誠意を見せる。

 

5年ろ組が豆腐を作っているだけです。ただそれだけですが、豆腐を作るのって意外に大変そうだということがわかりました。兵助はいつも楽しげに豆腐を作って、豆腐料理までものしてしまいますが、実は豆腐地獄なんて言ったらバチが当たりそうです。今後、八左ヱ門たちは、兵助の豆腐を今までより感謝していただくようになることと思われます。たぶん。

 

 

「兵助! すまん! 本当に本当に本当にすまん!」
 平伏して土間に額をこすりつけているのは八左ヱ門である。
「この通り! 許してくれ! 頼む!」
「…あのさ、謝って済むことと思ってるわけ?」
 両拳を握りしめて立ち尽くす兵助の声は、地底から響くように低く憤怒に震えている。
「悪いと思っている! 謝って済むことじゃないことも分かってる! でも、俺には謝ることしかできないから、すまん!」
 兵助の背後の卓に置かれた数枚の皿には、豆腐が載っていた。いつもの兵助の手作り豆腐らしいつややかな白い豆腐である…だが、上面にはでらでらと輝く銀色の粉がべったりとついている。兵助が出来たての豆腐を皿にあけて、鍋や型枠を洗っている間に、孫兵の飼っている毒蛾のジュンとネネが落下してばたばたと暴れ回ってしまったのだ。
「…で、孫兵は」
 冷たい声で兵助は問う。
「そ、それがな…」
 顔を上げた八左ヱ門は、ちらと上目で兵助の表情をうかがう。
「…寝込んでる」
「寝込む?」
 兵助の声にドスが加わる。
「そ、そのだな、兵助に怒られるんじゃないかとビビッてるのと、ジュンとネネが…その…死んじまったショックでだな…」
 ジュンとネネは怒り狂った兵助に叩き潰されていた。
「だけど! 後輩の罪は俺の罪だ! だから頼む! 許してくれ!」
「…あのさぁ、八左ヱ門がこんなに謝ってるんだし、そろそろ許してやってもいいんじゃないかな…」
 それまで黙っていた勘右衛門が とりなすように声をかける。
「いくら毒蛾の鱗粉がついたって言っても、表面だけの話だろ? 鱗粉がついた部分だけ削ればわかりゃしないと思うんだけど」
「俺たちが食べる豆腐ならそうしてるさ…だけど!」
 兵助の声は怒りで震えたままである。
「せっかく、俺の豆腐を認めてくださった学園長先生が、金楽寺の和尚様への手土産にしたいというから、特別に心を込めて作った豆腐なんだ…毒蛾が転げまわったあとを表面だけ削って差し上げるなんて、できるわけがないだろ…!」
「う…ま、まあ、言わんとすることはわかるけどさ…」
「わかった!」
 唐突に凛とした声が響いて、勘右衛門も兵助も思わず言葉を呑み込む。声を発したのは八左ヱ門だった。顔を上げた八左ヱ門は、ゆるゆると立ち上がると、兵助の前に立った。
「それなら、弁償させてくれ」
「弁償?」
 まさか街の豆腐屋で出来合いの豆腐を買ってくるんじゃ…と言いかけたところに、八左ヱ門はまっすぐ兵助を見つめながら口を開いた。
「俺が、お前に代わって豆腐を作る。お前みたいにうまくいかないかもしれないけど、でもお前に負けないくらい心を込めて豆腐を作る! それで、許してくれないか?」
「ま、まあ…そこまで言うなら…」
 八左ヱ門の気迫に呑まれたように、兵助が口ごもる。
 -すげぇ。形勢逆転、土俵際まで押されながらも上手投げで転がしたってとこだな。だけど…。
 もはや口をはさむ余地のない勘右衛門は考える。
 -八左ヱ門、豆腐の作り方なんて知ってるのかな…。

 


「雷蔵、いるかあ?」
 図書室の襖をがらりと開けたのは八左ヱ門である。
「やあ、どうしたんだい?」
 貸出カウンターの当番をしていた雷蔵がにっこりして見上げる。
「ああ。豆腐の作り方の本を貸してもらおうと思ってな」
「豆腐の作り方?」
 図書室にいて兵助の豆腐に何が起きたか知らない雷蔵は、目をぱちくりする。
「ああ。ちょっと訳あって、俺が作ることになったんだ。そういう本、あるか?」
「うん、あったと思う。ちょっと探してみるからそこで待ってて」
「恩に着るよ」

 


