委員長と委員長代理の間

 

五年生と顧問シリーズ第二弾、生物委員会です。

生物委員会委員長代理の八左ヱ門は、明るいムードメーカーの一方で、とても真面目な面をもっていそうな、そんな感じがします。

以上すべて、アニメ第19期の「生物委員会委員長代理の段」から派生した妄想ですが、何事にも一生懸命な八左ヱ門を珍しく(?)穏やかに諭す木下先生の図って、なんかいいですよね。(←同意を求めるな)

 

 

「よっ、兵助」
 襖をがらりと開けて火薬委員会の部屋を訪れたのは、八左ヱ門だった。
「あ、竹谷せんぱい」
「やあ、八左ヱ門。なんだい」
 火薬を調合していた兵助と伊助が振り返る。
「持ってきてやったぜ、例のもの」
 八左ヱ門は、腰に提げた袋を突き出した。
「やあ、いつも済まないな」
 にっこりしながら受け取る兵助に、伊助が訝しげに訊く。
「先輩、それなんですか」
「これか? これはオオカミの糞だ」
「オオカミの…フン!?」
 伊助の声が上ずる。
「まだ習っていないのか? これは、狼煙に使う。オオカミの糞は煙が多く出ると言われていて、通信用に煙を上げるには都合がいいんだ。狼煙を狼の煙と書くのはそのためだ」
「いや、習いましたけど…でも、オオカミのフンなんて、どこで手に入れるんですか? もしオオカミに会っちゃったりしたら、キケンじゃないですか」
「なに、簡単なことさ…俺の知り合いのオオカミから分けてもらってるからな」
 腰に手を当てた八左ヱ門がにやりとする。
「知り合いの…オオカミ?」
「そういうこと。じゃぁな」
 唖然とする伊助をよそに、軽く片手を振ると八左ヱ門は部屋を後にした。

「知り合いのオオカミって、どういうことなんですか?」
 袋の口を解いて中身を確認している兵助に、伊助は訊く。
「ああ、裏裏山のあたりにオオカミの縄張りがあるらしくてな。時々鉢合わせすることもあるらしいが、知り合いだから襲われることもないって言ってたな」
 淡々と説明する兵助に、伊助はふたたび口をあんぐりと開けた。
「…信じられない」
「それなら、こんど八左ヱ門に訊いてみたらどうだ? きっと、知り合いの群れのこと、もっとよく教えてくれるさ…よし、これだけあれば、当分演習で使う狼煙には不自由しないな」
 満足したように頷いた兵助は、ふと八左ヱ門が去ったあとの襖に眼をやる。
 -ちょっと疲れてたようだな…。
 気がかりそうな兵助の表情を、伊助が怪訝な面持ちで見つめる。

 


「え~っと…孫兵のやつ、日誌をどこに置いたんだ?」
 委員会の日誌を探していた八左ヱ門が、生物委員会の部屋をごそごそ探していたところへ、小さな足音が伝ってきて襖が開いた。
 -お、だれだ?
 振り向いた八左ヱ門の眼に映ったのは、期待に眼を輝かせた一年生の後輩たちだった。
「せんぱ~い!」
「たけやせんぱ~い!」
 三治郎たちが駆け寄る。
「お、どうしたぁ」
 自分の身体にまとわりつく後輩たちの頭を撫でながら、八左ヱ門は反射的に笑いかける。
「どこ行ってたんですかぁ。さがしてたんですよっ」
「ぼくだって…教えてもらいたいことがあるんです!」
「ぼくも、聞いてほしいことがあって…」
 自分を見上げながら口々にさえずる後輩たちを見ると、つい応じてやりたくなる自分が、我ながらおかしかった。
 -親鳥と同じだな。
 親鳥は、ヒナの赤い口を見ると、エサを与えたくなる本能が働くという。まだ小さい後輩たちに見上げられると、つい世話を焼きたくなる自分と同じではないか。
「わかったわかった…それじゃ、順番に聞いてやるからな。で、三治郎は何の用だ?」
 胡坐をかいた八左ヱ門の前に宿題を広げながら、三治郎が分からない部分を説明しようとする。ふんふんと頷きながら、不意に首筋に手を置いて考える。
 -まいったな…はやく顧問の木下先生に委員会の日誌を出さないといけないし、次の委員会の会議の日程を六年生たちに聞いて決めないといけないのにな…。

