残柿

 

葉の落ちた枝に少しだけ残された柿は、色彩の乏しくなった中でひときわ鮮やかで、いかにも晩秋の風景ですね。そして、多くの鳥たちのためにあえて残すゆかしさも感じられます。そんな残柿を眺めているうちに思いついたお話です。

 

 

 今年も学園の食堂の裏にある柿の木には、たくさんの実がなった。
「おぅい」
 枝に掛けた梯子の上から呼びかけるのは八左ヱ門である。
「これから実を落とすから、お前らちゃんと受け取れよぉ」
「「はーい」」
 木の下には、風呂敷を広げて待ち構えている一年生たちがいる。
「こっちもだぞ!」
「「はーい」」
 別のやや細い枝の上にいる孫兵にも下から声が返る。

 


「あらま。こんなにたくさん取ってくれたのねぇ。助かるわ」
 柿が山盛りになった籠をいくつも食堂にもちこんだ生物委員たちを、食堂のおばちゃんが笑顔で迎える。
「はい! いっぱいとれました! で、これからどうするんですか?」
 元気よく返事した三治郎が、首をかしげて八左ヱ門を見上げる。
「もちろん、干し柿にするのさ。ほら、お前たちも皮をむくんだ」
「ヘタを切らないようにするんだぞ」
 孫兵も注意する。
「はあい」
「皮むきまで手伝ってもらっちゃって、悪いわねぇ」
 皮をむいた柿をひもで結わえながらおばちゃんが言う。
「いえ。生物委員はいつもおばちゃんにお世話になってますから」
 生物委員会は予算不足ですから、と腕まくりをして皮をむく八左ヱ門が照れたように笑う。生物委員会では、いつも台所から出た野菜くずを、飼っている動物や虫たちのエサとしてもらっていた。
「お世話なんていうほどのことじゃないわよ」
 


「わぁ、すごいきれい!」
「柿のすだれみたいだ!」
 食堂の軒先に結わえられた柿がずらりと干されると、一年生たちが歓声をあげた。
「…もうこんな季節なんですね」
 外の歓声を聞きながら孫兵がぽつりという。
「あ? ああ、そうだな」
 テーブルの上に大量に残された皮を拾い集めながら、八左ヱ門が答える。
「先輩は、冬はお好きですか」
 唐突な問いかけに、八左ヱ門がきょとんとして顔を上げた。
「どうした、やぶからぼうに」
 孫兵の手にした籠にどさりと皮を載せる。何を言ってんだよ、と軽口で応えるつもりだったが、思いつめたように顔を伏せている姿に慌てて言葉を呑み込む。
「なにかあったのか、孫兵」
 おずおずと訊いた八左ヱ門だったが、次の瞬間、孫兵の最も親しい友人の不在を見取る。
「そうか…ジュンコが冬眠に入っちまったか」
 だから気落ちしているのか、と思ったが、孫兵は表情を変えずに言う。
「いえ。ジュンコは関係ありません」
「関係ないって…じゃ、どうしたんだよ」
「その…」
 籠を抱えたまま、孫兵は俯いている。
「そうだな…ま、俺も冬はあんま好きじゃないな。寒いのはニガテだし、雪の中で演習なんて最悪だしな」
 思いつめた表情の孫兵の答えを待つよりはと、八左ヱ門はつとめて明るく答えることにした。そのついでに軽く問いかける。
「孫兵も、冬はニガテか?」
「…いえ」
 微動だにせず立ちすくんだまま、孫兵は短く答える。
「…というより、僕は冬がこわいんです」
「こわい?」
 腰かけに座ってテーブルに片肘をついた八左ヱ門が、眉を上げる。
「はい」
「どうしてだ?」
「それは…」
 孫兵は顔を上げて、格子窓を見上げた。窓越しに見える空は、突き抜けるように晴れ渡った青空である。
「このまえ、ジュンコが冬眠に入りました。でも、春になればまた会うことができます。でも、虫たちはそうではない」
 こわいという言葉とうらはらに、孫兵の表情は能面のように空白である。孫兵の「こわい」とは、恐怖というよりは畏怖に近いものかもしれない、と八左ヱ門は考える。
「…虫たちのほとんどは、冬になる前に死んでしまいます。死ぬ前に卵を残して、春になれば新しく生まれてくるのは分かっていますが、春から夏にかけてあんなに元気に動いたり飛んだりしていた虫たちが、いつの間にか死んでしまう。秋の夜にあんなに賑やかに鳴いていた虫たちが、気がつくといなくなっている。急にしんとしてしまうのが、こわいんです」
 ぼそぼそと紡ぎだされる声が、消え入るように止んだ。食堂の中が静まり返った。外で干し柿に歓声を上げていた後輩たちはどこに行ってしまったのだろうか。
「そうか」
 取り残されちまったようなもんか、と言いかけたが、すぐにそれだけではないと思った。孫兵が言いたいのは静けさに取り残される寂しさだけではない、孫兵の愛する虫たちの命をいとも簡単に絡め取るものへの畏怖だということに気付いたから。

