山桜

留三郎が、意外な人と話を交わしています。

原作でドクタケとの接点があったということで、ふと思いついて書いてみました。

八方斎は、ドクタケに忠実で、でも見るべきものは見えている人設定です。おバカの裏に別の感情を隠し持っているような、そんな人だといいな。

 

 


 -つけられている。
 どこからだろうか。気がつくと、背後に人影を感じていた。忍の気配である。
 -このまま行くか、かわすか。
 そう思った瞬間、背後の気配が動いた。
 -!
 とっさに苦無を構える。と、物陰から声が響き渡った。
「ひさしぶりだな。食満留三郎」
「誰だっ」
 武器を苦無から鉄双節棍に持ち替えようかとも考えた。だが、そこまでする相手ではない、と直感が告げていた。何よりその声は、聞き覚えがある…。
「私だ。忘れたかね…ドクタケ忍者隊首領、稗田八方斎だ」
「…」
 苦無を構えたままの留三郎の前に、八方斎が姿を現した。
「あるいは同僚になっていたかも知れない間柄ではないか。よそよそしい態度はやめんか」
「その話は、断ったはずだ。今も、受ける気はない」
「分かっておる」
「では、なぜ私をつけた」
「誤解するな。出張中に偶然お前を見かけたから挨拶しただけだ」
「出張?」
「そうよ。用件は言えんがな」

 


「お前は学園に向かっているのだろう。わしも同じ方向に向かっておる。途中まで同行せぬか」
 いいながら、八方斎は勝手に歩き出していた。
 -ま、いいか。
 苦無をしまいながら、留三郎はひとりごちた。周囲に部下のドクタケ忍者の気配がない。出張かどうかは別として、八方斎が一人で行動していることは確からしかった。
「知っての通り、ドクタケ忍術教室には、お前の代わりに魔界之先生に来てもらっておる。なかなか優秀な先生だ。よく通販で変なものを買い込んでおるようだが」
「そうですか」
「だから、いまさらお前をドクタケ忍術教室にスカウトしようとするつもりはない…もっとも、卒業後にドクタケ忍者隊に就職したいというのであれば、いつでも歓迎するぞ」
「そんなこと、あるわけないだろう」
「まあ、そうムキになるな」
 八方斎は軽くいなした。
「…いまの忍術学園とわがドクタケ城の関係からすれば、そう言いたくなるのも無理はない。だが、若さに任せて結論を急ぐものではない。下手に自分で自分の選択肢を縛るより、自分の可能性を広く確保しておいた方がいいのではないかな」

「説教されるいわれはない」
「これはアドバイスだ。一人の人間としてのな」
 

 

 いつしか道は森を抜け、村はずれに来ていた。茶店が見える。
「あの茶店で休んで行かんか」
「…」
 留三郎は、無言で合意した。
「この茶店は、よく乱太郎たちが立ち寄るらしいな」
「…ここに?」
 -なぜ、そのようなことを知っているのだ。
「ここの団子はしんべヱの大好物らしい。ドクたまたちが言っておった」
 -乱太郎たちとドクたまは、そんなに親しいのか。
「あまり敵方と親しすぎるのはどうかと、わしも思っておる。だがな」
 留三郎の疑念に答えるように、八方斎は淡々と語りながら茶をすすった。
「…いずれは、敵方として戦う日も来るだろう。それまでは、仲良くしているのいいのではないかと思うようになった」
「敵は敵なのでは? そのように馴れ合うなど…」
「今は、戦の世だぞ、留三郎」
「どういうことだ」
「大名たちを見ろ。必要に応じて離合集散し、そのために同盟を作っては壊しているではないか。昨日の友は今日の敵、逆もまた然りだ。そんな世の中で恒久的な敵などというものがありうると思うか」
「…」
「わがドクタケと忍術学園は、これからも敵方であり続けるかもしれない。だが、共通の敵が現れたときに、同盟関係になることもあり得る。敵方であり続ければ、いずれ生徒たちも仲良くできる相手ではないと分かるだろうし、同盟関係になれば、共に戦っていくことにもなろう。ドクたまたちには、まだそのどちらでもないままで置いてやりたいと思うのだ」
 八方斎の言う通りかもしれない、と留三郎は素直に考えた。
「…だが、そう遠くないうちに、ドクたまたちも、自分の立ち位置を決めねばならなくなるだろう」
 八方斎の声が沈む。湯飲みを持った手を下ろすと、眉根を寄せて目を閉じる。
「近いうちに?」
「そうだ。別に戦を仕掛けるわけではない。だが、自分たちが何のためにドクタケ忍術教室にいるのかを考え始めれば、現時点における答えは明らかだ…そのとき、一年は組という友人たちを、失うだろう」
 留三郎は、話の内容よりも、八方斎の沈痛な表情に驚いていた。
 -ドクタケ忍術教室は、ほんの数人の生徒しかいないと聞いた。生徒たちに寂しい思いをさせることを、気に病んでいるのか…。
 果たして八方斎が、そのような優しさを(意外にも)持ち合わせた人間なのか、それとも自分に哀車の術でもかけるつもりなのか、留三郎には判断がつかなかった。

