Black Swan
ブラックスワンとは、金融用語で市場の誰もが予期していない出来事が起きると、その影響もあまりに大きくなるということを指しているということです。
世の中が大きく変わりつつあった室町末期~戦国時代では、それまでは予測不能だった事態が次々と起きるような時代だったのでしょうが、それでもそのような事態に遭遇してしまえば、ショックは大きかったのではないでしょうか。
「見て見て! キンランがいっぱい咲いてる!」
「あっちにはカタクリとかエビネも咲いてるね」
林の中に灯りがついたように咲き誇る花に、一年生たちが声を弾ませる。その声に被せるように木々の枝にとまった小鳥たちのさえずりがあちこちから湧き上がり、少し離れてキツツキが幹を穿つ鋭い音が響きわたる。
春、生き物の気配に満ちた林の中を、生物委員会のメンバーが訪れていた。
「おほー、珍しいな。ユキモチソウだ」
木立の下で白いぼんぼりが灯るように咲いた花に八左ヱ門が声を上げる。
「これがユキモチソウっていうんですか?」
三治郎が駆け寄ってしゃがみ込む。
「そうだ。なかなか見れない花だからな。よく観察しとけ」
「はい」
「なんか、花のうしろでひょろひょろってしてるの、ウラシマソウみたいですね」
並んでしゃがみ込んだ一平が、八左ヱ門を見上げる。
「ああ。よく似た模様だな。同じ仲間なのかもしれないな」
植物の知識にはあまり自信がなかったが、なんとなく応える。
「ねえ、ホントにこんなところにいるの?」
ユキモチソウの観察を終えて、ふたたび木立のなかに続く細い踏み跡を進みながら訊く三治郎に、孫次郎が応える。
「ホントだって。日陰ぼっこにきたとき、たしかに見たんだ」
「こんなところまで?」
学園からけっこう遠くない? と虎若が訊く。
「うん。ぼくたちいつも、いい日陰ぼっこの場所をさがしてるから」
「ふ~ん」
ろ組もアツくなることってあるんだね、と一平が鼻を鳴らす。
「だけど、このへん、前にドクタケが作戦行動で出没するから近づかないように先生に言われたことがあったぞ…お前たち一年生が入る前だったけど」
ジュンコの頭をなでながらも、先輩らしい指摘をする孫兵である。
「だな…最近はそんな話もなくなったし、ドクタケも別の方面で戦を仕掛けてるから、今んとこは大丈夫なのかもな」
しんがりで、帰りの目印をところどころにつけながら歩く八左ヱ門が言う。
「ここです」
孫次郎が足を止めたのは、林のなかにある沼のほとりだった。両側に切り立った岩壁の山肌がそそりたち、谷間がひときわ狭まったところにある沼だった。
「おほー、こんなところに沼があったなんて知らなかったぜ」
あたりを見渡しながら八左ヱ門が声を上げる。水面の上に視界が開けて、やっと自分たちがどこにいるのか把握できた。
「そっか。東ナメコ山と西ナメコ山に挟まれた谷にいたんだ」
孫兵もようやく現在地を理解して安心したような声になる。
「この沼、なんて名前なんだろう」
「わかんない…ナメコ沼でいいんじゃない?」
「そうだね」
勝手に沼に名前をつけて盛り上がる一年生たちである。と、そこへ虎若が声を上げる。「あれ見て! オオルリじゃない?」
「どれ?」
「あ、いた!」
「ホントだ!」
水面をかすめるように瑠璃色の羽と白い腹の小鳥が横切って、林の中へと消えていった。
「たしかにオオルリだ。これはすごいぜ」
八左ヱ門もその姿をしっかり目撃したようである。
「きれいだなあ。また出てこないかな」
「静かに観察していれば、また出てくるかもね」
ひそひそと声を交わす三治郎と孫次郎に、八左ヱ門も声を潜めて加わる。
「そうだな。ここでじっとしてれば、また来るかもしれないな」
「三回も見れたなんでラッキーでしたね」
観察を終えて学園に戻る道中で、すっかり興奮したように一平が言う。
「ああ。近くに巣があるのかもな」
応える八左ヱ門の声も弾んでいる。
「ねえ、せんぱい。これからも観察会やりませんか?」
孫次郎の声に、皆が頷く。
「だな。いい機会だからやるか」
八左ヱ門も気軽に応じる。
「やった!」
「ヒナとかもみれるといいな」
「そうだね」
にぎやかに話す一年生たちだったが、ふと虎若が首をかしげる。「でも、どうしてオオルリってこんなにめずらしいんだろう。カワセミも青くてきれいな鳥だけど、カワセミはちょいちょい見かけるのに」
「オオルリは渡り鳥だからな」
孫兵が説明する。日本には夏に子育てのために渡ってきて、冬になったら南のほうに渡っていく」
