壊れゆく世界の重さ


つどい設定によると、利吉が売れっ子忍者である期間はそれほど長くはないようです。その過程にどんな葛藤があるのか。まだその点の深掘りはできていませんが、室町末期という時代と内的崩壊のふたつの危機にちょっと不安定な利吉を、土井先生はどのように支えるのでしょうか。


「…そのため、ウスタケ城とホウキタケ城は一触即発の状態でいつ戦が始まってもおかしくない状態です。両者の戦力ですが…」
 学園長の庵にきびきびした報告が響く。腕を組んで頷く大川の傍らには伝蔵と半助が控えている。
「…ご報告は以上です」
「うむ、さすがじゃの、利吉君」
 報告を終えて一礼した利吉を大川がねぎらう。
「今のところ、その方面への演習や出張の予定は入っていませんが、念のため先生方には今の情報を周知しておくこととしましょう」
 伝蔵が言う。
「うむ、頼んだぞ」
 頷いた大川が利吉に向き直る。「それで、利吉君。せっかく来てもらったばかりのところを悪いが、オシロイシメジ城がまた不穏な動きをしているとの情報がある。探って来てはくれぬか。まあ、疲れておるじゃろうから2~3日学園でゆっくりしてからでよいのだが」
 ついでに伝蔵と親子水入らずで過ごせばいいと思った大川だったから、即答する利吉の台詞に思わず眉を上げた。
「かしこまりました。すぐ出立します」
 片膝をついたまま利吉は頭を下げる。
「いやしかし、利吉君…」
「あまり仕事を入れすぎるなといつもあれほど…」
 腰を浮かしかけた半助と伝蔵を聞き流して、利吉は大川に向かったまま続ける。
「お引き受けするにあたって、ひとつお願いがあるのですが」
「うむ、なんじゃ」
「土井先生を、お貸しいただきたいのです」
「え、ええっ!? 私を!?」
 しれっと言い切る利吉に思わずのけぞった半助だったが、大川の返事は早かった。
「わかった。では土井先生、利吉君に協力してやってくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ学園長先生! 私には授業が…」
「そうです。そうでなくても学園長先生の迷惑な思い付きで授業が遅れているのですから…」
 半助と伝蔵が口々に抗議するが、大川は堪えない。
「なにが迷惑な思いつきじゃ! いいから土井先生は準備をして利吉君と行きなさい! 土井先生の授業はわしが代わりに行う!」
「なんですってぇ!?」
「そ、それはぜったいに困りますっ!」
 大川の宣言に2人の教師は天を仰ぎ、頭を抱えて叫ぶ。
「何を言っておる。若いころは天才忍者と言われたこのわしじゃ。忍たまたちにとっても役に立つ話をしてやろう…どれ。わしの書いた『もっとかっこいい大川平次渦正』を参考にシラバスを作るとするかの」
 上機嫌で立ちあがった大川は鼻唄を歌いながら図書室へと向かう。
「…えっと、これは、土井先生にお手伝いいただけるということでよろしいのでしょうか?」
 いまや力なく庵の畳の上に倒れ込んでいる2人に、利吉がためらいがちに声をかける。
「そ、そうだな…」
 よろよろと身を起こしながら伝蔵がうめく。「とにかく、学園長先生が土井先生の代わりに教科の授業をすることだけはなんとしても阻止しなければならん。わしは学園長先生を説得してくるから、土井先生は利吉と出かけてください」
「い、いや、しかし…」
 言いかけた半助を伝蔵が遮る。
「とにかく早く行って早く片付けて帰ってきてください! そうしないと、わしも学園長先生をいつまで抑えられるか自信がない…利吉も土井先生も気をつけてな…」
 お座なりのように付け足すと、伝蔵は早足で大川を追って図書室に向かう。顔を見合わせた2人がうろたえたようにその背に向かって応える。
「は、はい…では」