 


「お前は六年生だったな」
 不意に八方斎が口を開いた。
「そうだ」
「卒業したらどうするのだ。どこかの城か忍者隊に入るのか」
「そのようなこと、答える筋合いではない」
「それはそうだな」
 八方斎は、湯飲みを口に運んだ。
「お前は、忍になりたいか」
 虚を突かれて、思わず八方斎に向き直ってしまった。八方斎は、湯飲みを手にしたまま、前を見つめている。その横顔からは、何を言いたいのかを察知することはできなかった。
 -そのために、六年間も忍術学園にいたのだ。
 そのために、多くの知識を身につけ、厳しい訓練に耐えてきたのだ。それを、いまさら何を訊いてくるのだ、この八方斎という男は…。
 留三郎の無言を、八方斎は何かの返事と受け取ったらしい。
「忍になるのもいいだろう。だが、常に世の中の変化を見ることも忘れないことだ。忍になるなら、どのような忍が必要とされているか、自分がなれる忍と、世の求める忍が同じかどうか、見極めねばならん」
「…どういうことだ」
 八方斎の話が、急に見えにくくなった。直言を避けるとき、人はえてして抽象的な話をする。

 


 留三郎の戸惑いを察したらしい。八方斎はため息をつくと、茶を一口すすって続けた。
「今は、戦の世だ。多くの忍が求められている。だが、そのような世がいつまでも続くと思うか」
「…」
 今まで、あまり考えたことがないことだった。いや、考えようとはしたが、そうすると、学園にいる意義を失ってしまいそうで、今まで封印してきた疑問だった。
「わしは、遠からず天下統一が実現されると考えている。それを、わがドクタケがなしうるかどうかは措くとしてだ」
 八方斎の口調には、なぜか諦観に似たものを感じさせた。
「…そのとき、忍は、覇者が用いる一握りを除いて、用済みとなる。主だったものは、粛清もされよう。そして、大部分の忍は、別の仕事を探して潜ることになる」
「…」
 留三郎には、返答ができかねた。それでは、自分に忍になるなというのだろうか。これまでの六年間は何だったというのだろうか。

 


