冬の怪談

 

無自覚に迷子になりまくる三之助ですが、実はそれは三之助だけに見えてしまう何かに導かれて無自覚に足を進めたゆえのことだとしたら…という妄想から発生したお話です。

そして、そんな危うさを抱えた三之助をとどめるのが作兵衛と左門だったらいいな、と。

 


「てへ、すまない作兵衛。また迷っちゃってさ」
 頭をぽりぽりと掻いた三之助が小さく舌を出す。
「てへ、じゃねえよ…ったく」
 三之助をくくりつけた迷子縄の端を握りしめた作兵衛が下草を踏みしだきながらずかずかと歩く。例によって裏山での校外実習で行方不明になった三之助を散々探し回った末に発見し、迷子縄でしっかりと身柄を確保してクラスメートたちのもとに連れ戻るところだった。「だいたいさ、なんであんな崖っぷちをウロウロしてたんだよ。お前見つけたときには崖から落ちんじゃねえかってヒヤヒヤしたんだぞ」
 いかにも危なっかしい足取りで崖っぷちを歩いていたのを発見したときのことを思い出しただけで手にじっとりと汗がにじむのをおぼえる作兵衛だった。
「ああ、それはさ…」
 う~ん、どうしてだろ…と三之助が首をひねる。「なんか、あっちの方だっていう気がしたんだよね。こう、誰かに指し示されたみたいな」
「そのお前の感覚、1000パーセント違ってっから」
 ぷりぷりしながら作兵衛が言う。「てかむしろ、そんな訳の分かんねえ感覚がしたときには、それと反対方向に行ってくれよ…そしたらちょっとはまともな方向に進むかもしれねえからさ」

 

 

 ひょう、と冷たい風がグラウンドを吹き渡ると、土煙がちいさく渦を巻いて駆け抜けていった。
「うへぇ、さぶさぶ」
 震えあがった三年ろ組の生徒たちに向かって教師が声を上げる。
「よし、それではこれより三年ろ組のオリエンテーリングを始める。すでに地図や食料は教室で渡してある。地図はグループごとに違うコースとなっているからくれぐれもなくさないように。なお、今回は夜間宿泊訓練も兼ねているから、地図上に示された宿泊地点で各自野営するように。いかにこの寒さをしのいで朝まで過ごせるかもポイントになる。オリエンテーリング中の行動はすべてレポートとして提出することを忘れるな。では出発!」
 一気に説明を終えた教師が唐突にスタートを告げ、グループに分かれた生徒たちがわらわらと校門から駆け出す。

 

 

「こっちだ!」
「そっちだ!」
「こっちでもそっちでもねえ! あっちだっ!」
 オリエンテーリングのコースとなっている裏裏山に向かいながら、すでに作兵衛の手には迷子縄がしっかりと握られている。
「なあ、作兵衛」
 先に立って歩いていた三之助が振り返る。
「なんだよ」
「なんで俺たち、迷子縄につながれてのさ。グループ行動なんだから、いらないんじゃね?」
「そうだぞ作兵衛! 僕たち、グループなんだから協力しようぜ!」
 左門が尻馬に乗ったように言う。
「お前らな、どの口がそんなこと言いやがる…」
 迷子縄を握りしめる作兵衛のこめかみにはすでに青筋が浮いている。
「こんな口!」
「こんな口!」
 大きく口をあける三之助とにかぁっと歯を見せる左門に、怒る気力もなくした作兵衛ががっくりと肩を落とす。
「ああもう、とにかく地図は俺が見る。お前らとにかく黙ってついて来てくれ…じゃねえと夜までに宿泊地点に着けねえからさ…」

 

 

「おっかしいな…そろそろ宿泊地点の祠があるはずなんだけどな…」
 地図と周囲を互い違いに見ながら作兵衛が顎に手を当てて考え込む。
「てか、裏裏山にこんな道あったか?」
 左門がきょろきょろする。山中の道はすっかり葉を落とした森を縫って続くが、早くも傾き始めた陽に足元が暗くなり始めていた。
「う~ん、地図見たときには通ったことのある道だから楽勝だと思ってたんだけどな…勘違いだったかな。俺もこんな道は初めてだ」
 途方に暮れたように頭を掻きながら作兵衛がふたたび周囲に眼をやる。遠くの山並みが見えればその形から現在地を推定できるかと思ったが、高い梢が山道を覆っていてそれも難しかった。日が暮れるにつれ、その梢が大きく揺れ、森ぜんたいがごうごうと鳴動しているように聞こえた。
「…」
 作兵衛と左門が地図を見ながらあれこれ話している間、三之助はぼんやりとその鳴動に耳を傾けていた。なにか嫌な感覚をおぼえていた。時折冷たい風が吹きおりてきて髷を大きく乱しても、なおその正体を突き止めるべく耳を澄ます。