 


「なあ、孫兵。この間、俺たち五年生が金楽寺に座禅に行かされたんだけどさ…」
 思うところあるように八左ヱ門が口を開いた。「そこですげえ話を聞いたんだぜ」
「…どんなお話ですか」
 ややあって孫兵が訊く。
「座禅の後に和尚様のお話を聞いたんだけどさ、お釈迦様が天竺で死んじまってから56億7千万年たつと、弥勒菩薩様が人間を助けに来てくれるんだってさ」
「…そんな話、僕たちには関係ありません。お釈迦様が死んだのは大昔だし、弥勒菩薩様が現れる前に僕たちは死んでしまいますから」
 至って冷静に孫兵が指摘する。
「そうだな」
 八左ヱ門も反論しない。
「だけどな、俺、そのお話を聞いて思ったんだ。仏様の世界では、56億7千万年なんてあっという間なのかも知れねえなってさ。俺だってそんな長い時間がどういうものかなんて想像つかないけど、虫たちから見た俺たちの生きる時間も、もしかしたら同じようなものなのかも知れないよな」
「虫たちの…時間?」
「そういうこと。俺たちがいくつで死ぬかなんて分からないけど、1年で死んじまう虫たちから見れば、想像もつかないくらい長い時間なんだろうな」
「…だけど、死んでしまうことには変わりないです」
 孫兵の思いつめた口調は変わらない。
「まあ、こういう世の中だからな」
 立ちあがって皮を盛った籠をひょいと孫兵の手から取り上げると、脇に抱える。
「…俺だって、死ぬってどういうことかよく分からないし、すげえ怖いさ。少しでも長生きしたいし、女の子とイチャイチャしたいし、いずれは嫁さんもらって、子どもも欲しい。もちろん一流の忍者にもなりたいしな。だけど」
 不意に八左ヱ門の声が硬くなった。
「いくら死にたくないって強く思っても、いずれ人は死ぬ。何百年も生きていくってわけにはいかないんだ…だから、どう生きていくかってことが大事なんだ」
 そう言うと、あいた手で孫兵の頭を軽くなでておどけた調子で続ける。
「…って言ってたぜ。金楽寺の和尚さまが」

 


「竹谷せんぱ~い!」
「伊賀崎せんぱいも!」
 ばたばたと足音がして、勝手口から一年生たちが駆けこんできた。
「おぅ、どうしたあ」
 振り返った八左ヱ門が笑顔で応える。
「おばちゃんが柿を干してくれたんです!」
「とってもきれいです! いっしょに見ましょうよォ」
「わ、分かった分かった…そう押すなって」
 手を引かれ身体を押されながら八左ヱ門は苦笑いする。と、その手から籠が取り上げられた。
「お、孫兵…?」
 籠を抱えてすたすたと歩み去る後ろ姿に声をかける。
「皮を堆肥にだしてきます」
 振り返りもせず孫兵は姿を消す。
 -そうか。少し一人で考えたいんだろうな。
 強引に手を引く後輩たちに足をもつれさせながら、八左ヱ門はそう思った。
 
 

「おほ~っ。ずいぶんたくさん干したなあ」
「ところで竹谷せんぱい」
 すだれのようにずらりと並べて干された柿を腕を組んで見上げる八左ヱ門の袖を、虎若が引く。
「ん? どうした?」
「どうして、あそこに柿の実が残っているんですか?」
 虎若が指差した先、青空に突き立った枝先には、赤い実がいくつも照り映えている。
「ああ、あれか」
 八左ヱ門も枝先を見上げる。
「あれはな、わざと残してるんだ。ああいうのを木守柿(きまもりがき)ともいう。これから冬になってエサが少なくなったときに、鳥たちが食えるようにな」
「鳥のために残してるんですか?」
 三治郎が興味深げに訊く。
「ああそうさ。もちろんあの柿を全部取っちまえば、もっとたくさん干し柿を食える。だけど、俺たち人間は、自然からもらったものを独り占めしちゃいけないんだ。わかるか?」
「ええ、まあ…」
 三治郎たちが曖昧に頷く。ほんとは全部とってしまえばもっとたくさん干し柿にありつけるのに、と思いながら。

