Fait Accompli

 

かつて10期では公式で長次とカメ子のCPが推奨されていたようですが、最近はそれが示唆される程度にしか登場しないのはどういうわけなのでしょうか。公式HPによれば、長次のほかに鬼蜘蛛丸もお気に入りというかなりの年上好みのカメ子ですが、長次に寄せる思いが周囲に伝染したとき、それは既成事実になっていくと思うのです。

 

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「しんべヱ、ちょっとちょっと」
 休暇で実家に戻ったしんべヱを奥座敷からこそこそと手招きするのは、一家の主人、福富屋である。
「どしたの、パパ?」
 しんべヱが眼を丸くする。特別な賓客が来たときにつかわれる奥座敷は、しんべヱたちが近づくことはふだんなかったし、そこから父親がこそこそ手招きするなど、あらゆる意味から不自然そのものだった。
「いいからちょっと」
 とてとてと近づいたしんべヱを引っ張るように招じ入れた福富屋は、後ろ手に襖を閉める。
「ねえ、パパ、どうしたの?」
 滅多にはいることのない奥座敷は、錦の縁に彩られた上等の畳に覆われ、金箔に大輪の牡丹が鮮やかに描かれた襖に囲まれていかにも特別な空間である。さすがにこの畳の上に鼻水を垂らすことははばかられたしんべヱが鼻水をすすり上げた。
「カメ子のことなんだが…」
 仔細ありげに声を潜めた福富屋だったが、その口から出たのが妹の名前だったことが、しんべヱにはなおさら不可解だった。
「カメ子がどうしたの?」
「その…だな」
 口ごもる父親を、しんべヱが不審そうに見上げる。
「ねえ、カメ子がどうしたの? パパったら、さっきからへんだよ?」
「いやその、だな…最近様子がおかしいのだ。何か気が付いたことがないかと思ってな」
「へん? カメ子が?」
 まったく心当たりのないしんべヱは眼をぱちくりする。そもそも昨日まで学園で生活していたのだ。実家にいる妹の様子など知りようがない。だからあっさりと言う。
「そんなの、ぼく、わからないよ。パパのほうがよくわかるんじゃないの?」
「それはそうなのだが…」
 福富屋は額に手を当てる。
「だがどうも、解せないのだ。縁側に出てぼんやり空を眺めたり、そうかと思うとわしにはツンケンしたりして、まるで恋煩いでもしているようなのだ…」
「コイワズライって?」
「つまりだな…好きな人ができてぼんやりしているということだ」
「ああ、それなら、ほんとうにすきな人がいるからじゃないの?」
「なんだって!? カメ子に好きな人がいるというのか!?」
 しんべヱの口からあっさりと放たれた意外な一言に、福富屋は思わず声を上ずらせる。
「パパしらなかったの? カメ子は中在家長次先輩がだいすきなんだよ」
「ああ…なんということだ。それでは話がまたややこしくなる…」
 見るからに意気消沈した様子で肩を落とした福富屋が、よろよろと奥座敷を出ていく。話がまったく見えないしんべヱが取り残される。
「へんなパパ…」

 


 -う~む、困ったことだ…。
 自分の座敷に戻った福富屋は、身体の前に置いた脇息に両肘をついて考え込む。
 -まさか、カメ子にあの歳で思い人がいたとは…。
 これではすべて振り出しに逆戻りである。
 -紅屋さんになんと言えばいいことやら…。
 そうだった。すべては数日前、会合衆の会合のあとの宴席でのやりとりから始まったのだった。

 


