正しいことより大事なこと


正しいことというものは、往々にして原理主義になって現実を押しつぶす存在となりがちなものですが、それだけで社会が成立しえないのもこれまた事実。

というわけでイデアリズムとプラグマティズムの代表選手にペアになっていただくことにしました。さて、そこからどんな結論が生み出されることでしょう。



「やりぃ! 庄左ヱ門とペアなんて、おれツイてる!」
 きり丸がガッツポーズでジャンプする。
「しんべヱと私は喜三太と同じチームだね」
 くじ引きの札を見せ合いながら乱太郎が言う。
「よし、それぞれのチームにこれから地図を渡すから、地図に示されたルート通りに進むこと。チームごとにルートはぜんぶ変えてあるから、一緒に行動しようなどと考えるな」
 伝蔵が声を上げながら地図を配る。
「…地図には中継ポイントが書いてある。それぞれのポイントでやるべきことの指示も書いてあるからなくしたりしないように。なくしたチームは失格として一週間教室掃除アンド廊下の雑巾がけだからな」
「「え~~~~っ!!!」」
 騒がしくしゃべっていた一年は組のメンバーが一斉に言う。
「『え~っ』じゃないよ。忍者として託されたものは命に代えてでも守り抜くのが使命だ。渡した地図は大事な密書だと思って最後の最後まで守るように。いいな!」
「は~~い」
「分かったら出発だ。ほら、用意、スタート!」
 一方的に言い終えると、伝蔵は手を叩いてスタートを告げる。


 

「中継ポイントは3つ。村はずれのお社と、川のそばの三本松と、峠のお地蔵さま…」
 地図を見ながらぶつぶつ呟く庄左ヱ門の傍らを、頭の後ろで腕を組んだきり丸がぶらぶら歩く。
 -あーあ、庄左ヱ門と組めることが分かってたら、ついでに犬の散歩のバイトでもうけおってきたのにな…。
 庄左ヱ門について行きさえすれば間違いなくゴールにたどり着けるのだから、その間ただ歩くだけというのがいかにももったいなく思う。
 -そうだ。どうせなら、なにか売れるものでも落ちてないか探しながら歩くか…!
 そう思いついて前のめりに地面をきょろきょろ眺めまわし始めたとき、唐突に庄左ヱ門が立ち止まったのできり丸の頭が眼の前の背中にぶつかる。
「いって…どうしたんだよ、きゅうに立ち止まったりしてさ」
「あのさ、きり丸」
 くるりと振り向いた庄左ヱ門が固い声で言う。
「…授業なんだからもっとまじめにやろうよ」
「まじめにやってるさ」
 頭をさすりながらきり丸が口をとがらせる。
「まじめにやってるなら、なんで何かいいもの落ちてないかって地面をさがしてたりするわけ?」
「うげ…バレてたか」
 きり丸が小さく舌を出す。
「バレてたかじゃないよ、まったく」
 庄左ヱ門は地図に眼を戻す。「これは授業なんだから、きり丸にも手伝ってもらうからね」
「なんでさ」
 ふたたびきり丸は口をとがらせる。「おれなんかがやるより、庄左ヱ門がやったほうがずっとうまくいくじゃん」
「でも、それじゃ授業にならないよ」
「庄ちゃんったらあいかわらず冷静なんだから」
「ぼくは、きり丸にもいつも冷静でいてほしいんだけど」
 庄左ヱ門がため息をつく。「きり丸は、頭の回転はとっても早いんだから、もう少し小銭のこととかに冷静でいられたらもっともっとできるはずだと思うんだけど」
「まあな…さっすが庄ちゃん。わかってるじゃん」
 満更でもなさそうにきり丸が前髪を払う。
「あのさ…ぼく、どっちかというとあきれてるんだけど…」
 もうひとつため息をつく庄左ヱ門だった。
「わかった! じゃ、おれ地図もつぜ。それならいいだろ?」
 きり丸が顔を覗き込む。
「もってるだけじゃなくて、ちゃんと書いてあることおぼえてね」
 地図を手渡しながらしかつめらしく庄左ヱ門は言う。
「わかってるって! それより、はやく行こうぜ!」
 庄左ヱ門の機嫌が戻ったことを見て取るや、きり丸は先に立って駆け出す。
「あ、待ってよ、きり丸…!」
 その背を慌てて庄左ヱ門が追う。

