Winter Daydreams

 

”冬の日の幻想”という標題が付いたチャイコフスキー 交響曲第1番を聴いているうちに思いついたお話です。

冬の日に乱太郎ときり丸が見た未来と過去の幻想は、儚くも鮮烈で、ずっと心に刻まれる記憶となったのではないでしょうか。

 

「うぅ、さむいさむい…」
 放課後、両手をこすり合わせながら校舎の裏を歩いている乱太郎の姿があった。
「それにしても、きり丸もしんべヱも、どこいったんだろう」
 今日は掃除当番もないし、委員会活動もなかったはずだから、一緒に遊べるはずだった。あるいはきり丸のバイトの手伝いになるかも知れなかったが。
 ひょう、と風が吹き抜けて、乱太郎は両腕を身体にまわして縮みあがった。
「さむい~~!」
 ふと空を見上げると、先ほどまで広がっていた冬晴れの空が、すっかり灰色の雲に覆い尽くされていた。
 -なんか、今にも雪ふりそう…。
 山中にある学園では、冬場の天気の急変も珍しいことではない。
「しょうがない、部屋にもどろっと」
 自分を納得させるように口に出して、乱太郎は忍たま長屋に戻ろうとした。
 -あれ? あそこにいるのは…?
 ふと足が止まった。その視線の先には、見慣れぬ忍の姿があった。
 -あれは、忍術学園の制服じゃない。とすると、くせ者?
 普通に考えれば、そのはずだった。現に学園にはさまざまな城や忍者隊から忍が情報収集や攻撃のために送り込まれていた。そして、侵入者の発見と撃退をもっとも期待される立場であるはずの小松田は、入門票にサインさえすれば誰彼かまわず入れてしまうのだ。
 -先生たちに言わなきゃ。
 いつもなら、そう思うはずだった。だが、まったく見覚えがないはずの長身の忍に、なぜか親近感をおぼえて、乱太郎はその場から立ち去れずにいた。
 -あなたは、だれですか。
 口に出せずに問いかけたまま、乱太郎はその忍に足早に近寄った。なぜなら、相手もまた歩き出したから。
 -あの、あの…待ってください。
 息を切らせながら追いつこうとしたとき、視界にちらちらと光るものがあることに気付いた。
 -あれは…!
 乱太郎は息をのむ。それは、今更気づくことが考えられないほど、不自然で剣呑な代物だった。忍が手にしていたのは、抜身の刀だった。

 


 はらはらと白い切片が散り始めた。それはたちまち白い幕を張ったように、風とともに強く降り始めた。
 -…!
 思わず袖で顔を覆う。だが、次の瞬間、ふたたび忍を追って足を踏み出し始めた。
 -…。
 いつの間にか、視線は忍の持つ刀に吸い寄せられていた。降りしきる雪の中で、刀だけが鋭利な光を放っていた。なぜかそこに淡いコバルト色を帯びているように思えて、つい引き寄せられるように足を速めていた。
 ついに、忍のすぐ後ろまで追いついた。顔にぱしぱしと当たる雪の幕を通しても、濃い色の忍装束の背中や刀の放つ光を捉えられるようになっていた。
 -…。
 手を伸ばせば届くところにいる。そう思ったとき、手がすっと前に伸びていた。指先が刀の身に触れそうになった瞬間、忍は立ち止まった。
 -いて!
 早足で勢いのついた身体をとめることもかなわず、乱太郎の鼻先が相手の袴の腰板に埋もれた。
「す、すいません」
 言おうとしたが、舌がこわばって言葉にならなかった。こわごわと視線を上げる。
「あ…」
 ふいに声が出た。白い息がふわりと広がって、たちまち雪の中に掻き消える。
 眼の前に、忍は、いつの間にか向かい合って立っていた。長身の身体の上に、細面の、思いのほか優しげな表情があった。そして、まるい眼鏡と頭巾からはみ出た赤毛の前髪。
 -これって…!
 思わず後ずさろうとした乱太郎の前に、忍はしゃがみこんだ。相手の顔が眼の前に来る。ふと、相手は手にした刀に眼を落とした。
「ここには猛毒が塗ってある」
 初めて相手が声を発した。
「だから、触れてはいけない」
 その声は、言葉の内容とうらはらにひどく優しかった。
「…どく、ですか…?」
 こわばった唇から漏れるかすれた問いに、忍は顔を上げた。その優しくも哀しげな面差しに、乱太郎は眼を見開いたまま立ち尽くした。
 -どうして、この人はこんなに…。
「ほんのかすり傷でも、致死量になるほどの毒なんだ。いずれ君もこの毒を扱う日が来るだろう。そして、敵に立ち向かう日が来るだろう」
 自分をまっすぐ見つめる視線に、乱太郎は身じろぎもできない。
「…でも、今の君には、ちょっと早いよ」
 空いた方の手で乱太郎の頭を軽くなでると、忍はついと立ち上がった。
 -あ、まって…!
 慌てて追いすがろうとしたが、身体が動かない。次の瞬間、にわかに風が白い渦巻きとなって視界が真っ白になった。
「…」
 しばし腕で突風から顔を護る。やがて風が収まった気配を感じて、ゆるゆると腕を下ろして顔を上げる。
「…あれ」
 いつの間にか雪はやんでいた。そして、忍の姿が掻き消えていた。
 -あなたは…?
 問いかけるように足を踏み出す。だが、つい先ほどまで忍が立っていた場所には、足跡ひとつ残されていなかった。

