はじまりの場所へ

 

原作やアニメで、いつどういう形で新たな設定が登場するのかきわめて不透明な状況ではありますが、ついに土井先生の過去捏造話を展開しようと思います。暗いです。過去話ゆえオリキャラ多数登場、というよりオリキャラだらけです。そして多分、長くなります(公開時点(2012.7.12)でまだ結末まで書けていません^^;)

というわけで、需要についてはきわめて怪しい方向ですが、よろしければお付き合いくださいませ。

 

 

    はじまりの場所へ   REGO~はじまりの場所へ~

    捕囚         REGO~捕囚~

    奈落         REGO~奈落~

    Intermezzo

    脱出         REGO~脱出~

    たどりつく場所    REGO~たどりつく場所~

 

 

 -福原だ…。
 街道を行きかう人の数が増え、家並みがにぎわいを増してきた。
 -こんな街だったろうか…。
 幼い記憶に断片的に刻まれた街の記憶と、眼の前に広がる光景は、半助の中でどうしても一致しがたかった。

 


 フリーの忍として、各地を渡り歩いてきた半助だったが、摂津福原の地だけは、踏み込んだことがなかった。そこは、あまりに辛い思い出が多すぎる地だった。
 あの夜、突如館を包囲され、炎が放たれた。紅蓮の炎の中で、父や母、そして多くの家人たちを失った。狂ったように暴れて敵に突っ込もうとする自分を、館に仕えていた忍頭が羽交い絞めにしていた。そして、父の最期の声を聞いたのだ。
 -勢至丸。早く逃げるのだ。そなただけは何としても生き抜くのだ。そして、この敵を討とうとはするな…。
 そうだ。あの頃、自分は幼名の勢至丸だったのだ。元服する前に家も家族も失い、助け出した忍頭によって寺院にかくまわれ、後に名を変え、過去を消して忍として生きる訓練を重ねてきたのだ。

 


 だから、福原の地は、足を向けたくなかった。だが、任務であれば仕方がない。フリーの忍として生きている以上、仕事を選ぶことは許されなかった。
「瀬戸内の水軍に対する陸上勢力からの圧力の状況と、圧力を減ずる手段について、調べてきてほしい」
 それが、現在身を寄せている下島一門からの依頼だった。それが誰からの依頼か、知る由もなかったし知る必要もなかった。もっとも、依頼の内容からして水軍関係者か、あるいは瀬戸内の水運に関係の深い商人などからのものだろうとは想像がついた。そして、長門からはじめた調査は播磨まで終了して、これから摂津に入ったところだった。播磨までの調査報告はすでに仲間に託して送ってある。
 -摂津の津(港)といえば、福原しかない。
 古には都が置かれたこともあった福原が、半助の生まれ育った地だった。その地の領主の継嗣として、半助は生まれたのだ。
 -もう、あれから十年以上になる。
 商人に扮して街道を歩きながら、半助はそっと周囲をうかがった。街道筋の風景はほかの街と変わらず、特段懐かしいという感覚を呼び覚ます何物もなかった。

 半助は、墨や筆を商う商人として町々を歩いていた。墨や筆はかさばらず、またこうしたものを買い求めるのは町の僧や武士、商人といった知識階層であり、情報の集まる立場の人々が多かったから、四方山話の中から情報を聞き出すには有利だった。また、彼らの方でも、他の土地の情報を持っている商人からの話を求めていた。だから、道中、散発的な一揆や小規模な戦で迂回や立往生を余儀なくされながらも、半助は比較的順調に調査を進めることができた。

 


