Sacrifice

 

保健委員長の伊作は、戦場で敵味方の区別なく治療することでタソガレドキ忍者隊の組頭の知遇を得ますが、それは当然ながらとても危険な行動で、そのような行動に伊作を駆り立てるのはとても自己犠牲的な精神なのかもしれません。

そんな伊作の行動が保健委員会の後輩やタソガレドキ忍者隊に影響を及ぼすとしたら…。

 

1 ≫ 

 

 

 

 

 -これは…!
 新野の使いで城下の医者を訪ねた帰り道に眼にした光景に、伊作は一瞬足が止まった。
 -これは、ひどすぎる!
 気がつくと、足が勝手に駆け出していた。
 


 城下では、そう遠くない場所で起こった、それほど大規模ではないが激しい衝突の噂で持ちきりだった。伊作が訪ねた医者も、情勢が落ち着くまで滞在することを勧めた。そのような場所で何が起きているか、分かりすぎるほど分かっていたから。
 そこが激戦の地であることは、敗残兵たちの姿を見れば想像がついた。彼らの多くは歩くこともままならず、這うように戦地から逃れてきていた。路上や木立の中に力尽きた骸も数多かった。だが、実際に眼にした光景は、予想を上回るものだった。忍術学園の上級生として、数多くの戦場に潜り込んだ経験はあったが、これほどの惨状は初めてだった。
 すでに戦が終わって時間が経っていた。戦場に打ち捨てられた武器や荷物はあらかた持ち去られ、地面を覆い尽くした骸は、具足や着物がはがれて裸同然だった。首のない骸は、身分ある武者のものなのだろうか。もはや命あるものは一人としていないように思われた。異様な静けさのなかで、もののくすぶる焦げ臭さや火薬のにおい、そして死臭が立ち込めていた。
 -ここには、もはや、僕にできることはなさそうだ。
 まだ多くのケガ人が残されているかもしれないという思いが、伊作をここまで駆ってきた。だが、すべては遅すぎたようである。ため息をついてその場を立ち去ろうとしたとき、
「うわああぁぁぁ!」
 唐突な叫び声が禍々しい静けさを破った。伊作がはっとして振り返る。
「大丈夫ですか!」
 叫びながら声のした方へと走り出す。よろめき立った男がぐるりと顔を向ける。
 立ち上がれるということは、まだ見込みがあるかもしれない、と伊作は考えながら走る。何かの衝撃で気を失っていたのだろう。そして、意識を取り戻した途端に叫び声をあげてしまったのだろう。おそらくは、傷の痛みに襲われて。
「しっかりしてください! これから治療しますからね!」
 一度はよろめきつつも立ち上がっていた男だったが、すでに座り込んでいた。その傍らに駆け寄った伊作は、耳元で呼びかけながら傷口を探す。
 見たところ雑兵らしい男もまた、失神している間に具足も着物も失って、破れて血に染まった襦袢をまとっているばかりだった。まずは仰向けに寝かせようと上半身を起こそうとしたとき、右頬に強烈な衝撃をおぼえて伊作は身体ごと投げ出された。
「だれだ! だれだ!」
 どこにそんな力が残っていたのかと思うような勢いで、伊作は、治療しようとした男からカウンターパンチを浴びたのだった。
「いててて…」
 よろよろと身を起こした伊作と男の眼が合った。
 -あれは…。
 男の眼はもはや人間の眼ではなかった。
 -獣の眼…。
 眼の前の相手と理由もなく殺し合い、そして深手を負ってその場に打ち棄てられる。恐怖や痛みや絶望が、男を獣にしてしまったのだ。
 -これが戦の現実だ。それより、早く手当てしないと…!
 伊作の眼はすでに、男の右足をかばうような動きを見取っていた。先ほど上半身を起こそうとして背に手を添えたときに殴りかかってきたところを見ると、背中にも傷を負っているのかも知れなかった。
 だから伊作はよろめきながらも男に駆け寄る。
「僕は医者です! あなたを治療しにきたのです! だから…」
 傷を見せてください、と言う前に再び男の拳が空を切る。
「おっと」
