君と未来の話をしたい
<リクエストシリーズ 土井半助&久々知兵助>
兵助といえば豆腐という扱いが目立つ昨今の公式ですが、あえて豆腐ぬき兵助を書いてみました。
五年生ともなれば実力はそれなりに高く、また人の心もそれなりに視野に入ってくる年頃で、だからこそ土井先生も兵助の心情をつかむためにあえて捨て身の作戦にでたのではないかな、と思います。
というわけで、しらゆり様に火薬委員会な2人のお話を納品させていただきます。
-土井先生が何のご用なんだろう…。
ざくざくと山道を歩く広い背中を追いながら兵助は考える。
委員会のない放課後に自主トレに向かおうとした自分に「ちょっと来てくれないか」と言ったきり、一言も発していない半助だった。
-火薬の実験だったら、実験に使う道具を持っているはずだし…。
ざっと足音がして半助が立ち止まった。「ここらへんでいいかな」と呟く。
「あの、土井先生…」
「なあ、兵助。もしここで私が敵としてお前を襲ったらどうする?」
背を向けたまま半助が声を上げる。「こんなふうに」
振り返った半助は苦無を手にしていた。そして唐突に振りかぶってくる。
-!
とっさに懐の苦無を両手で構えて振り下ろされる苦無を受ける。きぃん、と金属音が耳の底に深く響いた。
「力も体格も上の相手の攻撃をまともに受けるべきではない。こういう時はどうする?」
上からのしかかるように身体を寄せた半助が訊く。問われるまでもなく大人の力で押しつぶさんばかりに下ろされている苦無を受けている兵助の腕は限界に近づいている。
「…そういうときは…」
ぎりと歯を食いしばって渾身の力を込めて半助の苦無を押し戻すと同時に身を翻した兵助は脱兎のごとく駆け出す。
「まだまだっ」
半助の声とともに背後に嫌な気配を感じた。思わず振り返った兵助の眼に飛び込んだのは、今まさに足に絡みつかんとする鉤縄だった。
-しまった!
足を抜こうとしたがもう遅い。足に巻きついた縄が引き絞られる一瞬前に手にしていた苦無で縄を断ち切る。しゅるっと鋭い音がして半助が引き寄せようとした縄は空しく宙を切り、兵助の身体は前に放り出されてごろごろと転がる。起き上がりざま、なおも駆けてくる半助に向けて棒手裏剣を放つと、ふたたび身を低くして全力で走る。
「おうい、兵助! もういいぞ!」
半助の声に、徐々に走りを緩めた兵助が立ち止まりながら振り返る。
「土井…先生?」
「悪かったな。驚いたろ?」
笑いかけながら歩み寄ってきた半助は、まだ荒い息をしながら立ちすくんでいる兵助の傍らに胡坐をかいた。つられるように兵助も座り込む。
「それにしても…なぜいきなり?」
大きく息をして呼吸を整えながら兵助は訊く。
「ああ。木下先生に頼まれてな」
「木下先生に?」
「そうだ。兵助がスランプに陥っているのではないかとずいぶん心配されていた」
思いつめた表情で相談する鉄丸の顔を思い出しながら半助は言う。
「はあ…」
思い当たる節があるのか、上気した顔のまま兵助は顔を伏せる。
「だが、実技に関しては満点だったと報告しておくよ」
意外な台詞に思わず顔を上げる。
「どういうことですか?」
「しっかりできていたじゃないか」
微笑みながら半助が兵助の顔を覗き込む。「私がいきなり苦無で襲い掛かってもしっかりと受けることができていた。私の追跡にも反撃できていた。最後の棒手裏剣には、正直ひやりとしたんだぞ。お前は学んだことをしっかりと体得できている。それは私が保証する」
「土井先生…」
意外な台詞に思わず言葉が詰まる。
-先生、俺のことを心配してくれたんだ…。
それは誇らしくも甘美な思いだった。
-だけど…。
聡い少年は、すでに違和感を覚えていた。
-いつもの土井先生なら、違うやり方をされていたはずだ…。
「いつお前が得意武器の寸鉄を出してくるかと思っていたが、最後まで使わなかったな」
半助は語り続ける。
「はい…使うべき場面ではなかったので」
「それもプラスポイントだ」
満足げに半助は頷く。「得意武器にこだわらないこと。それも重要なことなんだ」
「はい…ありがとうございます」
おざなりに頭を下げると、兵助はきっと半助を見据えた。
「で、ご用件はなんでしょうか。土井先生」
「…そうか。さすが兵助だな」
一瞬眼を見開いた半助だったが、すぐに苦笑を浮かべて続ける。「まあ、見抜かれたなら仕方がないな」
「…」
兵助は黙って続きを待つ。
「兵助、お前のスランプの原因を、まだ聞いていなかったな」
-!
