滝夜叉丸の恍惚と不満

 

忍たま映画の滝夜叉丸の登場シーンの背後に、「選ばれてあることの恍惚と不満と二つ我有り」という言葉は、フランスの詩人ヴェルレーヌの「選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」(J'ai l'extase et j'ai la terreur d'etre choisi.)をパロったものであったということを不覚にもほんの最近知りました。たしかに滝夜叉丸には不安というより不満のほうが似合いそうです。不安とは内省の裏返しでしょうから。それにしてもスタッフの広範な遊び心には改めて驚かされます。
滝夜叉丸といえばgdgdとしたモノローグとなるのでしょうが、それだけではお話がもたないので(←え)委員会の中での滝夜叉丸の位置づけを描くべく、でもご本人のモノローグも捨てがたいので委員会の日誌を前にした滝夜叉丸という設定にしてみました。
この時代は暦に日付と干支を使うのが一般的なので、このお話でも日付に干支を併記してあります。というより、干支が先にあって月や日の配置は毎年朝廷の暦博士(こよみのはかせ)が設定するということになっていたようで、したがって日付と干支の組み合わせは年によって異なります。とすると日付と干支の組み合わせをどの年に設定するかということになるわけですが、時代設定が室町時代末期ということと、火器類の発達状況から永禄年間に設定してみました。
なお、日付は旧暦なので、現在のグレゴリオ暦との差は約六週間ほどあります。たとえば冒頭の5月13日は、現在の暦では6月28日頃に該当します。

 

 

 まったくひどいものである。四年生の合同合宿で数日留守にしていて、戻ってきて体育委員会顧問の厚着先生に報告に行くや否や委員会の日誌を書けと言われるとは。この合宿の間に、この成績優秀な私がどれだけ活躍し、華々しい成果をおさめたかについて一言も訊くことがないなどということがあってよいのだろうか? いいや、断固としてあり得ない!
 とはいえ、日誌を書くよう指示されたのも、私以外にはまともに日誌に記載することができる者がいないからだということもよく解っている。まったく体育委員会のメンバーときたら、委員長の七松先輩も含めて脳ミソ筋肉系というかインテリジェンスのかけらもない連中ばかりなのだ。もちろん、私自身は除いてだが。
 戯れに数日前の日誌をめくってみよう。合宿で私がいない間のこの知性に欠けた文面はどうだろう。

 

 

五月十三日 甲申
 校外でオリエンテーリングのコースの下見中に、三年生の次屋が行方不明となったため、下級生とともに裏々山まで4往復して探索するが見つからず。学園に戻ったところ、会計委員の神崎といるところを発見したため身柄確保。
(記入者 七松)
 下級生には体力の限界があるということを認識し、あまり無理をさせないこと。なお、次屋を帯同して校外活動に出る場合は、迷子縄を励行すること。
(確認者 日向)

 

五月十四日 乙酉
 昨日、途中までしかできなかったオリエンテーリングのコースの下見をしていたとき、とつぜんバレーボールがとんできました。七松先ぱいが「トスをあげろ」と言ったら、中在家先ぱいがいきなり出てきてトスをしました。それから七松先ぱいがアタックしたら、いつのまにか潮江先ぱいやけま先ぱいたちもいて、バレーボール大会になってしまいました。けま先ぱいのケマトメアタックを七松先ぱいがレシーブしたら、ボールがどこかに飛んでいってしまって、僕たちがいくら探しても見つかりませんでした。ボールの弁しょうをどちらがするかで七松先ぱいと潮江先ぱいがケンカしました。
(記入者 時友)
 オリエンテーリングは明後日です。それまでにコースを作ることを忘れないように。
(確認者 厚着)

 

五月十五日 丙戌


(記入者   )
 当番の次屋が行方不明だからといって日誌を白紙で提出しないように。当番が行方不明の場合は必ず代理が記入すること。
 オリエンテーリングのコースが完成したかどうかも報告するように。
(確認者 日向)


