同じ影


忍ミュ第6弾再演で山田先生が、土井先生と伊作はよく似ているという台詞がありました。優しいゆえに人を斬ることができない、と。

でも、忍としてのキャリアを積んだ土井先生も、忍になるための修行を重ねた伊作も、人を斬る経験とは無縁ではなくて、だからこそ心の優しさとの折り合いに苦しんでいると思うのです。そして、忍としてのキャリアの分だけ苦しみが深かった土井先生が見出した思索をつたって、伊作もまた歩んで行けばいいと思うのです…。



 -ひどいありさまだ…。
 そこは一面の焼け野原となっていた。まだそこここでくすぶる火から煙がたちこめて眼や鼻を刺激する。そしてそれ以上に鼻を衝く火薬臭や死臭が漂っていた。
 -すでに戦は決したようだな…。
 時折ばらばらと人影が走り抜ける。敗残兵たちか、戦死者たちから具足をはごうと潜り込んだ者たちか。崩れた塀の影に身を隠しながら辺りを注意深く探る。
 半助は学園長に命じられてスギヒラタケ城とドクツルダケ城の戦を探りに来ていた。両軍の衝突に巻き込まれた村は壊滅状態だった。通りや焼け落ちた家の中には兵たちや逃げ遅れた村人たちの屍が折り重なるように倒れていた。
 -むごいことを。
 軽く眉をひそめた半助はそっとその場を立ち去ろうとする。戦はドクツルタケ城が大きなダメージを受けながらも辛うじて勝ちを収めたところだった。早く学園に戻って報告しなければならなかった。その時、
 -あれは…?
 半助の耳が小さな啜り泣きを捉えた。
 -こんなところに、なぜ…?
 いつの間にか、足は啜り泣きの方へと向かっていた。と、その足が止まる。
 -これは…。
 そこもまた焼け落ちた農家らしい家のひとつだった。崩れた土壁の下にうずくまる小さな影があった。
「どうした、こんなところで」
 そっとかけられた声に子どもは顔を上げた。だが、覆面から眼だけをのぞかせた長身の男におびえたのか声を上げて泣き出した。
「す、すまない」
 慌てて覆面を取ってしゃがみこむ。覆面の下から現れたやさしげな表情に安心したのか、泣き止んだ子どもは顔を上げた。
「お父上やお母上はどうしたのかな」
 周囲に両親らしい屍がないのを確認していた半助が訊ねる。だが、2,3歳くらいと思われる少女は黙ってうつむくばかりである。
 -戦の混乱で置き去りにされてしまったのかもしれない。とにかくこんなところにこの子を置いてはいけない。どこか安全な場所に連れ出さなくては…。
 だが、その前に半助は近づいてくる足音に気づいていた。
 -しまった。
 足跡は複数である。自分一人なら突破して逃げようもあるが、いとけない子どもを連れての包囲突破は、或いは子どもの命にかかわる。
「立て!」
 居丈高な声に子どもが再び泣きはじめる。小さくため息をついた半助はゆるゆると立ち上がると声の主に向き直った。
「きさま、こんなところで何をしている!」
 どうやら敗残兵を狩り出しているドクツルタケ軍のようだった。先頭に立った侍の背後に足軽たちが控えている。
「へい、ご覧のとおり、この子の親に頼まれて探しに来ていたところでさ」
 とっさに子どもの親戚のふりをして答える。
「ほう、この村の者というか」
 侍がにやりとする。
「へ、へい」
 嫌な予感がしたが、この場を子どもを連れて無事に切り抜けるためには頷くしかなかった。
「そのガキの親はいずれ来るだろう。お前は我らと来るのだ…行くぞ!」
「は」
 一方的に言うと侍は顎をついと持ち上げる。たちまち半助は両脇を足軽に捕えられてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくだせえ、私は怪しいもんじゃありません。それにこの子が…」
 むりやり引っ立てられながらも必死で抗弁を試みる。
「いずれ親が迎えに来ると言ったろう…彼岸からな」
 面倒くさそうに侍が言い捨てる。「だが我らはお前に用がある」
 -なんということを言う!
 瞬間、半助の頭に血が上る。まるで両親はすでに死に、子どもにも間もなく同じ運命が訪れるような、それも何の感情もない言い方に、はらわたが煮えくり返るような憤りをおぼえた。だが同時に、その感情の理由は、まさにこの侍が言い捨てたことが事実である可能性が高いことが半助にも理解できていたからだった。



