Enhanced Sentiment

 

くく竹だか笹豆腐だかわからないものを書いてしまいました。とりあえずこの二人が好きです。互いを思う気持ちは同じくらい強いのに、普段はあまり言葉に出すことができなくて、でもふとした時にそれが現れてしまうような、そんな不器用な二人が大好きです!(←病んでます…)

 

 

「それでさ、木下先生に見つかりそうになったから俺が『失礼します』って言って逃げようとしたんだけど勘右衛門が転んじまってさ…」
「あははは…勘ちゃん、なにやってんだよ」
「うっせーよ。俺はただの通りすがりだったのによ…」
 放課後、渡り廊下にたむろしてにぎやかに話している五年生たちだった。その傍らを後ろ手にもったいをつけたように歩く大川がいた。と、その足が止まった。にぎやかな話声に振り返ると、いちばん手近にいた者の名を呼ぶ。
「竹谷八左ヱ門」
「は、はい」
 唐突に名を呼ばれた八左ヱ門が慌てて大川の前に駆け寄る。「なんでしょうか」
「ちょっと庵に来てくれんか」
 無表情に命じると、ふたたび渡り廊下を歩き始める。
「はい…」
 その背後を戸惑った表情で八左ヱ門が追う。
「どしたんだろな」
「さあな」
 渡り廊下に残された勘右衛門と三郎が、友人の後姿を見送る。

 

 

「ところで、伊助は何を買って来たんだい?」
 その頃、学園へ向かう山道を兵助と伊助が歩いていた。買い物に出ていた二人は偶然街で行き合い、連れだって帰るところだった。
「ああ、これですか?」
 背にした荷物を軽く振り返りながら伊助は言う。「はぎれとか糸とか、あとほうきです」
「ほうき?」
 兵助が首をかしげる。
「はい。学園のほうきでなかなかつかいやすいのがないので、自分でかっちゃうことにしたんです」
「へえ…たいしたものだな」
 几帳面な性格で、煙硝蔵の掃除も隅々まで抜かりない様子はいつも眼にしていたが、ついにマイ道具にこだわるようになったか…と思いながら兵助は応える。
「久々知せんぱいは、なにをかわれたんですか?」
 伊助が兵助の背の荷物を見上げる。
「ああ、俺か?」
 爽やかな笑顔を見せながら兵助は口を開く。「にがりさ」
「にがりって…おトーフにつかうやつですか?」
 伊助が目を丸くする。
「そうだ。いい豆腐を作るには、水や大豆も大事だが、にがりが決定的な役割を果たすのだ!」
 言いながら兵助は上機嫌に拳を突き上げる。「すっごい上等なにがりを手に入れたんだ! うまい豆腐ができるぞ。伊助にも食べさせてやるからな」
「はい! たのしみにしてます!」
 伊助も声を弾ませた次の瞬間、がさがさと藪が揺れて数人の男たちが前をふさいだ。
「誰だ!」
 とっさに伊助を背後にかばいながら兵助は懐の苦無を握りしめる。
「お前たち、忍術学園の生徒だな」
 兵助の誰何を無視して中央にいた男が一歩前に踏み出す。
 -く…。
 迂闊だった。話に夢中になって周囲の気配に気づけなかった。そして相手はプロの忍者らしかった。苦無や得意武器の寸鉄を持っているとはいえ、それだけでは相手になりそうになかった。それも、自分一人ならともかく、背後で怯えきっている後輩を守ってやらなければならなかった。
「せ、せんぱい…」
 震え声で伊助が兵助の背に身を寄せる。その身体を左腕でかばいながら、右手はなおも懐の中で苦無を構えるチャンスを狙っていた。
「お前たちはどこの忍者だ!」
 ひときわ凛とした声を張り上げる。そうすることでこの絶対的に不利な状況に呑み込まれることに抗おうとした。が。
「せんぱいっ!」
 一瞬のスキを衝かれて伊助の身体が引きはがされる。次の瞬間、伊助は敵忍者の手の中にいた。
「無駄な抵抗はやめることだな。でないとこのガキがどうなっても知らんぞ」
 中央の男が勝ち誇ったように言う。
「…わかった」
 呟いた兵助は、ゆっくりと懐の苦無から手を放すと、だらりと両手を下げた。そして中央の男を睨みながら口を開く。
「俺はどうなってもいい。だから、その子を自由にしてやってほしい」

