ホトトギス

 

このお話は、彩華さまからいただいたイメージをノベライズしたものです。よって、私のオリジナルではないことを先にお断りいたします。

 

いや、だって、雑渡さんに婚約者がいたなんて、私には思いつきようもないことだし、それが山中の古寺で偶然再会するなんて、私のオリジナリティでは到底及ばない、そして萌えすぎるイメージでしたから! というわけで、彩華さまに許可をいただいてノベライズ&公開した次第です。

 

なお、雑渡さんの追憶シーンを書いている時、ずっとBGMにSweet Memoriesが流れていました。古い曲ですが、ちょっと大人のムードがすごい似合うと思うんですよね。

 

ところで、本文中では端折ってしまった設定です。

・雑渡さんが狼隊の小頭だったころ、侍大将の娘と婚約する。

・しかし、雑渡さんが大火傷を負ったことから、婚約は解消。

・その後、侍大将の娘は、そのことを悔いて仏道に入り、戦災孤児たちを引き取って育てる。

・2人とも婚約解消は仕方のないことと受け入れているが、相手を嫌いになったわけではないので、思いは生き続けている。(←ここ重要)

 

ホトトギスというと鳥のことかと思う向きが多いでしょうが、ユリ科の花で、湿った場所を好んで生えるそうです。花言葉は「秘めた恋」「秘めた意志」など。表に出せな思いをそれぞれに秘めている2人にとても似合うと思いませんか?

 

 


 空に薄黒い雲がかかると、冷たい風とともにさぁっと雨が降り始めた。
「…降りだしてしまいました」
 笠を持ち上げて空の様子をうかがっていた尊奈門が言う。
「こういう雨は身体を冷やす。どこかで雨宿りをしないと」
 陣内の口調は、やや焦りをにじませている。
「それなら、あの山寺に…」
 陣内左衛門の指差す先には、傾きそうな萱葺き屋根が見える。

 


「ごめん…ください」
 建てつけの悪い戸を押し開けながら、すでに尊奈門の耳は、小さな足音と押し殺したようなひそひそ声を捉えていた。
 -やけに子どもが多い…こんな山中の荒れ寺におかしいことだ。
 とにかく誰かいるらしいことは確かなので、そのまま上がりこむわけにはいかないとさらに声を上げる。
「誰か…いますか?」
「どちらさまでしょうか」
 奥の薄暗がりから思いのほか透き通った声がして、ひとりの尼が現れた。
 -なんてきれいな女人なんだ…!
 昆奈門は眼を見張って立ち尽くす。
 すでに若いとはいえないが、その面立ちははっとするほど白く、縁側につと座る仕草は匂い立つように美しい。
 -これは…山中で人をたぶらかすという物の怪か?
 軒先に突っ立ったままの尊奈門が思わず考え込む間に、傍らに立った陣内左衛門が説明する。
「われらは旅の者です。山中で急な雨に遭ってしまいました。しばし、宿を貸していただくわけには参りませぬでしょうか」
「それはお困りでしょう。狭いところですが、お上がりくださいませ」
 ささ、と促しながら奥へと姿を消す尼に続いて、一行が雨粒を払いながら上がりこむ。
 -それにしてもあの方、どこかでお見かけしたような…。
 しきりに首をひねりながら、履物をそろえた尊奈門が慌てて後に続く。

 


 昆奈門たちは作戦行動を終えて城に戻る途中だった。ひときわ背が高く、包帯姿の昆奈門がいたから、一行は放下師に扮していた。放下師なら異形の者が混じっていても怪しまれることはない。
「あっ、ほうげの人たちだ!」
 がらんとした本堂の衝立の裏に隠れていた子どもの一人が声を上げる。と、子どもたちが一斉に歓声を上げながら本堂の端近に上がった昆奈門たちを取り囲んだ。
「これ、旅の方々はお疲れなのです。そのように騒がしくするものではありません」
 茶盆を運んできた尼がおっとりと注意する。それでも子どもたちは「はあい」と返事をしながらおとなしく座り込む。
「このようなものしかありませんが」
 茶をすすめ、傍らの炭櫃の火をおこす尼の横顔を、尊奈門はぽうっとした視線で追う。そして、薄暗い柱の陰に寄りかかりながら、笠を目深にかぶったままの昆奈門も、何かに気付いたようにその楚々とした振る舞いを捉えていた。

 


