Kopernikanische Wende

 

誰からも頼りにされる庄左ヱ門ですが、そこはまだ一年生、まだまだ及ばないところもたくさんあります。でも、本人はどうしても自分を責めがちなようです。

そんな責任感の強い少年にとって、伊助の言葉はまさしくコペルニクス的転回だったことでしょう。

 

 

「庄左ヱ門、宿題おしえて!」
「サッカーやろうぜ!」
「どうしよう、ナメ助がいなくなっちゃった~」
「庄左ヱ門、おなかすいた~」
 今日も授業が終わるや一斉に声をかけられる庄左ヱ門である。
「兵太夫、宿題は自分でやろうね。団蔵、今日は会計委員会があるんじゃなかったの? 喜三太、ナメ助はきっと日陰の湿っぽいところにいるから軒下か庭の葉っぱのうらをさがしてごらん。しんべヱ、おやつ食べ過ぎちゃダメだよ」
 手際よくコメントを返していたところに廊下に面した障子ががらりと開くと勘右衛門が顔を出した。
「お~い、庄左ヱ門、臨時の学級委員長委員会やるぞ」
「は~い」
 授業道具を抱えた庄左ヱ門が慌てて教室から駆け出す。
「…」
 その背中を黙ってみている伊助がいた。

 


「臨時の学級委員長委員会だからなにかと思ったら、来月の委員会のお菓子のことだとはね」
「もっとだいじなお話もあるんじゃないかと思うんだけどね」
 委員会を終えて忍たま長屋に向かう廊下を歩く庄左ヱ門と彦四郎だった。
「じゃあね。ぼく、次のテストの勉強しなきゃ」
「じゃあね」
 廊下で別れた庄左ヱ門は自室の襖を開ける。
「あれ?」
 文机の上に置かれた冊子に慌てて駆け寄って手に取る。
「学級日誌がなんでここに…?」
 思えば、勘右衛門に呼ばれたときに教室に置き忘れたとしか考えられなかったが、自分でもすっかり存在を忘れていた日誌が自室にある理由は一つしか考えられなかった。
 -伊助だ…。
 部屋に伊助の姿はない。火薬委員会に行っているのだろうか。
 -あとでお礼いわなきゃ。
 文机に向かって開いた日誌に書き込みを始めながら庄左ヱ門は考える。
 -そういえば、さいきん伊助のせわになってばっかりだなぁ…。
 ふと思い出して筆が止まる。
 -社会見学のとき、お弁当わすれそうになったときにもってきてくれたのも伊助だったし、制服が破れちゃったときにつくろってくれたのも伊助だったし…。
 クラスのことに眼が奪われてつい自分のことが疎かになったときに、いつも伊助がさりげなく助けてくれていたことに改めて気付く。
 -それに、校外マラソンのとき、忍足袋の予備をもっていったほうがいいっていってくれたのも伊助だった…。
 自分が気付かなかったことのフォローは伊助がしてくれていた。あるいはほかにも自分が気付いてないところでも伊助のおかげで失敗せずに済んでいたことがあるかもしれない。
 -どうしたらあんなに細かいところまで気がつけるんだろう…。
 与えられた役目をきっちり果たすことには自信があったが、細かいところまで気を配るとなると途端に自信がなくなる庄左ヱ門だった。
 -でも、それじゃいけないんだ…。
 責任感がむくむくと湧き上がる。
 -ぼくがもっとしっかりしないと…!

 

 

「…ふう」
 その晩、庄左ヱ門は少し疲れたようにため息をつきながら髷を解いた。
「どしたの?」
 布団を敷いていた伊助が声をかける。
「うん…ちょっといそがしくてね…」
 なにげなく答えた庄左ヱ門がはっとして言葉を呑む。
 -なにやってるんだろう。学級委員長がいそがしいのはあたりまえなのに、ぼく、また伊助によけいなこと言っちゃった…。
 責任感の強い少年は、自分の抱えている感情をうかつに他人に吐露すべきでないと考えている。学級委員長という立場上、余計なことを口にしてクラス全体にハレーションを引き起こすようなことは厳に慎むべきだった。
「そうだね。そういえばちょっとつかれてるみたいだね」
 あっさりと伊助は言う。
「そうかな」
「そうだよ」
「…」
 庄左ヱ門が黙ったのでしばし会話が途切れた。
「…どうしてわかるの?」
 ついに訊かずにいられず口を開く庄左ヱ門だった。
「どうしてって…」
 布団の上にちょこんと座った伊助が首をかしげる。「そりゃずっといっしょにいるからね。ぼくたち、同室だし」
「それでわかるの?」
「う~ん、もちろん庄左ヱ門がなにを考えているかまでぜんぶわかるわけじゃないけど、でも外から見てかわったところがあれば気がつくよ」
「そんなものなの?」
「うん…だけど」
 言いさした伊助が口をつぐむ。
「どうしたの?」
「ぼくには、庄左ヱ門がつかれているのはわかるけど、どうしてつかれているかはわからないんだ。ねえ、どうして庄左ヱ門はそんなにつかれているの? それって、ぼくたちは組のせい? どうしたらそんなにつかれなくてすむようになるの?」
 堰を切ったように話した伊助が、ふいに赤らめた顔をそむける。「…ごめんね、へんなこと言っちゃった」
「…」
 それは自分のせいだ、と思う庄左ヱ門だった。
 -こんなに伊助に心配をかけてたなんて…もっとしっかりしないと!