 


「おー、作兵衛! 宿泊地点が見えたぞ!」
 難しい顔で地図を睨んでいる作兵衛から数歩ほどひょこひょこ歩いた左門が眼の上に手をかざしながら言う。
「え?」
 作兵衛が顔を上げる。
「ほら、あれだ!」
 ずいっと左門が指差した先に小さな堂があった。
「え…あれ?」
 反射的に嫌な予感が過ぎった三之助だったが、「おー、あれか」と言いながら歩く作兵衛と迷子縄に引っ張られて堂へと向かっていく。
「なんだ。祠っていうからちっちゃいもんだと思ったら、これなら中に入れるな」
 格子戸をあけて堂内に片足をかけた左門がきょろきょろと中を見廻す。
「やれやれ、何とか暗くなる前に宿泊地点に着いてよかったぜ」
 堂の前の段に腰かけた作兵衛がほっとしたように荷物を解く。
「ここに泊まるのは僕たちだけなのか?」
 さらに堂内に足を踏み入れた左門が言う。「泊まるところはみんな同じかと思ってた」
「グループごとにコースが違うって先生が言ってたろ?」
 左門の背後から堂の中を覗き込んだ作兵衛が言う。「とにかく中に入ろうぜ。寒くてしょうがねえ」
 いまや山中は急速に暗くなっていた。重く垂れこめた雲から白い切片が舞い始め、さらに強くなった風が凍えるような寒さを運んでくる。「どうしたんだよ、三之助。早く入れよ」
 まだ堂の前で立ちすくんでいる三之助に作兵衛が声をかける。
「あ、ああ…」
 曖昧に返事をした三之助が後に続く。なにか引っかかるものを感じながら。

 

 

