Les années folles

 

Les années folles(レザネ フォル・狂乱時代)とは、1920年代の経済成長と社会の変化、伝統の破壊と現代へと続く不連続性の時代と解説されることが多いようです。個人的には、アメリカにおけるRoaring Twenties(狂乱の20年代)という言葉より、第一次世界大戦後の破壊と再生のプロセスをより強く感じます。そして、文化の爛熟や退廃、短い繁栄の後に訪れる破滅というイメージもぬぐえません。

そんな社会の精神に接した六年生たちがどう感じるのか。目もくらむような光芒なのか、時代のあだ花なのか。いろいろ考えながら書いてみました。

 

1 ≫ 

 


「あなた方のことは福富屋さんから聞いてますよ。経済についてお調べとか」
「よろしくお願いします」
 城というよりは少し大きめの武家屋敷といった風情のハツタケ城の座敷に端座する文次郎と仙蔵がいた。
「それにしても忍たまということは忍者のタマゴ。それなのにどうして経済のことを?」
 二人に対座するのは家老というよりやり手の商人のような風采の男だった。年のころは三十といったところか。動作も話しぶりもキビキビしている。
「忍者であればこそ、世情に誰よりも通じている必要があります」
 当惑したように一瞬文次郎に眼をやった仙蔵だった。自分たちが忍たまであることは世間には極秘である。それは福富屋もよく分かっているはずだった。が、すぐによどみなく続ける。「忍者とは、情報を得るとともに分析する必要があります。そのためには、いろいろな角度からものを見る必要があるのです」
「なるほどね。それで経済というわけか」
 仙蔵の当惑を楽しむように軽く首を傾けると、家老は軽やかに口を開く。「であれば、わがハツタケは最もいい教材だろうよ。なにせここではものすごい速さで経済が回っている。堺よりも速く、ね」
「なるほど…」
 それがどのようなことかまったく想像もつかず、文次郎と仙蔵はただ頷く。
「とはいえ我らも福富屋さんには世話になっている。そのご紹介とあれば、客人としてお迎えせねばならない…阿礼!」
「は」
 襖が開いて阿礼とよばれた小姓が畏まる。
「羽伝を呼べ」
「かしこまりました」
 小姓が姿を消すと家老はふたたび二人に向き直った。
「君たちには勘定奉行付の者を案内につけよう。羽伝は若いが経済のことは隅まで知り尽くしている。なんなりと訊くがよかろう」
「おそれいります」
「ありがとうございます」
 二人が同時に頭を下げる。

 

 

「あなた方が福富屋さんから紹介された忍たまですか。潮江殿と立花殿」
 紹介された三十前と思しき家臣にもまたずけずけと秘密を口にされて文次郎も仙蔵も軽い苛立ちをおぼえ始めていた。
 -どういうことだ。絶対の秘密をこうも軽々と言うとは…!
「申し遅れました。私は勘定奉行付の宇尾連羽伝と申します。どうぞよろしく」
「うおれん はでん…?」
 聞き慣れない名前に思わず鸚鵡返しに言う文次郎だった。
「さよう、変わった名前だとお思いでしょうがそれが私の本名です。ではさっそくご案内しましょうか」
 名前を珍しがられることには慣れているらしい。言いながらすでにすたすたと歩き始める羽伝に慌ててついていく二人だった。

 

 

