ひとつ上とひとつ下


二年生と五年生。いずれもちょっと地味で立ち位置も微妙な学年です。そんなふたつの学年がクロスしたところには…新たなcpは生まれそうにありませんが、新たな認識は生まれるかも知れません。というか、むりに生ませてしまいましたw

実はこのお話は、最初の1/4まで書いたところで3年ほど眠りについていました。今回、無事サルベージできたことは実によろこばしい限りです。



「よお。お前は…」
「は、はい。保健委員の川西左近です」
 陽が傾き始めた山道を学園へと急いでいた八左ヱ門の前に、がさがさと藪をかき分けて現れたのは左近だった。顔といい手といい、藪漕ぎでついたらしい傷だらけである。
「お前、こんなところで何してんだよ」
 驚かせやがって、と呟いた八左ヱ門が腰に手を当てて訊く。
「はい…実は、保健委員で薬草摘みをしてたのですが、乱太郎と伏木蔵が行方不明になってしまったので数馬先輩が探しに行ったのですが、数馬先輩も遭難したとのろしを上げたので、伊作先輩と僕が探しに行ったのですが、途中でイノシシに追いかけられてはぐれてしまったのです」
 おまけに道からもそれちゃって…と頭に手を当てながら照れ笑いをする左近に、八左ヱ門はもはやため息で応えることしかできない。
 -こいつら、いったい何重遭難してんだよ…不運にもほどがあるぜ。
「ところで、先輩はこんなところで何を?」
 左近が首をかしげながら見上げる。
「ああ、俺か。俺は生物委員会の野鳥の観察会の場所を探していたんだが、このあたりは場所が悪いから戻るところだ」
「場所が悪いんですか?」
「悪いどころじゃない。このあたりはここ数日、タソガレドキとウスタケが散発的に衝突している。俺たち五年生の演習もこのあたりでやる予定だったんだが、危険すぎるということで中止になったくらいだ。だからお前もすぐにここを離れろ。いいな」
「ええっ…でも」
 左近の顔から血の気が引く。
「でももクソもあるか。早くしろ」
 左近の手を掴もうとする。その手を振り払って左近が叫ぶ。
「でも、このあたりには伊作先輩もいるんです!」
「なんだかんだ言って伊作先輩は六年生だ。何とかされるだろうから気にすんな」
「でも、数馬先輩や乱太郎や伏木蔵も…」
「ああったくもう! よりによってこんなところで多重遭難しやがって!」
 八左ヱ門は頭を掻きむしる。次の瞬間、遠くからズシン、と重い響きが伝わってきた。けたたましい声を上げて頭上を鳥たちが一斉に羽ばたく。
「くっそ、始まりやがったか」
 音のした方を振り向いて毒づくと、「とにかくこっち来い!」と左近の手を掴んで走り出す。
「あ、ちょ、ちょっと先輩、待ってくださいよぉ」
 


「あの…日が暮れてきちゃいましたね」
 あたりを見廻しながら不安そうに左近が言う。すでに陽は遠くの山並みの向こうに消え、西の空に残照だけが茜色に照り映えていた。木立に覆われた山道は足元もおぼつかないほど暗くなっていた。
「だな」
 足を止めた八左ヱ門は周囲の気配をうかがう。「しょうがない。この辺で野営すっか」
「…ですね」
 山道から抜け出せない時点で学園に戻ることを諦めていた左近もため息交じりに頷く。
「火は焚かないからな」
 大木の根元に腰を下ろしながら八左ヱ門が言う。
「こんな森の中で火を焚いたら、山火事になっちゃいますもんね」
 隣に腰を下ろしながら左近が頷く。
「それもあるが、火を焚くとどうしても人の目につく。このあたりにいるウスタケやタソガレドキの連中に見つかると面倒なことになる。足軽崩れなどに眼をつけられたらもっと面倒だ」
 懐の忍者食を左近に分けてやりながら八左ヱ門は説明する。ありがとうございます、と受け取った左近が眼を見開いて八左ヱ門を見上げる。
「そんなに、両軍は近いのですか?」
「このあたりの山中に両軍の先遣部隊が入り乱れてるような状態だ。いつどこで衝突が起きてもおかしくない。こういうときはじっとして動かないことが大事だ。へたに動いて気配を感じ取られると攻撃される恐れがあるからな」
「乱太郎たち、だいじょうぶでしょうか」
 八左ヱ門の説明に、左近が声を震わせる。「あいつらまだ一年生だし、やたらと動き回って敵に見つかっちゃったりしたら…」
「心配なのはわかるけどな」
 安心させるように左近の頭をなでながら八左ヱ門は低く言う。「今は自分の身の安全を確保することが第一だ。わかるな?」
「はい…」
 抱えた膝に顎を埋めて左近は答える。
「ま、そんなに心配すんなって」
 声に力を込めながら八左ヱ門は話しかける。「乱太郎たちは実戦経験豊富なんだろ? 何とかしてるって。それにここは俺がついてるから安心しろ。な?」
「…はい」
 ようやく笑顔になった左近が顔を上げると、小さく頷いた。