 


「…はぁ」
 数日後、放課後の教室で、文机に肘をついてため息をつく伊助がいた。
「どしたの、伊助。ため息なんかついちゃって」
「そうだよ。なにかなやみごとでもあるの?」
「なんならおれが聞いてやるぜ。ゼニとるけど」
 話しかけてきたのは乱太郎、きり丸、しんべヱの三人組である。
「ああ、乱太郎、きり丸、しんべヱ」
 ゆるゆると伊助が顔を上げる。
「元気ないね。調子わるいの?」
 気がかりそうに乱太郎が顔を覗き込む。
「いや、そういうわけじゃないけど…」
「じゃ、どういうこと?」
「まあ、その、庄左ヱ門が…」
「庄左ヱ門がどうかした?」
「まさかケンカでもしちゃったとか?」
「そういうことでもないんだけど…」
 次々に投げられる問いにも鈍い反応しか見せない伊助に、乱太郎たちが顔を見合わせる。
「ねえ、どうしちゃったの、伊助。なんかへんだよ?」
「へんなのは…庄左ヱ門なんだ」
「庄ちゃんがへん? どういうこと?」
「だって…ぼくが手伝ってあげようとしても、なんかいやがってそうだし…」
 もはやぐだっと文机に顎をのせて言う伊助だった。乱太郎たちがふたたび顔を見合わせる。
「なにか思いあたることはないの?」
 乱太郎が訊く。
「う~ん、しいていえば…」
「しいていえば?」
「庄左ヱ門がとってもつかれてるようだったから、ひょっとしてぼくたち一年は組のせいなの、ってきいちゃったことがあったかな…」
 ぼそぼそと伊助は呟く。
「そんだけ?」
 きり丸が肩をすくめる。
「うん。そんだけ」
 うつろな眼で伊助は応える。「ぼくは、ただ庄左ヱ門のことたすけてあげたいっておもってるだけなのに、どうしてそれがだめなんだろう…」 
「そんなのおかしいよ!」
 ふいに乱太郎が立ち上がったので、伊助は驚いたように顔を上げる。
「そうだ、そんなのおかしい!」
「そうだよ。せっかく伊助が庄左ヱ門のためを思ってやっているのに、それをいやがるとかおかしい!」
 きり丸としんべヱも立ち上がる。
「庄左ヱ門に注意しよう。いくら学級委員長だからって、伊助のきもちをもっとかんがえなくちゃダメだって」
「そうだそうだ!」
「よし、庄左ヱ門さがしにいこうぜ」
 勝手にボルテージを上げていく三人に伊助が「いや、ちょっとまって…」と言いかけるがもう遅い。
 

 

「え? ぼくのせい?」
 弾かれたような表情で眼を見開く庄左ヱ門だった。
 ひときわ忙しい放課後だった。今日こそ伊助にきちんと話をするつもりだった。そういう時に限って担任の伝蔵からは組のホームルームで配るプリントの作成の手伝いを命じられ、喜三太にいなくなったナメクジの捜索を泣きつかれ、たまたま通りかかった忍たま長屋の廊下から散らかり放題の団蔵と虎若の部屋の惨状を見てしまい、二人を督励しつつ片づけを手伝ってやり、ようやく伊助を探そうとしたところに乱太郎たちにつかまったのだった。それも、唐突に伊助が落ち込んでいるのは自分のせいだと責められたのだ。
「そうだよ!」
 勢い込んで乱太郎が言う。「もっと伊助のきもちをかんがえてあげなきゃ!」
「そーだぞ!」
 きり丸も続ける。「伊助のやつ、庄左ヱ門にあんなにきをつかってるんだぞ! そのへんちょっとかんがえてやれよ!」
「そーだよ!」
 尻馬に乗ったように言うしんべヱだったが、続きが思いつかないらしい。「伊助がかわいそうだよ!」と鼻息を荒げる。
「そうだったんだ…」
 気付いていなかったわけではなかった。ただ、そのことにじっくり向かい合うには忙しくて、つい後回しにしていた。だから、今日こそきちんと話すつもりだったのだ。「いつも気をつかってくれてありがとう、でもこれからはもっと自分でできるようにするから、見守っていてくれないか」と。
「…そうだね」
 だから庄左ヱ門は悄然と言う。「伊助にあやまってくる」
「そ…そう」
 庄左ヱ門の表情の急変に気勢をそがれた乱太郎たちが曖昧に頷く。「なら…いいんだけど…」