「経済とは、つまるところお金の流れということです」
 広い敷地を歩きながら羽伝は説明する。急いで話を書きつけながら二人が続く。
「景気が良い、悪いと言います。その違いは何か。景気が良いとはお金の流れが良いこと、逆に流れが滞ると景気が悪くなる」
「その、お金の流れとはどのようにして決まるものでしょうか」
 話がどんどん進んでしまう前に仙蔵がようやく問いを挟む。
「いい質問です」
 ちいさく頷くと羽伝は足を止めた。「そもそもお金とはなんだと思いますか?」
「え…それは…いわゆる銭では…?」
 唐突な質問にも優等生らしく答えを引き出す仙蔵だった。
「正解です」
 満足そうに羽伝は頷く。「しかし、我が国に流通する銭には致命的な欠陥があります」
「欠陥?」
 さすがにその意味までは分かりかねて仙蔵が考え込む。「それはどういう…」
「我々が使っている銭がどこから来たかはご存知ですね」
「それは…唐の国では」
「そのとおりです。まさにそのことが問題なのです」
「どういう意味か…教えていただけますか」
 ついに降参した仙蔵が訊く。
「わが国では、銭を作っていない。ということは、銭はすべて唐からの輸入です。それも、最近では数が減っている。唐で輸出を絞っているからのようです」
 言葉を切った羽伝が鼻を鳴らす。「その結果どうなるか。わが国で流通する銭は減ります。それに銭も長く使えば欠けたり割れたりした鐚(びた)銭として価値を失っていく。また、銭を手元に抱え込もうとして壺に詰め込んで床下に隠すような輩がやたらといる。そうこうするうちに日本中で銭不足になる。銭が貴重になればなるほどため込む輩も増える。そんな悪循環で銭の流れがよくなるわけがない。だから、致命的な欠陥だというのです」
「しかし、それならば日本でも銭を作ればよいのではないでしょうか」
 ごく当然に思える問いだった。だが、羽伝はいかにも軽蔑したように言う。「誰が作るというのですか?」
「それは…」
「朝廷が作ろうが将軍家が作ろうが、日本中から認めなければなんの意味もない。大名が作れば、通用するのはせいぜいその領地くらいでしょう。そんなことを何百年も続けてこうなっている」
「ではどうすれば…」
「より多くの銭をかき集めるには、付加価値が必要だ。だから、我々は火縄を作っている。お見せするわけにはいかないが」
「火縄を…?」
 唐突に理論が飛躍したように思えて思わず口をはさむ文次郎だった。だが、羽伝は気にせず続ける。
「そうです。ご存じのようにこの辺りはあちこちで戦が起きている。戦をする城にとって、火縄は喉から手が出るほど必要なものだ。だから我らが作っている。まだ国友や堺ほど大がかりではないがね」
「つまり、そのようにして銭を手に入れているというわけですね」
 少し理解できたような気がして仙蔵が確認する。だが、小さく首を振った羽伝はなおも続ける。
「だが、それだけでは不十分だ。なにせ火縄は戦がないと売れないからね。戦がなくても売れるものが必要だ」
「といいますと?」
 もはやこの場で理解するのはあきらめた仙蔵が訊く。あとで書き取ったメモをもとにゆっくり思考を整理しないとこの高度な経済の話にはついていけないと思った。その傍らでとっくにメモをやめた文次郎が鋭い視線で羽伝を見つめていた。
「農村対策ですよ」
 ほかに何があるのかと言わんばかりにさらりと羽伝は言う。「そのために、土倉どもを競わせてどんどん代官請負に出している」
「は、はい…」
「代官請負とは、本来は荘園の領主が自分で年貢の徴収できずに土倉や寺などに請け負わせることです。最近では村や惣が借財が返せなくなって、貸し付けた土倉が代わりに村や惣の経営を行うことも増えてきた。わがハツタケではそれをさらに進めて、領地の代官はすべて商人に任せる方針に切り替えている。これは実にうまくいっている」
 満足げに羽伝は言う。「商人であれば、どうすれば領民の一揆や逃散を防ぎつつ、任せられた領地から最大の年貢を上げられるか、そのノウハウを持っています。そんな芸当がいままでの世襲の代官にできると思いますか? できるわけありませんよね。親から労せず代官の地位を得て、戦で武功を上げることばかり考えている脳みそ筋肉系な者に任せてうまくいくわけがない…だから、我々はドラスティックに委託化を進めている。現に商人たちはより競争力の高い作物を導入したり、水路や新しい農機具のような設備投資を行ってより高い利益を上げようとしている。実に素晴らしいことだ!」

 

 

「…うぅ」
 居室にあてがわれた部屋に落ち着いた仙蔵は、さっそく文机に向かって筆を執ろうとしたがそのまま深いうめき声を漏らして動けずにいた。
 -なんのことやらさっぱりわからん…!
 銭の話まではかろうじてついていくことができた。だが、そのあとの銭を稼ぐための策のところで決定的に理解が止まってしまった。
 -結局、なにをどうやって銭を稼ごうという話だったのだ! 全くついていけなかった…。
 だが、それが経済というものを理解するうえで最も大事なことのように思えた。
 -このままではレポートを書くことができない…どうするか…。
「なあ、あの羽伝ってやつ、忍者じゃねえか?」
 懊悩する仙蔵に気付いているのかいないのか、文次郎は離れた壁に寄り掛かって腕を組みながら言う。
「忍者?」
 いまや文机に頭を抱えて伏せていた仙蔵が視線を向ける。
「なにか決定的なものがあったわけではないが…どうもあの如才なさ、何か隠してるみたいなんだよな。もしかしたら、それはヤツが忍者だからじゃねえかと思ったんだが」
「だとすればどうする」
「いや…だが、用心に越したことはないと思ってな」
「…」
 文次郎が言うならその通りだろうと考える。鍛錬バカで思考がいささか中二的であっても、忍としての実力はほぼマスターしているし、その直観力は仙蔵も認める男だったから。