「うわぁ!」
「すごいや…!」
 眼を輝かせて見守る子どもたちの前で、陣内左衛門が懐から取り出した桝を次から次へとお手玉にして見せる。
「さあさ見てらっしゃい、陣左太夫一世一代のお立会い! 桝の六個回しだ!」
 尊奈門が調子よく口上を述べながら六個目の桝を放ると、陣内左衛門が素早く受け止めて品玉に取り込む。子どもたちの歓声がひときわ高くなる。傍らでは、胡坐をかいた陣内が手鞠歌を教えている。そんな様子をちらと視界におさめると、昆奈門は何気なく立ちあがってにぎやかな本堂を後にする。その姿を、陣内の視線が捉えていた。

 


「あのように楽しませていただいて…子どもたちは喜んでおりますが、お連れの皆さまもお疲れでしょうに」
 本堂の続きの間で繕いものをしていた尼は、昆奈門の気配に呟くように言う。
「なに。子どもが好きな連中でね。あれだけ喜ばれれば、ついサービスしたくなるというものだ」
「さようでございますか」
 昼間なのに、雨風を避けるために雨戸を閉ざした室内は薄暗い。燭台の灯だけが辛うじて尼の手元を照らしている。
「それならばよろしいのですが。なにぶん娯楽に飢えているものですから」
「このような山中で、尼君と子らだけでお住まいか」
「さようでございます」
「なぜ」
「あの子らは、親のない子でございます。それゆえ、わたくしが手元に引き取ったものでございます」
「なぜ」
 もう一度、昆奈門は訊く。
「御仏のお導きなのでございましょう…罪深いわたくしのせめてもの…」
 言いさしてふいに口をつぐむ。しばし、部屋のなかは、雨音と雨戸の隙間から吹き込む甲高い風の音と、隣の本堂で響く子どもたちの声だけが聞こえていた。
「…尼君の罪は、それほどまでに重いものなのか」
 -男であっても、このような山中の荒れ寺に独りで過ごすのは厳しいだろう。ましてたおやかな女人が、年端もいかない子どもらとどのように過ごしているのか…。
「わたくしは、大切な人を裏切り、見捨てました。大逆にももとらない罪でありましょう」
 小さなため息とともに尼は呟く。なにげない風を装っていたが、その裏に秘めた感情の揺らぎを昆奈門は捉えていた。
「そうか。実は私も、途方もない罪を負っていてね」
 覆面の下の声は、いつにもましてくぐもっている。
「…御仏に仕える御身に、話を聞いてもらいたい」
 返事の代わりに、尼は合掌で返す。

 


「ねえ、おじさん。もっと旅のお話をきかせて」
「もっともっと」
 いつしか遊び疲れた子どもたちは本堂のそこここで眠っていた。2,3人の子どもだけが、好奇心の赴くままに陣内の膝に寄っていた。
「そうか。もっとおじさんの話を聞きたいか」
 若い陣内左衛門や尊奈門と異なり、子持ちの陣内は子どもの扱いに慣れている。自分の側から離れようとしない子どもたちに順々に眼をやりながら、さりげなく口を開く。「その前に、おじさんにも教えてもらいたいことがあるんだが」
「なあに?」
 ごろりと寝そべった子どもが、手の上に顎をのせて陣内を見上げる。
「君たちは、どうしてこんな山深いところに住んでいるのかい」
「ここが、尼君さまのお住まいだから」
「そう。尼君さまが、ぼくたちをつれてきてくださったんだ!」
 数人の子どもが口々に答える。「そうかそうか」と笑いかけた陣内の表情が、続いて放たれた声に一瞬、凍りつく。
「わたしたち、戦でひとりぽっちになったんです。そこを、尼君さまがたすけてくださったんです」
 -そうか。この子らは戦災孤児というわけか…。
 合点した陣内の表情が曇る。あるいはこの子らが孤児になった戦に、タソガレドキが絡んでないとはいえないのだ。
「それにね、尼君さまはとってもやさしいんだ!」
「そうそう。手習いもおしえてくださるし」
 子どもたちの話題は、いつしか自分たちを救った人物のことに移っている。
「そうか。それは、さぞ徳の高い尼君でいらっしゃるのだろうな」
 陣内には、すでに尼のかつての姿の記憶が蘇っている。
 -お変わりない。あの面差しもお振舞も…。
「ねえねえ、おじさんの旅のお話は?」
 膝を揺すられて我に返る。
「そうだな。では、大和の国にあるとても大きな仏様のお話をしようか…」

 


