好敵手

文次郎が珍しく弱気になっています。耳を傾けている留三郎は、どのようなアドバイスをするのでしょうか。

 

「お前がろくに予算をつけないから、用具の手入れに支障をきたしているんだ!」
「用具の手入れになぜそんなに予算を使う! なければありあわせのもので間に合わせるのが忍だろう!」
「それは実戦の話だ! 忍は、任務のために常に用具を完璧に調えておかなければならないことくらい、低学年でも知ってるぞ!」
「忍は常に実戦だ! 貴様は常在戦場という言葉を忘れたのか!」
「そうやっていつも貴様は根性と予算をすりかえるんだ!」

 今日も潮江文次郎と食満留三郎のケンカが始まった。

 


「どうしようか」
 乱太郎、きり丸、しんべヱが当惑顔で突っ立っている。そもそもの始まりは、三人が留三郎のもとへ借りに来た授業で使う用具が壊れて使えず、困っていたところへ文次郎が通りかかったことである。
「しばらく放っておこうぜ。そのうちおさまるよ」
 きり丸は醒めた意見である。
「それより、山田先生に相談しなきゃ。用具が使えなかったら授業にならないんだし」
 乱太郎はもうすこし現実的なことを言う。
「それより伊作に包帯の用意をするよう伝えた方がいいんじゃないのか、乱太郎」
「え…だれですか?」
 乱太郎たちがきょろきょろする。
「私だ」
 現れたのは仙蔵である。
「立花先輩」
「乱太郎は保健委員だったな…だったら、けが人の発生を早く知らせないと、伊作が怒ることくらい分かるだろう」
「は、はい!そうでした!」
 乱太郎がばたばたと医務室に向かって駆け出す。
「じゃ、俺たちが山田先生のところに行こうか」
「そうだね」
 残されたきり丸としんべヱが職員室に向かうのを見届けると、仙蔵はケンカを止めることなく歩きさったのだった。

 


「まったく君たちは、いつも保健委員の仕事を増やしてばかりだね」
 医務室に連れ込まれた2人は、伊作の手当てを受けていた。
「それは文次郎が」
「なんだと」
「ここは医務室だぞ。ケンカは禁止」
 文次郎の顔中にできた痣やすり傷に薬を塗りこみながら、伊作はきっぱりと言う。傍らで乱太郎が留三郎の手当てをしている。
「ああ、済まん」
「う…いて」
「我慢しろ。まったく見境なく殴りあいなんかするからだぞ」
「し、しかしだな」
「しかしも何もあるか。一年生の前で殴りあいのケンカなんて、みっともないにも程がある」

 


「ところで、今日のケンカの原因はなんだったんだい?」
 2人が手当てを終えて医務室から出た後、片づけをしている乱太郎に伊作は声をかけた。
「はい。例によって、というべきか、予算がなくて用具がボロボロな件についてです」
「まったく…あの2人は、本当に年がら年中、同じような理由でケンカしていることだ」
 伊作は肩をすくめる。
「どうして潮江先輩と食満先輩は、いつもケンカしているんですか?」
「まあ、2人とも血の気が多いし、力も互角だから、張り合ってしまうんだろう」
「そうなんですかぁ」
「それも、今のうちだけだがな」
 ふと、伊作が顔を伏せた。
「え? どういうことですか?」
「こういうことをしていられるのも、あと少しということだ」
「…はあ」
 その言葉の意味をつかみかねて首をかしげている乱太郎に、伊作は笑いかけながら言う。
「ああそうだ。あとで薬の棚卸しをするから、保健委員に集合をかけておいてくれないか」
「はーい」

 


「伊作に説教されたらしいな」
 夕食をかき込んでいる文次郎に、仙蔵が可笑しげに言う。
「一年生の前でケンカとは、みっともないにも程がある、とな」
 文次郎は憮然としている。
「それはそうだろうな。伊作の言うとおりだ」
「別にいいだろう」
「まあ、その方が年相応でいいのかもしれないな」
「どういうことだ」
「老け顔のお前でも、殴り合いのケンカなどしている間は15歳らしく見えるってことさ」
 他の学年の生徒が聞いたらぎょっとするようなことを、仙蔵はしれっと言う。
「大きなお世話だ」
 仙蔵の毒舌には慣れている。文次郎はいちいち咎め立てることもなく、憮然と汁をすすった。
「それで、お前は、今日の自主トレ、参加するのか」
「ああ」
「では、夕食後に集合だ」

 