「こやつが村人とやらか」
「は」
 幾重にも張り巡らされたドクツルタケの陣幕の中に半助は連行された。通された先には床几に腰を下ろした甲冑姿の将官がいた。
「それは好都合…どいつもこいつも村人を自称しておってな…1人は別だが」
 顎鬚に手をやりながら将官が頷く。
「あ、あの…私はどうなっちまうんで…」
 農民のようにへこへこと頭を下げながら半助はきょろきょろと辺りを見渡す。陣幕の中は侍や従者たちでごった返している。陣幕の中に入れない足軽たちが外にひしめいているのも気配で分かった。
「なに、ちょっとした顔合わせだ」
 半助を連行してきた侍がにやりとする。「怪しい連中が村に潜んでいたので捕えておる。皆、村の者だと言っておるが本当かどうか怪しいものだ…お前なら村の者とは顔見知りだろうから分かるだろう。本当に村の者であればそれでよし、そうでなければ、この村を焼き討ちしたスギヒラタケの間者だ」
 -なるほど、そういうことか。
 敵の間者をあぶり出そうという魂胆だろうが、本当に村人かどうかも怪しいのは自分も同じはずなのにずいぶん軽率だと可笑しくなる。
 -さて、どうするか。
 彼らの言う自称村人と引き合わされたとしても、当然ながら知るはずもない相手である。それどころか、先方の方が本当の村人である可能性もある。本当のところはドクツルタケにとってはどちらでもいいのだろう。恩賞の対象にもならない敵の下っ端の間者など、自分の手を汚さずに始末したいだけなのだ。半助に真意を見破られているとも知らず、侍はおためごかしく続ける。
「お前にとっては憎んでも憎み足りない相手であろう…そやつがいれば叩き斬ればよい」
 言いながら半助の手に刀を握らせる。そして控えていた従者たちに重々しく告げる。「開けよ」
「は」
 一方の陣幕が押し開かれる。
 -これは! 
 半助の眼が見開かれる。
 そこには、地面に打ちこまれた杭に縛られた5人の男がいた。その中の一人に視線が吸い寄せられる。
 -伊作! なんでこんなところに…!
 


「ほう、知り合いがいるようだな」
 半助の動きに侍が反応する。
「い、いえ…」
 慌てて顔を伏せる。
「知り合いはコヤツだけかの、ん?」
 髷を掴んでぐいと伊作の頭を持ち上げながら侍はなおも粘っこい口調で訊く。強制的に半助の姿を眼にさせられた伊作の表情がほんの一瞬動いて、ふたたび視線をそらす。
「ということは、残りの連中はスギヒラタケの間者ということだな? よいな?」
「そんな!」
「助けてくだせえ! 俺はこの村の者だ!」
「信じてくだせえ!」
 勝ち誇ったように侍がひときわ声を上げると同時に、捕らわれていた男たちが一斉に哀願する。
「黙れ! これで決まりだ! きさまらはスギヒラタケの間者に間違いない! この男の仕草で一目瞭然だろうがっ!」
 侍の怒鳴り声に男たちが思わず声を呑んだ瞬間、半助の耳は背後のささやき声を捉えていた。
「それにしては、おかしくないか?」
「そうだよな。あの医者だと主張しているヤツにしか反応しないとは…」
「本当にあの男、この村の者なのか?」
 将官の後ろに控えている従者たちの声だった。
 -ますますまずいな。これでは、私は無実の者を斬ったうえで、私自身も始末されかねない…。
 伊作がどういう事情で捕らわれたかは分からないが、まずは伊作とともにこの陣中から脱出しなければならない。だが、縛られた伊作の縄を首尾よく切って逃走するには、あまりに陣幕の内外に人が多すぎた。
 -これは、あの手でいくしかないな…。
 少々リスクが高いがこれしかないと思い定めた半助は、ふいに顔を上げると、伊作をまっすぐ指差して叫ぶ。
「いえ! コイツだけが村の者ではありません! スギヒラタケの間者にちげえねえ!」
「なに?」
 思わぬ半助の台詞に背後からどよめきが上がる。ぎょっとしたように眼を見開いた侍だったが、すぐに我に返ったらしい。腕を組んで言う。
「それならコヤツを斬るがよい。早くするのだ」
「へえ…そういわれましても」
 言われた半助はいかにも刀を握り慣れないへっぴり腰で構える。そしてじりじりと間を詰めていく。
「何をしておる! 早くせよ!」
 苛立ったように侍が声を上げると、背後から下卑た笑いが漏れる。
「へ、へい…って、いたたたたた!」
 不意に刀を取り落して腹を抱えてうずくまる半助に、侍の苛立ちが更に高まる。
「斬らぬとお前を先に斬り捨てるぞ!」
「そ、そんな…神経性胃炎なんです、お許しを…」
 情けない声を上げながらなおも痛そうに腹を抱える。
「黙れ! お前から先に刀の錆にしてもいいのだぞ!」
 逆上した侍が刀を突き付ける。
「ひえっ、お、お許しを…」
 顔をしかめながらよろよろと立ちあがった男は、おもむろに刀を拾い上げるとへっぴり腰のまま構え直す。縛られた伊作は顔を斜め下に向けたままである。
「て、てやぁっ!」
 間の抜けた居合の声とともに刀が振り下ろされる。刀を鞘に戻した侍がにやりとする。
 ばさり、と音を立てて縄が落ちた。だれもが次の瞬間、血しぶきとともにくずおれる身体を予想していた。
「…」
 奇妙な沈黙の間があった。と、その間を破って小さな爆発音がすると急速に煙が立ち込めた。
「な、なにごとだ!」
「敵だ! 敵襲だぞ!」
「いや、あの村人だ! あやつが間者だったのだ!」
 いくつもの叫び声が交錯するなか、半助は片手に刀を手にしたまま、あいた手で伊作の手を掴んで一気に陣幕を突破した。