「福富屋さんは御子息を全寮制の学校にお入れになっておられるとか…ということは、なにか特別な教育をされるとか?」
 福富屋の隣の席で盃を傾けていた紅屋が、不意に身体を寄せてきて訊いてきた。
「まあ、これからの世は、いろいろな経験を積ませることが大切ですからな」
 実のところ、忍術学園というところが何を教える場所かよく分かっていなかった福富屋は、あいまいに愛想笑いに紛らせて応える。
「しかし、それではお店の将来に影響が出るのではないですかな…家を離れるということは、それだけ実務から離れるということになる」
「まあ、それはそうかもしれませんな」
 それはやむを得ないと福富屋は考える。息子に家督を継ぐ者としての教育を施すならば、家に置いて家庭教師をつければよいだけの話である。実務についても家にいれば、折に触れて教える機会もあるだろう。しかし、それでは堺の商人という狭い世界しか知らずに成長してしまうということである。社会のありようが大きく変わりつつある世だからこそ、しんべヱには、さまざまな社会や生き方、考え方があることを知らせたかった。今のところ、しんべヱとともに学ぶ子どもたちは、さまざまな職業や階層の出身であるようである。その限りでは、福富屋のもくろみは当たっているといえた。
「しかし、福富屋さんにはもう一人お子がおられる」
 感慨にふけっていたところに、紅屋が思わぬ方向へ話を向けたので、福富屋は内心ひどく驚いた。もっとも、動揺は鷹揚な仕草に隠れて表に現れることはなかったが。
「カメ子のことですかな」
「さようです」
 いっそう身を乗り出した紅屋が声を潜める。
「いかがでしょう。カメ子ちゃんは歳に似合わず聡明な方と評判です。ここは、よい婿をとって、継がせるというのは…」
「カメ子が、結婚ですか?」
 あまりに意外な話に、福富屋は思わず手にした盃を取り落しそうになる。兄のしんべヱすら学校に入れたばかりなのだ。
「そう驚かれるものでもありますまい」
 紅屋はさも意外そうに言う。
「しかしですな。カメ子はまだ5歳ですぞ」
「歳と家柄が釣り合っていれば、早すぎるということはありませんぞ。むしろ、はやく許婚ということで予約しておかないと、よき婿がねを確保し損ねてしまうというものです」
「それはそうですが…」
 驚いた拍子にずれてしまった烏帽子をなおしながら、福富屋は呟く。たしかに、婿に取るというのなら、次男・三男ということになる。そうでなくても自分たちのような大店の商人は、対象を全国に広げても限られてくるし、姻戚関係を結べる先は意外と少ない。
「そう仰るからには、なにか当てがあってのことなのでしょうかな」
「そこです」
 いっそう身を乗り出して紅屋はささやく。思わず腰が引けた福富屋は左右に視線を泳がせる。
「実は、博多の紙屋淡宗さんの三男は今年7歳。紙屋さんとしては、博多では釣り合う相手が見つからないので、なんとか堺で見つけられないかとたいそうお困りのようでしてな…」
 つまり、堺かどこかで相手を見つけてくれないかと頼まれた、ということなのだろう。
「そうは言われましても…」
 当惑した福富屋が頭を掻く。けっして悪い話でないことは分かっていた。福富屋の迷いに乗ずるように紅屋は続ける。
「堺の福富屋さんと博多の紙屋さんが姻戚関係で結ばれれば、瀬戸内の入り口と出口を抑えることになるのですぞ。そうすれば、各地の商人や水軍への交渉力も上がるし、諸大名方も一目置かざるを得ない。どこをとっても悪い話ではないはずです…」
「それはそうですが…」
 紅屋の勢いに推されるように福富屋は呟く。たしかに悪い話ではない。カメ子が嫌と言わないならば乗ってもいい話かもしれないと福富屋は考え始める。そもそもカメ子に否応はないだろう。5歳のカメ子に、思い人がいるとはとても考えられないから…。

 


 実は、カメ子は父親が自分を巡るきな臭いやり取りをしていることに感づいていた。
 -お父様、きっとわたくしのことでなにかたくらんでいらっしゃる…。
 まだ5歳ではあったが、そういうことには聡いカメ子だった。いや、そうならざるを得ない環境だった。多くの使用人たちの探るような視線やひそひそ話のなかに不意に登場する自分の名前は、かならず何かの前兆なのだ。そういうときには、すぐに行動に移らなければならない。どのような話が水面下で進んでいるのかを探り出し、そして対策を打たなければならないのだ。それは、特別な家に生まれた特別な生き方なのだ。最近は思うことがある。兄のしんべヱが忍術学園に入学したのは、この煩わしさから逃れるためなのではないか…。
 -まさか、わたくしの結婚のことだったなんて。
 家中のひそひそ話の中身を探り出すことは簡単なことだった。しかし、その内容はカメ子をひどく当惑させた。年齢不相応に考えも振る舞いも大人びているとはいえ、まだ5歳なのだ。結婚とはどういうことなのか、それが何を意味することなのかは見当がつかなかった。だが、それを誰に訊けるというのだろう。家中の者で、自分の問いに答えてくれる者など、いるはずがないのだ。
 -そうだわ! 
 縁側に端座してぼんやり庭を眺めていたカメ子に、ある考えが浮かんだ。
 -あの方に、教えていただきましょう!
 数日後、忍術学園へ納品に向かう一行の中に、カメ子の姿があった。

