仮面の告白
三島由●夫のパクりなタイトルですが、本来なら「仮装の告白」とでもすべきところかもしれませんw
山田先生と利吉って、自分の思いを素直に伝え合うことのできないとても不器用な親子だと思うのです。特に山田先生は、変装して人格まで変えないと、なかなか自分の思いを素直に口にすることができなさそうです。そして、そんな不器用な親子に仲良くなってもらいたいと願う土井先生が、いろいろ周旋するのだろうな。
「山田先生」
一日の授業が終わって部屋にいた二人のもとにやってきたのは、事務員の小松田である。
「どうしたのかね、小松田君」
「お渡しするの忘れてたんですが、山田先生あてに文が届いてます」
「いつ届いたのかね」
「えっと…忘れちゃいました」
あはは…と頭を掻いてみせるのが小松田のいつものパターンである。
「まったく…大事な文かもしれないんだから、すぐに渡してもらわないと」
「はーい。じゃ、失礼しまーす」
さして反省した様子もなく去っていくのも、また小松田である。
「ったく…いまさら取り立てて注意しても、直るものではないのだが…」
ぶつぶつ言いながら、伝蔵は手紙の包みを解いた。
「どなたからですか」
テストの答案に採点しながら、半助が訊ねた。
「利吉からだ」
「そうでしたか。相変わらず、忙しくしているんでしょうね」
「あいつが文を寄越すときの内容は決まっている。『今度の休みには母上のところに戻ってやれ』そればかりだ。読まなくても分かる」
そういいながらも、伝蔵は手紙を開いて読み始める。
-いつもと同じだ。
半助は可笑しくなる。利吉からの文が届いたときには、いつも同じことをいい、同じように手紙を開く。
「やっぱりだ。まったく毎度毎度同じことばかり飽きもせずに…」
そういいながら、戸棚から文箱を取り出すと手紙をしまい、そっとふたをして戸棚に戻す。
-よく似た親子だ。
答案に朱を入れながら半助は思う。あまりに性格が似ているゆえに、会えばケンカばかりしている親子だが、その様は傍で見ていてほほえましい。
「さて、明日の出張の準備をしないと…」
半助の視線に気付いたのか、照れ隠しのように呟くと、伝蔵は戸棚をがさごそと探し始めた。
「あの…山田先生…」
当惑しきった声で、半助が声をかける。
「山田先生じゃないの。伝子よォ」
鏡に向かって白粉を塗りながら、伝蔵は答える。
「はあ…では、伝子さん。伝子さんで出張に行かれるのはまあ仕方ないとして、なにも前の夜から化粧をしなくても…」
翌日の出張に携える書類の整理を終えた伝蔵は、待ちきれないようにせっせと化粧に勤しんでいた。
「あらぁ、化粧は心よ。女に変装するには形だけ変装してもだめ。こうして早いうちから内面外面ともに女になりきることによって、真の女装が完成するのよ。おわかり?」
「はあぁ…」
返事ともため息ともつかない半助である。
「紅は明日にしましょ…あらぁ、やだわぁ。また白髪が出ちゃって…」
んもぉ、と呟きながら、白髪を何本か抜き取っている伝蔵をよそに、テストの採点をしていた半助は筆を止めて手をこすり合わせる。
「うう、寒い」
傍らの火鉢を引き寄せて、手をあぶる。
「山田先生…いや、伝子さんは、お寒くないのですか」
丈の短い女物の夜着をまとった伝蔵は、膝を崩して鏡に向かっている。夜着の裾からは、相変わらず処理していないすね毛が生えた足がのぞいている。
「私は家が氷の山ですからね。寒さには慣れているの。氷の山の冬の寒さは、こんなもんじゃないわ…土井先生は、ずいぶん寒がりなのね」
「はい。私の生まれの摂津は、たしかに六甲おろしは冷えますが、雪はめったに降りませんし、寒さもこれほどではないですから」
山中にある学園は、それだけ寒さも厳しいし、冬には雪が降ることも珍しくない。
「また降りだしたようね。いやだわ、明日は大事な出張なのに、足元が不如意になってしまっては」
障子を少し開けて外をのぞいた伝蔵は、ふっとため息をつく。
「それにしても、静かですね…」
半助がひとりごちる。あたりはしんと静まり返っている。たくさんの生徒や教職員が同じ屋根の下にいるとは思えないほどである。
「雪は、あらゆる音を吸い尽くすわ。犬も、雪では鼻が利かないし、その点では、敵に悟られないように行動するには向いているともいえるわね。その代わり、雪道を動けば足跡が残ってしまうし、積もれば行動が制限される。吹雪にまかれれば、下手をすれば命に関わるわ。雪を味方につけられるかどうか、難しいところね…」
不意にまじめな口調になった伝蔵に、思わず半助が居ずまいを正す。と、次の瞬間には、半助の身体に科をつくって寄り添い、いつのまに手にしていた土器(かわらけ)を持たせながら、酒の入った瓢箪を持ち上げている。
-うげ。
思わず腰を引きそうになった半助の肩をがっしと捕まえて、伝蔵は首をかしげながら迫ってくる。