「ほう、筆も墨も、大和のものですか」
「はい。上質なものだけをお持ちしています」
 大きな商家に上がることに成功した半助は、主人に如才なく商品を勧めていた。
「なるほど」
 趣味人らしい主人は、半助が並べた筆を手に取ったり、毛先の感触を確かめたりしている。
「それでは、ありがとうございました」
 首尾よく筆と墨を売ることができた半助は、ふと思い立ったように訊ねる。
「このあたりで、筆や墨をお買い求めいただけるような方は、ほかにおりますでしょうか」
 もちろん、この質問にも魂胆がある。情報の集まりやすい人物を手っ取り早く探すには、紹介が一番である。どの町にも、そのような人物は一握りだが確実にいて、限られたサークルを形作っていることが多かったから、紹介という形で入り込めば、効率的に多くの情報通と話をする機会に恵まれるのである。しかも、相手は、商人が客を紹介してもらいたがっているとしか考えないから、気軽に教えてくれることが多かった。
「そうですなあ…」
 主人は首を傾げたが、すぐに手にしていた扇子で膝をたたいた。
「もしあなたがしばらく当地に滞在されるなら、いい機会がありますぞ」
「といいますと?」
 半助が膝を進める。
「三日後に、連歌講がありましてな。福原や近在の者が集まるのです。私ももちろん参加しますが、あなたもいかがですか」
「連歌…ですか」
 半助はやや引く。ちょっとした歌や今様なら心得はあったが、連歌となると話は別である。連歌講を開くとなれば、外の連歌師も来るのだろうし、参加する者も、それなりに経験があるから、歌の巧拙などたちまち見抜くだろう。それだけならいいが、それがきっかけで怪しまれてしまっては元も子もない。まだ福原での調査は始まったばかりなのだ。
「しかし、私には連歌の心得など…」
 だから半助は、苦笑いを浮かべながら手を横に振る。
「いえいえ、連歌講に加わらなくてもよいのです。講の後、ちょっとした宴を開きますので、そのときにあなたを紹介しましょう。筆や墨を買おうと思っていた者も多くいるはずですから」
 主人ににっこりされ、半助は断るに断れなくなった。
「は、はあ…それでは、お言葉に甘えまして」

 


 -それにしても、よく似ていらしたことだ。
 半助が帰った後も、ひとり座敷に残った商人は動揺を隠せずにいた。
 -あれは、間違いなく漆間の殿と奥方の血をひく者だ。
 商人は、まだ漆間の家があった頃の、出入りの商人だった。幼かった半助に直接会うことはなかったが、家臣たちが若様、と呼んでいた存在があることは知っていた。そして、屋敷が焼き討ちされてから、領主夫妻が果てたとは知っていたが、「若様」の行方がようとして知れないことも気にかかっていた。
 -もしかして、ということもある。今度の連歌講のときに、当時のことをよく知る者も来るから、どう思うか聞いてみるとしよう。
「旦那様、大竹屋さんの使いのものが参りましたが」
 丁稚が部屋の外から遠慮がちに声をかけてきて、商人は我に返った。
 -そうだ。今日は大竹屋さんの茶の席だった。
「すぐ参ると伝えてくれ」

 


「というわけで、今日は大和の筆と墨を手に入れたのですよ。なかなかの上物で、こんどの連歌講が楽しみなのです」
 福原の大店のひとつである大竹屋の茶室では、数人の商人たちが集っていた。
「ほう、それは結構ですな」
 どうぞ、と碗をすすめながら、大竹屋が応える。
「新しい筆と墨で、いつもよりうまく詠まれるおつもりですかな」
 別の商人がからかう。
「いえいえ、それでも、気分だけでも新たな気持ちで詠めそうですな」
「それはそれは…講がたのしみですな」
 ははは…と笑い声があがる。
「それにしても、このような時期に来るとは、珍しい商人ですな」
 大竹屋が、次の商人のために茶を点てながら呟くように言う。
 聞けば、西方から来た商人という。だが、山陽道の西では、各地で一揆や小規模な戦が起こっているはずである。そんな政情不安なルートを、のんびり筆やら墨やらを売り歩いているという時点で怪しい。
 