「南って、どのへんですか?」
興味をひかれたように三治郎が訊く。
「すっと遠い、南蛮の方らしいな」
「そうなんですかあ…あんな小さい鳥なのに、そんな遠くからくるんですね」
南蛮、といわれてもいまいちピンとこなかったが、とりあえずものすごく遠くから来るらしいことは理解した虎若が頷く。
「捕まえて飼う人も多いって聞きましたが…」
ふいに暗い声で孫兵が言う。
「ああ。和鳥四品っていって、色も声もきれいな鳥のひとつになってるせいで、飼いたがる金持ちが多いらしいな」
八左ヱ門の声も暗くなる。
「そんな…せっかく遠いところから来たのにつかまえちゃうなんて、かわいそうです!」
「そうですよ! 子育てだってしてるはずなのに…」
抗議するように一平と虎若が声を上げる。
「…だな」
小さくため息をついた八左ヱ門が応える。「だから、俺たちは静かに見守ってようぜ。そうすりゃ南に帰るころには家族であの沼に出てくるかもしれないからな」
「して、ナメコ城攻略作戦だが…」
ドクタケ城の自室で八方斎が長大な顎をそらせながら口を開く。居並ぶドクタケ忍者隊の幹部たちが一斉に眼を向ける。「お前たちも知ってのとおり、ナメコ城は最近、チャミダレアミタケ城と業務提携を結んでおる。そのため、今回は特別の防護体制を取りつつ攻め込む準備を進めておる。じゃが、問題はそのルートだ」
「ナメコ城に攻め込むルートは二つあります」
広げた地図を示しながら風鬼が説明を始める。「一つは東ナメコ山の峠を越えるルートです。もう一つは東ナメコ山と西ナメコ山の間にある沼沿いのルートです」
「今回の作戦では、どちらのルートにも問題があります」
雨鬼が続ける。「東ナメコ山の峠は、今回の装備では越えられません。装備が重すぎて、山道でばてちゃいます。沼沿いのルートは平地ですが、昔演習で使ったきりでほぼ廃道状態なのと、沼と崖に挟まれた場所では泥地を通らないといけません。ここも、今回の装備では重すぎてずぶずぶ沈んじゃいます」
「東ナメコ山の峠は論外じゃの」
顎鬚を引っ張りながら八方斎が言う。「沼沿いを行くしかなかろう」
「ですが、そもそも沼まで行く道も、けっこう深い林になってて、道の確保がたいへんですよ」
雨鬼が肩をすくめる。
「つまり、林を切り開くのと、沼沿いの泥地を埋める必要あるというわけじゃろう」
顎鬚をつまむ手を止めた八方斎がニヤリとする。「一石二鳥の方法があるぞ」
「なんだろ…煙くさい」
「山火事かな…進んで大丈夫でしょうか」
「熱も音もないから、ほぼ消えてるだろう。もう少し行ってみようぜ」
数日後、ふたたびナメコ沼に観察会に向かっていた生物委員たちだったが、途中で異変に気付く。
「まさか…あんなにきれいな林だったのに…」
唐突に視界が開けて、生物委員たちが足を止める。
「ひどいですね」
そこは、焼け焦げて幹だけになった木々が棒杭のように立つだけの焼け野原だった。一歩踏み出した孫兵が呟く。
「こんな沼沿いの湿地帯でまさか山火事とはな」
八左ヱ門も眉をひそめる。
「あんなにたくさん花がさいていたのに…」
「乱太郎にユキモチソウのスケッチたのまれてきたのに…」
一平と、預かったスケッチブックを手にした三治郎が呆然と立ち尽くす。数日前に来たときは、頭上にみずみずしい若葉を茂らせた枝が広がり、その隙間からあちこちにスポットライトのように陽が漏れ差し、色とりどりの花が群れ咲いていた。
いま、眼の前に広がる光景にその面影はない。木々も地面も黒々と焦げ、ところどころにある湿地では炎にあぶられた草が茶色くしなびて水面に浮いていた。にぎやかだった鳥のさえずりも聞こえず、通り過ぎる風が焦げ臭いにおいを運ぶだけで静まり返っていた。
「あのオオルリ、だいじょうぶかな」
孫次郎が泣き出しそうな表情で見渡す。
「きっと無事だろうけど、もうここには戻ってこないかもな」
あるいはいたかもしれないヒナには触れないことにして、八左ヱ門は暗い声で応える。
「あれ?」
ふいに虎若が声を上げる。「あそこにいるの、ドクタケ忍者じゃないですか?」
火縄で鍛えた眼は、遠くの焼け跡の合間を移動する影を見逃さなかった。
「なに、ドクタケだと?」
たちまち緊張した面持ちになった八左ヱ門が、「お前たちはここで伏せてろ、俺は偵察してくる」と言い置いて焼け跡に踏み込んでいく。
-たしかにあれはドクタケ忍者だ…だけど、なんだあの装備は?