 自主トレに参加したのは、文次郎と留三郎だけだった。
「どうして仙蔵は来ない」
 さっき、来ると言ったばかりではないか。舌の根も乾かぬうちに。
「急に作法委員顧問の斜堂先生から呼び出しがかかったようだ」
 留三郎が答える。
「…伊作は薬の棚卸しで、長治は本の整理で来ないと言ってたな」
「小平太は?」
「この前ぶっ壊したバスケットのゴールの修理にてこずってるようだ」
「まあ、小平太については自業自得だ。ヤツが壊したものについては体育委員の責任で修繕しろとこの前の予算会議で言っておいたからな。では、自主トレに行くぞ」
「ああ」

 


「ったく、伊作には説教されたあとも大変だったんだぞ。仙蔵にからかわれて」
 ランニングしながら文次郎がぼやく。
「仙蔵にからかわれたって?」
「ああ。殴り合いをしているときは年相応に見えるとな」
「年相応?」
「俺が老け顔だからだそうだ」
 前を走る文次郎の顔が、苦虫を噛み潰したような表情になっているのが容易に想像できて、留三郎は思わず吹き出した。
「なにがおかしい」
「老け顔は傑作だったな」
「うるさい!」
「悪かった、悪かったよ」

 


「だが、たしかに一年生の前でケンカとは大人気なかったな」
「そうかもな」
「委員会で一年は組のしんべヱと喜三太に言われたことがある。なぜ俺たちはケンカばかりしてるのかとな」
「用具委員会でか」
「ああ。会計委員会ではそういう話はしないのか」
「…」
 文次郎はしばし思い出そうとしたが、そのような話を下級生とした記憶はなかった。だいたい委員会では文次郎が仕切っていて、下級生が余計なおしゃべりをしていれば、怒鳴りつけて黙らせるのが常だったから。
「どうした、文次郎」
「用具委員では、そんな話をよくしているのか」
「よく、というわけでもないが、作業中に下級生たちが勝手に話をしているし、俺にそんなことを訊いてきたりもするが」
「黙らせないのか」
「別に…黙らせる必要もないし、手が動いている限り放っておいてるな」
「そうか」
「そういや、会計は恐怖の予算会議とか言われてるらしいな」
「そんな話までしてるのか」
「まあな」
「それは、一年は組の団蔵か」
「俺が直接聞いたわけではないが、そうなんだろう。だからって団蔵に当たるんじゃないぞ」
「そんなことするか」

 


「お前は下級生に慕われているんだな」
 文次郎がぼそっと言うのに、留三郎は意外な感じがした。
「どうだかな」
「俺は、下級生にきつく当たりすぎているのかも知れない」
「それは、それぞれのやり方ではないかな」
 いつもと違う、と留三郎は感じた。いつもなら、自分の前では決して口にしないような台詞を、文次郎は言っている。委員会で何かあったのだろうか。文次郎は続ける。
「…前に、伊作から聞いたことがある。下級生の中には、同級生や先生には話せないことを抱えている者が多い、だからそのどちらでもない我々が話を聞いてやる必要もあるとな」
「そこまでする必要があるのか?」
「分からん」
「伊作だから話せるというのもあるんじゃないかと思うけどな」
「伊作だから、か」
「俺たちが、伊作と同じようにできるとは思わんが」
「だが、留三郎には、話せているんだろう」
「どうかな。たしかに喜三太やしんべヱはいろいろ好き勝手に話しているが、他の連中も同じかはわからない。あの二人は、あの仙蔵を手こずらせるほどの天然だからな」
「…」
「どうした?」
「少し休もう」

 


