くにいない方がいい」
 説明しながら一平を促して飼育小屋の外に出る。
「今日のところはそっとしといてやろうぜ…な」



「ええ…ん…」
 しゃがみこんだ一平が嗚咽を漏らす。その周りに三治郎や虎若たちが涙を流しながら立ちすくんでいる。
「どうした!?」
 孫兵に呼ばれた八左ヱ門が駆けつける。と、その足が止まる。一瞬で何が起きたか把握できた。
「せんぱい…」
 涙声で一平が振り返る。「タヌキさんが…しんじゃったんです…」
「そうか」
 藁束の上に横たわったタヌキは四肢を投げ出したままぴくりともしない。前足に巻かれた包帯が白く眼に映った。
「せっかく一平に助けてもらったのにな…かわいそうなことしたな」
 指先で頭をなでながら痛ましげに言う。
「あんなにおからを食べてたのに…どうして…」
「だな…」
 中身がかなり減っている桶に眼をやった八左ヱ門が短く応える。
「せんぱいに手当てしてもらって…ぜったい元気になると思ってたのに…」
 か細い声で呟く一平の背に手を当てる。「なあ、一平」
「…はい」
「たしかにコイツはかわいそうなことをした。でも、コイツは最後の最後は幸せだったんじゃないかって俺は思うぞ」
「どうして…ですか…?」
 涙で潤んだままの眼で一平が見上げる。
「だってさ。一平に助けてもらって、最後は腹いっぱい食ってさ…きっと一平に助けてもらったことを感謝してると思うぜ」 
「でも…」
 ふたたびしゃくりあげながら一平は訴える。「でも、かわいそうです…」
「そうだな」
 今度は八左ヱ門も反論しない。「せめてゆっくり眠れるように、裏山に墓作ってやろうぜ…な」
 


「なんか一年生たちがやたら裏山に行ってたみたいだけど、何があったか知ってる?」
 夕食後、八左ヱ門は兵助の部屋を訪れていた。文机に向かって何やら書いていた兵助がふと思い出したように顔を上げて訊く。
「ああ…保護してたタヌキが死んじまってな」
 壁に寄りかかって草紙を読んでいた八左ヱ門が暗い声で応える。
「タヌキ?」
「ああ。昨日、おからもらいに行ったろ? あれ、そのタヌキに食わせてやるためだったんだ」
「だからわざわざ取りに来たんだ」
 納得したように頷くと、ふたたび兵助は筆を走らせはじめる。
「そういうこと。一平が見つけてきたんだけど、足ケガしてた上にかなり弱っててさ。今朝になったら死んじまってた」
 淡々と説明しようとしたが、泣きじゃくる一年生たちにもらい泣きしそうになったことを思い出してぐっと奥歯を噛みしめる。
「そうなんだ」
 あまり関心なさそうに兵助は言う。「だから伊助が委員会に遅れてきたんだな」
「一年は組は、虎若と三治郎が落ち込んでるからってみんなでお見舞いに来たからな…ろ組も線香をあげに来てたな」
「い組は?」
「そういや来てなかったな」
 ふと思い出したように天井を仰ぐ。「テストが近いとかで来れなかったんじゃないのか?」
 虎若と三治郎の周りには一年は組が、孫次郎の周りにはろ組の生徒たちが集まってしきりになぐさめていたが、一平だけはぽつんと1人離れたところで黙然と手を合わせていた。
「なあ、兵助」
 一平の背が責めるように投げかけていた疑問を口にせずにはいられなかった。
「…俺、いつも後輩たちに、生き物を飼ったら最後まで面倒を見るのが人として当然だって話してたけど、その結果がアイツらを悲しませるってことは、ひょっとして正しいことじゃねえのかなって…」
 -さて、終了!
 筆先を筆洗ですすいで文机に置くと、兵助は改めて壁に寄りかかって胡坐をかく八左ヱ門に眼をやる。
 -八左ヱ門、けっこう困ってるみたいだな…。
 いつもネアカで白い歯を見せて笑っている八左ヱ門が、いまは視線の定まらない眼で天井を仰いでいる。それは五年間、近しく付き合っていた兵助でもあまり記憶のない姿だった。
「ああいう時にはなんて言ってやればいいんだろうな…俺、わからなかった…」
 ひとり言のようにぼそぼそと呟く。
「…委員長代理って、難しいな。六年の先輩だったら、もっといいこと言えたかもしれないのに、俺が未熟なせいで…」
「俺にもよくわからないけどさ」
 これ以上八左ヱ門が自分を責めるのに耐えられなくなった兵助が遮る。「でも、そのタヌキにはやれるだけのことをしたんだろ? それに八左ヱ門がいつも言ってることは間違ってないし、六年の先輩でも同じことをいうんじゃないかな」
「兵助…」
 戸惑ったような表情で八左ヱ門の視線が向けられる。
「なあ、八左ヱ門」
 兵助の眼がまっすぐ八左ヱ門を見つめる。「たしかに俺たちはまだまだ未熟だし、委員会をうまくまとめていくこともできてない。だけど、俺たちはまだ五年なんだし、やれることをやるしかないんじゃないかな」
「まあ、そうなんだろうけどさ」
「八左ヱ門はよく『関わったら最後までやれよ』って言うだろ? 俺、八左ヱ門のそういうところ、けっこう好きだけどな」
「え…そ、そうか?」
 ごく真面目に言い切る兵助に、八左ヱ門の顔が赤くなる。