「どうした、左近」
 夜も更けてうとうとしかかった八左ヱ門は、ふと傍らで小さく震える気配に気づいた。
「いえ、なんでもありません」
 傍らで膝を抱えていた左近が、生真面目な声で答える。「ただ、ちょっと寒いだけです」
「そうか」
 呟いた八左ヱ門は悪戯っぽく笑うと腕を伸ばした。「ならもっとこっちに来い」
「!」
 肩をぐいと捕まれた左近の身体は、八左ヱ門の側に引き寄せられていた。
「あ、でも、先輩…?」
「寒いんだろ? こういうときはくっついていた方が体温の消耗が防げる」
「それはそうですが…」
 首を左右に細かく動かしながら左近が言う。「先輩の髪がちくちくするというか、くすぐったいというか…」
「お、そうか?」
「そうですよ…もう少し何とかならないんですか?」
「悪ィ、悪ィ。だけどな、こればっかは設定だからよ」
「なんですか、設定って」
「まあそういうキャラになってるってことさ。だから今さら俺の髪が超ショートになったり、サラストになるってことはありえないってこと」
「よくわかりませんが…そんなものなんですか」
「そういうこと」
「先輩は…」
 言いさした左近は膝に顎を埋めたまま八左ヱ門の身体ににじり寄った。
「ん? どうした?」
 不意に口調の変わった後輩に、八左ヱ門が軽く眉を上げて見下ろす。
「先輩は、二年生のころ後輩をどう思ってらっしゃいましたか?」
 視線を地面に落としたまま訊く左近に一瞬答えを探す。
「ん? 俺か?」
 そして、答える前になぜそのようなことを訊くのかを確認しようと思った。だから訊く。
「一年生と、なんかあったのか?」
「…」
 ためらうような沈黙に、図星だなとおもう八左ヱ門だった。
「…僕たちの実力が足りないってことは分かってるんです」
 ややあって絞り出すように左近が声を上げる。「でも、どうしても一年ボーズのくせに生意気だって思ってしまって…」
「そっか」
「じっさい、生意気なんです」
 何かを思い出したらしく、口をとがらせる。「やらなくていいってことに必ず手を出して失敗するし、善法寺先輩のおっしゃることはちゃんと聞くくせに僕が言ったことなんて聞いてんだか聞いてないんだか分からないし、今日だって薬草摘みは一年生はいいって言ったのにどうしても一緒に行くっていうから…」
「そっか」
「先輩も、そう思われることありませんでしたか?」
 左近が顔を向ける。
「まあ、俺たちのときはな…」
 言葉を切って肩をすくめる。「なんせ個性の強い連中ばっかだったからな」
 何をするにも派手な連中ばかりで、生意気という感覚すら失せる気がしたことを思い出す。
「まあ、それは分かりますけど…」
 少し狎れたように八左ヱ門に身を寄せてきた左近だったが、かさりと藪を踏む音にびくりと身を固くする。
「大丈夫だ。あれは鹿の足音だ」
 安心させるように肩を軽くはたきながら八左ヱ門は言う。
「分かるんですか?」
 まだ恐ろしそうに声を震わせた左近が訊く。
「ああ。人間だったら足が大きい分だけ踏む面積が広いからもっと音が大きくなる。鹿は警戒心が強いから、アイツらがここにいるってことは俺たちは大丈夫だってことさ。それに見ろよ」
 言われるままに、左近は八左ヱ門の視線の先の真っ暗な木立に眼をやる。藪より少し高いところにふたつの眼が光っているのが見えた。
「鹿…ですね」
「だろ?」
 低い声がささやき返す。「じっとしてろ。アイツ、俺たちが敵かどうか見定めてるからな」
「はい」
「…」
 しばし息詰まるような沈黙が流れた後、鹿はついと顔をそむけると悠然と歩み去った。
「…逃げませんでしたね」
 ふぅっと息を吐いた左近が呟く。
「ああ。敵認定されなくてよかったぜ」
 八左ヱ門の身体からも力が抜けていくのが感じ取れた。
「どうしてですか?」
「アイツの背後には群れがいたはずだ。アイツが俺たちを敵認定して逃げ出せば、群れも一斉に動き出す。そうなればその辺にいる足軽たちに気づかれるおそれがあったからな」
 鹿のいた暗がりに眼をやりながら八左ヱ門はひくい声で説明する。左近は思わず震えあがった。
「僕たち…実はヤバかったんですね」
「ああ。すっごくな」 
「でも、先輩すごいですね…たった一頭の鹿だけでそこまで分かるなんて」
「ったり前だろ。これでも生物委員会委員長代理だぜ?」
「はい! やっぱり上級生ってすごいなあ」
 憧れの眼差しで見上げる後輩に、八左ヱ門はくすぐったそうに小さく笑う。だが、すぐに表情が消えた眼で木立を見つめながらぼそりと訊く。
「なあ、俺たち五年生と、六年生の先輩方の違いがなんだか分かるか?」
「違い…ですか?」
 戸惑ったように左近が口を開く。「五年生も六年生も、知識や技能はすごいし、力も強いしカッコいいし…どこか違うのですか?」
「ああ。ぜんぜん違う」
 ぽつりと言うと、八左ヱ門はしばし口を引き結んだ。「…知識も技能も、六年生の先輩方はほぼプロ忍者と互角だ。俺たちはたった一年であのレベルに達しないといけないんだ」
「…」
 頭を乗り出した左近が、そっと八左ヱ門の横顔を窺う。
 -優秀な五年の先輩たちでも、そう考えることがあるんだ…。
 まだ上級生になっている自分が想像すらつかない左近にとって、はるかな高みにいる五年生がそのような悩みを抱えているという事実は意外だった。いつも明るい八左ヱ門の思いつめた表情がいたましかった。ふとその横顔がこちらを向く。寂しげな笑顔に、左近は心臓をぎゅっと引き締められるように感じた。
「一年生も、それは同じなんじゃねえか?」
「同じ…ですか?」
 弾かれたようにその眼が見開かれる。
「自分が一年だった頃のこと思い出してみろよ。なんでもやりたくて、知りたくて、手伝いたくて、なにかと手を出しゃ失敗して怒られて…って、なかったか?」
「…」
 それもそうかも、と考える左近だった。ただ、自分とそう年も違わない先輩に指示されたりするのがどうにも癪に触って反発してしまうのだ。それはきっと、いまでも大して変わっていない…。
 つまりそれは、一年しか違わないからこそおぼえる感覚なのだろう。
「そういえば、伊作先輩に言われたことがありました。去年できなくて、今年できるようになったことがいくつあるかって…」
 たった一年しか違わないのに、たいして違いがあるようには思えないのに、それでも大きい一年の差を語った伊作の言葉をいつの間にか口にしていた。
「…」
 黙ったまま八左ヱ門は続きを促す。
「たくさんあるはずだよねって伊作先輩はおっしゃいました。言われてみればその通りだって思いました」
 ゆっくりと記憶を紡ぐように左近は語る。「それは、僕たちがこの一年、しっかり勉強してきた証拠なんだよって」
「…そっか」
 短く八左ヱ門は応える。たった一年の差と感じるか、途方もなく遠い差と感じるかは、結局のところ感じ方の差じゃないかな、と伊作に言われているような気がした。