「…私のことを、さぞ恨んでいるだろうな」
 ぼそりと放たれた言葉に、ふたたび繕いものを始めていた尼の手が止まる。
「お恨みするなど…罪を犯したのは、わたくしでございますに」
「いや。私がこのような姿になったせいだ。そのせいで、無用な苦しみを与えてしまった」
「…昔から、お変わりございませんね」
 繕いものを床に置くと、尼は両手を静かに端座した足に載せた。
「お変わりないのはあなたも同じこと…いついかなる時も、あなたは美しかった」
「あまりにもったいないお言葉でございます」
 背筋をまっすぐ伸ばした尼の視線は、灯のとどかない薄暗がりに向けられたままである。
 -雑渡さまは、いつもそのようにご自身をお責めになります。そのようなお姿になられたのは、雑渡さまの責任ではありませんのに…。
 大火傷を負った昆奈門が城に戻ってきたとき、このまま助かると思った者はいなかった。狼隊の小頭として将来を嘱望されていた昆奈門だったが、部下を助けるために負った火傷はあまりに重かった。だから、危篤状態をかろうじて脱した昆奈門に忍としての将来があるとは誰も考えなかった。
 -婚約された姫君もお気の毒なことよ。
 -いや、いっそこのまま姫君に養ってもらうという手もあるぞ…。
 -あの姿では、忍としてはもとより、男としても使い物になることやら。
 さまざまな声が容赦なく耳に届く。昆奈門に会うことは親に固く禁じられていたが、ある日、そっとまだ少年だった尊奈門に介抱されている姿を垣間見たことがある。そして、ようやく親が会うことを禁じた理由がわかった。
 -そしてわたくしは、破談を受け入れた…。
 これ以上、下卑た噂話のやり玉にあげられることがないよう、両親は昆奈門との縁談の破棄を持ちかけてきた。そして自分は、それを受け入れた。自分が、両親が背負う「家」を護るために。
 -雑渡さまを、わたくしは、見捨てた。もっともあの方がわたくしを必要としている時に、わたくしはあの方を切り捨てたのだ…。
 今も尼の心を責め苛む思いだった。だからこそ、俗世との縁を切り、奥山の荒れ寺で戦災孤児たちを引き取り生きていくことを選んだのだ。それなのに、再び昆奈門と会う日がこようとは。
 -家のため、などと自分を納得させようとしたが、結局わたくしは逃げたのだ。眼の前に突き付けられた苦しい状況から逃げるために、両親の話に飛びついたのだ。それなのにこの方は、昔に変わらずご自身の痛みよりもわたくしを気遣われる…。

 


「いまは忍軍の組頭のお立場と伺いました。さぞご活躍のことでしょう」
「なに。業にまみれた稼業だよ。だが、私の言う罪とは、そのことではない」
 いつの間にか、昆奈門がすぐそばに座っていた。いつものように淡々とした口調だったが、尼の耳はその声に帯びる熱を感じ取っていた。
「…あなたの人生に関わってしまったこと、それが、私の犯した最大の罪だ」
「…」
 不思議と動揺は感じなかった。
 -この方なら、きっとそう仰ると思っていた…。
「忍とは所詮、賤業だ…目的のためならどのような穢いことでもする。作戦で命を落とせば、その瞬間からもともと存在しなかった者として扱われる。まして私のように、中途半端に生きながらえてしまった者には、なんの存在価値もない。そのような立場の者が、人を幸せにできることなどありえなかったのだ…ようやく気付いたときには手遅れだったがね」
「…ご自身を否定されることは、御仏のご意思を否定されることでございます」
「…なるほどね」
 神仏というものの存在などまったく信じていない昆奈門だったが、相手が仏の道に生きることを選んだのであれば、尊重してやらねばと思う。
「だが、だからといって私の罪が消えるわけではない」

 


