癒ス者

医療者である伊作にとって、治療とはケガや病気を治すだけでなく、心に負った傷も癒すことが含まれているのだと思うのです。だけど、そのためにできることはあまりに少なくて、そのことに悩みつつもできることをひたむきに取り組もうとする子なのだと思います。

 

 

「カワタレドキを攻める」

 重々しい一言に、居並ぶ重臣が「ははっ」と平伏する。

 いま、上段の間に座った黄昏甚兵衛が、新たな戦の開始を宣言した。

「それでは侍大将から作戦について説明願いたい」

 家老が声を上げると、「ははっ」と進み出た侍大将が図面を広げて作戦の説明を始める。

 -やれやれ。慌しいことよ。

 一座に連なる雑渡昆奈門は内心ため息をつく。

 戦がなければ基本的に動きがない侍大将率いる軍勢と違い、タソガレドキ忍軍は常に作戦行動に従事している。現にいまもカワタレドキの動きを探ると同時に、周辺の城に不穏な動きがないかもリアルタイムでチェックしている。そしていざ戦となれば、先陣を切って軍勢のルートや布陣すべき場所の選定、敵陣への破壊工作などなどさらに多くの役割を担うことになっていた。

 -今はやや具合が悪いのだが…。

 数々の活動を展開する中で、戦力の消耗も懸念すべき状況になっていた。作戦に従事するなかで負傷者が増え続けていたし、西方の城の領地に潜っていたメンバーが流行り病を持ち帰ってきてしまい、忍軍内での感染も手に負えないレベルになっていた。幸い、忍術学園の校医の新野の協力を得て処方した薬が効いて感染拡大は食い止められていたが、まだ任務に復帰できるまでに回復するには至っていなかった。要するに、人員が圧倒的に足りないのだ。

 

 

 

「タソガレドキが動き出しました」

 固い声にその場の空気が張り詰める。こん…と庭先の鹿威しが鳴る音が室内に響き渡る。

「…そうか」

 腕を組んだ伝蔵が、大川に面して控えている利吉に目をやる。「相手はカワタレドキということだな」

「はい」

「黄昏甚兵衛もずいぶんカワタレドキとは同盟交渉を進めたがっていたが、ついにあきらめたか」

 大川がぽつりと呟く。

「これは、ひょっとすると大戦(おおいくさ)になるかもしれません」

 眼鏡を押し上げながら野村が口を開く。「カワタレドキはすでに戦の準備はできています。軍勢ではタソガレドキに劣るものの、南蛮から最新の火器を大量に仕入れた上に、鉄砲足軽を増員して新しい火器に十分に習熟させています。タソガレドキの苦戦は必至でしょう」

「危険じゃな。いま、そちらの方へ演習や出張に行っている忍たまや先生は?」

 難しい顔で大川が訊く。

「演習にでている忍たまは引き上げさせましたし、出張に出ている先生はいません。伊作が新野先生のお使いでナラタケ城に行っていますが」

 リストに目を通しながら吉野が報告する。大川の指示で外出届をすべてチェックしたのだ。

「ナラタケ城か…方向的には別だから大丈夫とは思うが…」

 

 

 

「貴様、どこの城の忍だ! 白状しろ!」

「僕は医者の見習いです。ケガ人を治療していただけです」

 その頃、カワタレドキの陣では縛り上げられた伊作が取り調べを受けていた。新野の使いでナラタケ城に行った帰り、戦の勃発を聞いて居ても立ってもいられずに駆けつけたところを捕らえられてしまったのだった。

 -やれやれ、忍器を持ってこなくてよかった…。

 虫の知らせだろうか、出がけに忍器はすべて部屋に置いてきたので、身体検査をされても出てきたのは救急箱や包帯、医書の類ばかりだった。

「…」

 床几に掛けた取り調べ担当の侍の耳元に、やってきた足軽がなにやらささやく。「うむ、分かった」と頷いた侍が立ち上がりざま伊作を一瞥して言う。「こやつの取り調べは中断だ。逃げ出さぬようしっかり見張っておくのだ」

「来い!」

 引っ立てられた伊作は「痛た…」と足を引きずりながら顔をしかめる。「足をケガしたのです。そんなに引っ張らないでください」

 -しまったなあ。思った以上に足首のダメージが大きい…。

 陣幕の奥の仮設の捕虜収容所らしきところに放り込まれた伊作は、後ろ手に縛られたままなので痛む足首を触ることすらできずにため息をつくしかない。

 -それにしても、カワタレドキがあんなにたくさんの火砲を用意しているなんて…これはタソガレドキも苦戦するだろうな。

 たくさんの火砲によって戦場は穴だらけだった。その一つに嵌った伊作は、ひどく足首をくじいてしまったのだ。

 

 

「医者と称する忍を捕らえたらしいな。忍者隊で取り調べをするので身柄を引き渡してもらいたい」

「後にしろ。いまこちらで取り調べ中だ」

 陣幕の外でやり合う声が聞こえて、伊作は耳を澄ました。

 -医者と称する忍って僕のことだ…忍者隊が取り調べるだって?