五月十六日 丁亥
 いいん会のよさんがなくなったので、七松先ぱい、次や先ぱい、時友先ぱいと、会計いいん会のしおえ先ぱいのところにいきました。七松先ぱいがしお江先ぱいによさんをくれるよういいましたが、しお江先ぱいはだめだといいました。七松先ぱいがぼくたちにしお江先ぱいをつかまえるようにいいましたが、にげられました。きり丸がしんべヱの花を使ってしお江先ぱいが食どうのうらにかくれていたのを見つけましたが、またにげられました。滝夜又丸先ぱいはきませんでした。
(記入者 皆本)
 ×花 
 ○鼻
 ×滝夜又丸
 ○滝夜叉丸
 漢字は正確に書くこと。それから、もう少し漢字を多く使うこと。
 なぜ予算がなくなったのか、次の予算委員会まで持たないほどの予算を何に使ったのか、なぜ滝夜叉丸は委員会に来なかったのかをきちんと記入すること。
(確認者 厚着)

 


 …実に嘆かわしい。もはやため息しか出ない。特に最後の金吾が記入した部分については捨て置けない部分が多すぎてどこから突っ込むべきかにわかに判断できないほどだ。私の名前を間違えるという時点で金吾が一年は組に在籍している理由が分かろうというものだが、私が委員会に来なかったと取り立てて記入するとはどういう了見なのだろうか。私は合宿で留守にしていたのだ。それをすっかり忘れていたというのだろうか。どうにも信じがたい話である。
 後輩としては、常に光り輝く存在である私がほんの数日であっても留守にしているということは、耐え難い不安と寂しさと喪失感に苛まれて然るべきでところである。それなのに、この無自覚な文章はなんなのだ? それに、確認された厚着先生も厚着先生である。「なぜ委員会に来なかったのか」だって? 金吾も先生も私の留守がもたらす喪失感のあまり精神に変調をきたしてしまったのだろうか。それともこの暑さでなにか頭のねじがいくつか飛んでしまったのだろうか。
 それはそれで同情すべきところではあるが、特に金吾については、この私に対する態度について少しばかり指導する必要がある。だから日誌にはこう書いた。

 

 

五月十七日 戌子
 金吾よ、この学問も武芸も学年トップ、戦輪の腕にかけては忍術学園ナンバーワンのこの平滝夜叉丸の名前を間違えて書くとは失礼にもほどがあるぞ。もっと先輩を敬うように。そもそも私は四年生の合同合宿で昨日まで五日間も留守にしていたのに、委員会に出席できるわけがないではないか。それなのに私の不在を嘆くどころかいない理由も忘れるとは不敬にもほどがある。反省するように。
(記入者 平)

 この日はもう一人の顧問の日向先生が確認されたらしく、確認欄には次のように書かれていた。

 日誌には委員会の活動内容を簡潔に記載するように。
(確認者 日向)

 

 

 まったく話にならない。やはり、先生もこの暑さで最も大事なことに思いが至らなくなっているようである。


 水無月(六月)に入って暑さも盛りである。試験が終われば夏休みである。もっとも、学園長先生がへんな思いつきで夏休み争奪学年別対抗戦なんぞということをやりださなければ、だが。
 さて、今日も戦輪の練習をするとしよう。天才にも1%の努力は必要なのだ。たった1%の努力を惜しんだばかりにこの私が完璧という称号を失うことなどあってはならないのだ。

 

 

六月六日 丙午
委員会の前の戦輪の練習で、いつもどおり的に百発百中させていたところ、4年ろ組会計委員の田村三木ヱ門が来てなにやら訳の分からないことを言っていたため、私の愛しい戦輪の輪子ちゃんで追い払ったところ、こともあろうに石火矢を持ち出して私に向けて発射したため応戦し、さらに私の完璧な手裏剣の技で撃退した。
(記入者 平)
 何を言ってやがる滝夜叉丸! おまえは人の話を聞いていないのか! だいたい学年トップだのナンバーワンだのといらんことばっか言っているからユリコちゃんで注意してやったのに、手裏剣を打ってくるとは、われわれ会計委員への攻撃とみなして潮江委員長に報告するからそのつもりでいろ!
(追記 会計委員 田村)
 日誌には委員会の活動を簡潔に記載し、それ以外のことは書かないこと。また、他の委員会の生徒に、勝手に日誌に記入させないこと。
(確認者 厚着)