 


「では、中在家先輩。掃除終わりましたので失礼しまーす」
 掃除道具を抱えたきり丸が一礼する。
(…)
 文机に向かっていた図書室の主、図書委員長の中在家長次は、ちらと視線を送るだけである。だが、きり丸も、ほかの図書委員の生徒も、そのような長次には慣れている。
「あ、そうだ」
 図書室を出て行きかけたきり丸が、ふと立ち止まって振り向いた。
「先輩、しんべヱに聞いたんスけど、昨日、堺の福冨屋さんの船が明から戻ったそうです。注文した本も二・三日中に着くって言ってました」
(…)
「では、失礼しまーす」
 今度こそ、きり丸は廊下を駆けていく。
 -注文した本が届くのか。
 文机には、未整理の新着本が山をなしている。ここしばらく本の在庫整理に追われている間に、未整理本がすっかり積みあがってしまっていた。はやく目録と貸出カードを作って書架におさめないと、明からの到着本が整理できなくなる。
 そうでなくても、在庫整理で書庫に移す予定になっていた本は、図書室の隅に山をなしていたし、目録と貸出カード作りまでを終えた新着本は、書架の脇に積み上げられたままになっていた。書庫にしまうにしろ、書架に並べるにしろ、図書委員を動員してやらなければならない作業だったが、五年生の不破雷蔵は演習に出ていて数日間は戻らない予定だったし、低学年たちは、学園長の思いつきによる特別授業ということで、これまた校外に出てしまっているときり丸から聞いている。一年は組だけは、補習のために免除されたということだが。
 そして、まだ未整理の本が積みあがっているところに、明からの到着本が加わるのだ。
 -私の仕切りが悪いからか。
 あちこちに本が積みあがっていて、図書室の中はぜんたいに雑然とした雰囲気となっている。図書室とは、常に整理されていなければならないと考える長次にとっては、考えられない状態だった。

 


 -外国書の扱い方を、雷蔵に教えなければならないから、今度の到着本の整理は時間がかかる。未整理本は今のうちに片付けておかなければ。
 明から到着する本は、漢籍ばかりではない。南蛮の本もいくつか発注してある。南蛮の貿易船が日本よりはるかに多く入る明でなければ入手できない本が、今度の便で到着するはずだった。
 火器をはじめ、つぎつぎと外国から新しい知見が入ってくる時代にあっては、忍術学園としても新しい情報をつねに導入していく必要があった。だからこそ、図書の重要性は増している、と長次は考える。そして、本はいつでも必要とする者が目にできるよう、整理しておかなければならない。いつも図書委員会の後輩たちに徹底させていることだった。
 しかし、外国書は、言葉の問題もあって、低学年たちに扱わせることはできなかった。だから、五年生の不破雷蔵に、外国書の整理の方法をきっちりと教え込んでおく必要があった。
 成績優秀な雷蔵は、漢籍ならほぼ自力で読み込むことができるが、南蛮の本はまだまだお手上げのようである。
 -南蛮書といっても、言葉が違うからな。
 学園に入ってくる南蛮書は、ポルトガル語とラテン語のものが主だった。まずは、どちらの言葉で書かれているかを確認し、内容を把握し、書名と主な内容を和訳して目録に追加しなければならない。今回は、自分はあまり手出しせず、雷蔵にひと通りやらせてみるつもりだった。

 


 硯に向かって墨をする。手にした墨も、傍らの筆も、長次の手にはやや小さく見える。大きく、無骨な手に、筆などというものが馴染むのだろうかと、時折長次は考えることがある。
 もちろん、忍は、武器だけを扱っていればいい足軽などとは違う。時に情報戦を仕掛け、時に味方と偽って敵を幻惑し、ありとあらゆる策謀を弄していくことも求められている。知の道具である筆墨と無縁であることはありえない。
 学園で学んだこと、図書を通じて蓄積された古今東西の知識が、長次の頭には収められている。しかし、その披瀝には、長次の口はあまりに重すぎ、筆も及ばない。長次の外見に、その知のあまりに細いアウトプットに、人は長次を恐れ、あるいは侮る。

 