 


「なあ、八左ヱ門」
「おう、なんだ?」
 夜の忍たま長屋の兵助の部屋には、兵助と八左ヱ門がいた。オオカミの糞の礼に夕食をおごるよ、と兵助が声をかけて、食事の後もそのまま兵助の部屋で話を続けていた。いま、兵助は文机に向かって委員会の日誌をつけ、八左ヱ門は壁に寄りかかって草紙を開いている。
 -そういえば、日誌は孫兵にまかせっきりになってるな…。
 あのあと、結局日誌は孫兵が自室に持ち出していたことが判明した。すぐ持ってくるよう言ったが、孫兵はすでに記入して提出してしまったと答えた。そんなこんなでここ最近、委員会の日誌は目を通してすらいなかったことを思い出した。
「伊助が驚いてたぞ」
 平助の声に、我に返る。
「ああ、オオカミのことか?」
 八左ヱ門が、草紙に落としていた視線を上げた。傍らの燭台の灯が顔に映える。
「ああ」
 筆を動かしながら、兵助は答える。
「ま、そうかもな」
 手にしていた草紙を傍らに置くと、八左ヱ門は大きく伸びをした。
「…でも、慣れるとかわいいもんだぜ」
 ごろりと横になって頭の後ろで手を組む。
 -そういえば、あの連中と仲良くなって2年になるんだな。
 思えば、怖いという感情は一度も抱いたことがなかった。それはなぜだろうと記憶をまさぐるうちに、八左ヱ門は2年前のことを思い出していた。

 


 三年生だった頃、裏裏山に鍛錬に出かけた八左ヱ門は、練習に疲れて木陰で昼寝をしていた。
 何かの気配に気づいて目覚めた八左ヱ門の視界に初めに飛び込んできたのは、自分の周りをぐるぐると動き回る獣の影だった。
 -?
 状況を把握するのに少し時間がかかった。そして、自分が数頭のオオカミに囲まれていることにようやく気づいた。
 -そうか。オオカミか。
 不思議と、恐怖は感じなかった。襲うつもりならとっくに襲っているはずである。そうしていないということは、自分に関心を持っているのかもしれないし、少なくとも襲うつもりがないことは直感的に分かった。
 ただ、突然身を起こすと相手を驚かす可能性が高かった。それが不測の事態を招くことは、生物委員として多くの生き物に接していた知識が教えていた。だから、仰向けになっていた身体を横向きにして、片肘をついたうえに頬を乗せて、寝そべったまま相手に向き合った。群れのリーダーらしい一番大きいオオカミに眼を合わせる。かすかなうなり声を漏らしていたオオカミが近付いてきて、くんくんとにおいを嗅ぐ。
 -俺は、竹谷八左ヱ門だ。よろしくな。
 動かずに相手の嗅ぎまわるにまかせながら、八左ヱ門は声にはださずに呼びかける。
 ひとしきり八左ヱ門の身体をかいだオオカミは、ふさふさした尻尾を向けると、何事もなかったように森の奥へと姿を消した。遠巻きにしていた群れも後に続く。実にそっけない態度だったが、八左ヱ門には、自がすでに敵としては認識されていないことが分かった。
 それから八左ヱ門は、何度も裏裏山に行ってはオオカミの群れと会ってきた。会ったといっても、4~5間離れたところに寝そべって見ているだけだったが、オオカミのほうもいつしか八左ヱ門の存在を意識していないように振舞うようになっていた。そして、八左ヱ門は、オオカミの群れの様子をじっくり観察することができたのである。
 間近で観察するオオカミの群れは、八左ヱ門にとって刺激的だった。とりわけ群れのリーダーがほんのわずかの仕草でメンバーを統率している姿は魅了的だった。それ以来、いつか、自分も後輩たちを導く立場になった暁には、あのようになりたいという憧れを抱くようになっていた。だから、八左ヱ門は、何度となく裏裏山に足を運んでは、オオカミたちの群れの来訪を待ちわびるようになった。上級生になるにつれ、リーダーシップに惑うときには、いつも彼らが無言の答えをくれるように思えたから。
「どうかしたか、八左ヱ門」
 ふいに兵助の声がして、我に返る。いつの間にか壁にもたれたまま眠っていた。すでに日誌をつけ終えて文机も片づけた兵助が、気がかりそうに軽く首を傾げてみている。
「な、なんでもないぜ」
 慌てて身を起こす。
「そうかな」
 疑わしそうに兵助は言う。
「…俺には、ずいぶん疲れてるように見えるけど」
「んなことねえよ!」
 しゅたっと飛び上がった八左ヱ門は、右腕を捲り上げて力こぶを作ってみせる。
「でも、委員会の仕事で…」
「んなことよりさ…」
 強引に兵助の言葉を断ち切って、八左ヱ門は明るく声を上げる。
「…早くフロ行こうぜ、兵助!」 