 


 ああ、なんという厄日だろう! あの小賢しいアイドル気取りは何やらわけのわからない言いがかりをつけてきた挙句に、体育委員会の日誌に、それもこの私が記入するべき日に勝手に書き込むという不祥事を引き起こしたのだ! 学年トップもナンバーワンもすべて事実を述べたにすぎないのに、それのなにが気に入らなかったというのだろう。丙午とはかくも厄日をよびよせるものなのだろうか。
 だが、これは試練と受け止めるべきであろう。そして、この試練を克服した暁には、私には更に多くのものが与えられるであろう。
 そう。私はすでに知っている。天は二物を与えずというが、私には二物どころか三物さらに四物もが与えられようとしていることを。そしてその代償も知っている。天に嘉せられ、多くのものを与えられた者は、よりパーフェクトであり続けるという義務を負うのだ。
 ああ、だが、私はあえてその甘美で危険なプレゼントを受け取ろうと思う。それが私に与えられた運命だからである。天よ、私に二物でも三物でも与えるがよい。そして、あの小賢しいアイドル気取りには汚物を与えるがよいのだ。

 


六月七日 丁未
 私は、会計委員として、潮江委員長の代理として体育委員会に抗議に来たのです。先日のように予算をとるために実力行使し、しかも会計委員長をおそうなどもってのほかであり、会計委員会としては強く体育委員会に抗議し、二度とこのようなことのないようにきちんと伝えるよう、潮江会計委員長から指示を受けて来たのであり、決して勝手に日誌に書き込みをするために来たのではないことをはっきりさせておきます!
(記入者 会計委員 田村)
 会計委員の田村先ぱいがいっぱい書いてしまったので、ぼくの書く場所がなくなってしまいました。
(記入者 時友)
 事情はわかりましたが、他の委員会の生徒にみだりに日誌に記入させないように。委員会の活動内容は必ず記入すること。
(確認者 日向)

 

 

 なんということだろう! あの小賢しいアイドル気取りが今日もやってきて日誌に勝手に記入しただと!!
 日誌を破り捨てたくなる衝動を辛うじて押さえながら、私は考えていたところに、委員会室の襖が開いた。
「あ、先輩」
 いつものようにぬぼーっとした顔をした三年ろ組の三之助である。懐から紙片を出すと、私に手渡す。
「さっき、左門からあずかってきました。田村先輩から滝夜叉丸先輩にわたしてくれってことです」
 それだけ言うと、三之助はあらぬ方向に歩き出す。
「ちょっと待て、三之助。どこへ行く?」
「どこへって、七松先輩がグラウンドで待ってるんですよ。先輩も早く来てください」
 -いや、そっちはグラウンドとは反対なのだが…。
 追いかけて捕まえねば、と思ったが、その前に三木ヱ門からという紙片の中身が気になったので開いてみる。紙片にはたった一行、こうあった。


≪滝夜叉丸! お前ごときが会計委員長に勝負を挑むなど十年早い! 用があるなら私を倒してからにしろ!≫

 

 …一瞬、書いてある内容が理解できなかった。なんだこれは、果たし状のつもりなのだろうか。この学年一優秀かつ学園一の戦輪の腕を誇るこの私に、勝負を挑むというのか? あの小賢しいアイドル気取りが、自ら負け犬になりたがっているということか? アイツはいつからそんな被虐的な趣味をおぼえたのだ?
 だがよかろう。人には過ちを犯すということがよくある。もちろん全てにおいて完璧な私にはありえないことだが、人はときに極端に判断力が低下するということもあるのだろう。そして、無謀な戦いを挑むのだ。
 それならば、私の役割ははっきりしている。そのような幼い挑戦に対し、高いところから軽くいさめてやるのだ。過ちに対する私からの必要十分な指導は、あの小賢しいアイドル気取りに少しは分をわきまえるということをおぼえさせるきっかけになるだろう。

 