「それにしても利吉君、せっかく学園に来たのに、おばちゃんの食事も食べないでまた任務だなんて、ちょっと忙しすぎないか?」
 オシロイシメジ城に向かいながら半助は訊く。
「いえ、このくらい。おばちゃんにはお弁当を持たせていただきましたし、それにこうやって仕事が次々と入ってくる方がカンが落ちなくていいんですよ」
 利吉が余裕の笑みを見せる。
「まあ、利吉君は若いからそうも言えるのかもしれないが…」
「土井先生だってお若いじゃないですか」
「それはそうだが…少しは身体を休めないと、身体に毒だ。人間、あまり緊張状態が長く続きすぎるといろいろ障りがでてくるものだよ」
「知っていますよ」
 心配そうに諭す半助を、利吉はあっさりといなす。
「ならどうして…」
「わかりません」
 言い切る声に半助はまじまじと利吉の横顔に眼をやる。
「わからないって…?」
「自分でもよくわからないのです。とにかく忍の仕事に切れ目が入るのが嫌なのです。もし学園長先生がオシロイシメジのお話をされていなかったら、私は次の仕事を前倒しで入れていたでしょう」
 だが、その口調は悩むというよりは、何かの報告事項でもあるようにごく事務的なのだ。
 -たしかに山田先生がよく利吉君のことを仕事中毒と仰っているが…なにかいつもと違うような気がするのはなぜだろう…。
 

「もうひとつ訊いていいかい、利吉君」
「なんで土井先生を指名したかってことですか?」
 半助が訊きそうなことは全てお見通し、と言わんばかりに利吉はずばりと言う。
「そ、そうだが」
 うろたえたように半助の歩みが遅くなる。
「土井先生とずっと一緒にいたいから、といったらどうします?」
「え!? い、いや、それって…?」
 明らかすぎるほど動揺した声を上げる半助に、利吉が思わずぷっと噴き出す。
「利吉君」
「冗談ですよ、土井先生」
「そうやってからかうものじゃない…一応、私の方が年上なんだぞ」
 頭をぼりぼり掻きながら半助がぼやく。だが、
「こんな壊れてしまった世の中で、長幼の序などに何の意味があるのですか?」
 不意に放たれた冷やりとした声に、半助は思わず利吉の横顔をうかがう。
「たしかに乱れた世だが…」


「すいません」
 小さく舌を出して利吉がぺこりと頭を下げる。「でも、土井先生とは息が合うというのは本当ですよ」
「息が合う、か」
 思い当たる節があるのか、今度は半助も小さく頷きながら呟く。
「いろいろな忍と一緒に仕事をしてきましたが、土井先生と組んだ時が一番いい仕事ができたと思うのです…まあ、父上に聞かれたら『仲間を択んでいるようではまだまだだ』と言われてしまいそうですが」
「それも一理あるね。だが、それを言えるのは山田先生だけだ」
 山田先生ほどの偉大な忍だからこその言葉だね、と半助は付け加える。
「学園長先生はどうなんですか?」
 したり顔の半助につい茶々を入れたくなってしまう。
「利吉君…」
 果たして困り顔になった半助が肩をすくめる。「今日はずいぶん答えに困るようなことばかり言うんだね」


 -それは、もっとこうやって土井先生とお話していたいからですよ。
 口に出さずに答えて利吉は寂しげに微笑む。
 -そして、もっと背中を預け合って、ヒリヒリするような危険な任務に飛び込んで、そして無事に任務から戻ったら、肩を組み、手を取り合って次の仕事へ向かう…そうやってずっとご一緒に過ごしたいからなんですよ。
 おそらく誰にも明かすことのない欲望を心の中で一気に言い切って、利吉は傍らの半助に気づかれないよう小さくため息をつく。
「…」 
 そんな利吉の横顔を、半助がそっと見つめる。