「だったら先輩も」
 明るさを取り戻した声で左近が八左ヱ門を見上げる。「五年間でできるようになったことに比べたら、あと一年でやらなきゃいけないことなんて、ほんのちょっとじゃないですか?」
「…」
 いままで全く気付かなかった視界からいきなり強烈な光に射られたような気がして、八左ヱ門の表情が空白になる。
「でも、少し安心しました」
 木立の間から覗く夜空を見上げながら左近が続ける。「先輩も、悩んだり迷われることがあるんですね」
「ったり前だ」
 ようやく表情を動かすことに成功した八左ヱ門がにやりとして頭を軽く小突く。くすぐったそうに左近が首をすくめる。「俺だってまだ忍たまだ。えらい坊さんみたいにいくわけないだろ」
「それはそうなんですけど」
 照れたような笑顔で左近が見上げる。「でも、先輩はとっても強くてカッコよくて、それに僕みたいな低学年でもわかるような言葉で教えてくださるし…」
「よせよ、照れくさい」
 赤くなった顔を見られまいと八左ヱ門が夜空に眼をやる。「今日は乱太郎たちを探して疲れてるだろ? 少しは寝たほうがいいぞ」
「でも、先輩は…?」
 言われて急に眠気に気づいた左近が欠伸をかみ殺しながら訊く。
「俺なら大丈夫だ。ちゃんと見張っててやるから」
「はい…」
 すでに瞼の重さに耐えきれなくなった左近が寝言のような声で応えながら八左ヱ門の身体に頭を凭れる。
 -ありがとな、左近。
 傍らの寝顔を見下ろしながら八左ヱ門は心の中で話しかける。
 -悩んだり迷ったりばっかの俺だけど、お前のおかげでちょっと先が見えてきたような気がするんだぜ…。



<FIN>




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