 自分でも御しがたいほどに、15歳の身体は荒々しく、不均衡に成長を続けている。人は、長次の大柄で筋肉質な体つきに、威圧感を感じるという。
 それは、人の勝手だと長次は考える。人より身体が大きく、力が強いことは、長次本人にしてみれば反射的利益に過ぎなかったが、長次の仏頂面を生意気とみる年上の連中から絡まれたときに、身を衛る役には立った。
 また、人は、長次の無表情な顔立ちと極端に少ない口数に、無愛想であるという。何を考えているか分からないという。
 それもまた、自身を衛るためだった。口が重いのは生来のことだったが、長じるにつれて、多弁に益がないことを知ると、長次の口はさらに重さを増した。無表情になったのは、自分の感情を説明する手数を省いたまでである。
 -私が怒ると、不気味な笑顔に見えるともいう。
 笑っているのではない。怒りに表情が崩れたのが、笑っているように見えるだけである。だがそれもまた、人をして長次に近寄りがたいものを感じさせるものだった。
 -どうでもいい。
 己が他人からどう見られているかなど、もはや興味はない。協調性がないと教師たちから指摘されようと、いまさら他人に迎合する気はなかった。他人に気に入られようとか、好かれようという気持ちなど、とっくに捨ててしまっていた。そう、思っていた。
 -余計なことを考えるな。
 自分に一喝すると、長次は墨を置き、筆を執る。目録と貸出カードを、今日中に整備しなければならない。しばし、図書室に、筆の走る音と、長次の放つ重苦しいオーラだけが満ちていく。

 


 小さい足音が廊下を伝ってくる。つと足音が図書室の前で止まってから、襖が開くまでに、少し間があった。息を整えていたのか、襖に手を掛ける前に、ひと呼吸おいたのか。
 勢いよく襖が開く。
「中在家さま!」
 弾んだ声が響いた瞬間、図書室に満ちていた重苦しいオーラが霧消した。間口に端座しているのは、カメ子である。長次の文机に歩み寄りながら、カメ子は上気した顔で続ける。
「南蛮のお菓子が手に入りましたので、お持ちしました!」
 菓子の包みを置く。長次の視線に気づいたのか、カメ子は急に頬を赤らめて下を向く。
「それから、あと、ご注文いただいた本をお持ちしました…この納品書にサインをお願いします…あ、本は、今、荷解きしているところです…ちょっと、見てまいります」
 言い訳がましく席を立つと、少女は小走りに部屋を出た。
 -本の納品より菓子が先か。
 それもまた、5歳の子どもらしいことではあった。
 -不思議な子だ。
 無表情だ無愛想だ不気味だと人から言われるのに慣れていた長次にとって、カメ子のようないとけない少女から好意を寄せられるということは、困惑以外のなにものでもなかった。

 


 もう、長次はしんべヱの妹と結婚しちまえよ。大商人の福冨屋に永久就職なんだぜ、いい話じゃねえかよ…同級生の小平太は、ときどきそのようにからかう。(大きなお世話だ)と長次は答える。
 相手は5歳の子どもである。きっと、それは愛とか恋とかいうものではなく、異質な者に対する好奇に近いものなのだろう。長次には、それ以外に解釈のしようもなかった。
 硯に水を足し、墨をする。手にした墨は、指先にほんの少し力を入れれば、簡単に折れるだろう。脆いもの、はかないもの、繊細なものは、自分の手には似合わない。暖かいもの、柔らかいもの、心をくすぐるものは、自分の心には似合わない。そう長次は考える。自分に似合うものは、固く、険しく、冷徹なもの。
 だが、筋肉の鎧で覆った身体の、知の兜で固めた頭脳のいちばん奥に、もっとも脆く、あたたかく、繊細なものがあることに、長次はまだ気づかない。

 


「失礼いたします」
 声とともに、襖が開く。カメ子の後ろには、福冨屋の奉公人たちが、本を詰め込んだ行李をいくつも手にして控えている。
「本は、どちらに置きましょうか」
(…)
 長次が指差したのは、昨日まで未整理の本が山積みになっていた場所である。
「あちらに」
「はい」
 カメ子の指示に、奉公人たちが行李を運び込む。
「本は丁寧に扱ってくださいね」
「はい」
 行李から出された本が山積みになった。
「これで、全部です」
 奉公人たちの長がカメ子に言う。
「わかりました。では、皆さんは待っていてください」
「はい」
 奉公人たちが部屋を出る前に、すでに長次は納品書を手に、本のチェックにかかり始めている。その横顔を、カメ子はうっとりと見つめている。

 

 

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