二つの未来の間に

庄左ヱ門三部作その2

 

馬借の若旦那と炭屋の若旦那。それぞれが、二つの未来の間で揺れ惑っています。

庄左ヱ門の相談相手は、三郎だったりします。

 

 

1 ≫ 

 

 

 長期休暇明けは、生徒たちは、まだ学園の生活リズムにもどりきれていないのだろう、ぼんやりした表情の生徒が多い。

 


 一年は組学級委員長の庄左ヱ門もその一人だった。いや、傍目にはしっかりしているように見えているが、自身では、まだまだぼんやりしているという感覚だった。
 -学級委員長のぼくがしっかりしないといけないのに…。
 責任感の強い少年は、考える。今の自分は、まだ学園の生活リズムに身体を戻すのに精一杯で、クラス全体に眼を配ることができていない。

 


 休みの間、優等生らしく宿題を早々に片付けた庄左ヱ門は、家業である炭屋の黒木屋の手伝いや弟の庄二郎の世話に明け暮れていた。庄二郎をおぶっていると、日々、その重さが増し、動きも力強くなっていくのがよく感じられた。
 -はやく、庄二郎が歩けるようにならないかな。
 歳の離れた弟が可愛くてならない庄左ヱ門は、考える。
 -歩けるようになったら、かくれんぼをしたりして遊んでやるんだ。忍者のいろいろな話も聞かせてやりたいな。
 そして時々は、祖父に促され、近在の商人や豪農たちを迎えた茶席の亭主をつとめたりもして、庄左ヱ門の休暇は穏やかに過ぎていったのである。

 


「庄左ヱ門、庄左ヱ門ったら。聞いてる?」
 呼びかける声に、庄左ヱ門ははっとする。
 -しまった。つい、ぼんやりしてしまっていた。
 声の方に向き直ると、乱太郎が困惑顔で庄左ヱ門の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの? ぼんやりしちゃって。どこか調子でも悪いの?」 
「いや、なんでもない。どうした?」
 頭をかきながら取り繕う庄左ヱ門に、乱太郎が声を潜めて言う。
「団蔵のことなんだけど…ちょっとヘンだと思わない?」
「団蔵が?」
「そう。なんか元気がないって言うか…いつもの団蔵じゃないみたい。庄左ヱ門、気がつかなかった?」
 言われてそっと団蔵に眼を向ける。机によりかかってぼんやりしている様子は、たしかにいつもの団蔵ではない。だいたい、休み時間になっても教室に残っている時点で、様子がおかしいことに気づくべきだった。いつもなら、とっくに校庭に飛び出してサッカーでもやっているはずなのだ。
 -うかつだった。そんなことにも気付いていなかったなんて。
 自分の頭をぽかぽか撲りたい衝動に駆られたが、そのようなことをしている場合ではない。
「わかった。ちょっと話を聞いてくる」
 迷わず立ち上がる庄左ヱ門は、すでに学級委員長の顔に戻っている。

 


「なん…だとっっ!」
 飛蔵は言葉を失った。
「だから、ぼくは忍者になりたいんだっ」
 団蔵が声を上げる。
 荷を運ぶ途中、休憩しているさなかに唐突に始まった親子ケンカに、若い衆たちがおろおろしている。
「団蔵! なんのために学校に入れたと思っているんだ!」
「忍術学園に入って、忍者になりたいと思ってどこが悪いのさ!」
 飛蔵は言葉に詰まる。たしかに忍術学園への入学を許したのは自分だった。だが、それはとりあえず学問をさせるためであって、忍者などという得体の知れないものになるかどうかということまでは、あまり考えていなかったというのが正直なところだった。もっとも、団蔵の学力を考えると、入学試験がなく、入学金さえ支払えば入学できる忍術学園のほかに選択肢がなかったというのが、実情ではあったが。
「お前にはな、忍者になるより先に、馬借稼業を継いでもらわないといけねえんだ! 忍者になどなってる場合か!」
「いやだ! ぼくは忍者になりたい!」
「まあまあ…親方も若旦那も」
 清八が割ってはいる。
「とりあえず、今は荷物の配送中なんですから、ケンカはよしてくださいよ」
「そ、そうだな」
 飛蔵も我に返る。
「団蔵。今の話はいずれ改めてする…休憩は終わりだ。出発するぞ」
「へい」

 

 