 

 

 -伊助、どこいっちゃったんだろ…。
 学園内を探し回る庄左ヱ門だった。最初は決まり悪さが先だって伊助がいそうな場所をただ歩き回るだけだったが、ことごとく見当たらないことに焦りを感じ始めていた。
「あ、あの、三郎次せんぱい」
 気がつくと廊下ですれ違いかけた三郎次に声をかけていた。
「なんだ?」
 振り返った三郎次が訊く。
「伊助をさがしてるんですが、今日は火薬委員会はありませんでしたか?」
「ああ。今日は火薬委員会はないし、伊助も見てないぞ」
「そうですか、ありがとうございました」
 心ここにあらずといった様子でぺこりと頭を下げると、庄左ヱ門は足早に立ち去った。
 -なんだ? 庄左ヱ門のやつ…。
 その後ろ姿を不審げに見送る三郎次だった。

 

 

 -よかった。もうすこしで墨がなくなっちゃうところだった…。
 委員会のない放課後、伊助は街に買い物に出ていた。
 火薬委員会はそれほど忙しい委員会ではなかったから、行こうと思えばもっと早く買い物に行くこともできた。ただ、庄左ヱ門の見落としていたことをそっと手伝っているうちに外出の機会を逸していた。
 -そういえばさいきん、庄左ヱ門のうっかりがふえたような気がする…。
 庄左ヱ門が気がついているかどうかは知らないが、演習に必要な持ち物をクラスに伝えるのを忘れていたり、学級日誌を自室の文机に置きっぱなしにしていたりといったことが増えていた。自身のこととなるともっとひどく、制服の袴や忍足袋に穴があいていても気がついていないようだし、何かを探している時間が長くなったような気がする。そのたびにそっとフォローしていた。
 -でも、ぼくはべつに庄左ヱ門にほめてもらおうとかそんなこと思ってるわけじゃないんだ…。
 だが、庄左ヱ門はそんなフォロ―を嫌がっているようだった。嫌ならハッキリ言ってくれればまだ何が迷惑なのかつかみようもあったが、庄左ヱ門の沈黙はそれすら与えてくれなかった。結局、自分の何が不満なのか、伊助には見当がつかなかった。そのことに伊作は苦しんでいた。だから、少なくとも庄左ヱ門が嫌がりそうなことはするまいと思うことにした。そして生じた空いた時間に買い物に出かけることにしたのだ。学園の外に出れば、少しは気晴らしにもなるかもしれなかった。
 -よかった。ついでにいろいろ買うことができたし…。
 街でいろいろな店を見ているうちに、いろいろ足りていないものを思い出して買い込むことができた。繕い物用の糸や端切れ、ノートや手紙につかう紙、面白そうな草紙にお土産用の饅頭。
 -でも、おまんじゅうはみんなに分けるまではしんべヱにみつからないようにしないと…。
 しんべヱに見つかろうものなら、は組の全員分の饅頭を一口で食べてしまいそうだから。まったくしんべヱの食い意地にはびっくりすることばかりだ…。
 そんなことを考えながら歩いているうちに自然と笑顔になってしまう。背中にはいろいろ買い込んだ品をしまい込んだ風呂敷を背負っている。と、頬に冷たい感触をおぼえた。
 -あ…。
 見上げると、いつの間にか黒い雲が立ち込めていて強い風が吹き、雨粒が顔に当たり始めていた。
 -まず…はやくあまやどりできるとこさがさないと…。
 とっさに辺りを見廻す。少し強い雨になりそうだった。だが、風呂敷包みの中には、紙や草紙など濡れては困るものが入っている。
 -あそこで雨宿りしよう。
 視界に捉えた辻堂に向かって駆け出す。

 


