天竺の危険な来客

 

「ほう、到着したか」
 闇の中、小声で報告された声に低い声が応じる。
「ではさっそく例の作戦にかかるのだ」

 

 

「ほう、こちらが?」
 上段の間に掛けた木野小次郎竹高は見慣れぬ風体の来客に眼を細める。
「はい。天竺よりただいま到着したばかりの高名な幻術師、タライ・マワ師でございます」
「タライ・マワでーす。お眼にかかれてキョウシュク至極でーす」
「それを言うなら恐悦、だ」
 並んで控えた八方斎が突っ込む。
「そうでしーた。キョウエツ至極でーす」
「む、よく参られた」
 胡散臭げに見やった竹高だったが、相手が外国人であれば仕方がない。
「…高名な幻術師と伺った。そなたの働き、期待しておるぞ」
「ははーい、おまかせくださーい」
「うむ」
 鷹揚に頷いて竹高は立ち上がる。短い会見が終わった。
 -あの怪しい幻術師とやら、大丈夫か。
 一抹の不安を抱えた竹高だったが、このまま無為に過ごしていては忍術学園を殲滅することはできない。何であれ試みることが大事だ、と思うことにした。

 


「さて、これからが大事じゃ」
 タライ・マワを部屋に案内させた八方斎が自室に戻る。「風鬼、例のリストを持て」
「ははっ」
 風鬼が差し出したリストを手にした八方斎が考え込む。
「これが忍術学園六年生の調査結果か…ふむ、さすがは最高学年だけあって能力は高そうだな」
「ですが八方斎さま、ホントにそんな連中が幻術にかかるんですかあ?」
 控えた風鬼が気がかりそうに訊く。
「なに、そのためにはるばる天竺から高名な幻術師を呼び寄せたのだ。当代並ぶもののない幻術の腕、忍術学園殲滅に大いに役立ててもらおうではないか…がははは!」
 上機嫌で大笑いする八方斎だったが、風鬼の懸念はまだ解消には程遠いようである。
 -だいたい、八方斎さまが連れてくる外部人材でうまくいったためしがないんだよなあ…。

 

 


「なに、リストはアイウエオ順か。さて、まずは『食満留三郎、六年は組、用具委員会委員長。勝負だ、が口癖。得意武器は鉄双節?。性格は非常に好戦的』…か。なるほどの」
 八方斎がリストに眼を通し始める。「次に『潮江文次郎、ギンギンが口癖。会計委員会委員長。得意武器は袋槍。常に忍者としての鍛錬を欠かさない。夜間自主トレにも積極的に取り組んでいるが、そのせいでいつも寝不足気味。眼の下にくまができているのでなおさらオッサンくさく見える。食満留三郎とケンカばかりしている』…か。とすると、片方に幻術をかけてももう一方がケンカを仕掛けてきて妨害が入る可能性が高いということだな」
 この二人はやめておいた方がいいだろうと思いながらリストをめくる。
「『善法寺伊作、六年は組。保健委員会委員長。医術の腕は校医の新野のお墨付きだが非常に不運』とな…コイツはやめといたほうがいいな。次、『立花仙蔵、六年い組。作法委員会委員長。得意武器は焙烙火矢。成績は非常に優秀だが性格はややエキセントリック』か。こういう理屈っぽいタイプは幻術にかかりにくいかもしれんな。次、『中在家長次、六年ろ組。図書委員会委員長。得意武器は縄?。性格は寡黙で沈黙の生き字引と呼ばれるほど実は知識豊富。いつも不機嫌な顔をしているが、笑ったように見える時は怒っているので注意』…よくわからん。なかなかこれはという者はおらんのう。次…」
 幻術にかけて学園内をかく乱するにはどれも帯に短し襷に長しだな、と思いながらリストの最後のページに眼をうつす。
「『七松小平太、六年ろ組。体育委員会委員長。得意武器は苦無。いけいけどんどんが口癖。常人を超えた体力の持ち主』…ほう」
 八方斎の眼が光る。「『性格は自由奔放。常に周りを振り回す。細かいことは気にしない』…そうかそうか、これは使えるかもしれぬの…」
 長大な顎に手を当てて、その可能性をいろいろと考える。
「よし、風鬼!」
「は、はいっ」
 唐突に声を上げた八方斎にびくっとした風鬼が反応する。
「この七松小平太に決めた。タライ・マワ師を呼べい」
「ははいっ!」

 