「それで、どうだった?」
「戦略物資の備蓄はかなり進んでいるようですが、具体的にどこを相手に戦をしようとしているかがなかなか掴めなくて」
 オシロイシメジ城を手分けして探った2人は、待ち合わせた茶屋でぼそぼそと情報交換をしていた。利吉の少し疲れた声に、半助は気遣わしげに視線を向ける。
「利吉君、大丈夫かい? 少し疲れているように見えるが」
「いえ。大丈夫です。それで、土井先生のほうは?」
「オシロイシメジはドクタケを相手にするつもりだ」
 低く言い切る声に、利吉がはっとして顔を上げる。
「なぜ、ドクタケだと?」
「オシロイシメジが軍事物資をどこに備蓄していたか、利吉君は見てきただろうう?」
「はい。本城に運び込むように見せかけて、実は西の砦に隠していました」
「西の砦はウスタケ領に接しているから、一見ウスタケに戦を仕掛けるつもりのように見えるだろう。実際ウスタケはその動きを察してオシロイシメジ領との境界にも兵を配置している。一方でウスタケは利吉君が報告してくれたようにホウキタケとも戦を構えようとしている。二方面作戦を余儀なくされているウスタケの側面を、例によってドクタケが衝こうとしてすでに兵を動かし始めている。そこを今度はオシロイシメジが衝こうとしているわけだ。その証拠にオシロイシメジはドクタケ領に近い砦に備蓄している物資はまったく動かしていない」
 利吉の眼が見開かれる。
「土井先生、どうしてそこまで…」
「簡単なことさ。利吉君の報告を聞いて、学園長先生がオシロイシメジの名前を出したことからひょっとしてこんなことではないかと仮説を立てた。実際その通りだったのを確かめたまでさ…それより」
 半助が大きな眼で利吉を見つめる。「いつもならそのくらい簡単に目星をつけるはずの利吉君が、今回はなぜそうではないのか、むしろ私はそちらを知りたい」
 低く言い切る声に利吉は思わず顔をそむける。
「この仕事の同行者に私を指名した時からおかしいと思っていた。そもそもいつもの君なら、このくらいの仕事は一人で充分こなせたはずだよ。それなのにわざわざ私を連れ出したということは、私になにか話があるのではないかな」
 穏やかな声色で半助は話しかける。「聞かせて、くれないかい?」
「行きましょう」
 縁台に銭を置いた利吉が顔を伏せたまま立ち上がる。「ここではなんですから」


「土井先生もお聞き及びだと思いますが…」
 街道筋を歩きながら、いささか思いつめた表情の利吉が口を開く。「家臣の反乱で城主一家が滅ぼされた城がありました」
「ああ、そうだったね」
 家臣の一部が敵の城と結託して城主一家に反乱を起こした事件だった、と記憶を紡ぎながら半助は応える。
「あの城主の世継ぎと奥方を守る仕事を私は請け負っていました」
 もはや吐き出すような口調で利吉は続ける。「その仕事を、私は失敗したのです」
「たしかに結果は悲惨だったが、失敗は誰にでもあることだ。それに、あの反乱はいかにも急展開だったように見えた。たとえ城の内部事情を知る立場にあったとしても、対応するのは難しかったのではないかと思うが」
 思いがけない告白にたじろぎながらも、なだめるように半助は抑えた声で話しかける。
「…不意を衝かれました」
 利吉は続ける。「依頼人のご家老に呼ばれて城に打ち合わせに行った間に焼き討ちされるとは…」
「だとすれば、なおさら利吉君の責任ではないのではないかな」
 半助が指摘するが、利吉は軽く首を横に振った。
「急報を受けて私がお世継方をかくまっていた屋敷に駆け付けたときには、屋敷は炎に包まれていました。敵方の兵が屋敷を囲んでいて、逃げ出してきた者を片端から斬っていました」
 ぎりと歯を食いしばった利吉が拳を握った。「お世継や奥方がなんとか脱出していなかったかと探っている間に、本城が攻め落とされました。城主も依頼人のご家老も討ち死にされたとか」
「…そうか」
 かつて自分を襲った運命と被るような話に、ぽつりと半助が呟く。
 -だから利吉君は『壊れてしまった世の中』などと言ったのか。
 下剋上で城主一家が惨殺される。世の秩序の崩壊を端的に見てしまった利吉がいたましかった。今の利吉は、仕事でその衝撃を忘れようとしている。だから、本来の実力が戻っていないのに、無理に仕事で自分を駆り立てようとしている。
 -だがそれは、あまりに危険だ。
 自分ではどうしようもないことが起きたとき、時が事をいやすのを待つのは正しいやり方だと半助は思う。だが、時をやり過ごすために身を危険にさらすことは、時に身を滅ぼす。
 -どうすれば、利吉君に伝えられるだろう…。
 そのことを正しく伝えられる言葉を探しあぐねて考え込む。


