Never Enough

 

Patty Smyth の Never Enough (←相変わらず古いのう)を聞いていて思いついたお話です。といっても、パティの歌ほどカタルシスを感じられるわけではありません。(筆力不足により(泣))

雷蔵と三郎は五年間いつも一緒に過ごしているけれど、でもまだまだ足りない、もっと一緒に過ごしたいという思いがあるのだという妄想を禁じ得ません。そんな思いを雷蔵サイドで書いてみました。

いろいろ過去も捏造したりしてますので、ご注意くださいませ。

 

 

「いいのかい。こんなところで授業サボって」
 五年い組との合同授業中、突然授業をサボろうと言い出したのは三郎だった。
「こんなところだからいいんじゃないか」
 三郎が選んだのは、グラウンドから少し離れた木陰だった。ちょっと探せばすぐに見つかってしまいそうな場所だったけど、すでにごろりと横になった三郎は空を見上げている。仕方がないので、僕も傍らに腰を下ろした。
「でも、先生に見つかったら?」
「先生にみつからないようにサボるのが、サボりの醍醐味ってやつじゃないか」
 ああ、なるほどね、と僕は思った。三郎の台詞を僕なりに解釈すれば、他人を出し抜いてこそ忍であり、忍を学ぶ僕たちは、先生を出し抜いてこそ忍たまなのだ。こんなわかりやすい場所にいて先生を出し抜いているとは僕には思えなかったけど。
 傍らに寝そべる三郎は、気持ちよさそうに眼を閉じている。その顔も、揺れる前髪も、僕にそっくりだ。
 その寝顔の下にどんな素顔が隠されているのか。特に下級生たちは知りたがっているし、強引に知ろうとして無謀な挑戦をする子たちもいるけど、仮面の下の三郎の素顔を見ることはできないだろう。
 あるいは僕に訊いてくる後輩たちもいる。確かに僕は、三郎の素顔を知っている。その気になれば描くことだってできる。だけど僕は誰にも言わない。僕にとっては、そんなことより大事なことは、三郎の内面だ。僕の顔で、悪戯っぽい笑顔と不敵な視線を浮かべているとき、その心にはどんな思いがあるのか、その頭で何を考えているのか、それが知りたくてたまらないんだ。
「こらっ! 鉢屋! 不破! そんなところでなにをサボっておる!」
 聞きなれた怒鳴り声に僕たちはびくっとして身を起こした。見ると、木下先生が額の青筋をいつもの倍くらいにして駆けつけてくる。
「う、やべ」
「逃げろっ!」
 反射的に僕たちは走り出した。

 

 

「あ~しんど…」
「これ、明日ぜったい筋肉痛だな…」
 足を引きずりながら、僕たちは長屋の部屋に戻ってきた。あのあと僕たちは木下先生につかまって、散々説教された挙句に罰として長屋中の廊下の雑巾がけをやらされたのだ。
「あ~あ、ツイてないや」
 頭の後ろで腕を組んだ三郎はごろりと横になった。僕も横になった。もうすぐ夕食の時間だけど、食欲がわかないほど疲れていた。 
 -三郎?
 寝息が聞こえて、僕は片肘をついて上体を起こした。三郎は寝ているようだった。傍らにいる僕の顔が小さく口を開いて、胸が寝息に合わせて小さく上下していた。
 -寝てる。
 僕はちょっと可笑しくなった。眠っている時でさえ僕の顔に変装したままで決して素顔を見せないほど用心深いのに、その寝顔はまるっきり子どもみたいだ。
「私の顔になにかついてる?」
 不意に三郎が口を開いたから僕は少し驚いた。
「三郎…起きてたのかい?」
「雷蔵のせいだぞ…私の顔を見て笑ったろ」
 仰向けで眼を閉じたまま三郎は言う。
「ごめんごめん。あんまり気持ちよさそうに寝てたから…」
「気持ちよくもないけど…てか、ひたすら足だるいし」
「だね。でも、今は起きておいた方がいいんじゃないかな。もうすぐ晩飯だし」
「だな」
 よっこいしょ、とけだるそうに三郎が身を起こす。と、廊下をどたどたと走る足音が近づいてきた。
「よお、雷蔵、三郎。雑巾がけご苦労さん! 晩飯行こうぜ」
 顔をのぞかせたのは八左ヱ門だ。うしろで兵助と勘右衛門もニヤニヤしている。
「うっせ。おかげで筋肉痛確定だよ」
 ぶつくさ言いながら三郎が立ち上がる。
「あんなすぐバレるようなところでサボってるからだろ」
 兵助が可笑しそうに言う。
「そういうこと。さ、食堂行こうぜ!」
 言うが早いか、八左ヱ門は食堂に向かってばたばたと駆けていく。
「あ、俺も!」
 勘右衛門が後に続く。
「お~い、廊下を走るなぁ」
 気のない声で呼びかけながら三郎が歩きはじめる。
「ったくしょうがないな」
 兵助が苦笑しながら僕に話しかける。
「だね」
「ところでさ」
 不意に兵助が真顔になって訊く。「大丈夫なのか?」
「大丈夫って?」
 いきなり問いかけられて僕はどぎまぎした。
「いや、俺の気のせいならいいんだけど…雷蔵、疲れてるように見えるんだけど」
 僕の顔を覗き込むように話す兵助に、思わず顔をそむけてしまう。
「そ、そりゃそうさ…あんだけ雑巾がけさせられたんだからさ」
「いや、そうじゃなくて…」
「さ、僕たちも早く食堂に行こう!」