 

 

「ところで、忍術学園とは、何を学ぶところなんですかな」
 翌日、領内の代官請負に切り替えた村の収益の伸びをひとしきり説明した後に、唐突に訊く羽伝だった。
「いやまあ…忍者としての技術や知識を教わるところです…」
 どこまで答えるべきか迷いながら仙蔵が語尾を濁す。
「忍者に必要な技術や知識とは?」
 すかさず羽伝が畳みかける。
「それはお答えできません」
 仙蔵が答えるより先に文次郎が口を開いた。
「そうですか。それでは判断しようがありませんな」
 たいして気にも留めないように羽伝は言う。
「判断?」
 つい聞いてしまう文次郎だった。
「見ての通り、わがハツタケ城は最小の人員で運営している。余計な業務は委託化しておりますからな。だが、周辺でこうも戦が増えては、情報収集力の強化は必要だ。こればかりは自前でやらねばならない」
 軽くため息をつくと羽伝は続ける。「しかし、我らのように自前で忍者を育成ができない城のために忍術学園はあるのではないですか?」
「それはまあ…」
 それこそ自分たちの進路に関わる問題だと気付いた文次郎が曖昧に頷く。
「やはり手裏剣投げたりとか、敵の忍者と戦ったりといったところなんですかね」
 -いやいや、手裏剣は投げるじゃなくて打つだし、敵の忍者と戦うなんてのは最後の最後だし…。
 心の中で突っ込む文次郎だったが、ではどうすればいいか応えかねて口ごもる。
「やはりその程度ということですか」
 いかにも失望した口調で羽伝は肩をすくめる。「やはり他の城から即戦力を引き抜くしか…」
「そんなことはありません!」
 堪えきれずに遮る文次郎だった。しまったという表情で仙蔵が止めようとするがもう遅い。「忍とは敵陣に潜ったり情報を探ることが重要任務です! 敵と戦うというのは最終手段です! それに…」
「それに?」
 急に激した口調になる文次郎に眼を丸くした羽伝が小さく首をかしげる。
「高度な専門知識も学びます! 火薬とか医療とか南蛮の言葉とか!」
「それは本当ですか?」
 落ち着き払った羽伝が訊く。「元服するかしないかの子どもがそんな高度な知識を学ぶと?」
「学びます!」
 もう止められない文次郎だった。「ここにいる仙蔵は火器や火薬の知識はダントツです! それに…」
「医療や南蛮の言葉に通じた忍たまもいると? とうてい信じられませんな。そもそもそのような知識はたかだか数年で身につくはずがない」
「会っていただければ分かります!」
「お会いできるのであれば話は早い」
 疑わしげな視線を向けたまま羽伝は言う。「領内で病が広がっていて、医師の手が足りなかったところです。それに南蛮人の商人からアプローチを受けていましてな。言葉が分かる者がいればこちらも対応できてありがたい。さっそく呼んでいただけますかな」

 

 

「…どうやら羽伝殿の手に落ちたようだな」
 部屋に戻った仙蔵がぽつりと言う。
「俺としたことが…くっそ! アイツのペースに乗っちまった…!」
 悔しそうに文次郎が唸る。
「とはいえ約束してしまったものは仕方ない。ここは伊作と長次に来てもらうしかないな」
「ああ、分かった」
 がっくりと肩を落とした文次郎が筆を執る。「俺から手紙を出す」

 


「…で、どーしてお前らまで来るんだよ!」
 翌日、学園からやってきたのは伊作と長次だけではなかった。
「伊作が行くのに俺が行かない法があるか」
「面白そうだからイケイケドンドンで私もついてきたぞ!」
 腕を組んでニヤリとする留三郎と片手を突き上げる小平太だった。
「なんかもうこの話の結末が見えてきたな」
 ぼやいた仙蔵が小さく頭を振る。
「なに言ってやがる。だいたいお前たち、堺の福富屋さんに行ったんじゃねえのかよ」
 構わず留三郎は突っ込む。
「さらに高度なことを知ることができると福富屋さんに紹介していただいたのだ」
 仏頂面で仙蔵が説明する。「先方も忍術学園に興味を持ったようでな。医術や南蛮語に通じた忍たまがいるなら会ってみたいということだったのだ」
 なのに余計な連中までついてきて、とまではさすがに言いかねて仙蔵は顔をそむける。
「で、医術が必要ということはどこかに患者がいるってことだろ? どこにいるんだい?」
(南蛮の言葉は読み書きは分かるが話すのは苦手だ…。)
 伊作と長次の言葉に用件を思い出した仙蔵がはっとしたように向き直る。
「そうだな…まずは勘定奉行付の宇尾連羽伝殿にお知らせしよう」