 それはまずいことになりそうだった。怪しまれそうなものは持っていないが、相手が忍者であれば、言葉遣いやちょっとした仕草で自分が忍たまであることが悟られてしまう危険があった。それに、戦で忙しい侍と違って、忍者隊であれば十分時間をかけて取り調べたり、あるいは拷問することもありえた。

 -まずは落ち着け、落ち着くんだ。僕はただの医者の見習い。医者の見習いなんだ…。

 必死で自分を落ち着かせようとしている間にも、陣幕の外での言い争いは続いている。

「そう言われてもこちらも困る。ぜひ引き渡していただきたい」

「言っておくがな、捕虜の管理は戦奉行の管轄だ。引き渡してほしければ忍組頭から戦奉行殿あての正式な依頼状を持ってこい!」

「そういう取り決めができた暁にはそうしてやろう。だが、今は違うはずだ」

「もともとそういう取り決めになっているんだよ! 忍者隊は都合のいいことは忘れたふりをするけどな」

「ではその取り決めとやらを見せていただきたい。当然ながら書面で決まっているのであろうからな」

「戦場にそんなもん持ってきてるわけがなかろう」

「書面がないのであれば、ないのと同じこと。では引き渡してもらおうか」

 -カワタレドキの軍と忍者隊はずいぶん仲が悪いみたいだ…。

 本来、緊密に連携しなければならないはずの軍と忍者隊がこのありさまで大丈夫だろうか、と伊作は考える。

「そういえば見ない顔だな。最近忍者隊がリクルートしたというのはお前か」

「だったらどうだというのだ」

 からかうような声にむすっとした返事があって、やがて覆面姿の男が陣幕の中に入ってきた。

 -この人は…!

 

 

 

「や、伊作君、待ってたよ」

 包帯姿の偉丈夫が横座りのまま声をかける。

「助けていただいて、ありがとうございました」

 伊作が深々と頭を垂れる。カワタレドキ忍者隊に潜り込んでいた陣内に助け出されてタソガレドキ忍軍の陣にやってきたのだ。

「なに。こちらもちょうど君の助けが欲しかったところだったからね」

「では、さっそく治療にかかりたいと思います。陣内さん、案内してもらえますか」

 いつの間にか袖をたすき掛けにした伊作が救急箱を手に、後ろに控えていた陣内に声をかける。

「こちらだ」

「わかりました」

 陣内に続いて立ち去ろうとした伊作が、ふと足を止めて昆奈門を振り返る。なにか問いかけようと口を開きかけたが、「じゃ、よろしく~」と昆奈門に手を振られて「はい」と頷くと、陣内の背を追って歩き出す。

 

 

 

 

「鉄砲傷が多いですね」

「ああ。かなり火器を買い込んでいたからね、カワタレドキは」

 ひとしきり治療を終えた伊作は、昆奈門のもとに戻っていた。

「ところで、足は大丈夫だったのかね」

 ずばっと訊かれて伊作は反射的に顔をそむける。

「あ…はい…もう、大丈夫です」

「だといいんだけどね」

「陣内さんに助けていただいたときに、しっかりテーピングしていただいたんです。そのおかげでだいぶ楽に歩けたんです」

「ほう、陣内にそんな芸当ができたとはね…まだまだ底知れぬ男よ」

 昆奈門が眼を細める。「ということは、足首をくじいてたということかね」

「はい…お恥ずかしい話ですが、カワタレドキの火砲で空いた穴に落ちてしまいまして…」

 顔を背けたまま頬を赤らめる伊作だった。

「まあ、いつも伊作君には助けられてばかりだからね。たまにはこちらも役に立たないとね」

「とんでもないです!」

 はっとして顔を上げた伊作が声を上げる。「いつも助けていただいてるのは僕たちのほうです。今日だって、陣内さんに助けていただかなかったら、今ごろカワタレドキの陣で拷問されてたかもしれません」

「そんなことはさせんよ、絶対にね」

「…でも、僕をさらってきて大丈夫なのでしょうか。カワタレドキから恨みを買ったりしませんか?」

 心配そうに伊作が訊く。

「我々は戦の最中なのだ。恨みがどうとか言ってる場合ではなかろうよ」

 平板な声で昆奈門が返す。「厄介になった礼に学園まで陣内に送らせよう。またカワタレドキに捕まったりしては大変だからね」

「あ、待ってください」

 陣内を呼ぼうとした昆奈門を慌てて止める伊作だった。

「どうしたのかね」

「いえ、まだ最後の患者の治療が終わってないので」

「最後の患者?」

 昆奈門が眉を上げる。

「雑渡さんのことですよ」

 当然のように伊作は言う。

「だが、私はケガなどしてないが」

「ええ、そうですね。でも、一番治療が必要なのは雑渡さんのようにお見受けしましたが」

「…」

 続きを促すように伊作を見つめる。

「いま、雑渡さんはご自分を責めてらっしゃいますよね。これほど多くのケガ人を出してしまったことについて」

 昆奈門を見つめる伊作の視線がだんだん強くなる。

「戦にケガ人はつきものだ。あるいは死人もね」

 伊作の視線を避けるように横座りでそろえた足に視線を落とす。

「でも、今回は明らかに被害が大きいですよね」

 それはいかにもタソガレドキ忍軍らしくない被害だった。何があったか知らないが、準備不足のまま戦に臨んでしまったように伊作には思えた。

「ケガ人が多いのは事実だし、そのことに責任を負っていることも確かだ。だが、忍たまにどうこうできるようなものではないということは言っておく」

「そうですね。でも、ケガにしても今の医術でできることは限られています。できることをした後は、患者の治る力を信じて見守ることしかできません。心の傷では、もっとできることが限られるだけのことです」

「それで、君はどうするというのだね」

「ご一緒に、ここにいます。あなたがもう十分だというまで…僕にできることは、それしかありません。だから、ここにいさせてください」

「…好きにすればいい」

 

 

 

 -君には驚かされることばかりだ。

 鉄砲傷によく効くという薬の調合を始めた伊作の横顔に眼をやりながら昆奈門は考える。

 -私が今まさに求めていることを、君はしようとしてくれる…。

 

 

<FIN>

 

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