 今度は避けることができたが、なおも男はわめき声を上げながら殴りかかってくる。
 -こんな錯乱状態では治療どころじゃない。鳩尾を打って失神させてもいいが、内臓に影響が及ぶかもしれないし…。
 拳をかわしながら考えていた伊作だったが、これ以上男の体力を消耗させる方が問題だと思い至って覚悟を決めた。身を低めて相手の腕の下に潜り込み、拳を鳩尾に当てる。
「ぐ」
 男のわめき声が止むと、耳がつんとするような静けさが訪れた。眼の前に倒れた男のまずは右足の状態を確かめようとかがみ込んだとき、
「おい」
 首筋に刀の切っ先が当てられていた。うかつにも背後に近づいている気配に気づかなかった。この場に生きている者は自分と眼の前の男の2人しかいないと思い込んでいた。
「誰だ」
 うっかり振り返れば、相手を刺激しかねない。伊作は眼の前の男に視線を落としたまま救急箱から薬を取り出すと、襦袢の裾を慎重にめくり上げて傷口を探す。
「やめろ! 俺たちの仲間を殺す気だな!」
 刃を押し当てる力が強まった。同時に、刃を持つ手がぶるぶる震えているのが切っ先から伝わってきた。
 -お仲間さんも半ば錯乱気味なのかもしれない…これもまた、戦の現実だ…。
 もはや近づくもの全てを敵としか認識できなくなっている。それは戦場においては正しい感覚だ。だが、それは戦場においてのみ正しい感覚なのだ。眼の前の男も、背後から刃を突き付けている男も、もとの感覚に戻ることはできるのだろうか…。
「僕は医者です。これからこの人の治療をするところだです…ほら、この傷を」
 襦袢の裾をめくり上げると、槍で突かれたらしい傷があった。
 だが、それは相手には逆効果だったようだ。
「貴様! よくもこんなことを…!」
「違う! 僕じゃない! この傷は戦で…!」
「黙れ! お前がやったんだ!」
 背後の声は憤怒で震えている。首筋の刃がさらに食い込んできた。
「だから…!」
 相手は本気だ、と思った。きっと、このまま刀を突き立ててくるだろう。そして、椎骨の傍らを突き抜けた刃は、動脈や気道を刺し貫くだろう。自分が死ぬのはその瞬間か、それとも刃を抜いた後に大量に噴き出すであろう血による失血死だろうか。
 -そうか。僕はここで死ぬのか。
 ふいに混乱が渦巻いていた心がしんと静まった。この時代であればあまりにありふれた死、自身もいくらも眼にしてきた死が自分にも巡ってきたという無表情な感慨だけがあった。
 自分の死にざまを客観的に見ている自分がいた。戦にきれいごとなど存在しない。戦とは、人間のもっとも醜悪な部分がさらけ出される場なのだ。治療のためとはいえ、そんな場に飛び込んで行けばいずれこうなることは分かっていた。半刻もすれば、黒ずんだ血にまみれて斃れた自分にも虫がたかり、無数に骸が横たわるこの風景の一部となるだろう。
 -せめて、死ぬ前に眼の前にいるこの人だけでも治療したかったな。必要な治療をすれば、生きて帰れそうだから、この人にも待っている家族や仲間がいるんだろうから…。
 だが、いまの自分は首筋に刃を突き立てられていて、今まさに殺されるところなのだ。
 小さくため息をついた伊作は、手を膝に置いて眼を閉じた。いずれ仲間が探しに来てくれたとき、せめて穏やかな死にざまの自分を見つけてもらうために。
 -僕を最初に見つけてくれるのは、誰だろう…。
 自分が戦場で行方不明になったとなれば、必ずや上級生や教師たちが捜索隊を編成して探しに来るだろう。そのとき、自分の骸の第一発見者は…。
 -きっと、留三郎なんだろうな…。
 留三郎は、ああ見えてとても心配性だから。きっと死に物狂いで探してくれるに違いない。そして自分の骸を見つけた留三郎は、どんな顔をするのだろう。
 -留三郎に、もう一度会いたかったな…。
 ぶっきらぼうで好戦的だが、いつも自分を気にかけてくれる優しい友人が無性に懐かしかった。

 

 