 大きく枝を広げる楠の下に、二人は腰を下ろした。竹筒を取り出して喉を潤す。緩やかに吹く夜風が、荒かった息を次第に静めていく。月夜で足元は明るいが、楠の大枝の下は暗く、互いの気配がなければ姿は闇にまぎれて見ることができない。
「留三郎」
「なんだ」
「お前は、リーダーシップを考えたことがあるか」
「なんだ、いきなり」
 いささか固い声に、留三郎は声の主を振り返った。文次郎の姿は見えない。だが、文次郎は闇の中、はるか遠くに視線を据えていると留三郎には感じられた。
「俺は、自分にはリーダーシップがあると思っていた。会計委員会を委員会の中の委員会にするために、知力と体力をつけさせるのが俺の役割と思っていた…だが、最近、会計委員会がバラバラになっているような気がしてならない」
「…」
 お前らしくないぞ、という言葉を留三郎は呑み込んだ。六年間、共に過ごしてきたが、それは初めて聞く当惑の声だった。
「この前の予算会議に、一年の佐吉が来なかった。神経性胃炎で寝込んでいたらしい。佐吉が担当していた予算科目に違算があって、俺に怒られるのが恐かったからだそうだ。原因は、左門の担当していた予算科目からの数字の振替が伝わっていなかったからだったそうだ。だが、そんなことは、ひとこと言えば済む話だ。それに、三木ヱ門も、どうやらその間違いに気づいていながら特にアラートを出していなかった気配がある。そんなことはないと言ってはいたがな」
 -へえ、会計委員会の内情は、そんなものなのか。
 留三郎は初めて聞く話に好奇心が沸いてきた。だが、文次郎の思いつめた口調に、客観的な意見を言うべきとも感じた。
「それは、たまたま互いに言わなくても分かってるだろうという思い込みがあったからではないのか。よくある話だと思うが」
「だが、今の話を、俺が誰から聞いたと思う」
「本人ではないのか」
「違う。佐吉は伊作に、左門は作兵衛に打ち明けたのが、俺の耳に入ってきた。三木ヱ門は三木ヱ門で、俺が話を聞こうと呼び出すたびに裏山に石火矢の練習に行くなどといって出かけて三日も逃げ回っていた。団蔵はちらちら俺の顔色をうかがってるだけで、俺が指示した仕事はことごとく間違っている。次の予算会議には、来年の予算見積もりを出さなければならないのに、みな役割を果たしていないし、俺がいくら指示しても動かない。なぜこうなるんだ。会計委員会が機能不全になっているのは、俺が原因なのか…」
「三木ヱ門たちに、話は聞いたのか」
「聞いた。だが、何も言わん」
「そうか」
「俺は…間違っていたのか。そんなことがあるのか」
 いつもなら、何かに見境なく頭をぶつけているところだが、今日の文次郎はただ頭を抱えているだけのようである。
「たしかに、文次郎は少し下級生に厳しいところがあるな」
 思いがけない文次郎の告白にどう応えるべきか、少なからずためらいながら留三郎は言葉を継いだ。
「だが、いまさら下級生に対する態度を変えるべきでもないと思うな。却って彼らを混乱させるだけだ」
「では、どうしろというんだ」
「ひとつ聞くが…仮に佐吉がその間違いをお前に報告したら、お前はどうするつもりだ」
「当然、ソロバン持ってランニングだな」
「それさ」
「?」
「それでは、佐吉がお前に間違いを報告するはずもない。左門も同じだろう」
「では、どうしろというんだ」
「数字の間違いが起きたのが問題というなら、なぜ間違いが起きたのか、その原因を追究するのが先だろう。それで誰かのミスであることが分かったら、それからソロバン持ってランニングでも遅くないだろう」
「だが、誰も俺には事情を話さないんだぞ」
「俺には会計委員会の内情はよく分からんが、話を聞く限り、お前は鍛錬とペナルティを一緒にしているように思える。だけど、それは切り離した方がいいと思うぞ」
「鍛錬とペナルティを混同してると…?」
「そうだ。体力をつけるのにソロバン持ってランニングしようが匍匐前進しようがそれはいいだろうが、それをペナルティと結びつければ、誰も間違いを報告しなくなる」
「用具委員会では、そうではないのか」
「まあ、間違いのしようもないがな」
 留三郎は低く笑った。

 


「どういうことだ」
「会計委員会の書類と違って、用具委員会の用具管理はなにか間違いがあればすぐに俺の目に入るし、それが誰がやらかしたかも分かるってことさ。実地棚卸しは、担当者が誰か必ず記名させてるからな」
「それは会計だって同じはずだ」
「そうかもしれない。だから、俺はなにか間違いがあれば、まず報告させる。それが明らかなミスだったら、罰として塹壕の埋め戻しでもさせるが、そうでなければペナルティは課さない。どうしてか分かるか」
「どうしてだ」
「俺が三年生だったときの用具委員長だった先輩を覚えているか」
「ああ」
「あの先輩は…アイツだけは未だに許せない。誰の責任でもないようなミスでも、立場上、報告した俺がいつも罰せられたし、それもわざと後輩の前でやらされたりしていた。俺は顔から火が出るほど恥ずかしかったし、悔しかった。だから、俺はアイツみたいなことだけはしないと思ったし、今でもそうしているつもりだ」
「そういうことか…」
「俺の話が参考になるかどうかは分からんが、俺なら鍛錬とペナルティは別物にする。たしかに最近、用具委員会は鍛錬をやってないから、少し鍛えなおす必要があるとは思うがな」
「そうか…俺は、少し会計の風通しを良くしなければならんな」
「俺は、少し用具を鍛えなおすとしよう…会計にヘタレと言われないためにもな」
「それは無駄なことだな。用具はどうあがいてもヘタレだからな」
「なんだと! この俺が委員長をしている限り、ヘタレ呼ばわりは許さんぞ!」
「ヘタレはヘタレだ。あきらめるんだな、留三郎」
「貴様…やるか」
 留三郎が歯軋りをする。文次郎も姿を現す。
「おう、俺と勝負するというのか。いい度胸だな」
「くそ…もう許さん!」
 星明りの下で、二人のケンカが勃発している。

 

 

<FIN>