 

 

「…まったくひどいもんだったよ」
 数日後、ハツタケ領内をまわってきた伊作は疲れ切った様子で大仰にため息をついた。
「そんなにひどかったのか」
 興味をひかれたように文次郎が訊く。
「ああ、こんなに分断されてる国もないんじゃねえか」
 伊作の手伝いで一緒に行動していた留三郎がぶすっと吐き捨てる。
「というと?」
 仙蔵も興味を持ったようである。
「…ハツタケ領が景気がいいというのは本当だと思う」
 考えを整理するようにしばし黙っていた伊作が口を開く。「城下やほかの街でも働き手が足りなくて口入屋(職業紹介所)がたくさんいるし、賃金もどんどん上がっているようだった。それにつられて他の国から人が入ってきて、それが伝染病も持ち込んでいる。病気で働けなくなる人が増える一方で働きたい人がどんどん入ってくるから、雇うほうの商人はぜんぜん困っていない…」
「人がどんどん入ってくるから長屋の家賃も上がっている。商人は稼ぎを長屋に投資して家賃を吊り上げてさらに荒稼ぎしてる。どこの街に行ってもそんなんばっかりだ」
 留三郎も憤懣やるかたないようである。
「農村はどうだった」
 冷静に仙蔵が訊く。
「同じようなもんだ」
 もはや怒りを抑えきれない留三郎が応える。「商人が代官になって村を絞りまくってる。土地に合った作物よりもカネになる作物を作らせるから、うまくいかなかったところは飢饉になってるし、うまくいっても自分の食料を作れるわけじゃねえから代官から高い米や野菜を買わされていてちっとも稼ぎになってねえ。こんなロクでもねえ国なんて初めてだ。ハッキリ言ってドクタケ以下だな…!」
「なるほどな…で、長次はどうだった」
 少し留三郎に頭を冷やす時間を与える間に長次に話を振る。
(南蛮の商人がハツタケに武器や硝石を売りつけようとしている。)
 もそもそと長次が口を開く。
「で、ハツタケはどうするつもりなんだ?」
 ぶすっと文次郎が訊く。
(買い付ける方向でほぼ決まっているようだ。あとは価格交渉だけだ。)
「なるほどな」
 腕を組んだ仙蔵が呟く。「さて、これからどうする。一番手っ取り早いのはこのまま放置しておさらばすることだと思うが…」
「えっ?」
 すかさず伊作が反応する。「それじゃ、伝染病はどうするんだい? 根本的に対処しないと大変なことになるよ?」
「ならどうするってんだよ」
 苛立たしげに文次郎が口をはさむ。「こんなふざけた連中にこれ以上付き合う義理なんてねえだろ」 
(だが、福富屋さんに紹介していただいたということは、ここで学ぶべきものがあるということだろう。)
 ぼそりと長次が指摘する。
「それもそうだな」
 ようやく本来の話題に戻ったと思いながら仙蔵が頷く。だが、これから何をすべきかは何もアイデアがなかった。
「僕は街の医者や村の薬草摘みの人たちと話してきたんだけど、ちょっと気になることを言っていたんだ…ね、留三郎」
 おもむろに話を振る伊作に留三郎が応える。
「ああ。どうもハツタケがこんな風になったのはここ十年くらいのことらしい。このあたりでいくつもの国が絡んだデカい戦があって、ハツタケも巻き込まれたってことだ」
「その話なら聞いたことがあるぞ」
 文次郎が顎に手を当てる。「ハツタケは一応勝った方の陣営にいたが、領内はあちこち戦で荒らされて、弱ったスキにドクタケあたりに攻め込まれるんじゃないかと言われてたらしいな」
「そうなんだ」
 伊作が頷く。「だから、そうならないようにかなり強引なことをやったらしい。戦を始めた殿さまを引退させて改革派の若い殿さまを据えたり、お城の大リストラをやって引退したお殿さま派の家臣は全員クビにしたり、代官や奉行に商人を就かせたりとか」
「それで商人を儲けさせて税金を取り立てるようになったのが一番大きい変化らしい。商人が稼いで商売を大きくするから、仕事も増えてますますたくさん人が集まって、人が増えれば住まいや飲み食いで金を使うからまた景気が良くなるの繰り返しになってるらしい」
「だから、伝染病も入ってくるし、働く人たちもどんどん入ってくるから使い捨てになってるんだ」
 留三郎の説明に伊作が悔しそうに付け加える。
「なるほど。今の話で福富屋さんがハツタケに行くよう仰った理由が分かった」
 仙蔵が口を開く。「景気のいい悪いはどういうことか、ここで学べということなのか」
「そういや羽伝が言ってたな」