 

 

 


「う~、ちべてぇ」
 井戸端に据えた盥の前で、きり丸は洗濯の手を止めて両手をこすり合わせた。
 -最近バイトが少なかったらしょうがねえけど、冬の洗濯のバイトはキツイな…。
 すでに手はあかぎれができている。
 -でも、バイトこなさねえと学費払えねえし…。
 なんとしても、忍術学園で学び続けたい。だからこそ、こうして休日はバイトに明け暮れているのだ。今日は農家の家事のバイトである。それほどいい稼ぎになるわけでもなかったが、バイトの口が少ない折だったので選ぶ余裕はなかった。
 -いけね、サボってる場合じゃねえ。これ終わったら使いものもあったんだ…。
 自分を鼓舞しながら、立ち上がって汲んだ水を盥にあける。立ち上がった瞬間、山から吹き降ろす冷たい風に身が縮みあがったが、ふたたびしゃがみこむと、猛然と洗濯の続きを始めた。

「おかみさん! 洗濯がおわりました! お使いものはなんですか」
 ようやく洗い物を干しおわると、きり丸は声を上げて裏口から顔をのぞかせる。
 -あれ…?
 家の中はがらんと静まり返っている。
 -おかみさん、どこ行ったんだろ?
 きょろきょろしながら裏口の土間に足を踏み入れる。と、ぼそぼそとした話し声が聞こえた。
「…このあたりも、戦が近いらしい」
 ぱちぱちと火がはぜる音が聞こえる。囲炉裏端にふたつの人影を認めて、きり丸は立ち止まった。
「この村は、大丈夫でしょうか」
 不安そうな細い声がする。女の声が、だみ声を響かせる雇い主のこの家のお内儀ではないことだけは確かだったが、それはなぜかひどく聞き覚えのある声のように感じられた。
 -だいたい、この家にあんな人たちいたっけ…。
 後ろ姿しか見えなかったが、あのような夫婦ものらしい2人がいることに、ひどく違和感を覚えた。だいたい、冬とはいえ晴天の昼日中に夫婦して囲炉裏端に座っているなど、農家としては考えられなかった。だが、それだけではなかった。
 -あの人たち、なんかみおぼえがあるんだよな…。
 見覚えがあるだけではなかった。この場の情景そのものに感じる既視感の正体が見いだせずに、きり丸はもどかしさと苛立ちをおぼえる。
「かあちゃん!」
 だしぬけに家の中に響き渡った声に、きり丸はびくりとした。表口から駆け込んできたのは、7~8歳くらいの子どもだった。
「おかえり。ちょうどよかった。ちょっとこっちにおいで…」
 背を向けていた女が子どもに向き直ったので、きり丸からは横顔が見えた。
「うん」
 素直に頷いた子どもが女のほうに駆け寄る。
「お前の着物を繕い直していたんだよ。合わせてみるから、ちょっと着物を脱いでごらん」
「うん!」
 帯を解いた子どもがするりと着物を脱ぎ落して素裸になる。
「どれ、袖に腕をとおしてごらん」
 手にしていた着物を着せかけた女が、帯を結ぶ。
「ちょっと大きいかしらね」
 女が着せかけた着物は、裾はくるぶしを覆うほどで、袖も長い。
「なに、子どもはすぐに大きくなる。そのくらいでちょうどいいだろう」
 それまで黙っていた男が口を開いた。
「それもそうね」
 だらりと下がった袖を上げ下げしながらきょろきょろしていた子どもが、2人に眼を戻す。
「父ちゃん、母ちゃん、これがおれのあたらしいきもの?」
「そうだよ」
「でも、だぶだぶだよ」
 煩わしそうに余った袖を振る子どもの頭に掌を乗せながら男が口を開く。その言葉に、きり丸は背筋が凍りついた。
「なに、すぐに大きくなるから大丈夫だよ、きり丸」