低く訊く声に、兵助の背筋がこわばる。
「なあ、兵助」
穏やかに半助は語りかける。「こんなことを言うと責任逃れのように聞こえてしまうかもしれないが、私はまだ教師としては半人前だ。生徒の悩みにきちんと応えてやれるかも自信はない。だが、もしお前が悩んだり苦しんでいることがあるなら、私に教えてくれないか。頼りないかもしれないが、アドバイスできることがあるかもしれないし、そうでなくても話すだけでも気が楽になるということはあるんだぞ…だから…」
「土井先生…」
思わず兵助が遮る。「土井先生は、頼りない先生なんかじゃありません…だから、そんなことはおっしゃらないでください…」
「兵助…」
「…」
それきり俯いて歯を食いしばっている兵助を、しばし半助はいたましげに見ていた。そして、空を見上げると明るい口調で語り始めた。
「そうだ…私の知っているある忍の話をしようか。もしかしたら、なにかの参考になるかも知れないからな」
そろそろと兵助が顔を上げる。優しい眼で見下ろす半助と眼が合う。
「その忍は、若いうちからとても優秀だった。忍の術に長けているだけではない。兵法や本草の知識もあった。そういう忍なら、さぞ自信にあふれて仕事をしていたと思うだろう? だが違った」
言葉を切った半助がふたたび空を見上げた。
「その忍は毎日が不安で不安でならなかった。自分がやっていることは、本当に仲間たちに求められていることなのか、もしかしたら当然やるべきことがあるはずなのに、まだ気がついていないことがあるのではないか、そうすることで仲間たちの足を引っ張っているのではないかってね。だからどんなに頑張って仕事をしても、それがうまくいっても、どうしても安心することができなかった。いや、やればやるほど追いつめられているような気がしていたのかもしれない…そして重要なことだが、その忍が心配していたことは仲間たちの間でどう見られていたかであって、自分が忍として何をやっていたかではなかった」
「その忍は、なぜそんなに恐れていたのでしょうか」
「恐れる、か。そうだな。いい質問だ」
ふたたび兵助を見下ろすと、その肩に手を置く。
「その忍は、事情があって子どものころからあまり身近な大人に接する機会がなかった。同じような歳の子どもと遊ぶ機会にも恵まれなかった。だから、人との距離の取り方が分かりにくかったのかも知れないな」
「気の毒な、人ですね」
兵助が声を詰まらせる。
「そうだな。とても気の毒な忍だった…だが、ある日、任務に失敗して傷を負ったとき、偶然、ある偉大な忍に助けてもらったそうだ。そして、その忍に言われたそうだ。『前だけを見て進め。過去は振り返らなくても自分の中に蓄積し、前に進むための糧になる』と。きっと、その偉大な忍は、助けた若い忍が過去の影に怯えていたのを見抜かれたのだろうな」
くっと可笑しそうに兵助が声を漏らした。
「もしかして、その忍は練り物が嫌いだったのではありませんか?」
「さあ、どうだろうなあ」
朗らかな声で半助は応える。「昔の人の話だからな」
「そうですね」
兵助も空を見上げる。一羽のトビが甲高く鳴きながら横切って行った。「昔の人の話は、参考になりますね」
「そうだな。過去は、未来を生きるための糧になる。だが、過去に縛られると未来を生きていくことはできない…」
自分に言い聞かせるように半助は呟く。その横顔を兵助はちらと見る。
-土井先生、なんであんなに苦しそうなんだろう…。
そして、ふと気づいて訊く。
「そういえば、その忍はその後どうしたんでしょうか」
「ああ、そうだったな…その忍は、自分が忍に向いていないと悟って、忍から足を洗ったそうだ」
「そうなんですか…」
兵助の口調が沈む。その忍-あるいは自分の傍らに座る青年-の決断は、今の自分の迷いの先にあるものを意味しているように思えた。
-では俺が今やっていることが、忍になるために学んでいることが『進むべき未来』とは違うことだったら…。
それが兵助を苛む不安だった。誰にも口にできない不安だった。それはあまりに根源的で、そして抽象的なものだったから。
「今していることが未来に反映するなら、いま間違ったことをしていたら、間違えた未来になってしまうのでしょうか」
膝を抱えたまま、兵助は呟くように訊く。
「そうだな…」
すぐには答えを見つけられずに半助は言葉を切った。そして、兵助の迷いの所在がほの見えてきたような気がした。「私は思うんだが、今やっていることが間違っているかは、未来の自分が判断することだ。だから、われわれは今できることを一生懸命やるしかない。もしそれが間違いだったと未来の自分が判断した時は、正しいと思うことをやり直せばいい。人生というのは、やり直しがきく程度には長いものだろうからな…」
そして思うのだった。
-だから兵助。お前が忍の道を学ぶことに迷っているとしても、今は精一杯、突き進んでほしい。ここで学んだこと、仲間たちと過ごした時間は、必ずお前の糧になるはずだから…。
<FIN>
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