「高坂が戻らないだと?」
 戦場近くの農家で、忍装束の大男が横座りのまま眉を上げる。住んでいた一家が避難した後を、タソガレドキ忍者隊が前線基地として拝借していたのだ。
「は」
 眼の前に控えた男が、視線を泳がせる。
「どうした」
「い、いえ、その…」
「はっきり言え」
「その…おそれながら、その座り方をやめていただければ…と」
「なんで」
「士気が…下がります」
 覆面の下でぼそぼそと答えるのは、諸泉尊奈門である。
「まあいい。それで、高坂はどこで行方不明になったのだ」
 横座りを崩さない大男-雑渡昆奈門が続ける。
「ちっともよくありません! それに、高坂さんは、城下の近くの戦闘を偵察に行ったまま戻らないのです!」
「『それに』の意味が分からん。そもそも高坂は単独行動ではなかったはずだ」
「そうなのです。途中で急に姿が消えて、一緒に行動していた五条さんが探したのですが見つからなかったということです。敵の狙撃手に何度も銃撃されたので負傷した可能性もありますが、敵の動きがあったので、あまり探し回ることもできなかったそうです」
「ふむ…どう思う」
 ずず、と覆面の奥にくわえたストローで茶をすすりながら、傍らに控えた山本陣内に眼をやる。
「負傷した可能性はあるかもしれませんが、心配には及ばないでしょう」
 落ち着き払って陣内が答える。
「ど、どうしてですか!」
 尊奈門が声を上げる。
「おおかた、忍術学園の忍たまでも見かけたのだろう…痛い思いをこらえてここまで戻って、我らの未経験な手に委ねようとは誰も思うまい」
 仕方ない、というように覆面の下で小さくため息をついた陣内が尊奈門に向き直る。
「忍たま、ね」
 昆奈門が軽く眉を上げる。つられて尊奈門も呟く。
「ということは、保健委員…?」
「城下から戦場に向かう善法寺君を見たとの報告がありました。そして、おそらく善法寺君を探しに来たと思われる後輩が、戦場近くに紛れているようです」
 いつの間にか昆奈門に向き直っていた陣内が淡々と報告する。
「後輩?」
 昆奈門の眼が細くなる。
「は。川西左近君です」
「おやおや」
 ふっと力が抜けた眼をそらして肩をすくめる。
「なるほど、高坂が離脱するわけだな」
「いかがしますか」
「陣内の言うとおり、高坂は大丈夫だろう。いずれ自力でここに戻る。尊奈門、お前は伊作君をここに連れてくるのだ。あんな剣呑なところに私の伊作君をうろつかせて、たちの悪い敗残兵の餌食になってはたまらんからな」
「は」
 後半の目じりを下げながらの言葉は聞かなかったことにして短く答えると、尊奈門は姿を消した。
「さてと」
 茶の入っていた竹筒を置くと、昆奈門は立ち上がった。
「我々はもうひとりのお客人に会いに行くとするか。陣内、来い」

 

 

「先輩…伊作先輩!」
 藪をかき分けながら声を張り上げる。きっとこの近くにいるという確信があった。
 -もう、これ以上置いてかれてたまるもんか! 僕は、必ず、伊作先輩のお役に立つんだ!
 左近の不満は限界に近づいていた。
 -先輩はいつだって『低学年は戦場で治療をするにはまだ早すぎるよ』って言うけど、ぜったいにそんなことない! 僕だって戦場の見学くらいしたことあるし、そこでどんな金創(刀傷)や銃創や、不衛生なせいで病気が起きるかだって知っている。敗残兵には気を付けないといけないことだって…!
 たしかに戦場を見学したのは安全が確保された遠くからだったし、実際に戦の最中や直後に戦場に潜り込んだことはなかった。だが、そこがどのようなものであって、何が求められ、どのように振る舞うべきかは学んでいた。それがどれだけ凄惨で危険かということも分かっているつもりだった。
 左近は知っていた。だからこそ、自分たちが敬愛して止まない委員長は戦場に飛び込み、負傷兵たちの手当てに邁進するのだ。だが、戦場にはあまりに多くの手当てを必要とする者たちが横たわっているはずなのに、たった一人で伊作はどこまで手を尽くすことができるのだろうか。もし多すぎる負傷者を前に誰かの手助けを求めていたとしたら?
 だから左近はここにいた。藪をかき分けて進んでいた。
 -先輩はぜったいこのあたりにいるはずなんだ!
 伊作が新野の使いでとある城下を訪ねた。その近くで、激しい衝突が発生した。伊作がそんなところを素通りして帰ってくるはずがない。左近の確信だった。そして、何食わぬ顔で数馬に薬草摘みに出かける許可を得てここまでやって来たのだ。
 -なんで数馬先輩は、来ようと思わないんだろう。
 それもまた、左近にとっては謎だった。自分より一学年上だからこそ、伊作の傍らでもっと役に立てるはずなのだ。それなのに、きっと何か考えがあってのことなのだろうが、あの気弱そうな顔をした先輩は医務室を動かない。
 その理由まで考えを廻らす余裕があるわけでもない。とにかく自分は伊作の傍らに行くのだ。そこに待ち受ける光景がどのようなものであろうと。また一歩、足を踏み出した左近は、両手で藪をかき分けてひときわ声を張り上げる。
「伊作先輩! どちらにおられるのですか!」

