似たもの

 

 土井先生ときり丸が初めて一緒に暮らすようになったときのお話です。

 土井先生もきり丸も、似たもの同士で、そのあたりは山田先生に見透かされていそうです。

 

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 夏休みが迫っている。一年生たちにとっては、初めての長期休暇である。
 は組の生徒たちも、休みの間の過ごし方についてにぎやかに話している。
 


 乱太郎も、久しぶりの帰宅を楽しみにしていた。だが、気になることがひとつあった。
 -きり丸は、どうするのだろう。
 きり丸には帰る家がない。迎えてくれる家族もいない。
 -学園に、残るのかな。
 高学年の生徒たちには、長期休暇の間も自主トレとして学園に残るものが少なくないとは聞いていた。だが、一年生の生徒たちは、当然のように帰省する。実家が遠い金吾さえ、休暇中は戸部先生の家に居候するという。
 -まあ、戸部先生が例によって家を追い出されたら、一緒に学園に戻ってくるかもしれないけど。
 戸部は、動くものに見境なく斬りかかって家を台無しにしてしまい、しばしば家を追い出されるらしい。戸部に手を引かれてすごすごと学園に戻ってくる金吾の図は、想像すると少し面白かった。
 -いやいや、今はきり丸のことを考えているのだった。
 乱太郎はあわててかぶりを振った。
「乱太郎。お前、聞いているのか」
 気がつくと、テキストを手にした半助が、眉をつり上げて目の前に立っていた。

 

 

 教室の掃除当番が終わり、しんべヱが報告に出て行った。教室の中には乱太郎ときり丸の2人だけである。
「きり丸。あのさ…」
 掃除道具を片付けながら乱太郎は声をかけた。
「なんだ?」
「夏休みはどうするの? 学園に残るの?」
「学園に? なんでさ」
「いや、だって…」
 帰るところがないんでしょ、とは言えなかった。
「夏休みはバイトのシーズンだからな。住み込みでバイトさせてくれるとこを探すさ。海の家の求人でも探すかな」
「先生に、相談してみたら?」
「相談って、何をだよ」
 きり丸は首の後ろで手を組んだ。
「だから、夏休みの…」
「俺に帰るところがないってか?」
「いや…まあ、そうだけど」
「気にすんなって。この俺が橋の下でみじめったらしく過ごすとでも思ってんのか」
「そんなことは…」
「じゃ、気にすんなって。夏の間はガンガン稼いできてやるだけよ。いまから腕が鳴るぜ」
「らんたろーっ、きり丸ーっ。先生に報告してきたよー」
 どたどたと足音を立ててしんべヱが戻ってきた。
「よーしっ。遊びに行こーぜー」
「あっ、待ってよお」
 -ホントに大丈夫なのかな。
 2人の後を走りながら、乱太郎は考えていた。橋の下、と言ったのが気になっていた。もしかしたら、きり丸には、学園に来る前にはそんな経験があったのかも知れない。そう考えるだけで、乱太郎には居たたまれない思いがするのだった。

 

 

 -夏休み、か。
 星明りが窓からさしこんで、天井板の木目をぼんやりと浮かび上がらせていた。隣のしんべヱは、すでに盛大な鼾をかいている。その向こうの乱太郎は…もう眠っただろうか。
 風もなく、暑い夜である。髷を解いた髪が首筋に貼りつく。煩わしいのでばさっと上に払ってから、首の後ろで手を組む。足で布団も払って、きり丸は天井を見つめていた。
 -夏休みなんて、なくていいのに。
 全員が寮生活を送る学園では、家も家族も忘れて過ごせる。だが、休みとなると突如その欠如がクローズアップされるのだ。

 戦火の中で家と家族を失った日から、ずっと一人で生きてきた。雨露を凌ぐためなら、橋の下でも軒下でも、どこへでももぐりこんだ。自分を守ってくれるものは、銭しかなかった。だから、死に物狂いで働いた。とても乱太郎たちには話せないようなことだってやってきた。それが当たり前と思っていた。
 それなのに、たった数ヶ月学園で過ごしただけで、以前の生活に戻ることが恐怖になっているのはなぜなのだろう。それもほんの少しの間だけで、またすぐに学園に戻れるというのに。
 -またバイトすればいいだけだ。夏なら、外で寝ても死にゃしねーだろうし。
 昼間の乱太郎とのやりとりを思い出す。乱太郎は本当に優しい。自分のことのように心配してくる。眼鏡の奥の目には、底抜けの善意がある。だが、その優しささえも、今のきり丸には煩わしかった。いくら心配されても、腹はふくらまないのだ。それに…。
 -同情なんて、まっぴらだ。
 明日から放課後は、住み込みのバイト探しだ、ときり丸は決めた。