六月八日 戊申
 会計委員会の田村先輩が滝夜叉丸先輩に果たし状を送りつけたので、それぞれさち子三世と輪子を持ち出して戦になった。見に行こうと思ったが、気がついたら食堂の裏にいた。食堂のおばちゃんが夕食の煮物の味見をさせてくれた。あとで作兵衛に、田村先輩と滝夜叉丸先輩の勝負のせいで学園の塀がボロボロになって食満先輩が超怒ってるといわれた。数馬が、田村先輩と滝夜叉丸先輩がボロボロになって医務室に来たと言ってた。
(記入者 次屋)
 体育委員会の活動に出席しなかったと委員長から聞きました。無自覚に走り回る前にきちんと誰かに活動場所につれて行ってもらうこと。また、日誌には自分の行動ではなく、委員会の活動を記載すること。
(確認者 厚着)

 


 ボロボロ…だと? この常に完璧な美しさを誇る私がボロボロだと? しかもよりによってあの小賢しいアイドル気取りの仕掛けてきた無謀な挑戦を軽くいさめてやった私がボロボロだと? 三之助はいったい何を血迷ってそんなデマをわざわざ日誌に書いたというのだ? ちょっと三木ヱ門の木砲の砲弾を避けようとしてつまづいたので、念のために医務室に行ったまでではないか。
 …そうか! あの程度のケガであっても、常にパーフェクトに美しい私から見れば十分にボロボロということになるわけか。それなら理解できる。三之助もようやく分かってきたということらしい。そして三年生らしく、少しひねった賛美をして見せたということなのだ。人間はもっと素直であるべきところだが、まあ、素直になれないお年頃というわけなのだろう。あるいはとてもシャイで素直に私を気遣うことができないのかもしれない。そうでなければ、三年間、光り輝く私をあまりに近くで仰ぎ見続けたせいで萎縮してしまったのかもしれない。なかなかかわいいやつではないか。よかろう。休み明けにはさらに美しくパーフェクトな私を存分に仰ぎ見させてやろうではないか。


 夏休みが終わり、新学期が始まった。新学期と言えば予算会議だが、例によってわれらが体育委員会では、七松委員長がクソ力で壊しまくった用具の修繕費用がかさむことから、新規予算が認められる可能性はゼロに近い。この点について『だけ』は、会計委員会のあの小賢しいアイドル気取りと、遺憾ながら同意見である。
 というわけで、予算削減を言い渡された七松委員長は、例によって憤懣のやり場を校外マラソンで晴らすということで
我々を巻き込んで走りに行ったわけだが、突然、学園に向かって猛ダッシュで去ってしまった。直後に学園から噴煙が上がったころを見ると、どうせ誰かが焙烙火矢を持ち出して、それを中在家先輩がトスして、それを察知した七松先輩がアタックしてしまったというところだろう。まったく七松先輩が中在家先輩のトスを嗅ぎ付ける能力ときたら、動物的としかいいようがない。果たして学園に戻ってみると、全員が焙烙火矢の爆発に巻き込まれたらしく、ボロボロになっているではないか。
 …そして! 私はある重大な発見をしたのだ。あの作法委員会の立花先輩までもがボロボロになっていて、自慢のストレートヘアもすっかり爆発しているではないか…ということは! すべてにおいてパーフェクトな美しさを誇る私にほんの一点だけ残る瑕瑾であるところの「サラサラストレートヘアランキング第2位」という立場が、今こそ「第1位」になったということではないか!
 ああ、天は私にいったいいくつの美点を与えれば気が済むというのだろう! 私は自分の持てるものの多さに、時に恐怖すらおぼえる。
 見てみるがよい! ボロボロになって、足を引きずって戻っていく者たちの間を、さっそうと闊歩する私の美しさは、掃き溜めに舞い降りた金剛石(ダイヤモンド)と白金(プラチナ)をまとった純白の鶴のごとく、もはや罪のレベルに達している。皆が私の光り輝く美しさのまぶしさゆえに視線を落としているではないか! ああ、かくもパーフェクトな美しさに至ってしまった私とは、なんという罪深い存在なのだろう!
 ところで、そのような記念すべき出来事があったにもかかわらず、四郎兵衛の書いた日誌の無自覚すぎる書きっぷりはなんなのだろう。もともと大雑把な後輩だが、あまりに大雑把すぎる。いずれ彼には、世の中で起こっていることの何に注意を引くべきか、しっかりと教え込む必要があるだろう。