「なにをそんなに驚いていらっしゃるの? こんな晩はお酒でも飲むのがいちばん。伝子がお酌して差し上げますわ」
「い、いやぁ、て、手酌でけっこうですから…」
引きつった愛想笑いを浮かべて、半助が言いかけたが、伝蔵は容赦しない。
「まあ、そんなに赤くなって…若い土井先生にはちょっと刺激が強すぎたかしら…ささ、ぐいとお飲みになって」
「は、ははい。いただきますぅ」
これ以上伝子顔が近寄ってくるのを防ぐためには、毒でも何でも飲むしかないとばかりに、半助は土器をぐっとあおる。
「まあ、男らしい飲みっぷりですこと。さ、次は伝子にもお酌してくださいね」
「はい! 何杯でもお酌させていただきますから、お願いですから少し離れてくださいぃ…」
悲鳴のような声を上げながら、震える手で伝蔵の持つ土器に酌をする。
「ふう、おいしいわ…一度くらい、利吉とこうして飲み交わしたいものだわね」
土器を干した伝蔵が、伏せ気味の顔でふと呟いた言葉に、半助はこころもち眉を上げた。
「利吉君と飲み交わしたことは、ないのですか」
「ええ。利吉にはずいぶん厳しく接したから…」
-今から考えると、ずいぶんなスパルタ教育だったわね。
山奥の自宅で、母親も元くノ一という家庭環境での厳しい忍の鍛錬は、子どもだった利吉にとっては逃げ場のないものだったに違いない。忍術学園の教師として多くの生徒たちと接するようになる前の自分は、そんな利吉の気持ちを思いやることなど考えつかなかった。利吉が何かと仕事を理由にして自宅に寄り付かないのは、あるいはそんな思い出が影響しているのかもしれない。
「そうでしたか」
「利吉を一人前の忍にするためだったから、仕方のないことだし、諦めてもいるわ…だから、利吉が私に反発する気持ちも、分からないことはないの」
「利吉君だって、山田先生、いや、伝子さんの気持ちは分かっているはずだと思いますよ」
「だといいのだけど…」
おそらく半助の言うとおりだろう、と伝蔵は考える。同時に、利吉が自分にわだかまりを抱いていることも分かっていた。しかし…。
「こうして土井先生と飲み交わしていると、利吉とも同じようにしたいと、どうしても思ってしまうのよね」
「お誘いすればいいではないですか。利吉君も、飲めないわけではないでしょうから」
「そうね。でも、利吉はきっと断るでしょうね」
土器を干した伝蔵が、ふっとうつむきながら顔をそむける。
「どうして、そう思われるのですか」
「それは…」
「利吉には、一度謝らなければならないと思っているの」
思いがけない言葉に、口元に運びかけた土器を持つ手が止まる。
「何をですか」
「私は、利吉を一流の忍にするために、私に教えられることを全て教えたつもりよ。利吉も、しっかり受け止めてくれたと思っているわ」
「素晴らしいことではないですか」
「そういってくれると嬉しいわ、土井先生。でもね、私は利吉の気持ちを確かめたことは、一度もなかった」
「確かめる?」
「忍の家に生まれたからには、当然、忍になるものと思い込んでいたけれど、そのことを利吉が望んでいるかまでは、考えが及んでいなかったの。もしかしたら、利吉は忍になることなど望んでいなかったかもしれない」
「そんなことは…」
「私は、私の持てるものを利吉に伝えていくことしか考えていなかったし、利吉も受け止めるだけで精一杯で、ゆっくり考える暇などなかったかもしれない。もし忍ではない何かを望んでいたとしても、私も妻も忍だったあの家の中では、利吉には逃げ場がなかったはずよ。逃げ場のない一本道に、私はひたすら利吉を追い立ててしまったのかもしれない」
「…」
「今さら利吉がほんとうは何を望んでいたかなんて、訊かれた本人が困るだけかもしれないし、却って苦しめるだけかもしれない。それでも、一度、利吉の気持ちを確かめて、謝っておかなければならないって考えるようになったの」
伝蔵はため息をついてこめかみを押さえた。
「だめな親ね。今になってこんなことに気付くようでは」
「私は、利吉君は忍になったことに後悔などしてないと思いますよ」
言い切る半助に、伝蔵が顔を上げる。
「どうして、そう思われるの?」
「利吉君とは何度か一緒に仕事をしましたが、いつも自信にあふれて仕事をしている。それに、忍がイヤなら、とっくにやめているはずです。忍の技術を生業として一般人として生きていくことは、いくらでもできますし」
「…まあ、そうかもしれないけど」
「だから、一人の忍の先輩として、自信を持って接していけばいいのではないですか」
「そうね…そうできればいいのだけど」
伝蔵は、何度目かのため息をつく。
「…利吉は、どう思うかしらね」
その横顔を眺めながら、半助は考えずにいられない。
-なぜ、山田先生は、そんなに利吉君に遠慮しているのだろう…。
「…」