 -まったく、団蔵があそこまで忍者に入れ込んじまうとはな…。
 配送を終えて村に戻った飛蔵は、座敷に一人こもって、ため息をつく。
 今や、馬借は、ただ荷物を運んでいればいい稼業ではなくなっていた。もともと馬借や車借などの運送業や問丸、土倉などは、百姓たちより身分的に低く見られていたが、土地にしばれれていない分、大名や土豪たちの統制の外にあって、独立した社会的勢力を築いていた。
 しかし、大名たちが力を持つにつれて、馬借たちの持つ独立も脅かされ始めていた。そうした外部の圧力に対して、車借や水運業者、問丸などと連合して対抗しているのが現状なのだ。
 -だからこそ、知恵者が必要なのだ。
 外部からの圧力をかわす政治力、村の代表としてハイレベルな人々と交際するための教養、危機にあたって村をまとめるリーダーシップ…どれも、これからの村を率いていくためには必須だった。今の自分に政治力や教養があるとは思えなかったが、団蔵の代には、ないでは済まされない状況になっているだろう。そのときどうするか。村の将来を考えれば考えるほど、飛蔵の悩みは深まるのだ。そして、このまま団蔵を忍術学園に置いておいてもいいのかという疑問が膨れ上がる。
 -当面は、俺がやっていけるだろう。だが、団蔵が後を継がないとなると話は別だ。
 それとなく清八に、馬借の親方を継ぐ気があるかと訊いたことがある。清八の返事は、「若旦那以外の誰が継ぐっていうんですか」だった。
 -やはり、団蔵しかいない。
 だが、団蔵は忍者になるほうに夢中になってしまったようである。
 -清八から言わせてみるか。
 いちばん懐いている清八の言うことなら、団蔵も聞きそうに思えた。しかし。
 -いや、ダメだ。アイツは正直すぎる。
 苦虫を噛み潰したような表情になって、飛蔵は首を振る。
 仮に清八の口から、団蔵が馬借を継ぐべきだと言わせたとしても、団蔵に「それって、父ちゃんが言えっていったことじゃない?」と問われれば、一瞬で陥落してしまうだろう。
 実のところ、飛蔵の下で働く若い衆たちは、馬を扱う技量や体力、胆力に不足はないが、知識や教養とはおよそかけ離れたところにあった。そして、自分も含めて、単純でお人よしで、ウソの下手くそな連中ばかりだった。
 若い衆はともかく、将来村のリーダーとなるべき団蔵は、そんなことでは勤まらない。だから、飛蔵は、とにかく学問を積ませようと息子を忍術学園に入れたのだ。
 だが、本人には、馬借稼業を継ぐつもりはないようである。どうすればいいのか。飛蔵に相談相手はいない。リーダーは、孤独なのだ。だからこそ、つい団蔵にきつく当たってしまう。

 


「清八…ちょっといい?」
「なんですか。若旦那」
 飛蔵が考え込んでいる頃、団蔵は、厩で敷き藁を取り替えていた清八に声をかけた。
「さっきの話なんだけど…」
 運んできた藁束を拡げながら、団蔵は口ごもる。
「跡継ぎの話ですか」
「…うん」
 ごく幼い頃から、団蔵は父の元で働く若い衆の中でも、清八に懐いていた。時間の許す限り清八はよく遊んでくれたし、馬の扱い方も教えてくれた。
「私は、若旦那が親方になると思ってますよ。私も、他の連中も、若旦那以外の人が私たちの親方になるなんてことは、考えたこともありません」
 淡々と、だがきっぱりと清八は言った。
 -父ちゃんにそう言えっていわれたのかな…。
 だが、まっすぐ自分を見つめる清八の眼を見て、その疑念はすぐに消えた。ほかの若い衆も同じだが、清八はウソがつけない人間である。団蔵にもすぐに察せられるくらい、ウソが苦手なのだ。
 -本気で、そう思っているってことか。
 その事実が、団蔵の心を重くする。父親が頭ごなしに忍者になるなと言うのなら、まだ言い返すことだってできる。その結果、ケンカに発展して頭に拳骨を落とされても、食らいついていくのが団蔵だった。
 しかし、清八に言われてしまうと、団蔵は弱い。もともと、若い衆から「若旦那」と呼ばれるたびに、しっかりしなければならない立場なのだと思ってきただけに、ここで忍者になると決心することは、清八たちを裏切ることになるのではないかと思えるのだった。
 -清八たちがぼくを信じてくれているのに、ぼくが裏切ることなんて絶対にできない。ぼくは、忍者になっちゃいけないのかな…。
 あの日以来、飛蔵が跡継ぎの話をすることはなかった。細かいことは気にしない性質の団蔵だったが、そのことも気がかりだった。なんとなく追い詰められたような、もやもやした気持ちのまま、団蔵は新学期を迎えたのである。

 


「…っていうことなんだ」
 授業の後、教室でぼんやりしていた自分に声をかけてきたのは、庄左ヱ門だった。ちょっといい? と校舎の裏に連れてきたところで、庄左ヱ門は、きわめて冷静に、団蔵が何かに悩んでいることは明らかだ、もしよければ話してくれないか、と言ったのである。
 団蔵は、家であったことを洗いざらい庄左ヱ門に話した。話しているうちに、少しずつ気持ちが落ち着くと同時に、やはり忍者になりたいのだという気持ちが強くなってきた。
「そうだったんだ」
 庄左ヱ門は軽く相槌を入れながら、耳を傾ける。
 かなわないな、と団蔵は思う。庄左ヱ門がは組のメンバーから絶大な信頼を寄せられているのは、リーダーとして力強くクラスを引っ張っていくだけではない。このように、メンバーのひとりひとりに目を配り、何かあれば寄り添ってくれる心馳せがあるからだった。なにかあれば、庄左ヱ門が相談に乗ってくれるという心強さが、は組をまとめているのだ。遊びのほうではリーダーになることが多い団蔵だったが、とても庄左ヱ門にはかなわない、と思うのだった。

 


 ひと通り話を聞いてもらうと、団蔵の心にも少し余裕ができた。ふと、庄左ヱ門の実家も、商人だったことを思い出す。
「庄左ヱ門のうちは、炭屋だろ。庄左ヱ門は、跡を継がなくてもいいの?」
「うーん、分からない」
 ウソだった。弟の庄二郎がいるとはいえ、立場的には、長男である自分が家業の炭屋を継ぐべきであり、そう期待されていることは、分かりすぎるほど分かっていた。黒木屋で後継者がどうのという騒動にならないのは、家の者たちにとってはあまりに当然過ぎてそれが問題になるという発想すらないためであり、庄左ヱ門が慎重に口をつぐんでいるからでもあった。

 

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