 


「どうかされましたかな、木下先生」
 生物委員会の日誌に眼を落としたまま考えこんでいた鉄丸は、声をかけられていることに気づくのが遅れた。
「これは…山田先生」
 目の前にいたのは伝蔵だった。
「お邪魔でしたかな…学園長からの決裁書類をお持ちしたのですが」
「いやいやこれは…わざわざ恐れ入る」
 学園長が決裁した書類を受け取りながら、鉄丸はつとめて普通の口調を装った。だが、心ここにあらずな様子に、伝蔵は首をかしげる。
「考えごとでもされていましたかな」
 それならばお邪魔でしょうから、と腰を浮かせかけた伝蔵に、声をかける。
「山田先生」
「なんですかな」
「その…」
 口ごもる鉄丸に常とは異なるものを感じて、伝蔵は首をかしげた。いつもは豪快で決然とした鉄丸が迷っている姿は、初めてではないかとふと考える。
「私でよければ、うかがいますよ」
 ふたたび腰を落とした伝蔵は、そのまま黙って次の言葉を待った。
「つまりその、ですな、竹谷八左ヱ門のことなのだが」
 ようやく鉄丸が口を開いた。
「竹谷がどうかしましたか」
「最近、少々ムリがたたって疲れているのではないかと思うのです」
「どうしてそうお考えになるのですか」
「これです」
 ため息をつくと、鉄丸は文机の片隅に置かれた委員会の日誌を手に取った。
「最近、日誌の記載が三年生の伊賀崎孫兵ばかりになっている。どうやら竹谷に見せずに出しているらしい。その証拠に、竹谷がどれだけ仕事が多いかということばかり書いてきておる。竹谷が目を通していれば、書いてくるとは思えん内容だ」
「なるほど」
「実は、私のクラスの久々知からも、竹谷がムリをしているのではないかと聞いたことがあったので、私としても気をつけて見ているようにしていたのだが…」 
「久々知と竹谷は親しいですからな」
「そうです。久々知も言っておったが、主に委員会関係で、彼の負荷が多くなっているようだ…生物委員会は下級生が多いのに、上級生は竹谷のほかには三年生の伊賀崎しかおらん。伊賀崎もまた、本人としては努力しているのだろうが、まだ竹谷の戦力になっているようには見受けられん。それに、委員長代理として各委員会の代表会議にも出なければならんし、もちろん五年生としてのカリキュラムもこなさなければならない」
「…なるほど」
 腕を組んだ伝蔵が頷く。なるほど、それは五年生が一人で背負うには重過ぎるだろうな、と考えながら。
「それに、竹谷はあの性格です…いつも笑って苦労しているところを隠そうとする。実際、彼が疲れていることに気づいているものは少ないでしょう」
「そういえば、私のクラスで生物委員の虎若と三治郎は、たまに宿題をきちんとやってくるときは竹谷に教えてもらっているようですな」
 半助から聞いた話を思い出した伝蔵が言う。
「竹谷が?」
「はい」
「そこまでやっているとは…そうでなくても、委員会の仕事も多いし、よく裏裏山まで鍛錬にも行っているというに…」
 ため息をついて鉄丸は伏せた頭を二、三度振る。八左ヱ門が裏裏山に行くときは、たいてい得意武器の鍛錬か、あるいは別の目的があることを知っている。
「竹谷は、低学年に甘いところがあるようですな。世話を焼きすぎるというか」
「そうですな。彼は責任感が強いから…だが、それ自体は悪いことではない。それをとりたてて注意するわけにもいかん」
 手にしていた日誌を文机に戻しながら、鉄丸は言う。その口調に、懊悩がにじむ。
「その通りだ…竹谷は責任感が強い。すべての仕事をきちんとやり遂げようとしてしまうのかも知れない」
 それは大切なことであるが、危険なことでもある、と伝蔵は考える。
「そんなことは、できるはずもない…竹谷はまだ五年生だ」
 伝蔵の懸念は、鉄丸にも伝わったようである。苦渋をにじませた声で続ける。
「…竹谷は、成績はぱっとしないが、あの性格で五年生のムードメーカーとして役割を果たしている。久々知など、あれのおかげでずいぶん救われているとわしは見ておる。そんな竹谷がこのままムリを続けたのでは、潰れてしまう危険がある」
「そうですな…彼には、優先順位というものを教えたほうがいいのかもしれない」
「優先順位…そうか、なるほど」
 深く頷いた木下が、伝蔵に眼をやる。
「…さっそく、指導するとしましょう」
「そうされるとよい」