「七松せんぱい! どちらへいかれるのですか?」
 校庭で素振りをしていた金吾は、私服で出かけようとする小平太に眼を止めて声をかける。
「あ? ああ。私に会いたいという人から手紙が来てな」
 懐から手紙を見せながら小平太が応える。
「七松せんぱいにお会いになりたい人、ですか?」
 不審そうに金吾が首をひねる。
「そうなのだ」
 手紙を懐に収めた小平太も釈然としない表情である。「私に高名なケンジュツシが会いたいと言われてもな」
「剣術士!?」
 眼を輝かせた金吾が駆け寄る。「せんぱい! ぼくもごいっしょしていいですか?」
「ん? まあかまわんぞ」
 アバウトな小平太は、見るからに怪しい手紙にも、金吾が食いついてきた理由にも頓着しない。
「じゃ、ぼくも外出届いただいてきますっ!」
 金吾が長屋に向かって駆け出す。

 


「こんな山のなかでまちあわせたんですか?」
 峠道を登りながら金吾はすでに息を切らしている。
「なあに、こんなの山の中にも入らんぞ。よおし、イケイケドンドンで山の上まで行くぞ!」
「ひ、ひえぇっ、まってくださいよ…」
 いまにも山道を走りだしかねない小平太に金吾が悲鳴に近い声をあげたとき、
「待っておったぞ七松小平太。よく来たな」
 木陰から八方斎が姿を現した。次いでドクタケ忍者がぞろぞろと現れて二人はたちまち囲まれてしまった。
「げ! ドクタケの冷えたチンゲン菜!」
「なあんだ、ドクタケだったのか」
 とっさに小平太の身体にしがみつきながらぎょっとした声を上げる金吾と、頬をぽりぽりと指先で掻きながらけろっと言う小平太だった。
「うっさい! チンゲン菜ではない! 稗田八方斎じゃい!」
 ムッとした八宝菜が怒鳴るが、すぐに小平太に向き直る。「だが用があるのはお前だ、七松小平太」
「私に何の用だ?」
「紹介しよう。天竺の高名な幻術師、タライ・マワ師だ」
「タライ~・マワでーす」
 おもむろに姿を現したタライ・マワが合掌して挨拶してみせる。
「へ~」
 それがどうしたと言うように小平太が気のない返事をする。
「そしてお前が、わが国でタライ・マワ師の幻術をかけられる名誉ある第一号になるのだ」
 手を後ろに組んだ八方斎が得意げに宣言する。
「てか、げんじゅつって、けんじゅつじゃなくて…?」
 ようやく自分の勘違いに気付いた金吾がうろたえたように声を上げたとき、
「タライ~・マワッ!」
 つづけさまに手先で印を組んだタライ・マワが叫び声とともに気を放つように指先を小平太に向けた。突っ立ったままの小平太に何かが突き通ったように見えて金吾が思わず叫ぶ。
「せんぱいっ!」

 


 眼を見開いたまま突っ立っていた小平太がおもむろにあたりを見回す。
「七松小平太。おまえの主人は誰だ?」
 にやりとした八方斎が進み出る。
「八方斎さまでございます」
 その前に小平太が片膝をついて控える。
「え、ええ~っ! 七松せんぱい!」
 眼を疑う光景に金吾が声を上ずらせる。
「さっそく命令じゃ。この騒がしい忍たまをつまみ出せい!」
「ははっ」
 短く応えるや立ち上がった小平太は金吾の襟首をつかむと軽々と持ち上げる。
「いやだ~っ! やめろ~っ! ななまつせんぱい~っ!」
 手足をばたつかせたまま運ばれた金吾の身体が、少し離れたところで放り出される。
 -あれ?
 下草の茂みに尻もちをついた金吾はふと顔を上げて、立ち去る小平太の後姿に眼をやる。
 -あんまりいたくないや…なんか、いたくないようにしてくれたみたいだ。どういうこと…?

 

 