 思い出したように文次郎が言う。「農村経営を商人に任せたら、カネになる作物を作らせたり、水路を作ったりするようになったって…それって、要は金儲けできるようになったってことだろ?」
「そういうことか」
 難しい表情になる仙蔵だった。たしかに商人を奉行や代官に据えて新しい発想で収入を増やすことは、好景気と税収増をもたらすから国力を向上させる役には立つだろう。その財力に注目した南蛮商人と直接取引すれば硝石や武器を有利な条件で入手することもできるだろう。だが、その副作用は農村にも街にもあまりに大きい…。
 考え込む仙蔵だったが、ふとその耳に「なあ、伊作。お前まだ肝心なこと言ってねえだろ」「え? それ言わなきゃだめ?」「当たり前だろ」とごそごそ話す声が聞こえた。
「お前ら、なに分かりやすく内緒話してんだよ」
 果たして文次郎が突っ込む。
「それがさ…」
 ため息をついた伊作が声を低める。「あちこちの村で言われちゃったんだ…いまの殿さまを追い出すために一揆を起こすから手伝ってくれって」
「は?」
 文次郎が思わず声を上げる。「しーっ!」と制する伊作に慌てて口をふさぐ。
「さっき言ったろ。商人上がりの代官が農村を搾り取ってるって。だから相当不満がたまってるんだろうさ」
 留三郎が苦々しげに解説する。「前の殿さまのときは、たしかに戦ばっかやってたけど、それは農家は関係ねえ話だった。でも今の殿さまになってから戦は減ったが昔より貧しくなったそうだ。代官が決めた作物しか許されねえから、自分で食べる野菜も作れなくなって、食い物にも困るありさまだってな」
「それに、バックにお城をリストラされた前の殿さま系の家臣たちがついてるようなことも言ってた。どこまで本当か分からなかったけど」
 伊作が付け加える。「見ず知らずの僕たちにまでそんな話するなんて、よほど困ってるんだろうなとも思うけど、ちょっと無防備だし、もしかしたら僕たちを試してるんじゃないかと思うんだ」
(一揆の話なら私も聞いた…。)
 黙っていた長次がもそりと言う。(だが、バックにいるのは他の勢力のようだった。)
「他の勢力?」
 腕を組んだ留三郎が訊く。「俺たちの方にはそんな話はなかったぜ? なあ伊作」
「うん。で、バックにいるのはどこの勢力なんだい?」
 伊作も長次に向かって訊く。
(アカタケ領だ。)
「アカタケ領?」
 文次郎たちが顔を見合わせる。
「そんな城、聞いたことないな」
(もともとはハツタケのなかのひとつの郡だったが、戦で国が混乱していたときに民衆を扇動して一揆を起こさせては代官を追い出して領地を広げているようだ。ただ、そのあとが大変らしい。)
「たいへん?」
「どういうことだ?」
(治めかたが普通ではないらしい。噂に聞いただけだが、アカタケ領では土地はすべて公のものになってしまうらしい。その代わり、農民がいちばん偉いとされ、代官や地主、名主は追放されているそうだ。)
「なんだそりゃ」
 留三郎が大仰に肩をすくめる。「それじゃ、誰が村を治めんだよ」
(それは分からない。ただ、作物はすべて実態は分からないが支配者らしき者に納めて、乞食や傀儡にも平等に配られることになっているという。)
「ますますわからんな」
 当惑したように文次郎が頭をがしがし掻く。「そんなの国っていえるのかよ」
(だが、貧農や足軽といった連中はそれに共鳴している。アカタケも手先を他国に送り込んで一揆を起こさせようと企んでいるらしい。)
「なるほどな」
 仙蔵が頷く。「代官に搾り取られるくらいならアカタケみたいに平等に扱われたいと考える農民がいてもおかしくないというわけか」
(…実は私も、アカタケとの一揆に加わるよう誘われた。)
「長次もかよ」
 呆れたように留三郎が声を上げる。「この国じゃ、誰彼見境なく一揆に誘い込もうとしてるのかよ」
「それだけ深刻な状況だということだ」
 仙蔵が眉間に皺を寄せる。「一見、景気がよくて華やかに見えるが、その裏では矛盾がたまっているのだろう」
「それで、長次はどう返事したんだい?」
 伊作が話を戻す。
(私が答える前に小平太が断った。)
 短い答えに全員が脱力する。
「結論早えな」
「てか、小平太はどーしたんだよ。さっきから姿が見えないが」
 起き上がりながら文次郎と留三郎が言う、
(私たちの話に飽きてアカタケ領を探りに行った。)
 何事もないようにあっさり答える長次にふたたび脱力する文次郎たちだった。