「憶えておいででしょうか」
 ふいに晴れやかな表情になった尼が顔を上げる。「雑渡さまが、わたくしを海にお連れいただいたことがありました」
「ああ、よく憶えているよ」
 追憶に隻眼を閉じながら昆奈門が応える。「あれは楽しい遊山だったな」
 あれはまだ大火傷を負う前のことだったと昆奈門は記憶を辿る。
「あれが、わたくしが初めて見た海でございました…広くて美しくて、いま思い出しても心が晴れ晴れとする思いになります」
「そうだな。あなたと見た海は、晴れて穏やかで、とても美しかった」
「そのとき、わたくし決めたことがあります…」
 いいさして尼は口元を袖で覆う。
「なにかね」
「…次にここに来るときは、雑渡さまと、雑渡さまとの間に授かった子とともに…叶わぬ決意でございましたが」
「では、あれ以来、海に行っていないと…?」
「はい…もう二度と訪れることもないでしょう」
 静かな諦念とともに尼は言い切る。
「そのように御身をしばることもあるまいに」
「いえ…わたくしの勝手な決めでございます」
 小さく苦笑しながら尼は視線を伏せる。「雑渡さまのいない海など、わたくしには何の意味もない場所でございます」
「そうか」
 -そこまでこの女人に自分の存在を刻み付けてしまったか…。
 懐かしい記憶から現実に引き戻された思いがして昆奈門は小さくため息をつく。
 -それこそが私の罪だ…あるいは今頃、女人として人並みの幸せを手に入れていたかもしれない方を、このようなところに導いてしまった罪だ…。

 


「わたくしがいま、不幸だなどとはお考えにならないでくださいませ」
 ふたたび顔を上げた尼は、静かながらも決然という。「誰にも煩わされない場所で、子らとにぎやかに過ごせることが、わたくしにはこの上もなく幸せなのです」
「…なぜ、そこまでして子らを」
「子らは…」
 尼は少し考えるように言葉を切る。「子どもというものは、可能性でございますから」
「子どもとは、可能性、ね」
 噛みしめるように、ゆっくりと昆奈門は繰り返す。

 


 いつの間にか雨音も風の音も止んでいた。
「雨が止んだようだね」
 すっくと立ち上がった昆奈門が雨戸を細く開ける。雨もすでに止んでいた。
「出発するぞ」
 低く放たれた声に、本堂のそこここで休んでいた部下たちがそっと立ち上がって集まる。眠っている子どもたちを起こさないよう気配を消した動きに、尼の眼が少しだけ驚いたように見開かれる。
「もうお発ちになるのでございますか」
 雨戸の隙間から、まだ雲が垂れ込めた空に眼をやった尼が言う。「この空模様では、またどこかで一雨あるやもしれませぬのに」
「構わんさ」
 昆奈門がぼそりと応える。
「さようでございますか」
 一行を玄関まで見送った尼が深々と頭を垂れる。「では、道中お気をつけて」
「世話になった」
 そっけなく言うと、昆奈門は先頭に立って歩き出す。部下たちが慌てて尼に頭を下げながら続く。
「…」
 昆奈門たちの姿は、山道にたちまち消える。それでも尼は、その背が消えた先を眺めやりながらしばし佇んでいた。

 


(あれは…組頭の許婚だった姫君ではないか…様子はずいぶん変わられていたが、間違いない。)
 ようやく尼のかつての姿を思い出した尊奈門は、昆奈門の背を追って歩きながら考える。
(積もるお話もあっただろうに、あんなに慌ただしく出立するなんて…次にいつお会いできるかも分からないのに…。)
 子どもだった尊奈門も、敬愛する組頭の婚約とその破談は耳にしていた。自分が昆奈門を介抱しているとき、そっと垣間見に来ていた姫の姿を眼にしたこともあった。
(美しい方だった。そして、憔悴しきっていらした…きっと、姫君も本当は組頭と結ばれることを望まれていたんだ。だって、組頭ほど素晴らしい方に心が傾かない女人など、いるわけがないのだから…。)
「おっと」
 眼の前を歩いていた昆奈門が急に立ち止まったので、尊奈門は危うくその背に鼻をぶつけるところだった。
「組頭…?」
 どうかされましたか、と訊く前に昆奈門はがさがさと傍らの藪に足を踏み入れる。
「組頭?」
「どちらに行かれるのですか」
 呆気にとられていた陣内たちも慌てて声をかける。雨上がりの藪は、まだ葉という葉に水滴を載せたままだったから、たちまちびしょ濡れになってしまう。
「…これ」
 しばらくして戻ってきた昆奈門が、手にしていた花を尊奈門に突き出す。それは薄暗い林の中でもスポットライトが当たったように華やかに映えている。
「は?」
 花を受け取った尊奈門が眼を丸くする。
「尼君に届けて来い…宿を借りた礼だ」
 -なるほどね。ホトトギスか。
 -それが組頭の思いか…。
 陣内たちが目配せする。
「は、はい!」
 ワンテンポ遅れて慌てて返事をした尊奈門が、慌てて寺に向かって山道を駆け上る。

 

 

 

<FIN>

 

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