 


 先ほどから庄左ヱ門は難しい顔で考え込むように歩いている。頭の後ろで手を組んだきり丸が後に続く。
「なあ、庄左ヱ門。さっきからなにむずかしい顔してかんがえてるわけ?」
 ついにきり丸が口を開く。
「うん…どうやったらきり丸が授業に集中してくれるのかなって」
 きり丸が脱力する。
「あ、あのさ庄ちゃん…おれ、そんなに授業に集中してない?」
「してないよ」
 間髪入れず庄左ヱ門は断言する。「だっていつも頭の片隅でバイトのことがんがえてるでしょ?」
「あ…それはまあ…」
 ずばり指摘する庄左ヱ門にきり丸がたじろぐ。
「だけど、きり丸は学費を払うためにいっしょうけんめいバイトでお金をかせいでいるんでしょ? それなのに、せっかくの授業をきちんと受けないのはおかしいと思うよ」
 ふたたび庄左ヱ門は考え深げに眉を寄せる。
「そりゃまあ…そうだけどさ」
 きり丸が口ごもる。そのまま2人は黙り込んだまま歩いた。気まずい沈黙が流れる。
 -ちょっと言い過ぎちゃったかな…。
 口を引き結んだきり丸の横顔をちらりと見ながら庄左ヱ門は考える。
 -ぼくが言ったことはきっと間違いじゃないけど、でも正しいと思ったことをいうことがいつも正しいこととは限らないのかも…。
 聡い少年の分析は正しい。だが、気まずい空気を軌道修正させる術は思いつかない。

 


「困ったわ…どうしましょ」
 赤ん坊を背負い、幼児の手を引いた女が道端に立ち尽くしている。
「どうかしたんですか?」 
 通りかかったきり丸が声をかける。
「え? ええ…これからお武家さまのお邸に奉公に行かなければならないんだけど、子どもたちを預ける予定だった人が急病になってしまって…でも、子どもを連れて行くわけにもいかないし…」
「だったら、ぼくが子守しますよ」
 ゼニ眼になったきり丸が即答する。「だめだよきり丸」と庄左ヱ門が言い終わる前に女の表情がぱっと明るくなる。
「ほんとう? とっても助かるわ! ご奉公は一時くらいで終わるから、じゃ、その間だけお願いね!」
 言いながら赤ん坊と幼児をきり丸に委ねると、女は小走りに立ち去った。
「は~い! いってらっしゃ~い!」
 調子よく手を振るきり丸の前に、両手を腰に当てた庄左ヱ門が立ちふさがる。
「あのさ、きり丸。ぼくたち授業中だよね。それなのになんで子守のバイトひきうけるわけ?」
「だってさぁ」
 きり丸が赤ん坊をあやしながら口をとがらせる。「あの女の人、こまってたじゃん」
「ぼくも今こまってるんだけど! だいたい…!」
 思わず声を荒げた庄左ヱ門に、赤ん坊が泣きはじめる。
「お~よしよし」
 慌てて赤ん坊をあやしながらきり丸が言う。「ほらぁ、泣いちゃったじゃん。ちっちゃい子のまえなんだからもっとやさしくしないと」
「あ、ご、ごめん」
 庄左ヱ門が言いかけたところで、幼児が「お兄ちゃん、おしっこ」ときり丸の手を引っ張る。
「え? お、おしっこ?」
 声を上ずらせたきり丸が周囲をきょろきょろと見渡す。あいにく女から子どもを預かった道端に人家はない。
「しょうがねえな。悪い、庄左ヱ門。ちょっとこの子だいてて」
 赤ん坊を庄左ヱ門に押し付けると、「じゃ、こっちいこう」と幼児の手を引いてきり丸が草むらに姿を消す。
「え? あのさ…」
 うろたえた声できり丸の背中を見送った庄左ヱ門が、指先に異変をおぼえる。
「あ! この子も…」