 -その優しい鈍感さが、私は大好きなのですよ。土井先生。
 歩きながら考えにふける半助の横顔をそっと窺った利吉が心の中で呟く。
 請け負った仕事に失敗したばかりか、かよわい女子どもが下剋上の炎の中で果てる様を目の当たりにした事実は、深い傷として心に刻まれていた。だが、あらゆる秩序が壊れていく乱世に生きる忍として、その事実を相対的に受け止めることも利吉はできるようになっていた。
 -私が土井先生に聞いてもらいたい話は、きっと永遠にお話しできないものなのです。それでも、私は土井先生に傍らにいていただきたいのです…!
 聡い利吉は気付き始めている。いずれ直面する忍としての隘路を。それは時代が自分を必要としなくなる時なのかも知れないし、忍としての成長の限界に自身が気づく時なのかも知れない。いずれにしてもその隘路はクリアするにはあまりに狭い道であろう。その時、自分は忍としての道を捨てるだろう。そんな気がした。そしてそれは、忍としての生き方しか知らなかった自分にとって、眼もくらむような深みへの墜落に違いない。
 -私は、こわいのです。だから、土井先生に傍にいてほしいのです。絶望を覆うあなたの優しさに触れていたいのです…。
 幼いころに眼の前で家族と家を喪った半助もまた、自身を取り巻く世界の崩壊の経験者だと利吉は考える。だが半助は、絶望の廃墟を優しさで覆うことに成功しているのだ。だからこそ、これから自分に訪れる墜落を、半助なら受け止めてくれるのかも知れないと期待してしまうのだ。その暖かい微笑と優しい鈍さで。
 幸いなことに、半助の理解は利吉の思いのもっとも深いところまでは至っていないようである。それは利吉にとって安心材料であるとともに、絶望でもあった。


「…そのようなわけで、オシロイシメジが真に狙っているのはドクタケであるというのが私たちの結論です」
 学園長の庵で大川に報告する半助と利吉の姿があった。
「なるほどの。どう思うかね、山田先生」
 大川が伝蔵に話を向ける。
「放っておくのが上策でしょうな」
 ずず、と茶をすすりながら伝蔵が応える。「そもそもドクタケが絡んだ時点で、この騒ぎが茶番に終わるのは見えている」
 そして考える。これでようやく通常の授業態勢に戻ることができると。
「そうじゃな」
 腕を組んだ大川が頷く。「ではそうするとしよう。ご苦労じゃった、土井先生と利吉君…ところで」
 ごそごそと懐を探った大川が書状を取り出す。
「山田先生、実は忍者会議が明日あってな。すまんが行ってくれんか」
 ぶふーっ、と伝蔵が茶を噴き出す。
「え、な、なんですと!?」
「山田先生に行ってもらうよう頼むつもりじゃったが、この騒ぎで忘れておったのじゃ。すまんのう」
 てへ、と大川が頭を掻いてみせる。
「い、いや、しかし明日っていきなりそんなこと言われても…!」
 いきり立った伝蔵が思わず立ち上がる。
「まあよいではないか」
 落ち着き払った大川がいなす。
「いいわけないでしょうがっ!! は組の授業だってあるんですっ!!」
「ほう、そうじゃったの」
 初めて気がついたように思案気に大川は頬を指先で掻く。「あいにくわしも金楽寺に和尚と碁を指しに行かねばならんから、授業を見てやるわけにはいかん…利吉君」
「え…わ、私ですか?」
 唐突に妙な方向へ展開していく話に呆然としていた利吉が弾かれたように声を上げる。
「山田先生の代わりには組の実技を見てやってくれ。頼んだぞ。じゃ」
 勝手に言い終わると大川は立ち上がった。「いかんいかん、食堂のおばちゃんに金楽寺に持って行く饅頭を作ってくれるよう頼むのを忘れておったわい」
 わざとらしく呟きながらそそくさと食堂に向かって小走りに立ち去る。
「ちょっと待ってくださいよ、学園長先生!」
 慌てて後を追おうとした伝蔵が振り返りざま早口に言う。「利吉、こうなったら止むを得ん。私の代わりに授業を見てやってくれ。内容は土井先生と相談するように…学園長先生! 都合が悪くなると逃げる癖はやめてくださいっ!」
 伝蔵の声と足音が遠ざかって、庵に残された半助と利吉が顔を見合わせる。
「私が…一年は組の授業を?」
「まあ、そういうことのようだね」