「なになに…水に浸した大豆をすりつぶしてよくかき混ぜる…か」
 台所のカウンターに図書室から借り出した本を広げて、八左ヱ門はすりこぎとへらを手に悪戦苦闘していた。
「うおりゃぁぁああああ!」
 大豆をへらですりつぶすと、器を両脚で押さえつけて、すりこぎで一気にかき混ぜる。
「で、これを火にかける、と」
 煮立った鍋の中にすりつぶした大豆を注ぎ込む。
「よお、豆腐作ってるんだって?」
 台所に顔を出したのは三郎である。
「おう。兵助の豆腐だいなしにしちゃったからな…で、次どうすんだっけ…?」
「なあ、それより、ちょっと焦げ臭くないか?」
 豆腐の作り方の本を覗き込んでいる八左ヱ門に、三郎が声をかける。
「え、マジかよ」
 振り返った八左ヱ門が声を上げる。
「う、やべ! これ、焦がしちゃいけなかったんだ!」
 慌てて手にしたへらで鍋をかきまわす。
「大丈夫かよ」
 八左ヱ門に代わって本に眼を通していた三郎が言う。
「…その生呉(なまご)、火が通ったら溢れてくるらしいぞ。気をつけた方が…」
「あっっちぃい!」
 裏返った声に三郎が振り返ると、鍋から急速に泡が立って吹きこぼれていた。
「なあ、それ、早く火から上げないと…」
「俺だってそうしたいよ!」
 八左ヱ門が叫ぶ。鍋の取っ手に手拭いをかけて持ち上げようとするが、吹きこぼれた熱い泡が鍋の手も覆っていて手がつけられない状態になっていた。
「仕方がない、かくなる上は…!」
 桶に水を汲んだ三郎が、かまどにかけようと身構える。そのとき、
「待った!」
 台所に飛び込んできたのは雷蔵である。心配になって様子を見に来たのだ。
「これを使って!」
 手にした木のへらで鍋の取っ手を持ち上げる。
「そっち側も…で、持ち上げるんだ!」
 鍋をかまどの前の土間に置くと、雷蔵と八左ヱ門は額の汗を拭いて座り込んだ。
「ふぅ…」
「このあと、10分くらい弱火で煮るみたいだぜ」
 三郎が本を確認しながら言う。
「まだあるのかよ!」
 悲鳴に近い声を八左ヱ門があげる。
「てか、このあとが難しいみたいだぜ」
 三郎が指摘する。
「マジかよ」
「八左ヱ門、分かってて作ってるんじゃなかったのかい?」
 座り込んだままの雷蔵が呆れたように声を上げる。
「だってよ…兵助はいつも鼻歌歌いながら作ってるからさ…もっと簡単なのかなって…」
「そりゃ、兵助はいつも作ってるから慣れてるだろうけど、私たちは初めてなんだからそうもいかないだろ?」
 三郎が肩をすくめる。
「だな…俺、いつも兵助にうまい豆腐作ってもらってて、それが当然みたいに思ってたけど、こんなに大変だとは知らなかったよ」
 ためいきをついた八左ヱ門がうなだれる。
「反省するより、あと10分弱火にかけるほうが先だろ…早くやろうぜ」
 かまどの火を弱火に調節した三郎が声をかける。
「う、悪ィな。手伝わせちゃって」
「気にするなよ。同じ五年ろ組の仲間だろ」
「それに、八左ヱ門ひとりじゃ危なっかしくて見てられないし」
 雷蔵と三郎が笑いかける。

 


「煮あがったら、さらし布で濾すんだよな」
「濾すというより、絞るというほうが近いね」
 さらし布で作った袋に煮あがった生呉を注ぎながら、八左ヱ門と雷蔵が話す。
「あちっ」
 袋に触れた三郎が慌てて指を引っ込める。
「これ、どうやって絞るんだ?」
「兵助は袋の上に棒を通して、まわしながら絞ってたな」
「じゃ、そうしようぜ」
「よし、それじゃ雷蔵、袋を押さえててくれ」
「いいよ…あっちぃっ!」
「いま、三郎が袋に触って熱がってたばっかじゃねえか」
 八左ヱ門が腰に手を当てる。
「そうだったね。忘れてたよ」
 きまり悪そうに雷蔵が笑う。
「それより、どうやって絞るんだ? 袋を固定しないと、棒を通しても絞れないぜ?」
「おばちゃんの鍋つかみを借りようか」
「そりゃまずいだろ…豆乳臭くなっちまうぜ?」 
「…だな」
 腕組みをして考え込む八左ヱ門の傍らで、三郎が困惑したように頭を掻く。
「兵助はどうやって絞ってたのさ」
 指先を盥の水で冷やしながら雷蔵が訊く。
「それがだな…どうやっても思い出せない!」
 腕組みをしたまま八左ヱ門が考え込む。
「そしたらさ、袋をざるの上に置いて、上から押しつぶすみたいに絞ったらどうかな」
 盥の横に伏せてあったざるに気付いた雷蔵が、持ち上げてみせる。
「おお! さすが私の雷蔵!」
「ナイスアイデアだぜ!」
 すかさず反応した三郎と八左ヱ門が、桶の上にざるを据えて生呉の入った袋を置いて絞り始める。