 


 -お?
 アカタケ領へと元気よく走っていた小平太は、通りかかった街で起きている騒動にふと足を止めた。  -一揆か。
 借金に追われて血走った眼をした貧農たちから、騒ぎを起こすことだけが目的の浪人や足軽崩れまでが一斉に丸太や松明を抱えて土倉へと向かう。
 -やってるやってる。
 それはよくある土倉襲撃の図のように見えた。だが、ふと聞こえた掛け声が気になった。
「これだけで済むと思うなよ!」
「俺たちがこの国を治めるんだからな!」
「商人どもも侍どもも追放だ!」
 -あんま聞かないシュプレヒコールだな。
 普通の一揆であれば借銭の帳消しを求めるものだが、どうやらそれだけではないようである。
 -アイツが頭か。
 先頭に立っているのは神主のような身なりの男である。
「高利貸しに死を!」
「地主どもに死を!」
 男の声とともに群衆が叫び声を上げる。それは得体のしれない不気味さを感じさせた。
 -まあいいや。とにかくアカタケ領に急ぐぞ!
 ぱっと考えを切り替えて再び走り出した小平太だったが、アカタケ領でさらに当惑することになる。

 


「今の殿になってからハツタケは悪くなる一方だ!」
 立派な白髭の老人が言い切ると、集まった男たちが大きく頷く。
 -なんか話が違くねえか?
 -うん。まずい方向に向かってるよね…。
 その傍らで居心地悪そうにちらちらと互いの表情をうかがう留三郎と伊作だった。
 あのあと、一揆勢の動きを探るためにふたたび農村部へと戻った二人だったが、さっそく顔をおぼえていたグループの集会に引き込まれていた。
「だが、いま、ここに強力な援軍が現れましたぞ。優秀な医者であられる善法寺伊作殿と食満留三郎殿じゃ!」
 高らかかつ唐突に名前を呼ばわれて思わずぎくりとする二人だった。
「え、え~っと、僕たちそんなに優秀なわけでもないし、そもそもどんな怪我人が出るか分からない一揆に加わるというのは…」
 慌てて白髭の老人に訴える伊作だったが、老人は平然とささやき返す。
「なんの。皆、旗頭を欲しがっているだけじゃ。それがなければまとまるものもまとならぬ。あんたはいかにも若いが医術についてはかなりのものとお見受けする。それこそわれらの旗印に相応しいというものじゃ」
「そんなムチャな…」
 なおも抗弁しようとする伊作の肩を留三郎が抑える。
「なあ、伊作」
「なんだい、留三郎」
 振り返った伊作の視線は抗議するように鋭い。
「ここはこの話に乗っちまわねえか」
 耳元で低くささやく。伊作の眼が見開かれる。
「なに言って…」
「だって頭になっちまえばこいつらの目的や内情を探り放題なんだぜ? こんないいチャンスねえだろうよ…安心しろって。いざってときは俺がなんとかするからさ!」
 妙に自信ありげに言い切ってウインクまでする留三郎を胡散臭げに見やる伊作だった。
「…今日の留三郎ほど怪しい人もいないと思うよ」
「俺はいつだって伊作のために言ってるんだぜ?」
 顔を寄せたついでにふっと耳に息を吹きかける。「だから伊作もあきらめろ」
「話がぜんぜんつながってないよ」
 それにぜんぜん気持ちよくないし、と伊作はため息をつく。「でも、いざ一揆が起きそうになったら必ず逃げ出すからね? ぜったい僕を連れ出してよ?」
「まかせとけって」
 余裕綽々に頷く留三郎になおも疑わしげな視線を向けた伊作だったが、大きく一呼吸してから老人に向き直る。
「分かりました。私でよければ引き受けましょう。ただ、その前にお聞きしたいことがあるのですが…」

 

 