 

 

 -ったく、なんで俺が学園長先生の密書なんか届けなきゃいけないんだよ…。
 内心ぼやきながら歩く八左ヱ門だった。学園長の庵で渡されたのは、多田堂禅あての密書だった。
 -いくら六年生が演習で留守だからって、俺一人で行かせることないじゃねえか。勘右衛門も三郎もとっとといなくなりやがるし…。
 多田堂禅あてということは、きっと新型の砲弾のことだろう。堂禅の作る砲弾の情報を狙う城は多い。誰か仲間に同行してもらおうとしたが、その時には三郎も勘右衛門も姿を消していた。
 -かといって雷蔵は図書当番だし…。
 雷蔵なら頼めば来てくれるだろうし、もれなく三郎もついてきただろう。だが、図書室の当番ということで申し訳なさそうに断られてしまったのだ。
 -ったく、うまくいかねえな…!
 腹の中で毒づいた八左ヱ門だったが、ふと頭上のカラスの声につられるように顔を上げる。
「あ…」
 気がつくと陽が暮れかかっていた。そもそも出発が遅かったことを思い出す。大川に「早くせい」と急き立てられるように出発したはいいが、途中で夜になってしまうことは自明だった。
 -しょうがねえな。どっか野営できるとこ探すか…。
 早く次の村まで行かねばと急ぎ足になった八左ヱ門の眼が、山道にぽつんと佇む辻堂を捉えた。
 -ラッキー! 屋根のあるところで寝られそうだぜ!
 辻堂に近づきかけたとき、階段に座り込む人物の影に気付いた。
 -うわ。先客アリかよ…。
 こんな時間にいるということは辻堂で一夜を過ごすつもりなのだろう。先方も一人でゆっくり眠るつもりだったかもしれないが、ここは割り込ませてもらうしかない。お互い気づまりな思いをすることは違いなかったが、外で寝るよりはマシである。
 すでに辺りは薄暗くなっていた。階段に腰を下ろした人物は顔を伏せていて、癖の強い前髪のシルエットが印象に残った。
 -うわ、近寄りがてえ…。
 内心怖気づいたが、野宿するよりは、と気を奮い立たせた八左ヱ門はあえて足音を立てながら辻堂に近づく。そして、思い切って声をかけることにした。
「あのう…こんばんわ」
 階段に掛けていた人物がゆるゆると顔を上げた。足を進めていた八左ヱ門が思わず立ち止まる。
 -兵助!

 

 

「驚いたな。どうして兵助がこんなところにいるんだよ。街に買い物に行ったんじゃなかったのかよ」
 おばちゃんに持たせてもらった握り飯を分け合って夕食にした二人は、辻堂の階段に並んで座っていた。すでに陽はとっぷりと暮れ、辻堂を覆う木々の枝の間から星空がのぞいていた。
「ああ。いろいろあって遅くなっちゃってね」
 応える兵助は伏せ気味の視線を地面に向けたままである。
「いろいろって何さ」
「いやその…」
 考えるように言葉を切った兵助だった。「街の豆腐屋さんと、俺の作った豆腐研究レシピについて語ったりしてたからさ」
「なんだよそれ…」
 思わず笑い声を上げる。「プロの豆腐屋さんに、豆腐の作り方を講釈しちゃったってわけか?」
「講釈なんてしてないけどさ…」
 照れくさそうに兵助は呟く。「やっぱ原料は大事だねって話をしただけさ」
「そっか。兵助らしいな」
 背後に手をついて夜空を見上げながら八左ヱ門は言う。「だけど、怒られない程度にしとけよ」
「わかってるよ」
 心なしか固い口調で応える兵助だった。「そろそろ寝ようか」
「だな」

 

 

「ねえ、なにこれ」
 怒気をはらんだ声が響く。
「な…なんだよ」
 たじろいだように男が後ずさりする。
「どうやったらこんなきたないのにガマンできるのかおしえてほしいんだけど!」
 アジトらしき農家は、生活用具が残っているところを見るとつい最近まで住民がいたらしかった。だが、いまは板の間や座敷まで土足で上がる忍者たちのせいで室内は汚れきっていた。伊助は自分の腕を捉える男の手を振り切ると、二三歩足を進めて鋭い眼で室内を一瞥してから向き直る。「ねえ、いままでだれかここをそうじしたことある?」
「いや、その…」
 そんなことは思い及びもしなかった、とは言いかねて男たちは黙り込む。
「わかった。ぼくがそうじしてあげる」
 背の荷物を解いて手箒を取り出すと、敢然と言い切る伊助だった。「ちゃんとキレイにしないと、ぼく、ひとじちになってあげないからね!」
 鋭い眼で相手を睨み据えて言い終わると、猛然と買ったばかりの手箒で掃除を始める伊助だった。