 


「さて、ここでにがりを加えるとあるが」
 本に眼を通しながら三郎が口を開く。
「…ここからが一番難しいとある。温度管理が重要なんだそうだ」
「どれどれ…へえ、にがりを入れたら、70度くらいのお湯で湯煎にしながらかき混ぜるんだって」
 傍らからページを覗き込んだ雷蔵が続ける。
「う~、そんな難しいオペレーションをどうやってやればいいんだぁ!」
 八左ヱ門が頭を掻きむしる。
「そうだなあ。どうすれば70度のお湯を作れるんだろう。皮膚感覚じゃ熱すぎて測れないし」
 雷蔵も腕を組む。
「簡単なことじゃないか」
 そんなことも分からないのかい、と言わんばかりに三郎が腰に手を当てる。
「…お湯と水を使うのさ。沸騰したお湯を1升に、井戸水を5合混ぜる。井戸水はだいたい16度から18度だから、これでほぼ70度になる」
「「なるほど」」
 雷蔵と八左ヱ門が同時に頷く。
「よし、さっそくにがりを入れるから、お湯は頼んだぞ」
 戸棚のにがりを入れた壺を持ち出しながら八左ヱ門が言う。
「分かった!」

 


「ふう、ようやくここまで出来上がったな」
「ああ。ここまでくればもう少しだぜ」
 にがりを入れて凝固した豆乳を型に入れて、ようやく3人はひと息つくことができた。
「ところでさあ、僕たちここまで全然味見をしてないけど、大丈夫なのかなあ」
 ふと思いついたように雷蔵が言う。
「あ…そういえば」
「でも、兵助が味見なんてしてるの見たことないぜ」
 八左ヱ門が腕を組んで首をひねる。
「そりゃ、兵助はいつも作っていて、わざわざ味見しなくても分かるからだろ?」
 三郎が肩をすくめる。
「だけど、どの段階で味見するのかなあ」
「やっぱ、にがりを入れた後じゃないのか? そこからは型に入れるだけだし」
「てことは、そこで味がおかしいと分かっても修正不可能ってことか」
「あ…それもそうだね」
 3人がごそごそと話しているところへ、「おーい、兵助つれてきたぞ」と声がして、食堂に勘右衛門と兵助が入ってきた。豆腐が完成まじかなので、呼びに行ってもらったのだ。

 


「兵助、待たせて悪かった。これが、俺の豆腐だ」
 食卓に着いた兵助の前に、豆腐が据えられた。
「兵助がいつも作ってくれる豆腐にはぜんぜん及ばないと思う…そもそも、俺、豆腐作るの初めてだし、実は俺一人で作ったわけじゃなくて三郎と雷蔵にも手伝ってもらったし、だから、俺が作ったってわけでもねえんだけど…」
 口ごもりながらちらと兵助の表情を上目で伺う。
「…」
 兵助は唇を引き結んだままである。
「だけど、これで、許してくれないか?」
「…」
「なあ、せめて、味見くらいしてくれないかい?」
 沈黙にたまりかねて雷蔵が口を開く。
「…八左ヱ門には、負けたよ」
 不意に顔を伏せて、兵助はため息をつく。
「…どういう、ことだ?」
「さっき、にがりを入れて寝かしたときに、上澄み液をすくい出したろ? あれでだいたい豆腐の良し悪しは分かるんだ…とっても甘くておいしかったよ。初めてであんなにうまくできるなんて、俺の立場も形無しだな」
「え…」
「てことは…?」
 雷蔵と三郎が言葉を詰まらせる。
「もちろん合格さ! こんど、火薬委員会で豆腐パーティーやるときにぜひ使わせてもらうよ!」
 満面の笑みで兵助が声を上げる。
「え…てか、あの、金楽寺の和尚さまに持ってくってのは…?」
 兵助の上機嫌に水を差したくはなかったが、重要な点をスルーしていることに気付いた八左ヱ門はあえて口をはさむ。
「ああ、あれは俺が何とかしといたから」
 意外にもあっさりと兵助は受け流した。
「でも…兵助の豆腐はだめになっちゃったんじゃ…?」
「ああ、あれはだめになったけど、でも予備がある!」
「「予備!?」」
 三郎と雷蔵があんぐりと口を開く。
「ああ。本当は火薬委員会の豆腐パーティーにまわすつもりで作ったんだけど、毒蛾のせいでだめになったから、それを金楽寺にお届けしたんだ。八左ヱ門たちが豆腐を作っている間にね」
「「そんなのアリかよ~~~!!」」
 この上もなく爽やかに言い切る兵助に、思わず膝が崩れる八左ヱ門たちだった。
「え? どうかした?」
 無心に首をかしげる兵助に、勘右衛門が突っ込む。
「兵助…お前、天然にもほどがあるぜ…」

 

 <FIN>

 

 

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