 


七月十九日 己丑
 予算会議がありました。会計委員会の潮江委員長は、予算さくげんだタコといいました。七松委員長がおこってほうだんをけりこみましたが、むだでした。そのあと、みんなで校外マラソンをしました。
(記入者 時友)
 予算のどの部分が削減されたのか、それによってどのような影響があるのかを報告すること。なお、会計委員会顧問の安藤先生から、焙烙火矢の暴発の件で、焙烙火矢を持ち込んだ作法委員会とトスを上げた図書委員会と最後にアタックして暴発させた体育委員会の責任について話し合いたいと申し入れがありました。この件の事実関係についても至急報告すること。
(確認者 日向)

 

七月二十日 庚寅
 会計委員との交渉の結果、追加予算が認められないことが通知されたため、自主財源の確保に向けて次回の文化祭でオリジナル物品の販売を行うことを決定した。
(記入者 七松)
 予算不足の原因及びオリジナル物品として何を販売することにしたのかが決まったのであれば、その旨記載するように。また、昨日日向先生が記載されたように、焙烙火矢の暴発の件について事実関係を報告すること。
(確認者 厚着)

 

七月二十一日 辛卯
 昨日の委員会で私が提案し、作成することが決まった七松委員長のパペットの材料を買うために、町に買出しに出かける。また、私の提案によりギニョールを作成することになり、その材料もあわせて買い入れた。さらに私の秀逸なるアイデアはとどまることなく、七松委員長のマリオネットの作成も提案したが、それは主に低学年たちのスキルの問題もあり、継続して検討することとなった。
(記入者 平)
 自主財源の確保の必要性及びそのための手段が委員長のパペット及びギニョールの作成である必然性について、早急に顧問に報告すること。
(確認者 厚着)

 

七月二十二日 壬辰
 一日じゅう、七まつ先ぱいのぱぺっととぎにょーるをつくりました。ぼくがわからないことは、ぜんぶ滝夜又丸先ぱいがおしえてくれました。七まつ先ぱいと次や先ぱいはいませんでした。
(記入者 皆本)
× 滝夜又丸
○ 滝夜叉丸
 漢字は正しく書くこと。特に人の名前を間違えることは失礼なので厳に戒めること。委員長と次屋がなぜいなかったのか、どこに行っていたのかを報告すること。
(確認者 日向)

 


 金吾にもかわいいところがある。私の必要にして十分な指導をきちんと認識して日誌に書くとは。私の名前を間違えるところは相変わらずの一年は組クオリティだが、今はそんな頭の悪さにさえ愛をおぼえるほどである。
 ちなみに七松委員長と三之助がいなかったのは、私の天才的戦術思考のたまものであることは、この頭の悪い後輩には当然理解されるはずがなかろう。すなわち、日ごろから「細かいことは気にしない」なんぞと言っては緻密さに欠けた行動をとるこの先輩にパペットやギニョールつくりなどという作業ができるわけはないと判断した私は、あえて方向音痴の三之助に足りない材料があるということで校外に買い物に出し、行方不明になったところで七松委員長が探しに出るよう仕向けたのだ。作戦は大成功をおさめ、私は金吾と四郎兵衛を督励してパペットとギニョール作りに専念できたというわけである。ああ、なんという頭脳の冴えであろう! 私は時に、自身の迸る才能の無限に恐れすら感じる。
 だがしかし、この私の名前を正しく書けないということは看過すべきことではない。だから私は、あえて心を鬼にして厳しく指導する。

 

 

七月二十三日 癸巳
 金吾! この学問も武芸も学年トップ、戦輪の腕にかけては忍術学園ナンバーワン、さらに世界中が嫉妬するこの美貌と引き締まった肉体美を誇るこの平滝夜叉丸の名前を間違えて書くとは失礼にもほどがあるぞ。いい加減、正しく書けるようになるように!
(記入者 平)
 日誌とは委員会の活動内容を簡潔に記載するものであることを理解し、個人的な意見及び感情を吐露せぬこと。
(確認者 厚着)

 