 

 兵助は鋭い。まじめで優等生でちょっと天然なところもあるけど、僕がいつも感心するのは兵助の観察力だ。五年間も一緒に学んできて、お互いにいつもとちょっと違うところがあれば気がつくものなのかも知れないけど、僕は大雑把だからなかなかそういうところに眼が届かない。
 でも、僕が疲れているように見えたのだとすれば、それは自分のうかつさに気付いてしまったせい。

 


 五年間、いつも三郎と一緒にいて、僕は三郎のことをなんでもわかっていると思いこんでいた。だけど、さっき兵助が「あんなすぐバレるようなところでサボってるからだろ」と言うまで、僕はなぜ三郎がそんなへまをやらかしたのかという疑問すらまったく思いつかなかった。いつもの三郎なら、木下先生にバレないようなサボり場所を見つけるために無駄に知恵を絞っているはずなのに。それに、案の定見つかって雑巾がけさせられても、あんまり口惜しそうじゃないのもなぜなんだろう。
 僕は、三郎のことをわかっているつもりでいて、実はなんにもわかっていなかったのだろうか?

 


 -三郎…?
 数日後、夕食後の緊急の図書委員会の集まりで遅くなった僕は、長屋の部屋に向かって急いでいた。ふと長屋の屋根を見上げた僕は、そこに座り込む影を見つけた。
 -また、屋根の上にいるんだ。
 ときどき、三郎は屋根の上で夜空を眺めていることがあった。そんなときの三郎は、深く考えごとに耽っているようで、何も考えていないようで、ちょっと僕には声をかけにくい空気をまとっている。
 だからいつもなら僕はそっとしておくのだけど、今日は違った。どうしても三郎と話したかった。
「三郎」
「よう、雷蔵」
 振り返る三郎の表情はいつもと変わらない。
「ちょっといい?」
「いいよ」
 僕は屋根に上がると、三郎の隣に座った。
「珍しいね。雷蔵がこんなところまで私を探しに来るなんて」
「そうかな」
「そうさ。いつもなら私が屋根にいる時は気がついていても知らないふりをするだろ?」
 ああ、三郎はいつもこうだ。僕の行動はぜんぶお見通しなのだ。
「さすがだね。気がついていたとはね」
「そりゃ、私の雷蔵のことは何でも知ってるさ」
「そっか」
「で、なんの用だい?」
「いや…今日、情報の非対称性のことを習ったよね」
 いきなり単刀直入に訊いてきた三郎に、僕は口ごもりながら頭の隅で思い出した授業の話を持ちだした。
「それがどうかした?」
 何気なさを装っているようで、実はとても緊張しながら訊いてきているのが分かる。
「いや、大したことじゃないんだけど…」
 僕はちょっとだけ考えた。だけど、せっかくこの場にいるのに何も言わないなんてことはありえなかった。だから思い切って言うことにした。
「…いま、三郎は、僕のことは何でも知ってるって言ったよね。でも、僕は三郎のことをほとんど分かっていない。こうやって夜空を見ているときに何を考えているか、分からないんだ」
「決まってるじゃないか」
 三郎の口調はいつも通りはっきりしている。「雷蔵のことを考えていたに決まってるじゃないか」
「…そうなんだ」
 いささか鼻白みながら僕は応える。それが三郎の本心じゃないことくらいは分かった。でも、それ以上踏み込んではいけないんだろうなと思った。