「父にも困ったものです…学園長先生まで巻き込んで」
 翌日以降の授業の打ち合わせを終えた2人は、教師長屋の屋根で酌み交わしていた。杯を傾けた利吉がぼやく。
「利吉君も、気がついていたんだね」
 利吉と自分の杯を満たしながら半助が苦笑する。
「当然です。私は母上が寂しがっておられるから、ちょっとだけでも帰ってくださいと申し上げているだけなのに、父上は逃げることしかお考えにならない」
 眉を寄せた利吉が再びぐっと杯を干す。
「大丈夫かい。ちょっとペースが速いようだが」
 気がかりそうに半助が利吉の顔を覗き込む。
「大丈夫です」
 言いながら半助の手からひょいと瓢箪を取り上げると、二つの杯に注ぐ。
「そうか。でも、忍は身体が資本だからね…山田先生もつねづね心配されているよ」
 杯を半分ほど傾けると、半助は夜空を見上げた。雨が近いのか、月にぼんやりと暈がかかっている。
「どうせ、仕事中毒とか言っているのでしょう」
 吐き捨てるように言って杯を口に運ぶ。
「いや、違う」
 手が止まった。
「山田先生は心配されていたよ。利吉君がいつか忍の道に行き詰まるのではないかと」
「まさか…」
 思いがけない台詞に、顔を伏せてぎりと歯を噛みしめる。
「そうだよね。私もまさかと思ったよ。利吉君みたいな売れっ子忍者が行き詰まるなんて、山田先生は心配し過ぎではないかと」
「…父は、どう言っていたのですか」
 自分の心のもっとも深いところにたくしこんでいた危惧を父が共有していたことがショックだった。
「それ以上はなにも」
「そうですか」


 -父上は父上、私は私だ。
 ふたたび黙り込んだ利吉が心の中で反芻する。父親が何を言おうと、何を見抜いていようと、自分には関係ないことだと思おうとした。
 -父上が、私の何を知っているというのだ…!
 だが、苛立ちが心中のざわめきをかきたてずにはいられない。偉大な忍としての評価を確立した父には、持ち重りする自我を必死に支えていたその足元が崩れていく自分の絶望など、知りようがないだろう。



「利吉君。つくづく思うんだが」
 ふたたび口に杯を運んで残りの酒を空けた半助がのどやかに言う。「子どもは希望なんだってことがね」
「そういう…ものですか?」
 いぶかしげに利吉が顔を上げる。
「ああそうさ」
 空になった杯に視線を落としながら、半助の横顔はなぜか寂しそうに微笑んでいる。「忍たまたちに接しているとよくわかる。たとえこの世が利吉君の言うように壊れていくものだとしても、子どもたちはその世界を明るく照らしてくれる。そして、新しい世の中を作り出していく。タソガレドキ忍軍の雑渡昆奈門が『忍たまとは可能性だ』と言うのも、だから私は納得できるんだ」
「そうですか」
 半助の言わんとすることがいまひとつ見えかねて、利吉は曖昧な相槌で続きを待つ。
「もし利吉君がなにかに絶望しているのだとしたら、子どもの心に立ち戻ってみるのもひとつの方法かもしれない、そう思ってね」
「何に、私が絶望していると…?」
 思わず訊き返す。
「なんとなく、そんな気がしただけさ…ここ数日の利吉君を見ていてね」
 利吉の手から瓢箪を取り上げると、半助は二つの杯を満たす。「それが分かっているのに、私には何もできない…たしかに長幼の序など、何の役にも立たないね」
 自嘲的に言うと、寂しげな微笑のまま杯を傾ける。その横顔を見つめていた利吉が、やがて小さくため息をついて顔を伏せる。
 -でも、土井先生は私の絶望に気づいている…それが何に対しての絶望かは措くとして。
 自分に対して精一杯の気遣いを見せる。そんな半助の姿を見るだけでも、それは甘美な喜びだった。


 半助の優しさだけが、壊れゆく世界の重みを軽くしてくれるから。




<FIN>

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