 

 

 -寝たか…。
 扉の外から虫の声が聞こえる。埃っぽい辻堂のなかで、いま、八左ヱ門は健やかな寝息をたてていた。
 -よく寝てるな…。
 扉に近い方に眠る八左ヱ門の顔に月明かりが差している。太い眉と日焼けした肌が精悍な印象を与える八左ヱ門だったが、眠りについた顔は少年らしくあどけない。寝息とともに上下する厚い胸に眼を移す。
 -八左ヱ門…。
 学園に入ったときからいつも傍にいて、そして明るい笑顔で導いてくれた男だった。いつも自分を気遣ってくれて、そしてなぜか自分の考えていることをすべて見通している男だった。いつも競い合ったり笑いあったりしている仲間たちの中でも、とりわけ親しくしていた友人だった。
 どれだけ親しい友人であっても、プロの忍となれば任務を背負って敵対することもあるだろう。そう頭で分かっていたつもりだったが、それはプロの忍になってからの話だとも思っていた。それなのに、まさか忍たまの身で裏切りを余儀なくされるとは思っていなかった。
 -ごめん、八左ヱ門…。
 伊助を人質に取られた兵助は、指令を受けていた。この山道を通る者が持つ密書を奪い取れと。お安い御用だと引き受けた兵助は、山道にある辻堂で密書を持つという者を待ち構えていた。しかし、それがまさか八左ヱ門とは。
 自分の行動は見張られていた。それが分かっていた兵助は、ともかく怪しまれないように八左ヱ門を引きとめて辻堂に泊まるように仕向けた。そしていま、自分は八左ヱ門から密書を奪おうとしている。もし目覚めた八左ヱ門に抵抗されたときは、容赦なく苦無を振り下ろすつもりだった。それが伊助を取り戻すための唯一の手段だった。
 -ごめん。俺、お前を裏切ろうとしている…。
 しばし八左ヱ門の寝顔に視線を向けていた兵助は、意を決したように腕を伸ばすと、そっと襟や袷を探る。
 -ない。
 密書をたくし込んでいればあるはずの不自然なふくらみがない。或いはあえて懐にしまっているのかもしれない。
 -…。
 もはや八左ヱ門の寝息も耳に届かない。全身の神経を集中させた指先を懐に差し込もうとした。そのとき、
「密書はそこじゃないぜ」
 唐突に降ってきた声に心臓が破裂しそうなほどの衝撃をおぼえた兵助だったが、次の瞬間、苦無を振りかざそうとする。だが、その手首を八左ヱ門が捉えた。
「なあ、兵助」
 身を横たえたまま、八左ヱ門はたとえようもなく悲しそうな眼で、のしかかるように苦無を握りしめた兵助を見上げた。
「俺、お前になら寝首を掻かれても別に構わない。それがお前のためになるなら…だけど」
 兵助の手首を捉えた手に力がこもる。「理由だけは…教えてくれないか」
「…」
 大きく眼を見開いて、何かを言いかけたように小さく口を開けていた兵助が少しずつ顔を伏せていく。黙ったまま八左ヱ門は辛抱強く待った。
 -!
 はだけた胸元に滴の感覚をおぼえてはっとする八左ヱ門だった。視線を兵助に向ける。
「く…」
 歯を食いしばったまま、兵助は嗚咽していた。涙が次々と胸元に垂れる。不意に捉えていた手首から力が抜けて、指先から滑り落ちた苦無が床に当たってごとりと音をたてた。支えを失ったように兵助の身体はゆるゆると崩折れて、その顔が胸元に埋まった。
「兵助…」
 熱い涙が胸を濡らす。いまや兵助は子どものように自分の胸に顔をうずめて泣きじゃくっていた。
 -よほどのことがあったんだろうな…。
 埃っぽい床に寝そべったまま、わずかに首を傾けて扉の格子の向こうに見える星空に眼をやる。不意に外の虫の声が耳に戻ってくる。梢を揺らす風の音、遠くの夜の鳥の声。
「…ている…」
 胸に顔をうずめたまま、兵助がくぐもった声を漏らした。
「ん?」
 胸元に意識を戻した八左ヱ門は、軽く頭をもたげて兵助を見ようとする。
「…伊助を人質に取られてる」
 少し声を上げて兵助は繰り返す。「どこの城か分からないけど、忍者に襲われた。この道を通る者から密書を奪ってくるまで伊助を返さないと言われた…」
 棒読みに兵助は続ける。
「それが俺だったってわけか」
 辻堂の天井板に眼をやりながら八左ヱ門は言う。いつの間にか兵助の頭と肩に両腕を回していた。「たしかに俺は学園長先生から多田堂禅先生あての密書を預かっている。問題は、そいつらがどうしてそのことを知ってるかってことだ」
「多田堂禅先生?」
 兵助が顔を上げる。「それならドクアジロガサ忍者かもしれない…」
「そっか。連中、よく多田堂禅先生の研究している砲弾の情報を狙ってるからな」
 思い出したように八左ヱ門も頷く。「だが、もしそうなら厄介だぞ。連中、どんな汚い手でも使うっていうからな…」
 言いかけて慌てたようにがばと身を起こす。「それってヤバいじゃねえか! 伊助の身が危ないってことだろ?」
「もう遅いよ…」
 諦めを漂わせた笑みを浮かべた兵助がふたたび眼をそらす。「連中、俺を見張ってるんだ。密書を奪い損ねたこともとっくに…」
「それはどうかと思うぜ?」
 不敵な笑みで八左ヱ門が遮る。
「でも…」
「俺にはさっきから他人の気配が感じられない。てことは、連中が見張ってるとしても俺たちの声が聞こえるようなところにはいないってことだ。それなら…」
 いつの間にか両掌が兵助の肩を掴んでいた。「まだ、密書を奪う芝居をしても間に合うんじゃないか?」
「芝居…?」
 うわごとのように兵助が呟く。
「ああ」
 力強く八左ヱ門が頷く。「俺の持ってる懐紙と石筆で、テキトーな文書でっちあげるんだ。もちろん伊助の身柄と引き換えでな」
 どうだ、と言わんばかりにニヤリとする八左ヱ門に、自分でもできるような気がしてきた兵助だった」
「…わかった。やってみる」
 ちいさく頷くと、受け取った懐紙に何やら書きつける兵助だった。