 


「こんなところにいては危ないだろう?」
「誰だっ!」
 背後から唐突に現れた気配に振り返った左近が、苦無を構えて叫ぶ。
「私だ」
 声の主は藪を踏みしだいて現れた。
「高坂さん…!」
 見覚えのある長身と聞き覚えのある声に、左近は安堵したようにへたり込む。戦場の近くにいる緊張感ですっかり気が張っていたのだ。
「なんだってこんなところにいるんだい、左近君」
「こ、高坂さんこそ…」
「私は敵情偵察に来たまでだ。小規模ながら激しい戦とあっては当然のことだ」
「ぼ、僕はその…伊作先輩をさがしに…」
「善法寺君を?」
「はい…この近くで戦があったとききまして…先輩なら、きっとケガ人の治療をされているだろうな、と」
 気を取り直したように立ち上がりながら左近は答える。
「ほう」
 陣内左衛門が眼を細める。
「…だが、善法寺君は上級生だろう。君が心配しなくても、いざというときは自分で必要な身の処しかたはできそうなものだが」
「おっしゃる通りだと思います」
 まっすぐ見上げながら左近は答える。
「…でも、きっと戦場ではたくさんのケガ人がいて、先輩おひとりでは手が足りないのではないかと思うのです。だから、少しでもお役にたちたいと思って来たのです。たとえば…」
 すっと伸ばした腕が、陣内左衛門の忍装束の袖をまくり上げる。
「こういうケガを治すためです」
 しかつめらしく言って爪先立ちになった左近は、ざっと目につく範囲を一瞥すると、足元に置いた救急箱から消毒薬を取り出して塗り始める。
「…君にはかなわないね、保健委員君」
 しみる傷口を堪えながらの軽口を、左近はあっさり受け流す。
「そんなことはいいです…ちょっと座ってもらえませんか」
「すまない」
 素直に陣内左衛門は胡坐をかく。膝をついた左近が顔を近づけて二の腕から肩を調べる。長身の陣内左衛門だったから、立っているときは手が届かなかったのだ。
「腕の傷はここだけのようですね。鉄砲傷ですね?」
 救急箱から膏薬を取り出しながら左近は言う。
「ああ、流れ弾がかすった」
 真剣な顔で治療に勤しむ左近の横顔を黙って見つめる。
「ご存じとは思いますが、鉄砲玉の鉛には毒があります。毒が身体に広がらないように消毒しました。これから化膿止めの膏薬を貼って、包帯を巻きます」
 てきぱきと説明しながらそっと膏薬を貼る。患者が不安に思わないようどのような治療をするのかきちんと説明するよう、新野と伊作からいつも言われていた。
「左近君はこわくないのか」
「何がですか?」
「鉄砲傷さ」
「いえ、別に」
 眉ひとつ動かさずに答えた左近だったが、ややはにかんだ表情になって続ける。
「…といっても、実は僕たち低学年は、まだかすり傷くらいしか見たことがないんです。弾が身体に残ってピンサ(ピンセット)で摘出するみたいなものは、まだだめだって…」
 それはそうだろうな、と陣内左衛門は考える。ザクロが裂けたような鉄砲傷にピンサを、あるいは指を突っ込んで弾を摘出するような修羅場など、一人前の大人である自分でも見ずに済ませたい光景だった。まだ小さい少年にとっては確実にトラウマになるだろう。
 -!
 不意に敗残兵の近づいてくる気配を感じて、手を動かしながら話し続ける左近の口を掌でふさぐ。
「シッ!」
「んぐ?」
 唐突に口をふさがれて眼を白黒させながら左近がなにか言おうとする。
「わるいけど、治療の続きはまた後で」
 耳元にささやきかけると、陣内左衛門は軽々と左近の身体を抱えて、身を低くして藪伝いに駆け出した。
 