下草がすっかり焼けてしまったせいで身を隠す場所に苦労しながらも近づいた八左ヱ門が眼にしたのは、異様な装備に身を包んだドクタケ忍者たちの姿だった。
-あんな変な鎧、見たことねえな…。
全身を黒々とした鉄片で覆ったような、見るからに重そうな鎧をまとったドクタケ忍者がよろめきながら歩く。
「てか、この鎧でここ通るの、やっぱムリありすぎじゃないか?」
「こんなに水たまりだらけじゃ、よっぽどしっかりした道にしないと進めないな」
雷鬼と雪鬼がやる気のない会話をしていたところへ、鎧をつけていない風鬼がやってきた。
「おおい、どうだ。新式鎧で通れそうかあ?」
「ぜんぜんダメだ」
雷鬼が首を振る。「見ろよ。立ってるだけでここまで沈むんだぜ?」
その足元は、すでにくるぶしまで泥水に沈んでいる。
「てことは、もっと焼け残った木とか放り込んで踏み固めないとダメだな」
風鬼が顎に手を当てて頷く。
-そうか、あいつら、あの重い鎧でナメコ沼の岸を通り抜けようとしてるんだ…てことは、この先のナメコ城を攻めるつもりだな。
ドクタケ忍者たちの意図を把握してそっとその場を離れようとした八左ヱ門だったが、続いて聞こえてきた声にその動きが止まる。
「八方斎さまは一石二鳥って言ってたけど、これホントに一石二鳥なのかあ?」
「たしかに火かけたから余計な枝や下草はなくなったけど、木は必要以上に燃えちゃったからよっぽどたくさん集めないとまともな道を作れないし」
「切れば切ったでそこら中から丸見えになっちゃうし」
雷鬼と雪鬼がぼやくその内容に、血が逆流するかと思うほどの怒りをおぼえる八左ヱ門だった。
-てことは、コイツらがこの林に火をつけて、こんなことにしたってことなのかよ…許せねえ!
「そっかぁ。ドクタケのしわざだったんだ」
「ゆるせないですよね」
傍らで腕を組んで頷く声に八左ヱ門はぎょっとする。
「お、おい。お前たちいつからここにいたんだ」
「さっきからです」
三治郎がしれっと答える。
「てか、あっちで待つよう言っただろ」
「でも、ドクタケがいるってことはなにかわるいことしてるってことだし」
「しかも詰めがあまいし」
さえずる一平と虎若の頭を慌てて抑え込む。
「いいから静かにしろ。連中に聞こえたらシャレになんねえぞ」
「それにしても、あいつらへんな鎧だったね」
「上から下まで鉄だらけっていうか」
「うちの父ちゃんだったらぜったい着ないだろうな。あれじゃまともに火縄もかまえられないよ」
ひとまず学園に戻ることにした生物委員たちだった。三治郎と虎若がぼそぼそと声を交わす。
「林を焼き払ってまであのルートを通ろうとするってことは、やはりナメコ城を攻めるつもりなんですかね」
孫兵が見上げる。
「…だろうな」
八左ヱ門が歯ぎしりしながら応える。美しかった林をあんな惨状にされた怒りがまだ収まらずにいた。
「でもさ、あの鎧でこんな泥だらけのところをつっきるなんて、ムリがあるよね」
「なんか立ってるだけでしずみかけてたし」
「てか、あの鉄だらけっての、なんか弱点になりそうじゃない?」
「もうちょっと時間があったら、兵太夫とからくり仕掛けまくってボコボコにしてやるんだけどなあ…」
その間にも虎若と声を交わしていた三治郎が、ふいに何かを思いついたようにニヤリとする。
「ほう。なかなかの出来じゃの」
「ははっ」
数日後、ナメコ沼に沿ってナメコ城へと続く道は完成していた。焼け残った木々を切り出して踏み固めただけの急ごしらえの道だったが、重量級の鎧を身に着けていても沈むことのない足元に、八方斎はすっかり上機嫌である。
「ドクタケ忍者隊の諸君! この火縄も弾く最強の鎧の実力を発揮する瞬間が訪れた! いまこそナメコ城を一ひねりで片付けるのだ! 進めいっ!」
「「おう!」」
気勢を上げたドクタケ忍者隊が進軍を始める。
「よいぞよいぞ…」
満足げに見守る八方斎の前で順調に進んでいるかに見えた隊列だったが、やがて先頭で異変が生じた。
「あ、あれ?」
「なんか引っ張られてるんだけど?」
動揺した声とともに、隊列が道からそれて沼に引き込まれていく。
「おい、何やってんだ」
「いくら鎧が重いからって、そこまでよろめくことはないだろ」