「伊作の方は首尾はバッチリだぜ」
 報告に戻った留三郎の口調は興奮を隠し切れない。
「で、どうなんだ。一揆の背景は」
 白湯をすすめながら仙蔵が訊く。
「ああ。俺たちが見込んだ通り、今の殿さまに不満を持った、もっぱら前の殿さま派の家臣連中が、不満をため込んでる農民を焚きつけて一揆を起こそうとしている」
 湯呑を一気にぐっとあおった留三郎が応えるが、ふと当惑した表情になる。「だが、ちょっと戦力的には微妙なんだよな」
「なんだよ、微妙って」
 文次郎が眉を持ち上げる。
「俺たちが見る限り、一揆を起こそうとしてる連中は年寄りばっかってことだよ」
 腕を組んだ留三郎がため息をつく。
「年寄り?」
 文次郎の声のトーンが上がる。「それじゃ戦力にならねーだろうが」
「そうなんだよ」
 留三郎も否定しない。「よくよく話を聞くと、若い連中は街に稼ぎに出ちまって、村には年寄りしか残されてねえってことなんだ。その年寄り連中が一揆を起こそうとしてるってわけさ」
「そんなんうまくいくのかよ」
 呆れたように文次郎は言う。「いくらなんでも無理があるだろ」
「連中だって百も承知だよ」
 留三郎が肩をすくめる。「だから数で勝負しようとしてる。村はどこもここも代官にひどい目に遭ってるから、旗頭さえいればいくらでも集まるらしい」
「それでいいのか」
 黙って聞いていた仙蔵が傍らの伊作にそっと訊く。
「どうもこうも、なるようになるしかないよ」
 伊作は小さく肩をすくめる。「それに、問題はもっと根深いところにあるんじゃないかって気がするんだ。それを探ろうと思ってね」
「根深い?」
 湯呑を手にした文次郎が眉をぐいと持ち上げたとき、(戻った。)と声がして襖が開いた。
「おう、長次。そっちはどうだった?」
 ま、白湯でも飲めよと湯呑をすすめながら留三郎が陽気に訊く。今日は羽伝の供で南蛮の商人と面会に行っていた。
(ハツタケが欲しがっているのは武器や硝石だけではなかった。唐の漢方薬の材料も大量に輸入しようとしていた。)
「漢方薬の材料だって!?」
 眼を輝かせた伊作が身を乗り出す。「それ、もっと具体的に教えてくれるかい?」
(いや、私も薬の名前はよく分からないから…。)
 当惑したような長次に伊作も「そうか…しょうがないよね。僕も南蛮の言葉で薬種をなんていうかは分からないし」とがっかりしたように頷く。
「だが、なぜハツタケは薬の材料を欲しがるのだ?」
 興味を持った仙蔵が訊く。
「漢方薬の材料は、日本では手に入らないものが多いからね」
 伊作が説明する。「むしろ日本で手に入るものの方が少ないくらいなんだ。だから、薬種の流通を抑えることができれば、すごく利益になると思うよ」
「なるほど、そういうことか」
 仙蔵が顎に手を当てて考え込む。なるほど、羽伝が考えそうなことだった。武器は戦がなければ用がないが、薬は違う。
「それに、南蛮の医術はすごいんだ。今までの漢方では治せなかった外科治療の方面では特に進んでいてね…」
 弾んだ声で説明する伊作にふと仙蔵も耳を傾ける。
 -伊作がその価値を知っていることが知られたらまずいな…。
 医術の知識では新野にも信頼されている伊作である。おまけに羽伝は伊作が不運であることを知らない。あらゆる手を尽くしてハツタケの手の者に取り込もうとするだろう。だが、すでに伊作は一揆勢の頭領に祭り上げられている。この情勢が続けば、近いうちに掌を返して学園に逃げ戻らざるをえない局面に至るだろうが、そのとき、心優しく優柔不断な伊作はどのような反応を見せるだろうか。

 

