学級委員長心得

庄左ヱ門三部作その3

 

落ち込んだ庄左ヱ門を、三郎がなぐさめています。

どうやら三郎は、庄左ヱ門には甘いようです。

 

 

 襖を閉じると、それまで堪えてきた涙がどっとあふれ出た。襖を背に、そのまま座り込んで、膝を抱えて顔を埋める。
 庄左ヱ門がやってきたのは、学級委員長委員会室だった。極端にメンバーの少ない学級委員長委員会の部屋には、委員会を開くとき以外にはまず誰もいることはなかった。今日は一年い組の今福彦四郎は演習に出てしまっていたし、五年ろ組の鉢屋三郎は今頃、自主トレに励んでいることだろう。ここなら、誰にも知られず泣くことができる、と庄左ヱ門は考えたのだ。
 -学級委員長なのに、ぼくは…。
 自分が情けなかった。滅多なことでは涙を流さないこの少年にとって、涙が流れるときというのは、自分の力が及ばず、大切な友人の力になれなかったときの悔し涙だった。
 誰もいない、誰も来ないことが分かっていても、大っぴらに泣くことは憚られた。声を殺して、背を丸めて、膝に顔を深く押し付けて、庄左ヱ門はただ忍び泣く。

 


 不意に襖が開いた。
「ん?」
 誰もいないと思った委員室に小さな影がうずくまっているのを認めて、三郎は首をかしげた。
 -庄左ヱ門?
 はっとして庄左ヱ門が顔を上げる。慌てて、袖で涙をぐいと拭う。
「どうしたんだい、こんなところで」
 あえて泣いていた事実には触れずに、三郎は声をかける。
「い…いえ、なんでもないです」
 立ち上がった庄左ヱ門は、背を向ける。

 


「なんでもないようには、見えんが」
「いえ、なんでもないです」
 涙声で、庄左ヱ門は繰り返す。だが、三郎には、その理由も見当がついていた。
「クラスで何かあったんだろう? それで、お前は学級委員長としてやるべきことができなかった…違うか?」
 自分に向けた背がぴくりと反応した。
 -図星だな。
 もともと、庄左ヱ門が自身のことでこのように涙を流す性分ではないことは、三郎にはよく分かっていた。
 

 

「でも…先輩。ぼくは、学級委員長なんです。クラスの誰よりも、しっかりしてないといけないんです…」
 小さな拳を握り締めながら、庄左ヱ門は言う。
 涙が伝う顔を見られたくないのか、庄左ヱ門は背を向けている。俯いた頭を覆う頭巾からぴょこりとのぞいた髷が、細かく揺れている。
 自分に向けたその背には、10歳の少年が負うには少々重すぎるものがあることは明らかだった。
 -彼に必要なのは、なによりもっと身軽になることだ。
 前から思っていたことだった。庄左ヱ門は、学級委員長という立場にあまりに縛られすぎている。それが庄左ヱ門のやり方であり、一年は組に必要とされるものであっても、そのようなことではこの先、自分が負う立場に押しつぶされてしまうだろう。特に庄左ヱ門のような、生真面目な人間には。
「庄左ヱ門」
「…はい」
 庄左ヱ門は背を向けたままである。
「お前がいま、必要なことはなんだと思う」
「もっと…もっと、学級委員長として、自覚を持ってしっかりすることでしょうか」
「違う」
「では…なんですか」
「笑うことさ」
「え?」
 涙が浮かんだままの眼で、庄左ヱ門は振り返った。そこにいるのは、いつものように不破雷蔵の顔で微笑む三郎である。
「聞こえなかったかい? 笑うことさ」
 何事もなかったように、三郎は繰り返す。
「でも…」
 庄左ヱ門は、また背を向けて俯く。
「いまは、そんな気になれません」

 