   
「大丈夫か、伊作」
「はい…」
 追っ手を振り切って山中に逃げ込んだ2人は、ようやく荒い息を吐きながら座り込んだ。
「ここまでくれば大丈夫だろう…それにしても、なんでドクツルタケの陣に捕えられていたんだ?」
 ずっと封じていた問いを投げかける。
「実は…新野先生のお使いでスギヒラタケの領内のお医者様を訪ねていたのです。そこで戦が起こったと聞いて、ケガ人の治療をしようと…」
「そうか。それは災難だったな」
 そうやって伊作の博愛主義はいつも薄氷の上に辛うじてとどまっているのだ。戦で気が立っている将兵たちから見れば、治療にかこつけて旗印を取ろうとしているようにしか見えないだろう。
「ところで、先生はなぜ?」
 ようやく息が落ち着いてきたらしい伊作が軽く首をかしげる。
「うむ…学園長先生のご指示でドクツルタケとスギヒラタケの戦を探りに来た。まあ、私が着いたときにはほぼ帰趨は決していたがな」
「ではどうして…?」
 おめおめとドクツルタケの捕虜などのいなったのだろうかと伊作は考える。半助ほど優秀な忍なら、両軍に見つからずに任務を果たすくらいたやすいことだろう。
「そうなんだが…戦場となった村に子どもが取り残されていてな。そのまま放っておくのも忍びなくて保護しようとしたら見つかってしまってあの様だ」
 情けない教師だな、と自嘲的に笑う。そして思う。あの子どもを見過ごすことができなかったのは、きっとかつてのきり丸の姿を見たからなのだと。
「土井先生は、お優しいんですね」
 寂しげに微笑みながら伊作は俯く。
「まあ、あまり忍に向いているタイプではないだろうな」
 後ろに手を突いて木漏れ日を見上げながら半助は朗らかに言う。
「僕もそうかも知れません」
 伊作は膝を抱える。「その気になれば、僕を捕まえた人たちを倒せば逃げられたのに、できませんでした」
「それはどうしてだ?」
「それは…」
 抱えた膝に顎を埋める。「もうこれ以上、傷つく人を増やしたくなかったから…だと思います」
「それはどうしてだ?」
 重ねられた問いに伊作はますます惑うように考え込む。
「…僕はいつも、患者を手当てするときには、この人が無事に帰れますように、待っている人のもとに戻れますように、と思いながら手当てをしています」
 思考を手繰り寄せるようにゆっくりと伊作は口を開く。
「人は一人で生まれることはできないし、一人で生きていくこともできません。戦場の足軽たちにも、待っている家族や仲間がいるかも知れない。だから、一人でも多く助けて、帰るべきところに帰ってほしいと思うのです。それが敵であろうと味方であろうと…でも」
 膝に顎を埋めたまま小さく頭を振る。「そんなことにかかずらうことなく任務を優先しなければならないんですけどね」
「そうだな。忍は任務が最優先だ」
 半助は静かに告げる。そして、優しい表情で伊作に視線を移す。「新野先生に伺ったことがある。伊作は四年の頃から戦場に潜り込んでケガ人を助けてきた。そして、救えなかった命に何度も泣いていた。それでも、救いを求めている命があるところに足を向けることを止めなかったと」
「それは…」
 伊作の頬が染まる。六年生になった今はそんなことはないが、かつての自分はどんなに力を尽くしても眼の前で消えていく命に耐えられなかった。そのたびにひとり、物陰で泣いたものだった。待っている人のもとへ返せなかった悔しさと、技量が足りない不甲斐なさと、眼の前で命が消えていく恐怖に耐えられなかった。
「新野先生には分からなかったと思っていたのですが…ご存じだったのですね」
 上級生にもなって泣くなど恥ずかしかったが、それが新野に知られていたことがより決まり悪かった。
「だが、それはただの心の優しさではないだろうとも仰っていた」
「…」
「人を救いたいという強い意思があって、それが叶わなかったときに流れる涙なのだろうとな。だが、その根底にあるのはやはり優しい心なのかも知れないとも仰っていたがな」
「…先生」
 固い声で伊作が問う。
「どうした」
「優しさは、忍には不要なのでしょうか。そのために任務を果たせないなら、そんなものは…」
「…なあ、伊作」
 重い問いにしばし半助は答えを探した。