「で、飯はどうするんだ?」
 どっかと胡坐をかいた左門が期待に満ちた視線を作兵衛に向ける。
「飯? 忍者食に決まってんだろ?」
 懐から取り出した忍者食を掌に載せた作兵衛がぶっきらぼうに言う。
「え? 飯とか炊かないの?」
 何かを探るように堂内を検分していた三之助が、露骨に失望した声を張り上げる。
「そうだそうだ! 飯にしようぜ、飯!」
 左門が気軽に同調する。
「あのさ、次屋くん、神崎くん」
 忍者食を水筒の水で流し込んだ作兵衛が揶揄するようにゆっくりと言う。「この状況で、どこで火を起こせるものか教えてもらえます?」
 板張りの堂内では火を起こすなど論外だったし、外はいつの間にか吹雪となっていた。
「う~む、ムリだな!」
 あっさりと頷く左門に「そうだな」と三之助が無自覚に同調する。
「分かってんならムダに腹減るようなこと言うなよ」
 ぶつくさ言いながら作兵衛が荷物を包んでいた風呂敷を広げる。「よし、食うもん食ったら寝るぞ」
「え? もう寝るのか?」
 素っ頓狂な声を上げる左門に作兵衛が声を震わせる。
「あのよ、ボケもいいかげんにしろよな…こんな状況で灯なんかあるわけねえだろ。それともお前、なにか灯の代わりになるもん持ってるのかよ」
「ないな!」
 あっさり宣言した左門がごろりと横になる。「でも、寒くて眠れる気がしないんだけど」
「あ、俺も」
 膝を抱えてうずくまった三之助が頷く。「だいたいさ、こんなに風が吹き込んでたんじゃ風邪ひくよ?」
 堂の三方は板壁で囲まれていたが、正面の格子戸からは吹雪が吹き込んでいる。
「ジャーン! これを見よ!」
 待っていたようにドヤ顔になった作兵衛が手にした風呂敷を広げる。と、広げられた風呂敷の後ろから数枚の風呂敷がふわりと床に落ちた。「どうだ! 風呂敷の予備を持ってきたんだぜ? すげえだろ!」
「「で?」」
 ぽかんと見つめる2人の突っ込みに作兵衛が脱力する。
「『で?』じゃねえよ! この風呂敷で身体を覆えば風も防げるだろ!」
「あ! つまり作兵衛だけぬくぬく温まろうってわけだな!」
「ずるいずるい! 俺たちもあったまりたい!」
 駄々をこねるように口をとがらせる2人に作兵衛が額に手を当てる。
「あのなあ…俺一人だけでそんなことするわけねえだろ! こうやるんだよ!」
 言いながら自分の数枚の風呂敷と左門と三之助の風呂敷を結び合わせる。「こうやって一枚の長い布にして…」
「どうすんの?」
「俺たちが身体をくっつき合わせてその周りにこの風呂敷を巻きつけるんだよ。そうすればお互いの体温で温めあえるし、風呂敷で体温が奪われるのを防げる。どうだ!」
 言いながら自分の両脇に左門と三之助を据えた作兵衛が、三人分の身体をつなぎ合わせた風呂敷でぐるぐると覆う。
「おお」
「確かにあったかい」
「だろ?」
 得意げに作兵衛が小鼻をひくつかせる。
「よっ、さすがろ組のスター!」
「よっ、さすが用具委員会のホープ!」
 すかさず左門と三之助がはやし立てる。
「よっ、さすが頼りになる作ちゃん!」
「よっ、さすが先輩キラーの作ちゃん!」
「…おめーら、からかってんだろ…」
 調子よくさえずる2人に、作兵衛が渋面で突っ込む。
「ま、何とかもおだてりゃ木に登るっていうからな!」
 何のためらいもなく言い切る左門に作兵衛が「やっぱそうなのかよ」と脱力する。
「ほへっ」
「おわっ」
 脱力した作兵衛に引っ張られるように、左門と三之助の身体もごろりと床の上に転がる。
「丁度いいや。このまま寝ようぜ」
 山中を歩き回った疲れに急に襲われた作兵衛が大きくあくびをする。
「てか、作兵衛の身体って熱いんだな。子ども体温か?」
 作兵衛の身体に触れた腕にかっかと熱を感じた三之助が言う。
「うっせ! 俺には熱い血がたぎってんだよ!」
「へ~え」
「あっそ」
「なんだよその反応はっ!」

 


 -…。
 顔面を冷やりとした感触が過ぎって三之助は眼を覚ました。そして、すぐ側で覆いかぶさるような人の気配らしきものを感じた。
 -作兵衛か左門が起きたのかな?
 眼を閉じたまま三之助は考える。だが、自分の隣にくっついた作兵衛は健やかな寝息をたてている。その隣の左門の寝息も聞こえていた。
 -ということは…。
 そこにいるものの正体を、すでに三之助は把握し始めていた。
 -お前だな…!
 思いながら思い切って眼を開く。暗い堂内に白い影が見えた。その影は作兵衛と左門の上に覆いかぶさっていた。
 -!
 白い影がふいに三之助に顔を向けた。
 -なんて…きれいな人なんだろう…!
 白い影は、白い着物をまとった凄絶なまでの美女だった。濡れそぼった長い黒髪がいく筋も背に垂れ、その眼は凍りつくような冷たい光を放っていた。
 女が三之助に眼をやったのはほんの短い間だけだった。ふたたびその顔は眠りこける作兵衛と左門に向けられる。と、女の顔が作兵衛の顔に近づいていく。
 -やめろ!
 女がその唇からふっと息を吐いたとき、相手の身体は一瞬にして体温を喪って死に至る。或いはその唇を男の唇に重ねられたとき、男の身体から精が吸い取られてやはり死に至る。いま自分の目の前にいるのは、仲間たちの命を奪いにやってきた雪女だった。そして、三之助は、この堂に感じたいやな気配の正体をまざまざと眼にしているのだった。
 -やめろ! 作兵衛と左門に手を出すな!
 金縛りにあったように身じろぎひとつできないまま、声にならない声で三之助は叫ぶ。
 ≪ここは私のテリトリーだ。入って来たものをどうしようが私の自由だ。≫
 ふたたび顔を向けた女がかすかに唇を動かした。その声は外の吹雪の音にかき消されて耳に届かなかったが、何を言っているかははっきりと脳に直接届くように理解できた。同時に身体の奥底から一気に凍み上げてくるようなぞっとする冷たさを感じた。
 -くっそ…作兵衛も左門も俺のだいじな友だちだ! お前なんかに殺されてたまるか!
 いつもなら三人でわいわい騒ぎながら事に当たるのだが、いまは一人である。と、寝返りをうった左門に押されて、作兵衛の身体が押し付けられてきた。熱を発する身体がいっそう三之助を暖める。
 -あったかいよ…作兵衛の身体が湯たんぽみたいにあったかいから、俺はコイツに氷づけにされずに済んでるんだ…。
 そう自分を鼓舞しながら三之助はぐっと力を込めて女を睨んだ。
 -それ以上、作兵衛たちに近づいてみろ、2人を起こすからな!
 ≪たかが人間の子供が、私の力に勝てると…?≫
 -ああ、勝てるさ!
 意識ははっきりとして女に言い返すこともできるのに、身体は硬直したままだった。そして、身体の芯に巣食うずしりと冷たい氷のような感覚と、作兵衛の身体から伝わる熱がせめぎあう奇妙な感覚がしばし拮抗していた。
 -もう少し…もう少し作兵衛の熱があれば…。
 もはや女はぎりぎりまで作兵衛に顔を近づけていた。生命維持装置のように三之助の意識を辛うじてつなぎとめていた作兵衛の放つ熱が、次の瞬間にも奪われるかに思われた。と、「んん…」と唸りながら作兵衛が寝返りを打った。作兵衛の片腕が三之助の身体の上に載り、その身体はより密着してきた。
 -よし、いいぞ作兵衛! お前の体温があれば…!
 力を得た身体が徐々に身体の芯の氷を溶かしていく。そして、女の姿は徐々に薄れていった。