 


「おーい、そっちはどうだぁ」
 放課後、生物委員たちは菜園の手入れに出ていた。いま、八左ヱ門と孫兵が鍬をふるい、一年生たちは雑草を抜いている。
「もうすぐおわりまーす」
 泥だらけの手で額をぬぐった三治郎が立ち上がりながら答える。
「そしたら、こっちの豆を植えてるほうも抜いてくれ」
「はーい…おわっ」
 返事をしながら歩きかけた三治郎の姿がふいに消えた。
「どうしたっ!」
 鍬を置いた八左ヱ門と孫兵が駆けつける。そこには穴がぱっくりと口を開いていた。
「落とし穴か…」
「深そうですね。誰がこんなものを」
「決まってんだろ。四年い組の穴掘り小僧だ」
 穴の淵から覗き込みながら、孫兵と話していた八左ヱ門は、こちらへ駆けてくる虎若たちに向かって声を上げる。
「おまえたちは、急いで縄を持ってきてくれ」
「「は~い」」
「そういえば、文化祭の時にずいぶん掘ってましたからね」
「ったくよ…おーい、三治郎ぉ! だいじょうぶかぁ!?」
 生物委員会の菜園を台無しにされたことを思い出して短く毒づいた八左ヱ門は、穴の底に向かって呼びかける。
「は~い…なんとか」
 か細い声が聞こえてくる。
「せんぱ~い、縄もってきましたぁ」
「よし。ご苦労だったな…お~い、三治郎ぉ! これから縄を下すから、しっかり身体に巻きるけるんだ…いいな!」
 穴の中に縄を垂らしながら呼びかけると、「は~い」と返事が響いてきた。やがて手ごたえがあって、三治郎が縄を結び付けている気配がした。
「よし、全員で三治郎を引っ張り上げるぞ…そ~れ!」
「「そ~れ」」
 全員で縄を引っ張りながら、ふと考える。
 -俺は、なにやってるんだろう。俺がやってることって、何か積み重なっているのかな…。
 日々の積み重ねが、忍として大成する基礎になると教師は言う。八左ヱ門も、その積み重ねの先にある忍としてのはるかな高みを目指していたはずだった。だが、自分がやっている日々の仕事をこなすということは、この深い穴に杓子で水を注いでいるようなもののように思えてならなかった。だが、穴は決して水で満たされることはなく、しかもそれは間違った方向の努力なのだ。
 -いけね。俺はなに考えてんだ。
 頭を振った八左ヱ門は、さらに腕に力を込めて縄を引っ張り上げる。
 -俺は、リーダーなんだ…。
 委員長不在の委員会を引っ張るのは、代理としての自分しかいない。だからこそ、必死で委員長代理としての務めをはたしてきた、つもりだった。だが、目の前のことをこなすだけで精一杯で、委員会をどのような方向に引っ張っていきたいかというものは皆目見えていなかった。ただ、このように余計な厄介ごとにかかずらっているうちに、委員会が本来進むべき方向から遠くなっていることはたしかなように思えるのだった。
 -だけど…。
 それは、綾部に菜園に穴を掘るなと注意すれば解決するようなものなのだろうか。
 -たぶん、違う。
 あえて言えば、綾部にそのようなことをいちいち注意することも、委員会を本来あるべき方向に導くこととは別の方向の努力なのだ。そのようなことをしている間は、結局は物事は前に進まない。
 -じゃ、俺はどうすればいいんだ!
 苛立ちを腕に込めて強く縄を引っ張る。と、ようやく小さな手が穴から出てきて、土まみれになった三治郎が這い出してきた。
「三治郎、だいじょうぶか」
 制服についた土を払い落としてやりながら、声をかける。
「はい! せんぱい、ありがとうございましたぁ!」
 真っ黒の顔のまま、三治郎はにっこりと笑う。
「三治郎、災難だったな」
「だいじょうぶ? ケガしてない?」
「はやく顔あらってきたほうがいいよ」
 集まってきた孫兵や虎若たちに付き添われた三治郎が井戸端へと向かう。その後ろ姿を見送りながら、八左ヱ門はなお考え込むのだった。
 -結局、「あるべき方向」って、なんなんだ?
 教師たちの言う日々の積み重ねとは、自分が前に進むことなのだろうか。それとも、委員会が前に進むことなのだろうか。
 自分が何に迷っているのかすら見失いかけて、八左ヱ門は苛立つ。
 -兵助は俺が疲れてるって言うけど、そうじゃないんだよな。 
 ふと、友人の顔が脳裏をよぎる。
 -兵助も、六年生がいない火薬委員会の委員長代理をやってるけど、アイツはなんであんなに淡々とやれてるんだろ。俺なんか、何にもできなくて同じところをぐるぐる回ってるだけみたいなもんなのに…。
 菜園に一人残された八左ヱ門は寂しげな笑みを浮かべると、ふたたび鍬を振るい始める。これ以上、埒もない考えにとらわれたくなかったから。