半助の沈黙に気づいているのかいないのか、伝蔵は土器を手にしたまま、先ほどまで化粧に使っていた鏡を見つめている。
いや、鏡を見ていたわけではなかった。たまたま視線の先に鏡があっただけで、視線は鏡も、鏡に映る自分も捉えてはいなかった。
-利吉…お前は私に似ず容姿に恵まれ、忍の技術にも優れ、売れっ子として賞賛を浴びている。だが利吉よ。私はそれが恐ろしいのだ…。
「どうかされましたか? 顔色があまりよくないようですが…」
気がつくと、半助が心配げに顔を覗き込んでいた。
「い、いいえぇ…そんなことはありませんわよ、土井先生」
慌てて顔を上げた伝蔵は、もとの口調を繕いながら取ってつけたように言う。
「そんなことより、明日は大事な出張だったわ。伝子は先に休ませていただきますわね。土井先生、いくら伝子の魅力に我慢できなくなっても、へんな気を起こさないこと。よろしいわね」
-いや、誰もそんな気は起こしませんて…。
明らかにいつもと様子が違ってはいたが、いそいそと布団を延べる伝蔵の後姿に話の接ぎ穂を失った半助は、土器に残っていた酒をあおった。
-利吉…私は恐れているのだ。お前が慢心してしまうことと、忍の道に行き詰ることをだ…。
延べた布団に身を横たえると、伝蔵は、半助にも言うことのできなかった不安の正体に向き合うことにした。
ひとつめの不安は、あるいは利吉なら乗り越えられるだろうと伝蔵は考えていた。容姿端麗な利吉は多くの女性にモテたし、自分が持てるもの全てを伝えきった忍の技量は、できる忍として各地の城からオファーが引きも切らないと聞いている。だが、利吉はそのことを鼻にかけることもなく、忍としての矩を超えないよう慎重に身を処している。
-だが、もうひとつの方は、あるいは利吉の身を滅ぼすかもしれない。
プロの忍として活躍している利吉は、今が仕事が楽しくて仕方がない最中なのだろう、と伝蔵は考える。自分の実力を見せるに十分な仕事が引きもきらずに入り、それを成し遂げることによってさらに高い評価と報酬がもたらされる。すべてが上り調子に動いている。
-だが、いつか、その先が見えてくる日が来る。
自分も経験したことだった。ある日、忍という生業に疑問を感じる。やることなすことすべてが空しくなる。依頼される仕事すべてが既視感のあるものになる。そして、それらをこなしていく先は、もはや自分のできることをやりつくし、向上する余地が見込めないように見
えるのだ。
-もっと先もあるのだぞ、利吉…。
周囲の評価も変わる。世の賞賛などは移ろいやすいものである。やがて、必要以上に物事を知りすぎた者として、或いは技量の伴わない用済みの者として、消され捨てられる運命が待っている。それも、運よく仕事で命を落とさなければの話である。
-そのとき、利吉は忍として持ち堪えられるだろうか。忍としての逢魔が時に…。
そのときに持ち堪えられるかどうかは、忍以外の評価軸を持っているかどうかにかかっていると伝蔵は考える。忍という立場を客観的に見ることができるかどうかが決定的な差となるのだ。
-一年は組の生徒たちは、その点では安心できるのだが…。
一年は組の生徒たちは、いずれも実家は忍以外の家業をもっている。忍としての行き詰まりが見えたとき、或いは武家、或いは商人としての観点からどう身を処すべきかの判断が客観的にできる。その中には、当然ながら忍から身を引くという選択肢もある。
例外は、乱太郎ときり丸だった。それでも、乱太郎は両親が忍なら、実態はほぼ農家だったから、別の評価軸をもち得るだろう。だが、きり丸は…。
戦で家族と家を失ったあとのきり丸が、どのような生活をしていたかは分からない。だが、現在のきり丸を見ている限り、忍を客観視できるような評価軸を持っているかは、伝蔵には判断がつきかねた。
-いまは、休みには土井先生と暮らしているし…。
それは、忍の家で育った利吉と似た環境なのかもしれない。銭への執着の強さもまた、伝蔵の判断を迷わせるものだったが。
-いずれ、このことは土井先生と相談するとしよう…いやいや、今は利吉のことを考えているのだった。
利吉もまた、忍の家で育ったゆえに、忍以外の評価軸を持たない。その危険性にもっと早く気づいてやることができていたら、と思う。いま、成功した忍として光が当たれば当たるほど、その影は濃いものになるのだ。
-だから、私は、利吉に謝らなければならないのだ。
だが、それをどう説明すればいいというのだろうか。伝蔵は迷う。
-ただ、それでも、利吉を忍以外を知らない道に導いてしまったのは、私なのだ…。
では、どうすればいいのか。その糸口すら見つけることができずに、伝蔵は身を横たえたまま懊悩する。
<FIN>
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