 


「おぅ、孫兵」
 一年生たちがどこかに遊びに行った後も柿の木を眺めていた八左ヱ門が呼ぶ。籠を台所に戻してきたのか、孫兵は手ぶらである。
「…はい」
 あまり気乗りしない表情で孫兵がやって来る。
「あれ見てみろよ」
 梢の先を指差す。
「残柿ですね」
 それがどうしたというように不審げに見上げる。
「見ろよ。きれいだよな」
 陽がやや傾いて、より赤みを増した実がつややかに光る。と、枝にやってきたムクドリの鮮やかな黄色いくちばしがその実をつつく。
「なあ、孫兵。お前さっき、冬がおそろしいって言ったよな」
 傍らに立っている孫兵の肩が小さく反応した。
「お前の話を聞いたあと、俺も少し考えてみた。たしかに生きている以上、人も虫も死ぬし、特に虫たちが一斉に死んじまう冬がこわいと考えるのももっともだと思う。だけどな」
 八左ヱ門が孫兵の顔を見下ろす。おずおずと孫兵も視線を向ける。
「あのムクドリみたいに、冬もああやって残った柿でどうにか食いつないで過ごす生き物もいる。お前のジュンコだって、冬にはいなくなるけど死んじまったわけじゃないだろ? 冬はたしかにきつい季節だけど、春が来れば、冬を生き抜いた動物や鳥たちが子どもを産むし、虫たちが生み残した卵から幼虫が生まれる。そうやって命ってつながっているんじゃないかなってな」
「そのうち56億7千万年も経つってことですか」
 ひとり言ともつかない口調で孫兵がつぶやく。
「ああ」
 澄み渡った空を見上げながら八左ヱ門は頷く。
「俺のじいちゃんが言ってた。生きてるものは死んだ後も何度もこの世に生まれ変わってくる。いいことをすれば人間に、悪いことをすれば動物に生まれ変わるってな。それを繰り返していれば、何十億年っていってもたいして長い時間じゃないのかもな」
「…ジュンコは悪いことをしたから、毒ヘビになったんでしょうか」
「どうだろな」
 悪いこと言っちまったかな、と傍らの孫兵の表情を盗み見る。考え込んでいるようで、何も考えていないような空虚な表情を。
「…でも、ジュンコは孫兵に会えたんだから、そう悪くも思ってないかもな」
 だろ? と言いながら孫兵の顔を覗き込む。ようやく孫兵の顔に笑みが戻ってきた。
「俺たちは忍たまだから、いずれは戦に出ることもあると思うし、殺生しないといけないことだってあると思う。でも、ちょっとでもいいことを積み重ねれば、もしかしたら次に生まれ変わるときも人間になれるかもしれないぜ?」
「いいこと、ですか?」
「ああ。たとえば、あの柿の木に実を残してやるのも、ほんのちょっとしたことだけど、いいことには違いないだろ? ああいうのを坊さんたちは慈悲って言うみたいだけどな」
「慈悲…ですか」
「そうやってるうちに、弥勒菩薩様が拝める日も来るってことじゃないのかな」
「先輩は…すごいですね」
 小さく笑いながら孫兵は言う。
「俺が? なんでだ?」
 きょとんとした顔で八左ヱ門が訊く。
「すごく難しい話を、とてもやさしく話されるので」
「そんなことないさ」
 頷いた八左ヱ門は、また枝先に眼を向ける。その横顔を夕陽が照らす。
「俺の話は、みんな他の人に教えてもらったものさ。ただ、すげーなって思ったから孫兵にも話してやりたいと思っただけだ」
「虫たちも、僕たちも生きてる時間は短いけど、何度も繰り返して生きることができるんですね」
「ああ。そうこうしてるうちに56億7千万年なんてあっという間に経っちまうさ」
「そのときも、今日みたいにいい天気なんでしょうか」
 考え深げに孫兵が八左ヱ門を見上げる。
「ああ、きっとそうさ」
 茜差す蒼穹を見上げた八左ヱ門は力強く頷く。

 

 

<FIN>

 

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