 


「失礼します」
「なんだ」
 放課後に、教師長屋の鉄丸のもとを訪れる八左ヱ門の姿があった。
「外出届をお願いします」
 差し出された届出に眼を通す。
「また、裏裏山で鍛錬か」
「はい」
「そうか」
 承認のサインを認めながら、木下は口を開いた。
「鍛錬もいいが…無理はするな」
「…別に、ムリなど」
「わしの眼をごまかせると思うな」
 ぴしゃりと木下がいう。
「お前が無理をしていることくらい、わしにはお見通しだ。その顔はなんだ。一週間くらい敵陣に潜ってたようなやつれ具合だぞ」
「そ、そんなことは…」
「原因はなんだ」
 見当はついていたが、あえて鉄丸は訊く。
「原因って、べつに」
「そうか? 委員会の日誌を読むだけでも、ずいぶん忙しいように見えるがな」
「日誌って…」
「伊賀崎はずいぶんお前を気遣っているようだぞ…仕事を一人で抱え込んでいるのではないかとな」
 -そんなことを…。
 孫兵が自分に日誌を渡さない理由が今更明らかになったことに改めて自分のうかつさを突き付けられた気がして、八左ヱ門は衝撃を受ける。
 -孫兵はしっかり俺のことを見ていたのに、俺はアイツのことをきちんと見ていなかった…。
「竹谷。この際だから言っておく」
 鉄丸の改まった口調に、思わず背筋が伸びる。
「は、はい」
「そう一人で仕事を抱え込むな。お前が思っているより、後輩たちは役割を任せることができるものだ」
「でも俺…僕は、生物委員会の代表で、後輩たちをまとめていかないといけないし…」
 -あいつらみたいに。
 ぐっと膝の上に置いた拳を握り締めながら、八左ヱ門は考える。
 -俺だって、あいつらみたいに、ちゃんと群れをまとめてやれるはずなんだ…!
 八左ヱ門にとって、いつも観察しているオオカミの群れは、自分が率いる生物委員会と被って見えてならなかった。 
 -俺はリーダーなんだ。だから…! 
 後輩たちを導いていかなければならない。そう考えることは、間違っているのだろうか。