 実は、大竹屋は、播磨に本拠を置く黒松城が福原に置いた穴丑だった。表向きは廻船問屋を営みながらも、福原やその周辺での動きに眼を配り、報告を上げるのが任務だった。戦国の世では、忍が各地に入り乱れて情報を探っていたし、忍が商人に扮して紛れ込むなど珍しくもなかったから、怪しげな商人はその正体を洗っておく必要があった。
「それがまた、亡き漆間の殿によく似た方でしてな」
 隣席の客とのんびりと語る商人の声に、大竹屋の手が止まりそうになる。
 -なんと。漆間の殿に似た者だと…商人に扮しているということは、さては忍としてこの福原を嗅ぎ回りにやってきたということか? これは、報告しなければ。
 半助を囲む網が、ぎりと引きしぼられる。 

 


 -しまった。すっかり遅くなってしまった…。
 連歌講の帰り道を半助は急いでいた。たしかに最初に上がった店の主人が言っていた通り、連歌講には福原や近在の主だった武家や商人、僧などが集まり、講が果てた後の宴では半助も筆や墨を売りつけながら多くの情報を仕入れることができた。
 -だが、妙な雰囲気の宴だった。
 かつて、半助の両親が領主だったころを知っている古参の商人たちは、一様に半助の面差しに宿るかつての領主の容貌に衝撃を受けていた。彼らはたちまちのうちに驚愕の表情を髭や深い皺や扇の向こうに隠しこんでしまったため、半助にはどこか居心地の悪い空気しか感じることができなかったが、それでも確実に何かの異変を感じ取ることはできた。
 -そして、あの大竹屋という商人…あれは穴丑ではないか?
 忍としての経験が教えていた。いくら大店の主人然として振る舞っていても、どこか同じにおいを感じるのだ。それは直観としか言いようのないものだった。
 -!
 宿所に向かっていた足が止まる。一瞬のうちに取り囲まれたことを半助は感じ取った。そして、相手が容易でない敵であることも。
 -なかなかに腕の立つ相手と見える…さて、どこの城の忍だ?