 

 

 -きり丸だって!? …てことは…。
 あの子どもは自分で、そして囲炉裏端に座るあの男女は…。
 -そうだ! 思い出した!
 きり丸ははっとして顔を上げた。
 -これは、母ちゃんが新しく着物を仕立ててくれた最後の冬だ…!
 もとより新品の着物を買う余裕などなかったが、母親はいつも古着を仕立て直して着物を作っては、あのように着せかけてくれた。その着物はいつもだぶだぶだったが、気が付くとちょうどよくなり、やがて丈が短くなっていた。その頃を見計らったように、いつも母親はまただぶだぶの着物を仕立ててくれたのだった。あの戦の炎が母親を、そして家族を奪う日までは。
 -父ちゃん! 母ちゃん!
 ふいに視界が滲んだ。呼びかけたつもりだったが声にならず、駆け寄ろうにも足が動かない。
 -父ちゃん! 母ちゃん! おれだよ、きり丸だよ!
 必死に呼びかけたが、囲炉裏端の3人には届いていないようである。3人が何か話しているらしく口を動かしているのが見えたが、その声は捉えられない。
 -おれ、ここにいるのに…。
 きり丸は力なくつぶやく。
 -そうか。あのときのみんなには、今のおれは見えないんだ…。
 たとえ幻でもいい。懐かしい両親の面差しと声を記憶にとどめたかった。もっと近くに寄りたかった。だが、なぜか身体が動かない。
 -父ちゃん、母ちゃん、おれ、10さいになったんだよ。忍術学園に入って、友達がたくさんできて、山田先生や土井先生にはすっごくよくしてもらってるんだよ…。
 しゃくりあげそうになりながら、届かないことはわかっていながらも両親に語りかける。
 -おれ、バイトも頑張ってんだ。忍術学園で勉強するために、かせがないといけないし。でも、休みのときは土井先生が家においてくれるし、バイトも手伝ってくれるんだ。勉強もしろってうるさいときもあるけどさ…。

 


「こんなところで何してるんだい!」
 だみ声に思わず背筋を硬直させたきり丸が、おずおずと振り返る。
「お、おかみさん…」
 声の主は、いつの間にかきり丸の背後で、腰に両手を当てて立っていた。
「洗濯はどうしたんだい」
「あ…おわりました」
「そうかい。それならいいんだけど」
 内儀の声がやや柔らかくなる。
「おや?」
 腰に手を当てたままきり丸の顔を覗き込む。
「あんた、泣いてたのかい?」
「い、いや。なんでもねえっす」
 慌てて袖で眼を拭いながらきり丸は答える。
「何かあったのかい?」
「いや…ちょっと眼にホコリが入っただけっす」
「ホコリ?」
 辺りを見回したお内儀は肩をすくめた。
「へんな子だね。まあいいわ。村の鍛冶屋に修繕に出した鎌と鍬を引き取りに行ってほしいんだけどね」
「鍛冶屋っすね。わかりました!」
 威勢よく返事したきり丸は、裏口を飛び出すと、村へ向かって駆けだす。
「…そんなに慌てて行かなくてもいいのにねぇ」
 土間に取り残されたお内儀が呟く。

 

<FIN>