「実は山田先生に言われたことがある…私は人を殺めるには優しすぎるとな」
「土井先生が、ですか?」
 弾かれたような表情で伊作が顔を向ける。
「…伊作も同じだ、似たもの同士なのに気づくことはないのか、とも仰っていた。言われて初めて気付いたが、なるほど私とお前は似ているかもしれないな」
「そんな…土井先生は優秀な忍ではないですか」
「いや…」
 苦笑しながら半助は地面に視線を落とす。現役の忍だったころ、任務のためであれば自分は確かに何のためらいもなく人を殺めていた。そこになんの感情が差し挟まれる余地もなかった。いずれ自分も同じように殺される日が来る。殺らねば殺られる、それだけの世界で任務が求めるままに無機質な殺人機械にもなってきた、それが自分だった。そのことが赦されるとは思っていない。ただ、今の自分は当時と違う。それも事実だった。
「伊作の言うとおり、任務を最優先するなら、戦場に子どもが取り残されていようが、その子の眼の前で人を斬ろうがそれが正しい行動だ。あるいは生き延びる可能性が少しでも高くなるなら、伊作を斬り捨ててでも潔白を証明することがあるべき姿かもしれない。だが、私はどれもできなかった。その時点で、私は忍としては失格といっていい」
「…」
 思いがけない告白に、伊作は眼を見開いているばかりである。
「だが、いまの伊作の話を聞いて、私はそれも悪くないと思ったんだぞ」
 いつのまにか顔を上げて自分をまっすぐ見つめて微笑む半助が、限りなく優しさを湛えた笑顔だと伊作は思った。
「どういう…ことですか」
「優しさは決して心の弱さと同じではない。人を殺さなければならなくなった局面で殺さずに済むよう知恵を絞り行動に移す、それは優しさであり強さであると思う。むしろ、強い意思がなくてはできないことだ。それに比べれば、殺して解決するのはむしろ単純で安易な方法だ」
「さすがですね…」
 伊作が弱々しい笑顔を見せる。「いつの間にか結論が逆さまになっていますね…はじめは優しさが任務の妨げになるという話だったと思うのですが」
「私が詭弁を弄したように言うなよ、伊作」
 苦笑して伊作の頭をぐりぐりと撫でる。くすぐったそうに伊作が首をすくめる。だがすぐに暗い眼で半助は続ける。
「私もお前も、命を奪った経験と無縁ではない…程度の差はあるだろうが」
「…はい」  
「優しさは弱さの表れではないというのは、だから私が自分のために考え出した理屈だ。そうでもしないと忍を続けられないくらい切羽詰ってひねりだしたものだ。もしお前が私に似ているなら、参考になるならしてもらえばいいし、ならないなら忘れていい。そういうことを考えて生きてきた男もいるということだ」
「…先生はやっぱりお強いです」
 いま、伊作の視線はまっすぐ半助を捉えている。「僕が忍になれるかどうかは分かりませんが、どんな道を歩むにしても、先生のように生きていければと思いました」
「そうか」
 小さく頷いて再び半助は伊作の頭をなでる。
「…それでいい」


<FIN>



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