 

「雷蔵せんぱいからも言ってくださいよォ」
 傍らを歩くきり丸が口をとがらせる。僕ときり丸は本の買い付けに街へと向かっていた。
「何がだい?」
「決まってるじゃないスか。三郎せんぱいのことすよ」
 頭の後ろで手を組む。その上で髷が揺れる。
「三郎がどうかした?」
「どうかしたじゃないっスよ。よりによっておりんばあさんに変装して本人の前に出ちゃったもんだから、おりんばあさんがおこるのなんの…」
「ははは…そりゃ災難だったね」
「わらいごとじゃないっスよ…あとでおりんばあさんのご機嫌とるの、ぼくなんですから…それにしても」
 ぶつくさ言っていたきり丸が、ふいに僕に向き直った。
「なんだい?」
「三郎せんぱいって、学園にはいったときから雷蔵せんぱいに変装してたんすか?」
 -どうだったっけ?」
 唐突に訊かれても、僕はすぐに思い出すことができなかった。いつも傍にいる三郎は、いつもぼく

の顔だったから。でも、学園に入学した時はどうだったっけ…?
「あ、そうだ」
 僕はぽんと手を打った。「そういえば、学園に入ったころは、三郎は僕の顔じゃなかった」
「じゃ、もとの顔だったんすか?」
 にわかに興味をかきたてられたようにきり丸が身を乗り出す。
「いや、面をかぶっていた」
「な、なんすかそれ」
 きり丸が脱力する。 

 


 学園に入ったばかりの頃の僕らはまだやんちゃで、だから面を外そうとしない三郎の素顔を見てやろうといつも狙っていた。
 当然、同室の僕に、三郎の寝入りを狙って面を取るよう言う仲間もいた。
 だけど、僕はいつも断った。
 僕だって三郎の面の下にどんな顔があるのか知りたくないといえばウソだった。でも、本人が見せたくないのにむりに剥ぎ取るなんてかわいそうだと思った。そこまでして顔を隠したいのに、いつ誰に押さえつけられて面を取られるか分からない全寮制の忍の学校に入ってきた根性もすごいと思った。
 豪胆で繊細で、やんちゃで神経質で。
 三郎が見せる姿は、いつも僕には眩しすぎた。
 そんな姿に比べれば、いつしか面をつけた姿は取るに足らない事実になっていた。
 だから思ったんだ。僕から三郎の素顔を詮索するようなことは、ぜったいにしないって。

 


 あれは入学してから数日後のことだった。さっそく始まった勉強と教練でくたくたになりながらも、僕は長屋の部屋で予習をしていた。その時、三郎が声をかけてきた。
「ねえ、雷蔵」
「なに? 三郎」
 その時の僕は手裏剣の種類を覚えるのに必死で、どっちが責手裏剣で、こっちが留手裏剣で…と口の中で唱えながら手にした何種類かの手裏剣を見比べていた。そんな僕に構わず、三郎は暢やかに言うのだった。
「ぼく、変装がとくいなんだ」
「ふ~ん」
 生返事をした僕だったが、「ほら」という三郎の声に顔を上げた瞬間、びっくりしすぎて思わず手裏剣を取り落した。そこには僕の顔があったから。いや、正確に言えば僕の顔に変装した三郎の顔があったから。
「びっくりした?」
「う、うん…すっごく」
 そのとき感じたのは、薄気味悪いということだった。気がつくと、僕は腰を抜かしたままじりじりと三郎から離れようとしていた。そのとき思ったのは、もしかして三郎がずっと面をしていたのは、僕と同じ顔なのを隠そうとしていたためなんじゃないかということだった。でも、親兄弟でもないのにそっくり同じ顔なんてありえないし。
「やっぱり、きもちわるい?」
 言いながら、三郎は傍らに置いていた面をつけた。いつもの三郎に戻ったように思えて、僕はようやくほっとした。
「うん…いや、きもちわるいっていうか、びっくりしたっていうか…」
 ああ、なに言ってんだろ。キモチワルイなんて言ったら三郎が傷つくに決まってるのに…と思いながらも、僕はほかに言いようがなかった。
「いいよ、べつに。ムリしなくても」
 平たい口調で三郎が言う。
「…ごめんね」
 謝るしかない僕だった。
「いいよ、そんなこと。それより…」
 いかにもこれから秘密めいたことを言うように三郎は声をひそめた。僕は思わず身を乗り出していた。
「…雷蔵になら、この面をはずしてもいいかなって…」
「でも、ぼくの顔にばけるんでしょ?」
 そのときの僕の顔はすっごく怯えていたにちがいない。三郎は仕方がないな、というように小首をかしげると、僕の肩に手を伸ばした。
「ちがう。だれにも変装してないぼくの顔さ」
「でも…」
 どうして? と訊こうとしたけど、声にならなかった。僕の肩を掴む三郎の指に力がこもった。
「雷蔵だけが、ぼくの面をとろうとしなかった。それだけじゃ足りないかい?」
「…ううん」
 僕は慌てて首を振った。
「じゃ、決まり」
 三郎の指が肩から離れて、僕の頬をすっと撫でた。「でも、ここだと誰が見てるかわからないから、あそこで」
「あそこ?」
 三郎の指差す先には押入れがあった。僕はすぐに分かった。だからすぐに言った。
「いいよ」