「…というわけで、博多や平戸には明からの船が続々と到着し始めているとか」
「とすれば、薬種も入ってくるでしょうな」
「当然でしょう。知り合いの薬種問屋も、大量に発注をかけたと言っておりましたからな」
「これでこちらもすこしは助かる。山帰来や檳榔子の在庫が少なくなっていて困っていたのです」
「さよう。舶来物の薬種は在庫が心配ですからな」
 街の知り合いの医者を訪ねた新野は、用件を済ませて世間話に興じていた。
「ところで聞きましたか。御城下の近くで激しい衝突があったとか。大きい戦につながるのではと城下ではパニックが起こりかけているとか」
 仔細らしく相手が眉をひそめる。
「そうなのですか!?」
 思わず声が大きくなる。城下には、伊作が行っているはずではないか…。
「どうかされましたかな?」
 新野の反応に、驚いたように眼を瞬かせる。
「い、いや、何も。御城下には知った人もおりますので、心配でつい…」
 ごにょごにょと語尾を紛らかせながら、新野はしどろもどろに答える。
「さようですか。それはご心配ですな」
 いかにも同情したように相手が頷く。
「さて、それでは、私はそろそろおいとまするとしましょうか」
 落ち着かなげな態度で新野が立ちあがろうとする。
「もうお帰りになるのですか?」
 お茶も召し上がらずにお帰りとは、ずいぶんとお急ぎのようですな…と相手も立ち上がって玄関まで送りに出る。
「で、ではこれで失礼。また、薬種の情報が入りましたらよろしくお願いします、では」
 そそくさと立ち去る新野の後ろ姿をぽかんとして見送る。
 -よくせきお急ぎの要件がおありのようだ…。

 


 -伊作君が、危険だ…。
 息を切らしながら戦があったという城下近くの地への山道を急ぐ。
 -まさか、あんなところで戦が勃発するとは…。
 城下近くには大きな軍勢の移動はないと学園の教師たちから聞いていた。すぐに戦になる可能性は低いだろうとの見立てだったので使いに出したのだ。
 -だが…。
 心のどこかで、戦を予感していたのかも知れないとも感じる。確実に安全な先であれば、低学年の委員を使いに出すこともよくあることだったから。伊作なら偶発的な戦に巻き込まれたとしても命に危険が及ぶことはあるまい。曲がりなりにも忍術学園最高学年として、戦場での身の処しかたは体得しているのだから。
 -だが、私が心配しているのは、彼が戦場でケガ人の治療に入ってしまうことなのだ…。
 戦の後の地をうろつくことは、たとえそれが敵味方を問わない治療目的だったとしても、もはや手負いの獣のような敗残兵たちの格好の餌食になりかねないことを意味していた。
 -急がなければ…。
 焦る気持ちを裏切って、新野の足はすでに軋みはじめていた。すでに若くない、忍としての鍛錬を経験していない身体は、山道を急ぐにはあまりに重かった。足がもつれ、息があがる。
 -彼が危険だ…。
 なぜ、こんなにも不安なのだろうか。伊作が戦場で負傷兵たちの手当てに当たることは、これが初めてではなかった。
 -敵味方を問わない治療目的としても…。
 命を救うことに敵も味方もないと教えたのは、ほかならぬ自分だった。それはかつて自分が師から教えられたことであり、そして伊作こそ、その教えを真っ先に継いで欲しい相手だった。
 -だが、彼が目指しているのは医者であり、忍者なのだ…。
 伊作が忍の道をも目指しているのであれば、自分が教えた医術もまたその目的に使われることもあるだろう。それが医道からみて邪道であったとしても。そんなことは承知の上だった。なにより、自分が身を寄せているのは忍術を教える学校なのだから。
 それなのに、伊作はいつも、医者としての行動を忍者より優先させるのだ。たとえば、戦場で敵味方構わず治療を始めるように。
 -それは、私のせいなのだ…!
 疲れ切った新野は、肩で息をしながら道端に座り込むと頭を抱える。
 -そうなることは、分かっていたはずだ。なぜなら、善法寺君だから。
 忍を目指す、忍に最も向かない心を持った青年だから。
 -私が教えた医術と、彼のひたむきな心が、彼を破滅に導いているのだ…。

 

 

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