「そうかい?」
 三郎はにやりとして、一歩、庄左ヱ門の背に近づく。
「これでも笑えなかったら、たいしたものだ」
 三郎の影が急に覆いかぶさってきたかと思うと、背後から伸びてきた手が、庄左ヱ門の腹やわき腹をくすぐり始めた。
「え…な、なにをするんですか…ははは…くすぐったい…」
 突然のことに、くすぐる指を払うこともできず、庄左ヱ門は笑い転げる。
「ほらほら、まだまだ…」
 ごろりと床の上に転がって笑う庄左ヱ門にまたがって、三郎はなおもくすぐり続ける。
「や、やめてくださいせんぱ…い、く、苦しいです…」
「まだだめだな…もっと笑ってからだ…!」
「ひ…いや、もうじゅうぶん笑いました…もうこれ以上、笑えません…」
「ホントか?」
「ほんとうです、本当ですから…」
「よし、いいだろう」
 ようやく三郎の指から解放されて、庄左ヱ門は、ぐったりと床の上に伸びる。
 その横に、三郎も頭の後ろで腕を組んで、ごろりと寝そべる。荒い息が落ち着くまで、しばし言葉が途切れる。

 


「…たしかに、庄左ヱ門が学級委員長をやっている一年は組は、いろいろ大変みたいだな。山田先生から伺ったことがある…お前が学級委員長でなかったら、とてもまとまらないだろうって」
 寝そべって天井板を見つめたまま、三郎は諭すように言う。
「…いえ、そんなことは…」
「だがな、お前には不本意かもしれないが、学級委員長はそんなに頑張るような仕事ではないんだぞ」
「でも…」
 傍らから自分を見つめる円い眼に力がこもった。
「いいか。他の委員会は、それぞれ決められた仕事がある。逆に言えば、決められたことをやってさえいれば、ある程度は役割を果たしたことになる。だが、学級委員長にはそれがない。なにをすべきかは、自分で考えなくてはならない。学級委員長が難しいとすれば、それだ」
「はい…」
「だが、クラスがまとまってさえいれば、何もしなくてもいい。そう思わないか? では、そのために、学級委員長はなにをすべきか」
「…」
 庄左ヱ門が、真剣な眼で聞き入っている。
「心を大きく持って、どっしり構えていればいいのさ。クラスのためになにができるか、走り回って考えるのもひとつのやり方かもしれないが、それでは体が持たないし、学級委員長に対する期待値が上がってしまう。だから、なにか問題が発生したときに的確に対応するだけにして、あとは、いつも眼を配っているそぶりをすればいい。それだけでクラスのメンバーは安心して、まとまるものさ」
 そこまで言って、そっと庄左ヱ門をうかがう。庄左ヱ門は半身を浮かせて聞き入っている。
「もちろん、どのようにクラスに接するかは、それぞれのやり方だ。僕は面倒くさがりだからこうしているが、庄左ヱ門には、庄左ヱ門なりのやり方があるだろう。だけど、ムリをしてはだめだ」
 -これが、いちばん重要なことなのだ。庄左ヱ門にとって。
 ふたたび庄左ヱ門に眼をやる。一言も聞き漏らすまいと身体を寄せている庄左ヱ門の肩に手を置いて、三郎は続ける。
「学級委員長には、決められた仕事はないと言っただろう? ということは、放っておくと仕事が無限に増えてしまうことだってあり得る、ということなんだ。だけど、学級委員長だって、所詮ひとりの忍たまなんだから、スーパーマンになる必要なんてぜんぜんない。自分のできるところまでやればいい。その境目を自分で見つけて、みんなにも分からせておくことが、いちばん大事なことではないかな」
 よっと起き上がった三郎が、胡坐をかく。庄左ヱ門も起き上がって端座する。
「だからさ、庄左ヱ門に言っておきたいことが一つある」
「…なんでしょうか」
「『学級委員長として』という言葉は、週一回以上言わないこと」
「週一回以上は、だめですか…」
「そうだ。これは、僕からの指示だ」
「はい…がんばります」
「そうだな…学級委員長としては頑張らなくてもいいが、僕の指示は頑張って守ってもらわないとな」
「はい!」
 庄左ヱ門の眼に、いつもの自信が戻ってきた。
「よし。それでこそ、学級委員長委員会のメンバーだ」
 三郎の微笑みに釣られるように、庄左ヱ門の表情にも笑顔が戻る。

 


 -庄左ヱ門。10歳のお前が、眉間にしわを刻むなんて、まだ早すぎるから。10歳児らしく、天真爛漫に笑えよな。

 

 

<FIN>