「今日から身の回りのお世話をさせていただく六助といいます」
 板の間に控えた少年がうやうやしく言うと額が床につくほど深く低頭する。
「あ、ああ…よろしくね」
 畳の上に据えられた伊作が戸惑ったように応える。一揆の準備が進む村に戻った伊作は神官のような妙な衣装を着せられ、その恰好で今日から医者として診察に当たるよう申し渡された。なるほど医者というだけで十分目立つので妙な格好をしてもそんなものだと思われるだけだし、診察を受けるという名目で近隣の村の者が訪れても代官に怪しまれることもない。医者を旗頭にするのは実に賢明だと納得する伊作だったが、一方で自分の意思と無関係に一揆の計画が進められていくことに不安と焦りをおぼえ始めてもいた。
 村々に渦巻く不満が一揆に焦点を結ぼうとしている空気は伊作も感じ取っていた。これだけ不穏な空気があるにもかかわらず代官が何の動きも見せない方が信じがたかった。商人出身の代官にはそのようなことは無頓着になってしまうとしか思えなかった。
 -でも、それだけじゃないはずなんだ…。
 まだそれが具体的に見えているわけではないが、代官の農村政策だけが問題ではないという確信はあった。だが、それを探りあぐねていたときに現れたのが六助だった。
 一見して真面目が服を着て歩いているような少年に見えた。だが、一揆の陣営に身を投じてから初めて見かけた若者だった。
「ねえ、六助君」
 数日後、診察という名の謀議を終えて人々が立ち去ったあとの部屋で、診療器具を片付けている六助に伊作は声をかけた。
「はい」
 片付けの手を止めた六助が振り返る。閉め切った障子越しに差す夕陽にその頬が淡く染まる。
「君は街に行かないの?」
 農村に見切りをつけた若者はあらかた去っていた。そんな中で、元服済みの若者が残っていること自体が珍しく思えた。果たして六助は少し視線をそらせながら応える。
「両親が病気がちなのです」
「そう」
 いかにも用意された答えだ、と思いながら伊作は微笑む。「でも、君は訳があってここにいるんだよね? 本当は一揆なんか興味ないのに」
「それは…」
 みるみる顔色が変わる様子に、やはりと得心する伊作だった。
「六助君は、歳はいくつだい?」
 相手をこれ以上動揺させないように、軽い口調で伊作は訊く。
「十五…です」
「そうか。僕と同じだね」
 うれしそうに微笑む伊作に向けられた六助の眼が大きく見開かれる。
「まさか…あんなに腕の立つお医者様でいられて、それに一揆の…」
 言いかけたところでさすがにまずいと思ったか両手で口をふさぐ。
「医術は師に恵まれただけさ。一揆勢に担がれたのはたまたまだしね…それより、君がここにいるわけを知りたいな」
 微笑みながらも伊作の視線はじっと六助に注がれている。ちらと顔を上げて再び俯いた六助が、観念したように口を開く。
「父たちは、みんな街に行って変わってしまったといいます…でも違うんです。私の友人たちはここにいる時から変わってしまいました。それで、村にいるのが我慢できなくなって出て行ってしまったんです」
「変わってしまった?」
「私たちが物心ついた頃、この国は戦をしていました。他の国に攻め込まれて山に逃げ込むのもしょっちゅうでした。だから、父や祖父たちが知っているそれ以前の世の中は知りません。ただ、その頃は、静かな世の中だったといいます。正月に年神様のお祭りをして、春に田の神様をまつって田植えをして、秋に刈上げのお祭りをして収穫して、また正月を迎え…というように。でも、今は違います」
 六助は苦しげな表情で息を吸った。「商人上がりの代官の命令で田んぼはほとんどつぶされてしまいました。その代わり、金になる野菜や藍や楮を作らされました。どこかから職人を連れてきて藍からすくも(藍染の原料)を作ったり、楮から紙を作ることも学ばされました。たしかに今まで考えられなかったほどのお金になりましたが、代官から高い米を買わなければならないので、結局お金はほとんど残りませんでした。それだけではありません」
 なおも苦しげな六助に手を差し伸べようとした伊作だったが、小さく震わせた背にはっきりと拒絶を感じて、黙って続きを促すしかなかった。
「…田の神様のお祭りも年神様のお祭りも、あっというまに廃れてしまいました。友人たちは、いもしない神様を祭るなんて愚か者のすることだと言いました。父や祖父たちがそんなことを言うと罰が当たると言いましたが、友人たちはだったらなんで代官が罰があたるどころかますます金儲けして贅沢三昧してるんだと言い返しました。それで、みんな街に行ってしまいました。街に行けばもっとお金が稼げるからと…」
 わずか数年で社会はここまで根本的に変わりうるのかと驚嘆する伊作だった。だが、質問が残っていた。
「でも、君は残ったんだね」
「…そんなに早く世の中とは変わるものでしょうか」
 ふとつぶやくように六助は言う。「私にはそうは思えないのです。行き過ぎれば反動があって、さらに進めば揺り返しがあって、そうやって世の中は少しずつ進んでいくものではないでしょうか」
「…」
 同い年とは思えない思慮深さがうかがえる台詞に伊作は黙り込む。
「だから、父たちが一揆を起こせば元に戻るとも思えないのです。それはなにか、違う方に物事が進んでしまいそうな気がするのです」
「どんな方向に進むと思うんだい?」
「私にも、よくわかりません。でも、決していい方向ではないような気がしてならないのです。それが、とても不安なのです…」
 俯いて呟いた六助がはっとしたように顔を上げた。
「あ! 先生のお風呂を沸かすのを忘れていました! すぐに沸かしてまいりますので、少しお待ちください」
 言うなり立ち上がってばたばたと部屋を後にする。
 -逃げられちゃった…。
 夕陽が傾き、急速に薄暗さを増す部屋の中で、伊作は苦笑いを浮かべる。誰もが熱に浮かされたようなハツタケ領の人々の中で、少なくとも一人は冷静な頭を保った者を見つけた。さて、それではどうするか。それが問題だった。

 

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