「わしは、なにも、忍になるなと言っているのではない。先ほど、お前がドクタケ忍者隊に就職を希望するなら歓迎すると言ったのも、本心だ。だが、それ以上に、お前には、自分の選択に後悔してほしくない。わしが言いたいのはそれだけだ」
「後悔?」
「そうだ。だから、自分で自分の選択肢を縛るな、と言ったのだ」
 八方斎は、湯飲みを置いて団子を頬張る。視線はまだ、遠く前を向いたままだ。
「しかしどうやって」
 自分が相談する口調になっていることに、留三郎は気付かない。
「『忍たまの友』には、いろいろヒントになることが記されているように思うがな」
「なぜそれを」
「『ドクたまの友』を作る参考にさせてもらったからな」
 実はコピーに過ぎないのだが。
「忍術学園では、さまざまな特殊技能を教えているではないか。そのどれか一つでも極めればよい」
 -伊作が、医術に詳しいようにか…。
 では、自分には何があるのだろうか。闘うことには自信があったが、それが忍を離れたとしても役立つことなのだろうか。
「まだお前は若い。何が自分にできるのか、視野を広くもっていけばいい。いずれ道はみつかるはずだ。だが」
「だが?」
「若いお前には、時間はいくらでもあるように感じられることだろう。だが、自分の道を見極められる瞬間は、ほんの少しの時間に過ぎない。そのチャンスを逃すと、来るかどうかも分からない次のチャンスが来るまで、隘路にはまることになる。忍がほんのわずかな敵の動きも見逃してはならないように、自分に巡ってくるチャンスも見逃さないことだ」
「なぜ、そのような話を、私に」
「ふむ…どうしてかな」
 八方斎は長大な顎に手を当てる。
「人は…特にドクタケは、あまり合理的な精神の持ち主ではないからかも知れぬな。それに…」
「それに?」
「わしは、この戦の世の後を見ることはないだろう。だが、お前は違う。そんな気がするからだ」
 -俺が?
 学園で武闘派といわれている自分が、それほど長く生きるということがあるだろうか。死ぬこともあまり想像がつかなかったが、それ以上に実感の持てないことだった。ただ何となく、自分が命を落とすとすれば、敵と切り結ぶなど、戦の中でのことだろうと考えていた。いずれにしても、この戦の世の後を見ることがあるとは考えたこともなかった。
「それだけ、お前にはいろいろなチャンスが巡ってくるだろう。だからこそ、漫然と見逃すのではなくそのチャンスをものにしてほしい…老婆心ながらそう思うのだ。ここにいる失敗例のようにはなってほしくない、とな」
「失敗例?」
「わしもそうだった。若さを過信して、いつでもチャンスがあると思っていた。だが、チャンスは短く、もう巡ってこないことに気付くには、あまりに多くの時間を費やした」
「次のチャンスが、まだあるのではないですか」
「残念ながら、わしには、もう時間はない。なにより、わしにはもはや次を狙う意欲が残されていない。今の立場を守ることしか考えられんようになっている。だからな、お前には…若いお前には…今という一瞬一瞬を大切に生きてほしいと思うのだ…」
 おもむろに言葉を切ると、八方斎は立ち上がった。
「ここからは、別の道だ。わしは道中が長いから先に失礼する。今日のわしの話は、中年男の繰り言とでも思って忘れてくれ。ここまで同行できて楽しかった。さらばだ」
 一方的に言うと、八方斎は歩き去った。飲んでいた湯呑みの横に置かれた銭が、鈍く光った。

 


 数日後、留三郎は、用具委員たちを連れて山道を歩いていた。隣村の鍛冶屋に打ち直しを依頼していた修補の道具を引き取りに行くところだった。
 山道にも、遅い春が過ぎてゆこうとしていた。山桜の大木は、すでに花の盛りを過ぎて、風もないなか、細かく揺れる花を散らせ続けていた。枝を離れた花は、背後の暗い木立にいっそう映え、陽の光をちらちらと照り返しながら舞っていく。間断なく舞い散るさまは、粉雪のようである。
「わああ」
 喜三太たちが目を輝かせる。
「こんなにきれいな山桜、初めて見た!」
「見て。下にもあんなに!」
 しんべヱが指差した先には、散った花が山道や下藪に積もって、そこだけスポットライトが当たったように薄桃色に照り映えている。
「きれいだなあ。おシゲちゃんにも見せてあげたいなあ」
「なんだか、通ってしまうのがもったいない感じ」
 平太もぽそりという。
「そうだな」
 留三郎も、足を止める。
「こんな日は、一年の中でも今日だけだろう。今ここにいるから、見ることができる」
「そうですね。もし明日雨が降っちゃったら、もう見られませんもんね」
「そうだ。同じように、俺たちも、今という時を、大事に生きなければならない」
「どういうことですか?」
 道具箱を下ろしながら、作平衛が、不思議そうに見上げる。
「俺たちがこうして一緒にいる時間も、学園で過ごす時間も、すぐに過ぎ去ってもう戻ることはない。だから、このひとときひとときを大事にしなければならない、ということだ」
「むずかしい…お話ですね」
「そうだな。お前たちには少し難しいかもしれない。俺もつい最近、教えられたばかりだ…ある人から」
「ある人?」
「そうだ。お前たちも、知っている人だ」
「誰ですか?」
 その答えはなく、留三郎はやや寂しげな微笑を浮かべながら、散りゆく花を見つめている。

 

 

<FIN>