 -雨か…まいったな…。
 いつしか雨脚が強くなっていた。
 学園内をくまなく探し回って、それでも伊助を見つけられなかった庄左ヱ門は、もしやと思って小松田に訊くことにした。そして伊助が街へと出かけたことを知った。そしてもうすぐ街に着くというところで雨に降られてしまった。
 -しょうがない。あそこで雨宿りだ。
 ふと見つけた辻堂に足を向ける。
 -やれやれ、まいったな…。
 辻堂の軒先に駆け込んで濡れた顔や着物を手拭いで拭っていた庄左ヱ門は、ふと辻堂の奥に人の気配を感じて振り返った。
「伊助!」
「庄左ヱ門!」

 


 同時に声を上げた二人だった。
「どうしたの、こんなところで…」
 奥から這い出しながら伊助が訊く。
「いや、その…」
 きまり悪そうに庄左ヱ門が口ごもる。「伊助をさがしてて…」
「ぼくを?」
 弾かれたような表情になる伊助だった。ちょっと買い物に出ただけの自分をわざわざ捜さなければならないような用件があったというのだろうか。だが、そんな用件など思いつきようがなかった。
「うん。言っておきたいことがあって…」
 せっかく伊助に会えた偶然を生かさない手はなかった。庄左ヱ門が言いかけたとき、「その前にさ…」と伊助が口を開く。
「なに?」
「庄左ヱ門、びしょぬれだよ…ちゃんとふかないと、あとでカゼひいちゃうよ?」
 言いながら、懐から取り出した手拭いで濡れた髷や服に押し当てて丁寧に水滴を吸い取っていく。
「ぼくたちの学級委員長なんだからさ、カゼなんかひかないようにしないと…」
 いつの間にか身体を引き寄せられて、端座した伊助の膝の上に頭が載っていた。
「それなのに、こんなにぬれちゃって…」
「あのさ」
 堪えきれずに遮る。
「なに?」
 手を止めた伊助が眉を上げる。
「その、まえから言おうとおもってたんだけど…」
 さすがにストレートには言いかねて口ごもる庄左ヱ門だった。
「…」
 黙って伊助は続きを促す。
「伊助がいろいろ気をくばってくれてることはうれしいんだけど…」
 言いさす庄左ヱ門に、すでに続きを察した伊助は静かに言う。
「めいわくだった?」
「めいわくなんて、そんなじゃなくて…!」
 慌てて庄左ヱ門が伊助の膝に手をついて身を起こす。「ぼくはただ、ぼくが気がついてないところがあったら、言ってほしかったんだ…それって、ほんとはぼくがやらなきゃいけなかったことだから…」
「ねえ、庄左ヱ門」
 手拭いを持った手をだらりと下して伊助は俯く。「そんなに、ぼくがてつだっちゃメイワクなの?」
「え、いや、そうじゃなくて…」
「ねえ、ぼく、いっしょうけんめい庄左ヱ門がなにをかんがえているか知ろうとしてるけど、でも、ぼくにはちょっとしかわからないんだ。だから、もしぼくになにか言いたいことがあるならちゃんと言ってよ! そうじゃないとぼく…」
 伊助の声が濁る。ぽたぽたと落ちた涙が膝を濡らす。「ぼく、どうすればいいか…」
「伊助…」
 堪えきれずに庄左ヱ門が肩に手をかける。伊助が庄左ヱ門の肩に顔をうずめる。
「ごめんね…ぼく、伊助がそこまでかんがえててくれたなんてぜんぜん気づけなかった…ホントにだめな学級委員長だよね…」
「…ちがうよ庄左ヱ門…」
 なおも肩に顔をうずめたまま伊助は首を振る。「そうじゃなくて…べつに庄左ヱ門はカンペキなひつようなんてないのに、どうしてひとりでなんでもやろうとするの? …ぼくたち、まだ一年生なんだよ? …ぜんぜんそんなことするひつようなんてないのに…」
「そう…なの?」
 意外な台詞に言葉に詰まる。
「だったらどうおもってたの…?」
 庄左ヱ門の身体にかじりつきながら伊助が呻くように声を漏らす。
「それは…」
 学級委員長として、クラスの模範として、求められることをこなさなければならない、そう思っていた。だが、伊助はそうではないと言う。足りないところがあって当たり前だと言う。庄左ヱ門にとってはコペルニクス的転回だった。
「ぼくは…できないことだってたくさんあるけど…」
「そんなの…庄左ヱ門がなんでもひとりでできなくちゃいけないなんてあるわけないじゃないか…庄左ヱ門ができないところは、みんながやればいいんだから…」
「それで、いいの?」
 答えるようにしがみつく腕に力を籠もった。
 -わかったよ…。
 ついに観念した庄左ヱ門が、華奢な肩に顔を埋める。
 -伊助のおかげだよ…。
 確かめるようにその背を撫でる。
 -もっと楽にかんがえられるようになったのは…。

 

 

 

 

<FIN>

 

 

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