「あ、せんぱいだ!」
「竹谷せんぱ~い!」
 翌日、生物委員会の菜園に八左ヱ門が現れると、雑草を抜いていた一年生たちがわらわらと駆け寄った。
「おう。悪ぃな、遅れちまって」
 朗らかに声をかけながら、さりげなく巡らせた視線は一平の不在を捉えていた。
「一平は…まだ来てないのか」
「もうすぐ来ると思いますが」
 鍬を担いでやってきた孫兵が言ったとき、
「すいませ~ん」
 ぱたぱたと足音を立てて一平が駆けてきた。
「おそかったね。どうしたの?」
 三治郎が訊く。
「それがさ、出がけに安藤先生につかまっちゃって…新作のギャグを聞きなさいなんて言われちゃってさ」
「「ああ…」」
 三治郎たちが同情したように声を漏らす。「そりゃたいへんだったね」
「ほかにだれかいればよかったんだけど、ぼくだけだったから抜け出せなくて…」
「…」
 わらわらとしゃべる後輩たちに黙って眼を向けていた八左ヱ門に、孫兵がいぶかしげな視線を送る。
「先輩?」
「あ、ああ…」
 孫兵の手にしていた鍬を手に取ると、つとめて明るい声で言う。
「よし。俺と孫兵は菜園の手入れするから、お前たちは雑草とりおわったら餌やりをやってくれ」
「「は~い」」
 雑草を抜きに散らばる一年生たちに眼をやると、おもむろに鍬を振るう。そして考える。表面上は元気を取り戻したように見える一平だったが、気丈に振る舞っているだけかもしれない。もしまだ悲しみを引きずっているなら、自分には何ができるかと。



「よ~し、お疲れ」
 一平に話しかける糸口をつかめないまま委員会が終わった。「失礼しま~す」と言いながら後輩たちが立ち去っていく。
 -あ~あ、俺、なにやってんだろ…。
 結局、一平の思いを探ることすらできなかった。無力感に苛まれながら校舎に向けて歩きはじめる。と、なぜかそこうに一平が立っていた。
「よ、よお」
 ずっと話しかけようと思っていた相手が唐突に眼の前に現れて、却って口ごもる八左ヱ門だった。
 -いけね。ここで話しかけなくてどうする!
「なあ、一平…だいじょうぶか」
 自分を鼓舞しながらかけた言葉のなんと月並みなことかと自分の頭を殴りたくなる。もっと後輩の心を支えるように、受け止めるように語りかけたかったのだが、結局口にできたのは、あまりにストレートな問いでしかなかった。だが、一平の表情が輝く。
「はい! だいじょうぶです!」
「そ、そうか…でもな…」
 あまりにあっさりと大丈夫と言われて却って懸念が生まれる。だがそれをどう言葉にすればいいものやら考えあぐねて語尾が濁る。
「ぼく、もうだいじょうぶです!」
 もう一度言い切った一平が、ふと秘密を打ち明けるように八左ヱ門を見上げながら身体を寄せる。「じつは、昨日、タヌキさんの夢を見たんです」
「夢?」
「はい。せんぱいのおっしゃるとおりでした! タヌキさん、とっても喜んでいました! さいごに面倒みてくれて、おいしいものをたべさせてくれてありがとうって。手当てしてくれたお兄さんにもありがとうって…」
 精一杯の笑顔を裏切って、つぶらな瞳から溢れた涙が頬を伝う。それでも、一平は微笑みながら見上げる。
「さいごに幸せだったから、もう悲しまないでって…」
「…そっか」
 これ以上、涙ながらの笑顔に耐えられなくなった八左ヱ門は、そっと一平の頭に手を回して自分の胸に押しつける。それが合図だったように小さな手が身体にまわされる。
「せんぱい…」
 しゃくりあげながら一平が声を漏らす。「ぼくたち、さいごまで面倒みてあげられましたよね…当然のこと、できましたよね…」
「もちろんだ」
 声が詰まりそうになるのを堪えながら細かく震える肩を撫でる。「俺の言ったこと、ちゃんと守ってくれてありがとな…」
 そして思う。
 -俺、間違ってなかった。俺、お前の先輩でよかった…!

 


<FIN>



Page Top  ↑