 

 

 教師長屋の一室には、まだ灯がともっていた。山田と土井の部屋である。
「蒸しますな」
 団扇をつかいながら、2人は夏休みの宿題の準備をしていた。
「ほんとに…」
 灯を近くに置いているせいで余計に暑い。灯が消えてしまわないように注意しながら団扇をつかっても、かえって暑さが増すだけのように思える。
「い…」
 半助の前髪を伝った汗が、紙の上に垂れてしまった。
「土井先生。髪結に行って少しさっぱりさせてきたらどうですか」
「ええ、まあ、そのうちに」
 あいまいに答えた半助は、ふと筆を止めた。
「山田先生」
「なんですか」
「夏休み中は、は組の生徒達は、全員帰省するのですよね」
「そうですよ」
「家の遠い生徒は、どうするのですか」
「は組では金吾くらいですかな。彼の家は往復するだけで夏休みが終わってしまうので、戸部先生の家で過ごすことになっています」
 -そうではなくて…。
 もっと心配しなければならない生徒がいるではないか。
「土井先生が心配しているのは、きり丸のことですかな」
「そうです」
 -分かっているなら…。
 きり丸については、初めては組を担当することが決まり、生徒の関係書類を渡されたときから気になってはいた。住所、保護者、連絡先、全てが空欄だったのだ。そして、伝蔵から、彼の過去を聞く。
 -自分と似ている。
 そう思った。もっとも、自分は館に仕えていた忍に助け出され、忍としての修行に専念できたのだから、生きるために働かざるを得なかったきり丸よりよほど恵まれていた、というべきなのかもしれないが。
「土井先生は、お一人でしたよね」
 伝蔵は筆を走らせながら言う。
「はい」
「学園長先生ともお話したのですが、きり丸は休みの間、土井先生の家に置いてもらうのがいいのではないかと思うのですがね」
「え…」
 虚を衝かれて半助は言葉を失った。
「なにか困ることでも?」
 学園長と話したということは、業務命令と同じようなものである。それに、きり丸を自宅で預かることに特に異存があるわけでもなかった。だが…。
「きり丸には、もっと家庭的な環境のほうがいいのではないでしょうか」
 幼い頃に家庭を失ったきり丸には、男一人の侘び住いよりも、もっと暖かな、家族のなかで過ごす経験が必要なのではないか。擬似的ではあっても母親の温もりや兄弟たちとのふれあいを経験させてやることの方が望ましいのではないか…自身の孤独だった少年時代を、きり丸にはこれ以上味あわせたくない…半助の思いだった。
「仰ることはわかります。だが」
 伝蔵は言葉を切った。
「それは土井先生のためにもいいのではないか、というのが学園長先生のご意見だ」
 -私のためにも…?
「学園長先生は、土井先生、あなたのこともとても気にかけていらっしゃる」
「私のことなど…」
 自分はもう大人で、曲がりなりにも教師として生徒たちの前に立っている身である。そんな自分よりも生徒のほうが先であろう。
「それは私も同じだ…半助」
 不意に伝蔵の口調が変わった。
「お前は多くのことを抱えすぎている…私には、もはや抱える必要のないと見えるものをだ。似たもの同志で一緒に過ごすことは、お前さんのためにもなるのではないかな」
「…」
 -自分のためになる?

 


 訝しげな半助の視線を感じながら、伝蔵は、筆を走らせ続ける。
 -自分でも気づいているだろう。半助、お前ときり丸はよく似ている。強がって自分の弱さを隠そうしているところなど、親子か兄弟と思えるくらいだ。だからこそ、似たもの同士、この夏の間にそれぞれ一歩を踏み出すきっかけを見つけてほしいのだ。
 

 翌日。授業のあと、バイト探しに駆け出そうとしたきり丸に、半助は厳かに告げた。
「きり丸。お前は、夏休みの間、私の家で預かることになった。休みの間、お前の苦手としている教科をみっちり指導してやるからそのつもりでいるように」
「え~! せっかくバイトで稼ぐつもりでいたのにぃ」
 不服そうな口調とはうらはらに、きり丸の表情が輝いた。
「よかったじゃん、きり丸」
 傍らにいた乱太郎もうれしそうである。

 こうして、きり丸は、休暇を半助の家で過ごすことになった。

 

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