 

 

「あ、あのよ、小僧…」
 たじろいだように忍の一人が声を上げる。
「なんですか」
 忙しく指先を動かしながら、伊助は刺々しく応える。
「俺の袴…」
 袴を取り上げられて下帯姿の忍がぼそぼそと呟く。
「だったらなんでやぶれたままにしておくんですか」
 掃除を終えた後に伊助の眼が捉えたのは、忍たちの服装だった。あちこち破れたりほつれたりしたままの忍装束に我慢できなくなった伊助は、買ったばかりの端切れや糸で繕わずにはいられなかった。
「だからそれは後で…」
「あとっていつですか」
 下帯姿の忍の抗弁をあっさり封じた伊助だった。「だいたい、忍者はいつも身ぎれいにしてないといけないって授業でならわなかったんですか?」
 忍装束を取り上げられたのは一人ではなかった。伊助の傍らには忍足袋や袖のほつれた着物が山と積まれていた。そして、片足だけ裸足だったり上半身が帷子姿の忍たちが当惑した表情で室内にたむろしていた。
「授業って…」
 別の忍が言いかけるが、「とにかく!」と声を張り上げる伊助に遮られる。「忍者はちゃんとした服をきないとダメなんです!」
 それなのに、自分を拉してきた忍たちときたら、身の回りに無頓着なこと団蔵や虎若並みである。というか、あの二人が大人になるとこうなるのだろうか、と考えざるを得ない。だとしたら、学園に戻ったら団蔵と虎若には部屋の掃除から制服の繕いまでもう一度徹底的に指導しなければ、と伊助は考える。そうでないと、こんなだらしのない大人になってしまうから。
 -ていうか、ホントはせんたくもしたかったんだけど…。
 手にした袴は汚れ放題である。それも伊助としては耐え難かったが、さすがに一人では手が回らない。
 -あ~あ。きり丸がいれば、あっというまにせんたくもできたんだけどな…。
 天才アルバイターの同級生の顔が頭を過る。もっとも、タダで動いてくれるような相手ではなかったが。
 -とにかくはやくおわらせなきゃ。
 繕いものの手を速めたとき、「なにごとだこれはっ!」と怒気をはらんだ声が響いて伊助は思わずびくっと肩を震わせた。
「しょ、小隊長殿」
 その場にいた忍たちが一斉に片膝をついて控える。
「任務中にその恰好はなんだ! 着替えの最中みたいではないか!」
「いや、その…」
「人質のガキが…」
 言いかけた忍たちの視線が、繕いものに埋もれてちょこんと座る伊助に一斉に向けられる。
「なに、あれが人質のガキだと?」
 忍術学園から多田堂禅あての密書を奪えそうだと報告を受けて様子を見に来た小隊長だったから、人質が針と糸を手にして部下たちの忍装束を繕っている状況が呑み込めなかった。
「おじさん、どなたですか?」
 まじまじと見つめながら伊助が訊く。
「控えろ! 小隊長殿になんて口をきく!」
 傍らにいた忍が声を潜めて咎める。
「おじさんがこの人たちのトップなんですか?」
 伊助の口調が尖る。
「いかにも」
 それがどうした、というように小隊長は腕を組んで見下ろす。だが伊助はひるまない。