 

 

 

 

「おっかしいよなあ。どこで迷ったんだろ…」
 演習を終えてクラスメートたちと学園に戻る道中、しきりに首をかしげながら歩く作兵衛だった。
「だな。宿泊地点がみんな同じ場所だったなんて聞いてなかったよなっ」
 左門もぶつくさ言いながら並んで歩く。
「地図の読みかた間違ったはずないんだけどなあ」
「僕だって間違えずに作兵衛について行ったぞ!」
 ぼやきながら歩く二人の後ろを、三之助が黙ってついて歩く。
 -あの時、俺は嫌な予感がしたのに作兵衛たちが堂に入っていった。てことは、いつもと違って作兵衛たちが雪女に引き寄せられたってことなのかな…。
 いつもなら自分がそのような気に導かれるように道に迷っているのに、今回はどうやら違うようだった。
「どう思う、三之助」
 唐突に問いかけられて三之助はびくっと背を震わせた。
「え!? なにが?」
「聞いてなかったのかよ…」
 呆れたように作兵衛が肩をすくめる。「俺が地図を見間違えたのかってこと」
「そ、そんなことないんじゃない?」
 取り繕うように言いながら作兵衛たちは果たして昨夜のことを意識しているのだろうかと考える。
「だよなあ」
 ふたたび歩きながら作兵衛は首をひねる。「どう見てもあの道しかなかったんだけどな…」
「ま、そういう方向に地図を見たんじゃない?」
「そういう方向?」
 三之助が付け加えた台詞に作兵衛が顔を向ける。
「そ。なんかそっちに行きたくなっちゃったとか、呼ばれちゃったとか」
 作兵衛に引き寄せられた意識があるのか確かめたくなった三之助だった。
「え? ないない」
 一瞬弾かれたように眉を上げた作兵衛だったが、すぐに片掌をひらひらさせながら言う。「そーゆー無意識ってか無自覚なの、俺にはないから。三之助と違ってさ」
「そっかなあ」
「そうそ。ま、いっけどさ。ゴールはできたわけだし」
 これ以上考えても仕方がないと思ったのか、さばさばした表情になった作兵衛が先頭に立って足を速める。
 -そうだよな。ま、いっか。
 迷子縄に引っ張られて足を速めながら三之助も考えを巡らせる。
 -アイツらがまた作兵衛たちを連れて行こうとしたら、俺が止めてやればいいだけだし…!

 

 

<FIN>

 

 

 

 

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