 


「悪ぃ悪ぃ」
 用を足した幼児の手を引いて草むらから出てきたきり丸が眼にしたのは、道端でおしめを取りかえている庄左ヱ門の姿だった。
「え…? どしたの?」
「どしたのじゃないよ。この子もおしっこしちゃったから」
 庄左ヱ門が淡々と言う。
「でも、庄左ヱ門、おしめなんてもってたのかよ…」
「手拭いをつかったんだよ」
 落ち着き払った口調で庄左ヱ門が説明する。「おしめにはちょっと足りないけど、当座のかわりにはなるから」
 言いながらおしめを当て終えると、赤ん坊を背中にくくりつける。
「へえ…」
 慣れた動きにきり丸が嘆息する。「庄左ヱ門、赤ん坊のあつかいになれてるんだな…ちょっと意外」
「だって、休みのときはいつも庄二郎の面倒をみてるし」
 背に負った赤ん坊をあやしながら庄左ヱ門は続ける。「それに、この子、ちょうど庄二郎とおなじくらいなんだ」
「そっか。サンキューな」
「べつにかまわないよ」
 背中でいつしか眠り込んだ赤ん坊に庄左ヱ門は眼をやる。「ぼくこそ、ごめんね」
「なにが?」
 幼児を傍らで遊ばせながらきり丸が道端に座り込む。庄左ヱ門もつられるように座る。
「だって、きり丸はバイトしないと学費がはらえないんだよね? もし学費がたりなくてきり丸がいなくなったりしたらってかんがえたら、ぼくはひどいことを言ってたんだなっておもったんだ」
 悄然と庄左ヱ門が言う。「なにいってるんだよ」とその肩をきり丸が軽くはたく。「天才アルバイターのこのおれが、学費もはらえなくて学園をやめるなんてヘマをするとおもってんのか? そんなことあるわけないから心配すんなって」
「わかってる」
 庄左ヱ門が微笑みかける。「だから、ぼくもきり丸のバイトに協力するよ。これでも、庄二郎でなれてるから、赤ん坊の子守はとくいなんだよ」
「庄左ヱ門…」
 強気な笑いを見せていたきり丸の表情が揺らぐ。だが、すぐにいつもの笑顔に戻って立ちあがると「これ、ちょっとかして」と庄左ヱ門が手にしていたおむつを取り上げる。
「え、どうするの?」
 弾かれたような表情で庄左ヱ門が訊く。
「まさか濡れたおしめをそのままもってるつもりじゃないだろ?」
 にやりときり丸が歯を見せる。「ちょっと洗ってくるから」と言うや、軽く勢いをつけながら斜面を下ったところにある小川に向かう。
「気をつけてね」
 ついていこうとする幼児を制しながら庄左ヱ門が声を かける。「まかせろって」と声が返ってきたが、すでにその姿は見えない。
 -やっぱりきり丸はすごいや。
 幼児をあやしながら庄左ヱ門が声に出さず呟いたとき、「うっひゃぁぁぁ!」という悲鳴のような声が響いた。
「どうしたの、きり丸!?」
 反射的に立ち上がった庄左ヱ門が呼びかける。
「地図が…」
「地図がどうかしたの?」
「…こうなった」
 がさがさと草をかき分けながら斜面を登ってきたきり丸の片手には洗い終わったおしめ、もう一方の手には水がしたたる紙片。
「ど、どうしたの?」
 思わず動転した声を上げる庄左ヱ門にきり丸が力なく答える。
「川に…おとしちまった…」 
「わかった」
 短く答えてきり丸の手から地図をひったくった庄左ヱ門は、注意深く平らな石の上に広げる。
「どうだ?」
 傍らからきり丸が覗き込む。
「う~ん…だめみたい」
 庄左ヱ門が小さく首を横に振る。
「そっか…ごめん、おれのせいで」
 きり丸が悄然と言う。
「しょうがないよ」
 吹っ切れたように庄左ヱ門が笑いかける。「ここはいさぎよく先生にあやまって、一週間教室掃除と廊下の雑巾がけをやるしかないよ…タダだけど」
「だよな…よし、わかった!」
 きり丸が胸を叩く。「おれがあずかった地図をおとしたんだから、おれ、がんばる! たとえタダでも…」
 涙目になりながらも拳をぐっと握りしめて続ける。「教室掃除と廊下の雑巾がけを…タダで…!」