「だったらどうしてこんなのほっとけるんですか!」
 伊助が声を張り上げる。「へやはホコリだらけでぜんぜんそうじしてないし、おじさんたちの服はきたないうえにあちこちやぶれたり穴があいたりしたままだし、ぼく、そんなのガマンできません!」
「…ということで、アジトを掃除して服を繕っているようです」
 背後にいた副官が小声で伝える。
「小僧、自分の立場をわきまえたらどうだ」
 小隊長が声を低めて凄む。「お前は人質なんだぞ」
「ひとじちだろうがどうだろうがかんけいありません!」
 伊助も引かない。「とにかくこのつくろいものがおわるまで、ジャマしないでください!」
「なんだこのガキは…」
 唖然としてふたたび繕いものの手を動かし始めた伊助を見つめながら小隊長が呟いたとき、
「小隊長殿」
 一人の忍が近寄って耳元で何やらささやく。
「よし、通せ」
 不機嫌そのものだった小隊長の表情が一瞬緩んだのを伊助は視界の隅に捉えていた。
 -なんだろう、だれか来たみたいだけど…。
 また繕いものの邪魔をされたら困るなと思いながら針を動かし続ける伊助の耳が聞き慣れた声を捉えた。
「密書を奪ってまいりました」
 -あの声は…!
 思わず手を止めて声の方を見やる。
「久々知せんぱい!」

 

 

「寄越せ」
 小隊長らしい忍が顎をしゃくって密書を求める。だが、兵助は無視して声を上げる。
「その前にその子を返してください」
 兵助の声に、居並ぶ忍たちが当惑の表情を向ける。
「待て」
 短く応えた小隊長は、兵助の様子を見張っていた忍がなにやらささやきかけるのに耳を傾ける。
「ふむ…ふむ、そうか」 
 頷いた小隊長が「おい、その小僧を放してやれ」と命じる。
「せんぱい!」
 解放された伊助が兵助に駆け寄って抱きつく。
「これが密書です」
 伊助の背を抱き寄せながら、小さく畳まれた紙片を渡す。
「ほう」
 紙片を開いた小隊長が眉を顰める。「暗号なんぞ使いやがって。おい、解読できるヤツを呼んで来い」
「は」
 苛立たしげに命じる声に伝令らしい忍が走り去る。
「これで約束は果たしました。では」
 伊助の手を引いた兵助が言う。
「ああ、とっととその小うるさいガキ連れて帰れ帰れ」
 すでに密書の内容に気もそぞろになっている小隊長は面倒げに追い払う仕草をする。
「よし、学園に帰るぞ」
「はい!」

 

 

「あの…せんぱい」
 息を切らしながら伊助が言う。伊助の手を引いたまま、兵助はかなりの速足で山道を歩いていた。「もうすこし…ゆっくり…あるきませんか…」
「もう少しの辛抱だから頑張るんだ、伊助」
 早口に言いながら、兵助の歩みは変わらない。
「でも、そんなにいそがなくても…」
「急がなきゃならない理由があるのさ」
「りゆう、ですか?」
 不思議そうに伊助は兵助の横顔を見上げる。
「あの密書がニセモノとバレる前に、少しでも遠くに逃げておかないといけないからね」
 言いながら伊助に顔を向けてニヤリとすると、ふたたび前を向く兵助だった。「大丈夫。もうすぐ学園から加勢がくるから」