 この先生の十年一日のごときコメントは何とかならないものだろうか。委員会の活動が、私の美と才能をたたえること以上に大事だとでもいうのだろうか。いいや、そんなことは断固としてあり得ない!
 思えば、世の中には真実に眼を向けることのできない人間が多すぎる。ちょっと視野を広げさえすれば、この私の天才ぶりが眼に入らずにはいられないはずだ。あまりに近すぎ、あまりに視野が狭すぎるゆえに、私の大きさが認識できないのだ。考えてみれば気の毒であるともいえる。そう、天才はあまりに大きすぎ、あまりに先にいるがゆえに評価されないのだ。天才とは孤独なものであり、私はその十分すぎる代償としてあふれる才能を受けれたのではなかったのか。

 


八月六日 乙巳
 学園長先生の庵を修理するため、チャリティーバザーを開くことと決定した。
(記入者 七松)
 チャリティーバザーで何を営業するのか報告すること。なお、今回のチャリティーバザー開催にあたり、我々教師は外部からの不審者の侵入に備え特別警戒態勢に入るため、委員会の活動に一時的にサポートを行えなくなるが、バザー終了まで委員活動に遺漏のないよう努めること。
(確認者 厚着)

 


 なんと! 先生方がサポートできなくなるということは、ここで我々、より端的に言えばこの私が先導して、先生方がいない間もしっかりと委員会を運営できることをアピールできる絶好の機会ではないか! 
 ああ、それなのに、この万年無自覚男は、そのようなチャンスに恵まれていることにまったく気づいていないようである。日誌にそのどーしよーもない無自覚ぶりがこれでもかとばかりに暴露されている。もはや私の手に負えるレベルではない。まあ、私の手に負えないということは、他の誰によっても改善が見込めるものではないということだが。

 


八月七日 丙午
 午後の実技の授業のあと、左門が校外に飛ばしたボールを一緒に探しに行って、そのまま道に迷ってしまったので、掃除の当番が遅れた。作兵衛が教室の障子を破った。
(記入者 次屋)
 学級日誌と間違えて記載したものと思われるが、これは体育委員会の日誌なので、委員会活動の内容について記載すること。また、みだりに行方不明になることは委員会活動の大きな制約となることを自覚し、特に校外に出る際は行動を抑制すること。
(確認者 日向)

 無自覚と言えば、この大雑把な後輩も似たようなレベルである。


八月八日 丁未
 七松先ぱいと次屋先ぱいが裏裏山に行ってしまい、滝夜叉丸先輩と金吾が見つからないので探していたら、学園長先生がきていおりに来るよう言いました。行ってみたら、チャリティーバザーで売る学園長先生パペットとギニョール作るから手伝えと言われました。ヘムヘムとふたりでいっしょうけんめいつくりましたが、学園長先生は針に糸を通せないからとどこかに行ってしまいました。
(記入者 時友)
 委員会活動としてバラバラに行動することは望ましくありません。七松委員長と次屋だけがなぜ裏裏山に行ったのか、滝夜叉丸と金吾がどこで何をしていたのかきちんと確認して報告すること。
(確認者 厚着)
 

 

 いかにも何も考えてなさそうな人物だと思っていたが、ここまで何も考えていないとは思わなかった。これは、私の頭が冴えすぎて凡人の思考レベルについていけないという段階の話ではない。あの頭蓋のなかに脳ミソが入っているのかどうか疑わしくなるレベルである。
 考えてもみるがいい。前回の文化祭で私の秀逸なるアイデアにより販売した七松委員長のパペット及びギニョールがあっという間に完売したのを見て、学園長先生がご自分のパペット及びギニョールを作りたくなるというのは、学園長先生の御性格を考えればごくごくありうることである。そうなれば、わが体育委員会の商品と競合してしまうことは明らかではないか。そんなこともこのぬぼーっとした後輩は分からないというのだろうか。 
 そもそも七松先輩と三之助がいなくなったのは、常に完璧を誇る私の戦術的思考のたまものだということに、まだこの男は気付いていないというのだろうか。二年生にもなって! 私としては、前回と同じやり方をしてしまったことに少々手を抜きすぎたかと考えているほどなのに、である。まったく!
 そして、私と金吾が見つからないだって!? 探していたのは私たちのほうだったのだぞ!? そして、見つからないので仕方なく金吾と2人でパペットとギニョールを作ったのだぞ!? まあ、今回は学園長先生の庵の修繕費用を捻出するためのチャリティーバザーだから、それほど多く作る必要もないのだろうが。