 


「竹谷が一生懸命やっていることはわかっている…だが、顧問の眼からすると、委員長としての竹谷はまだまだだ」
 鉄丸の口から放たれた一言に、八左ヱ門の背筋がこわばる。
「…だが、委員長代理としては、十分やれている…その違いが分かるか」
「…わかりません」
 うなだれながら八左ヱ門はようやく答える。
「竹谷。おまえはまだ五年生だ。当然、六年生に求められるものとは違うものを求められている。忍術であれ、委員会を取りまとめる力であれだ」
「どういう…ことですか」
 訊いてからしまったと思った。いつもの鉄丸なら、「そんなことも分からんのか!」と怒鳴りそうだったから。だから、鉄丸が息を吸い込む気配に思わず首を縮める。
「…分からんか…まあ、それも無理もないことかも知れんな」
 鉄丸の口調は、案に相違して穏やかなままだった。
「いい機会だから話しておく。いいか、上級生になれば、いろいろなことをやらねばならなくなる。授業も高度になるし、委員会で責任ある立場にもなる」
 端座する八左ヱ門に眼を落としながら、鉄丸は少し言葉を切った。
「…だが、やるべきことはいくらでもあるが、それをこなせないときはどうするか…それを考えることだ」
「こなせないとき…ですか?」
 うなだれていた八左ヱ門が、上目遣いにちらと鉄丸に眼をやる。
「そうだ。そういうときはな、優先順位をつけねばならん。分かるか?」
「優先順位…でも、俺には難しいです」
 忍としての修行も大事である。だが、委員長代理として、委員会のこともやらなければならない。自分を頼ってくる後輩たちの面倒も見てやらなければならない。どれも、八左ヱ門にとっては重要で、順位をつけることなど不可能に思えた。
「何が最も大事か。それが見極められんようでは、忍としても大成できんぞ」
 低く言い切る鉄丸に、電流が走ったような衝撃を覚えて八左ヱ門は思わず顔を上げる。
「忍は、与えられた任務を果たすことが最優先だ。それ以外のことを顧みることなど余裕があるときの座興にすぎぬ…忍としての最低限の心得だが、上級生になっていろいろな役割を負うにつれて、忘れがちになることだ。だが、これを忘れては、忍としての任務どころか、命を永らえることもできなくなる。分かるな」
「…はい」
「生物委員会は生き物を扱っているから、一日たりとも世話を怠ることは許されない。それに、上級生が少なくて一年生が多いから、どうしてもお前に負担がかかってくる」
 鉄丸の口調がこころもち柔らかくなる。
「まして、お前は責任感が強い。自分のやるべき役割を認識して、それをやり遂げようとする…お前は十分それができている。委員長代理としてやれているとは、そういうことだ…だが」
 言葉を切った鉄丸は、膝に置いた掌を握りしめて上体を乗り出すように聞いている八左ヱ門に軽く目をやって続ける。
「優先順位を適切につけて、自分ができない分については他のものに任せる、任せられるように道筋をつける…委員長としてやれているとは、そういうことだ。分かったか」
「…はい」
「ならいい」
 軽く頷いた鉄丸は、外出許可証を手渡しながら言う。
「外出許可証だ。気をつけて行ってこい…だが、オオカミの観察もほどほどにするのだな…食われても知らんぞ」
「知って…らしたんですか」
 決まり悪そうに八左ヱ門は首を縮めて苦笑いする。
「当然だ。お前の行動など、この木下には筒抜けと思っておいたほうがいいぞ。だから、部屋で春本など見るのも大概にしておくのだな…がははは!」

 

<FIN>

 

 

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