 


「これでよし、と」
 板戸を閉じると、押入れの中は真っ暗になった。僕は、膝がぶつかるくらい狭い暗闇の中で、三郎と向き合っていた。
「ねえ雷蔵。ひとつ約束してほしいんだけど」
 不意にまじめな声になって三郎が言う。
「なんだい?」
「ぼくはこれから、ほんとうの顔を雷蔵にさわらせてあげる。そのかわり、雷蔵の顔をぼくにかしてくれないかい?」
「ぼくの顔?」
 さっきの驚きが蘇る。鏡を見てるかと思うくらい僕の顔になりきった三郎だった。そんな顔がこれからずっと傍に居るのだ。僕は少したじろいだ。
「…だめかい?」
 ためらうように三郎が訊く。その声に哀願するような響きを感じて、僕は考えた。
 どんな事情があるのか知らないけど、三郎が本当の顔を隠し続けるには、その顔を覆う面はあまりに無防備だった。後ろで結んだ紐を解けば、簡単に外れてしまうのだから。それに比べて、僕の顔に変装すれば、三郎の本当の顔を知ろうとする連中は、僕と三郎の2人を相手にしなければならない。当然、三郎が顔を守ることができるチャンスは増える。それがこの風変わりな友人の助けになるなら、顔を貸すくらいどうでもいいことのように思えた。だから僕は小さく頷いた。
「いいよ」
「ほんとうかい?」
 闇の中から、戸惑いがちな声が問う。
「ああ、もちろん」
 もう迷うもんか、と思って僕は精一杯元気よく応える。いや、迷い癖はきっと治らないだろうけど、この選択肢だけはぜったいに迷わない自信があった。
「…ありがとう」
 ほっとしたような声が聞こえた。「じゃ、ぼくも」
 僕は息を呑んだ。暗闇の中で、後頭部で結んだ紐を解く気配がした。そして、ことりと面を置く音が聞こえた。
「いいよ、雷蔵」
 面が取れて、三郎の顔が息もかかるほど近くにあることが感じられた。「さあ、はやく」
 僕はおずおずと腕を伸ばした。暗闇をまさぐり、三郎の身体に触れると、ためらいながら指を上へと這わせていった。指先は腕から肩、そして首筋を経て髪に触れた。
 -これが、三郎の素顔…。
 いつの間にか眼を閉じていた。そして指先は耳、頬から鼻、顎、額をまさぐっていた。
「どうだい、ぼくのほんとうの顔」
 三郎が声を発すると、温い息が僕の顔にかかる。喉元に掛けた指先が、喉頭の動きを感じる。
「うん…わかるよ」
 真っ暗闇の中で、それでも僕には三郎の素顔がはっきりとイメージできた。
「…よかった」
 三郎の掌が僕の頭を捉えると、そっと引き寄せる。されるがままに引き寄せられて、僕の頬が三郎の頬に触れた。とても柔らかくて暖かい頬だった。
「三郎、あったかいね」
「雷蔵もだよ」
 それ以上はなにもいわなかった。僕はただうれしかった。暗闇の中で三郎が僕にすべてを見せてくれたことが、うれしくてならなかった。そして思った。
 -三郎は、ぼくのともだち。


 