 


八月九日 戊申 
 チャリティーバザーで、体育委員会はまたパペットとギニョールのお店をやりました。さいしょは学園長先生のパペットとギニョールをならべてみましたが、ぜんぜんうれなかったので七松せんぱいが七松せんぱいパペットとギニョールにとりかえました。そしたらぜんぶうれました。もっとたくさん作っておけばもっとうれたのにと思いましたが、滝夜又丸せんぱいとふたりで作ったので、ちょっとしかできなかったのがざんねんでした。
(記入者 皆本)
 × 滝夜又丸
 ○ 滝夜叉丸
 漢字は正しく書くこと。特に人の名前を間違えることは失礼なので厳に戒めること。チャリティーバザーで各人がどのような役割分担をしたのか記載すること。
(確認者 日向)


八月十日 己酉 
 金吾!!! この学問も武芸も学年トップ、戦輪の腕にかけては忍術学園ナンバーワン、さらに世界中が嫉妬するこの美貌と引き締まった肉体美を誇り、かつ歌舞音曲にかけても並ぶもののないこの平滝夜叉丸の名前を間違えて書くとは失礼にもほどがあるぞ。いい加減、正しく書けるようになるように!!!
(記入者 平)
 日誌とは委員会の活動内容を簡潔に記載するものであることを理解し、個人的な意見及び感情を吐露せぬこと。
(確認者 厚着)

 

 

 どこかで見た文面だと思ったら、7月23日に私が記載した時と全く同じコメントである。だが、私はそのことで先生を責めようとは思わない。私に対する適切な賛美の言葉は幾万の言葉を費やしても到底及ぶはずがなく、それだけの言葉を紡ぎだすには先生は忙しすぎるのである。それゆえ、このような事務的なコメントをしたためるにとどまらざるを得ないのだ。そして、多くを与えられた者は、他人の過失により鷹揚であることが求められる。これは高貴な者だけに求められる義務なのだ。だからこそ、私はこのような些事に心を煩わされることなど決してないのだ。


 さて、明日から四年生の演習である。といっても二、三日学園を留守にするに過ぎない。私にとってはそれだけの話だが、美しさが罪のレベルに達している私の場合は、ほんのちょっとした不在がもたらすハレーションにも十分な気配りが必要である。考えるまでもなく、衣通姫(そとおりひめ)のごとく美しさや才能が着衣を透して光り輝くような私が一日、いや半日でも不在にしたら、私の光を浴びることに慣れ、もはやその光なしではいられない下級生たちは、暗黒の絶望の中でひたすら私の再現を希求し、嘆き悲しむ不遇をかこつことになってしまう。私としては、そのようなことは当然ながら望まない。少しばかり生意気なところがあるにせよ、かわいい後輩たちなのだ。だから、私は、彼らの不幸を少しでも軽くしてやるために精一杯の心配りをしてやることにした。

 


八月十五日 甲寅
 明日から演習のため不在にするにあたり、私の不在に耐えられない者のために私の特製ブロマイドを用意したので、不在中は私の代わりに仰ぎ奉ること。体育委員以外にも必要な者には配布するので周知すること。ただし、数に限りがあるため一人一枚のみ、先着順で配布する。
(記入者 平)

 


「今度はブロマイドか…学園長先生ではあるまいし」
 日誌に眼を通した厚着がため息をつく。
「それに、相変わらず自分のことばかり書いて委員会活動のことは全く報告していない。委員長の七松に指導するよう伝えたはずだが、細かいことは気にしないとか言ってまた忘れたのだろう…」
 やれやれ、とため息をついて筆を執る。


 日誌とは委員会の活動内容を簡潔に記載するものであることを理解し、個人的な意見及び感情を吐露せぬこと。
(確認者 厚着)

 

 

<FIN>

 

 

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