「土井半助。…いや、勢至丸よ。何の用あって福原に舞い戻ってきた」
 唐突に自分の幼名を呼び当てられて、半助は思わず身を固くした。
「誰だ」
「名乗る必要などない…と言いたいところだが、教えといてやろう。私は深見弾正という。貴様のような不審者を取り締まるのが仕事だ」
「私は商人だ。不審者呼ばわりされるいわれはない」
「それはどうかな。貴様の素性などとっくに割れておるわ」
 暗がりから手を後ろに組んだ人影が、悠々と歩み出た。
「言っていることが分からないが」
 おそらく相手はすべてを知っている。そう思いながらも、最後の抵抗を試みる。
「おとぼけもいい加減にしておくことだな」
 弾正がせせら笑う。
「貴様がかつてこの街を支配した漆間の嫡男であることくらい、とっくに知っておるわ。そして、生家が滅亡したのちは忍として露命をつないでおることもな」
「…」
 すべてを知られている。もはやそれは明らかだった。だから半助は押し黙って、ゆるゆると懐から取り出した苦無を構える。さて、次に相手はどう出るか。 
「さても悪運の強い男よ、勢至丸。お前一人のせいでどれだけの人間が辛酸をなめてきたか、教えてやろう」
「く…」
 苦無を構えながら、包囲を突破する途を探る。
 -あそこだ。
 包囲陣のなかに、槍を構えたものが混ざっている。苦無で矛先を沈めてから、槍を踏み落とし、突破できるかもしれない。外は夜だ。脱出してしまえば、いくらでも逃げられるだろう。
「お前を探し出すには手を焼いた。お前をかくまいそうな親族や家人を家族に至るまで責めたが、誰も口を割らなかったのだからな。いったいいままでどこへ逐電しておったことやら」
 半助は耳を疑った。たしかに、福原の昔の領内に入ってからも、かつての親族や家人たちの消息がまったく耳に入ってこないことは不審に感じていた。みな、殺されてしまった、だと?
「そんな戯言を、信じられるか」
「お前の目は節穴か」
 弾正はせせら笑った。
「…かつての家人たちに、お前はまったく接触できなかったはずだ。それを疑問に思わなかったのか」
「!」
 当然、不審に思っていた。ただ、主家がなくなれば、それぞれ散っていくのが当たり前である。それも、十年以上も前のことである。まだこの地に残ったものがいるとしても、探し出す以前に自分の任務を優先する必要があった。
 -私のせいで、彼らは、抹殺されたというのか。
 -いや、ただの脅し文句だ。とりあうな。
 -では、なぜ消息がつかめない。
 相手に気取られないよう身構えながらも、半助の頭の中ではいくつもの疑問がぶつかり合っていた。
「逃げようなどと思わないほうがいい。また多くの血が流れることになる…お前のせいでな」
 お前のせいでな、というところに力を込める。その言葉が半助に与える効果を意識している。
「私のせい、だと」
「そうよ。それも、これまでの何倍もの連中の血だ」
「お前たち、何をしたのだ」
「物わかりの悪いやつよ」
 弾正は肩をすくめた。
「お前が逐電した後、お前の親類縁者、家人どもを、家族もろともひっとらえたと言ったろうが」
「それで…彼らは」
「知るか。地獄か極楽か、どちらかには行っただろうよ」
「全員をか…」
 半助は歯ぎしりした。全身の血が怒りで逆流する思いだった。
「そうよ。それもこれも、お前のせいでだ。哀れな連中よのう。あやつらが一人ずつ責め殺されている間、お前はのうのうと生きておったというわけだ」
 弾正の言葉が、針のように全身に刺さった。
「お前がこの場から逃げたなら、お前が逃げた方向の村を一つひとつ焼いていくまでだ。村の長どもはじめ、匿った疑いのあるものは片っ端から処刑する。お前の居場所がなくなるまでな」
 -正気か、こいつら。
「そんなことをすれば、国が荒れる。それで困るのは、お前たちではないのか」
「ふ…さすがは領主の血を引くものだな。大所高所から領地、領民のことを考える…実にすばらしいことだ。だが」
 弾正の腕が伸び、半助をまっすぐ指した。
「いまのお前には、そんな戯言が許される立場ではないことが、まだ分かっていないようだな」
「どういうことだ」
「困るのは我々ではない。もっと上の話だ。我々は、与えられた任務をこなすのみ…そのためには手段など選ばないことは、忍のはしくれなら分かるだろう」
「手段を選ばないのなら、私に対してだけで十分だろう。なぜ、民を巻き込む。無辜の人々を殺す」
「それが、お前にとってもっとも効果的だからだ。自分でも気づいているだろう」
「…」
「そら、逃げるなら、早く逃げろ。お前が逃げた方向の村は、片っ端から焼き討ちだ。村という村が赤い灯となってお前の足跡を照らすのだ。実に見事ではないか…」
 弾正は高揚したふうで話し続ける。
 -あの目は…狂気の目だ。あいつらは、本当にやる。
 村々に火の手が上がり、逃げ惑う村人たちに兵が襲いかかる…そんなことが、自分一人のせいで起ころうとしている。それも、かつて父や家臣たちと領内を馬で巡った折に立ち寄り、村の長老たちに頭をなでてもらったり、瓜や柿をもらった村かもしれない。
「村の主だった連中は車裂きにしてくれるか…板倉頼重や島崎左近丞のようにな…」
 板倉も島崎も、漆間の家に仕えていた有能で忠義ある上級家臣だった。二人とも、まだ小さかった自分を馬に乗せてくれたり、剣の稽古をつけてくれたりした。あの二人が、そんなむごい最期をとげていたとは…。
「他の連中も、お前の逃げ場を吐くまで耳を削ぎ、鼻を削いで…」
「…もういい」
 半助は低く言うと、構えていた腕をゆっくりと下ろした。握りしめていた苦無を投げ捨てる。
「私を捕らえろ。それでお前たちの任務は済むはずだ。人々に手を出すな」