 

 

「何だこの内容はぁぁっ!」
 紙片を握る手をわなわなと震わせながら小隊長が怒鳴る。
「と言われましても、お預かりした暗号文を解析したものですが」
 暗号担当の忍が控えたまま鹿爪らしく応える。
「なにが『上級者のための豆腐レシピ』だあっ! こんなものを忍術学園は多田堂禅に送ったというのかぁっ!」
「…つまり、我々は忍たまにまんまと嵌められたということですな」
 傍らに控えた副官がぼそっと呟く。

 

 

「多田堂禅先生に密書は届けられたか?」
「ああ」
 一面の星空が広がっていた。兵助と八左ヱ門は忍たま長屋の屋根の上に並んで腰を下ろしていた。
「それにしても、ちょっとびっくりしたな」
 八左ヱ門が星空を見上げたまま口を開く。
「なにが?」
 兵助も星空に眼をやったまま膝を抱えている。
「よく、敵忍者が人質にしてた伊助をあっさり手放したなってさ…普通、暗号文を解いてホンモノだって確かめるだろ?」
「ああ、そのことか」
 おかしそうに兵助がぷっと噴き出す。
「どうしたんだよ」
 いぶかしげに八左ヱ門が顔を向ける。
「それがさ…」
 笑いをこらえながら兵助が応える。「伊助が掃除したり忍者たちの服を繕ったりしていたのが鬱陶しかったらしくてね。だからとっとと連れて帰れって言われてさ…」
「ははは…すげーな、伊助のやつ」
 八左ヱ門も笑い声を上げる。
「学園に戻るときもまだ文句言ってたんだぜ…アジトは土足で上がるから汚れ放題だし、忍装束がほつれたり穴があいててもほったらかしで、よくあんなのガマンできるもんだって」
「はは…さすが兵助の後輩だな」
「なんだよそれ」
 そこで会話は途切れ、二人はしばし星空を見上げた。
「なあ、そろそろ教えてくれないか」
 風に吹かれて顔にかかった前髪を払いながら兵助がぽつりと訊く。
「何をさ」
「密書をどこに隠してたかってこと」
「どこだと思う?」
「ああ。袴の腰板か?」
 腰板であれば、寝そべった状態では手を出せなかった。そう思ったのだが八左ヱ門の答えは違った。
「いや、ここさ」
「ここ?」
 兵助が顔を向ける。いたずらっぽく白い歯を見せた八左ヱ門が頭を指さしていた。
「え? あ、そうか。髻(もとどり)か」
「そういうこと」
 なるほど、髻も気付かれずに手を出すのは難しいポイントだった。
「てことは、やっぱり大事な密書だったんだろうな」
「さあな。俺も中身は知らね」
 たいして興味もなさそうに言う八左ヱ門の視線は、星空に戻っている。
「そうか」
 兵助も星空に眼を戻す。
「なあ、兵助」
 ふいに八左ヱ門の口調が硬くなる。
「うん?」
「俺、お前に寝首を掻かれても構わないって言ったよな。それはホントだからな」
「…わかった」
 ためらうような間を置いて兵助が応える。「でも、それじゃ俺はどうすればいいのさ」
「どうすればって?」
「俺、八左ヱ門のいない世の中なんかに用ないから」
 言いながら、そっと手を動かすと、八左ヱ門の掌に重ねる。一瞬、驚いたように八左ヱ門が眼を向けるが、すぐにその眼は星空に戻る。
「…あったかいな、八左ヱ門の手」
「おう」
「これからも…あっためてくれないかな…」
 ためらいがちな声に八左ヱ門がふたたび兵助に顔を向ける。星空に向けられたままの横顔はやや赤らんでいるように見えた。重ねられた手の熱量が増す。
「ああ」
 力強く八左ヱ門は頷く。
 -やっぱ、お前に寝首を掻かれるのはやめたぜ、兵助。
 こんなにも不器用で一途に俺を求めてくれる兵助を、置いてゆけるはずがないではないか。

 



<FIN>

 

 

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