 


「お~い、庄左ヱ門!」
「きり丸、おそいぞ~」
 学園近くの辻堂にたむろしていたのは一年は組のメンバーだった。
「みんな、こんなところで何してるの?」
 子守で時間を食ってしまったから当然ビリだろうと思っていた庄左ヱ門が声を上げる。
「なにって、庄左ヱ門を待ってたにきまってるじゃん」
 当然のように団蔵が言う。
「でも…」
「実はね、私たち、みんな地図をなくしちゃったから、庄左ヱ門の知恵をかりようとおもってここで待ってたんだ」
 きまり悪そうに乱太郎が説明する。

 


「…で、全チーム地図をなくしただと?」
 片掌で額を押さえながら伝蔵がうめく。「いったい何があったというのだ」
「は~い! 団蔵・伊助チームで~す!」
 元気よく団蔵が手を挙げる。その背後に伊助が恥じらうように身を隠している。「風でとばされてどっかいっちゃいました~!」
「いちおう第3ポイントまではいったんですけど…」
 伊助がぽつりと付け加える。
「兵太夫・金吾チームは…へっくしっ!」
「へっくしっ!」
 全身ずぶ濡れの兵太夫と金吾がくしゃみをする。
「…川をわたろうとしてずっこけました」
 深い川だったので地図を持った金吾を肩車した兵太夫が渡ろうとしたのだが、川底に足をすべらせたのだ。
「は~い! 次は喜三太・乱太郎・しんべヱチームで~す!」
「あのね、喜三太…私たち、任務に失敗したんだから、そんなに明るくしてるバヤイじゃないよ」
 げんなりした顔で乱太郎が突っ込む。
「ほにょ?」
 一瞬、不思議そうな表情を見せた喜三太だったが、すぐに明るい声で続ける。「ぼくのナメクジさんたちが地図をおやつにしちゃって、おまけに残りはしんべヱが鼻をかんだんでぐちゃぐちゃになっちゃいました!」
「ラストは三治郎・虎若チームで~す!」
 にっこりしながら三治郎が声を上げる。「ぼくたち、チェックポイントの大木雅之助先生のところにいったら、大木先生のペットのケロちゃんに食べられちゃいました!」
 ねっ、虎若! と振り返る三治郎に、虎若も笑顔で頷く。
「まったくお前たちは、任務に失敗したのにどうしてこうもノー天気なんだか…」
 あっけらかんとした笑顔の生徒たちを見下ろしながら、深く長いため息をつく。
「だって! 教室そうじもローカの雑巾がけも、みんなでやったほうがはやくおわるし!」
 団蔵が明るく言い切る。
「そうそう! それに、みんなでやれば楽しいし!」
 虎若の台詞に、皆がうんうんと頷く。 
「ああもう分かった。今日から一週間、お前たち全員で教室掃除と廊下の雑巾がけだ。役割分担は庄左ヱ門、お前が決めなさい。いいな」
 ため息とともに言うと、がっくりと肩を落としたまま伝蔵は教室を後にする。
「だって」
「どうする? 庄左ヱ門」
 教室に残されたは組のメンバーの視線が庄左ヱ門に集まる。
「しょうがないな。それじゃこれからシフトを作るから」
 肩をすくめた庄左ヱ門の台詞に、は組メンバーから声が漏れる。
「さすが庄ちゃん。いつも冷静ね」

 

<FIN>

 

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