「雷蔵せんぱい、聞いてるんスか?」
 いささか尖った声に僕ははっとする。いつの間にかきり丸の話は続きに入っていたらしい。
「あ、ああ…ごめんごめん」
「ったく、ぼくの話なんかぜんっぜん聞いてなかったでしょ」
 つんとして歩きながらきり丸が言う。
「ちょっと考えごとをしてたもんだから…で、なんの話だったんだい?」
「いいっすよ、べつにたいしたことじゃないし」
「そう怒るなって。で?」
「まあいいっすけど…さいきん、雷蔵せんぱいは、ぼくたちが三郎せんぱいとまちがえても『ああ、私は三郎だよ』なんておっしゃじゃるないですか。あれにはすっごくメーワクしてるんですって言ってたんですけど」
「そうかなあ」
「そうですよ」
 きり丸は口をとがらせた。「お二人はどっちがどっちだかわかっていても、ぼくたちにはちっとも見分けがつかないんですから。さんざん図書委員会のことを報告したらじつは三郎せんぱいだったなんてシャレにもならないっすよ…」
「そんなことがあったのかい?」
「かりに、の話です。でも、いつあってもおかしくないっていうか」
「そうか。じゃ、三郎に伝えておくよ」 
 思わず苦笑いしてしまう。そんなことを報告したとしても、三郎なら『それは私の変装がカンペキということだね?』なんて混ぜっ返すに決まっているから。
「べつにいいっすよ。伝えていただかなくても」
 口をとがらせたままきり丸は言う。「どうせ『それは私の変装がカンペキということだね』なんてへんな自慢されるだけですから」
「ぷっ」
 堪えきれずに僕は吹きだした。まるで僕が予想した通りじゃないか。
「なにがおかしいんスか」
 きり丸の声がふたたび尖る。

 


 三郎。君は知らないだろうけど、あのとき、暗闇の中で、僕はもうひとつ、君に約束したんだよ。
 それは、君についていくこと。たとえ君が僕の前から消えてしまったとしても。

 


「今日、きり丸に言われたんだ」
 長屋の部屋で、僕はきり丸との話を三郎に聞かせていた。夕食後、就寝までの時間は、勉強したりこうやって他愛のない話をしたりするのがいつもの過ごし方だった。兵助たちが来たりすることも多かったが、今日は2人だけだ。
「なにを?」
 僕の隣で、文机に肘をついて草紙に眼を落としていた三郎が顔を上げる。
「僕がときどき三郎と間違えられたときに、あえて否定しないときがあるだろ? あれがものすごく困るって」
「あはは…最近、雷蔵も茶目っ気が出てきたからな…いい傾向だ」
 三郎の腕が伸びてきて、僕の頭をわしわしとなでる。
「そうかな」
 されるがままになりながら僕は肩をすくめる。
「もちろんさ」
 頭に手を置いたまま三郎が僕の顔を覗き込む。「初めて私が雷蔵の顔になったときの雷蔵ときたら、まるでバケモノにでも出くわしたみたいだったからね」
 不意に昔のことを三郎が持ち出したので、僕は一瞬言葉に詰まった。
「…仕方がないよ。まだ学園に入ったばかりの子どもだったんだし」
「それが今では、私の変装を逆手に取るまでになるんだからな」
「五年も一緒にいるんだよ? 僕だってそのくらいなるさ」
「それでこそ、私の雷蔵さ」
 

 

 -もう五年か…。
 ふとした思いを反芻する。
 学園で学んで五年、忍として独り立ちするための基本の知識や技はあらかた身につけた自負はある。そして、卒業までに身につけられるものと身につけられないものが見え始めてくる。その中で、自分の得意分野を見出し、それを伸ばすことに注力するのだ。それは自分の中でできることとできないことの見切りをつけることになる。
 もちろん僕もある程度の整理は自分の中でつけたつもりだ。でも、ひとつだけ片付いていない問題がある。

 


「…もう五年になるんだね」
「だな」
 三郎の手が頭から肩に移る。
「飽きたかい?」
 さりげない口調を装って三郎が訊く。
「いや、ちっとも」
 思わずにっこりして首を横に振る。
「三郎といると楽しいし、もっと三郎のことを知りたい。五年くらいじゃ、ぜんぜん足りないよ」

 


 いつか時代の嵐のなかで三郎を見失う日が来ても、僕の中で三郎は永遠に生き続けて、僕を導いてくれるんだ。だからこそ、僕はもっともっと三郎を知りたい。そのためには、五年間なんて時間は少なすぎるんだ。



<FIN>

 

 

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