「ご苦労だった。さて次の任務だが…」
 金吾を放り出して戻って来た小平太に、八方斎が上機嫌で語りかける。「いよいよ本物の任務に取り掛かってもらう。お前には忍術学園を攪乱してもらう」
 言葉を切った八方斎がわずかに眼を細めて小平太の反応を見るが、片膝をついて控えた小平太の表情に動きはない。
 -忍術学園と聞いても眉ひとつ動かす気配はない。これは本当に幻術にかかったとみてよいな。
 反応に満足した八方斎はぐいと顎をそらして続ける。
「…幻術にかかったお前には造作もないことだろう。お前のバカ力であのにっくき忍術学園をめちゃくちゃにしてくるのだ…ぐわっはっはっは…!」
 頭をそらして大笑いする八方斎がそのまま後ろにひっくり返りそうになる。背後に控えていた雨鬼たちがつっかえ棒で巨大な頭を支える。
「ということだ。わかったな」
 元通り立ち上がった八方斎が何事もなかったように言う。と、すっくと小平太が立ち上がる。
「よし、行ってまいれ」
 頼もし気に見上げた八方斎が頷いたとき、「そのくらいではまだ暴れたりないぞ」
 顔を伏せたまま小平太がぼそりと言った。
「なに? なんと言った?」
 八方斎がきょとんとした顔で訊き返す。
「そのくらいでは暴れたりないと言ったのだ。だからここで…」
 顔を上げてにやりとした小平太がばきばきと指を鳴らす。
「え?」
「なんじゃと?」
「ということは…?」
 その言葉の意味を捉えかねながらも八方斎とドクタケ忍者たちがこわごわ後ずさる。

 


 ばりばりという音とともに山の一角から土煙が上がり、鳥の一群が驚いて一斉に飛び立った。
「なんだろう?」
 とぼとぼと学園に向かって歩いていた金吾が振り返る。と、山間を土石流のような地響きを轟かせながらこちらに向かって駆け下ってくる気配に思わず身体が硬直する。
 -ど、どうしよう、からだが…うごかない…!
 このまま得体のしれない流れに呑み込まれてしまうというおそれにとっさに頭を抱えてうずくまる。
 -たすけて!
 その間にも地響きはあっという間に金吾のそばまでやってきて、そしてなぜか金吾の身体はふわりと持ち上げられた。
 -?
 持ち上げられた感覚がひどくなじんだものに思えて金吾はこわごわ眼を開く。そして耳元でごうごうと渦巻く風の音とともに聞こえる「イケイケドンドーン!」の声。
「ななまつ…せんぱい?」
 そしてようやく、自分の身体は小平太の小脇に抱えられて渦巻く風と共に山を駆け下っていることに気付く。
「なははは! やっと気がついたか!」
 呵々と笑いながら小平太が言う。「このままイケイケドンドンで学園に帰るぞ!」

 


「…でも、せんぱい、幻術にかけられちゃったんじゃなかったんですか?」
 学園に戻った小平太と金吾だった。いま、二人は長屋の縁側に並んで掛けている。
「なんだ。私があんな子供だましの幻術にかかったと思ったのか?」
 呆れたように小平太が金吾を見る。
「でも、どうしてかかったふりなんかしたんですか?」
 タライ・マワの放った幻術パワーともいうべきものに一瞬硬直したようになったときの姿を思い出しながら金吾がなおも訊く。
「ああ、あれか」
 にやりとした小平太が言う。「幻術になどかかったことがないからな。あのくらいの芝居でだませるかと思ったものだがうまくいったな。それよりドクタケが私を呼び出すからにはなにか企んでるだろうだろうからそいつを探ろうと思ってな」
「ドクタケのしわざだったって分かってらっしゃったんですか?」
 思わず金吾が声を上げる。「あのあやしげな手紙で?」
「あたりまえだ」
 大きな手が金吾の頭をわしわしと撫でる。「…というのは冗談だが、幻術師が私に用があるといって呼び出すなど、どう考えても怪しすぎるからな。そんなことをしそうな連中も想像がつくってもんだろ?」
「はい…そういわれればそうですね」
 首を縮めながら金吾も苦笑いする。
「ま、お前がついてくると言い出したのは想定外だったけどな」
「あれは…げんじゅつとけんじゅつを聞きまちがえちゃって…」
「まあしょうがないな。ずいぶん汚い字だったからな」

 


「…で、どうしてこうなった」
 小平太が引き抜いて振り回した木になぎ倒された木々がそこらに広がり、周囲の木々の枝にはドクタケ忍者たちが引っかかっている。
「イタイデス…」
 腰に手を当てたタライ・マワがよろよろと立ち上がる。
「きさま、七松小平太にどんな幻術をかけたのだ。まったくきいておらんかったではないか!」
 そんなタライ・マワにつかつかと近寄った八方斎が凄む。
「オカシイでーす。私ノ幻術がきかないはずはない」
 肩をすくめてみせるタライ・マワに八方斎の怒りが爆発する。
「なんのために天竺から呼び寄せたと思っておるのじゃぁっ! この役立たずがっ!」
「…だから八方斎さまの連れてくる外部人材にはロクなのがいないんだよなあ…」
 木の枝に引っかかったままそのさまを見ていた風鬼が呟く。

 

 

<FIN>

 

 

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