後ろから軽口をたたいていたドクタケ忍者たちも、前にいた者に引っ張られるようにやがて足をもつれさせて沼へとはまり込んでいく。
「どーなってるんだこれ!」
「鎧がくっついて…離れないっ!」
徐々に騒ぎが大きくなって八方斎も異変に気付く。
「なにをやっとるんじゃ! 誰が道から落ちろと言った!」
「そんなこと言われましても~」
先頭の部隊はすでに沼の半ばまで達して沈みかけながら情けない声を上げる。「こっちに引っ張られてるんですってば~」
「ひょっとして、これって沼の呪い?」
「埋め立てて道なんか作っちゃったから、沼の主が怒ってるとか?」
鎧どうしがくっついて数珠つなぎになって沼に引き込まれていく様子に、後続部隊にみるみる動揺が広がる。
「ええい! なにをたわけたことを言っておる! なにが呪いじゃバカバカしいっ!」
怒鳴り声を上げながら八方斎が歩き出したとき、急に立ち眩みがしたように身体が傾いた。
「え? お?」
何が起きたか分からずにいる間に、八方斎の鎧も沼の中に落ち込んだ部隊の一人の鎧に吸い付くようにくっつく。
「ど、どういうことじゃ~っ!」
谷間に響くドクタケ忍者たちの怒鳴り声や悲鳴がひときわ高まったとき、
「おほ~、いい眺めだなぁ」
「や~い、引っかかったあ」
対岸の焼け跡から生物委員たちが姿を現した。
「げ! 忍たま!」
「なんでこんなところにいるんだよ!」
その声に気づいたドクタケ忍者たちが声を上げる。
「お前らがこの林をこんなにしたことは分かってんだからな!」
八左ヱ門が両手を腰に当ててニヤリとする。「きっちり落とし前つけてもらうぜ!」
「忍たまどもめ! どういうことじゃぁっ!」
数珠つなぎになったドクタケ忍者隊の先頭は、徐々に八左ヱ門たちが立っている対岸に達しつつある。その中に巻き込まれた八方斎がなおも怒鳴り声をあげる。
「じゃ~ん! これで~す!」
「見よ! 超巨大磁石の威力!」
「しんべヱのパパさんに頼んでお取り寄せしちゃいました」
虎若たちが石火矢ほどもある巨大磁石を持ち上げてみせる。
「や、やめろ~」
「まさかあんなデカい磁石が…」
「たすけてくれっ!」
一斉にドクタケ忍者たちから悲鳴が上がるが、生物委員たちは肩をすくめるばかりである。
「やめろといわれても…ねぇ」
「鉄が磁石にくっつくのはどうしようもないわけで…」
「ま、磁石にくっついちゃえば、それ以上は引っ張られることもなくなるし」
虎若や孫兵たちがのどかに話している間に、対岸から狼煙が立ちのぼった。
「お、合図だ。そろそろだな」
「みんな、耳栓してね~」
「あぶないから伏せろよ」
生物委員たちの動きが慌しくなる。耳栓をして身を低くする。数秒が過ぎた。
轟音が谷間に轟き、岩肌がぼろぼろと崩れる。爆風とともに焼けた木の枝や石が飛び散り、沼の中で身動きが取れずにいるドクタケ忍者隊に降りかかる。
「やばい!」
「危ないっ!」
動揺した声が一層高まる。
「おい、ケガはないか」
「はい、だいじょうぶです」
立ち込めていた土煙がようやく消えて、生物委員たちも身を起こす。
「ドクタケ忍者、たいじょうぶだったかなあ」
取ってつけたように言う一平に、八左ヱ門が苦笑いで返す。
「ま、そのための鎧兜なんだから大丈夫だろ。その前におぼれてるだろうけどな」
「こ、こんどはなにごとじゃぁっ!」
半ば沈みかけながら八方斎が叫ぶ。
「見れば分かるでしょ。お前たちが作った道を吹っ飛ばしたの」
「そうそ。ナメコ城の人たちに頼んでね」
一平と虎若が声を上げる。
「なに! ナメコ城じゃと!」
八方斎の動揺した声に続いて、
「ああっ、せっかくの道がっ!」
「消えちゃってる…」
「まさかこんなことになるなんて…」
ドクタケ忍者たちの悲痛な声が響く。
「ま、そーゆーわけだから。あんま悪いことすんなよな」
言い捨てた八左ヱ門が後輩たちを振り返って言う。「行こーぜ」
「は~い」
「じゃあね、ばいばーい」
「おたっしゃで~」
三治郎が孫次郎たちが後に続く。
「お、おぼえてろ忍たまどもめ!」
八方斎の声が、谷間の騒ぎのなかにひときわ響き渡る。
<FIN>
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