Femme Fatale~文次郎の恋人

 六年生の中でいちばん女っ気がないのは誰かな…とつらつら考えるに、仙蔵、伊作、留三郎はまず除外。長治も、実は思われ人だったりするので除外。残るは文次郎と小兵太のさてどっちか…というところで、はたと考え込んでしまいました。どっちも、いい勝負なように思われるので…(超失礼)

 ということで、あとは書きやすさで選んでしまいましたw(ヲイ)

 女の視点からだけ一人称で書いてみました。その方が面白いかな、と思ったのですが、結果として少し分かりにくくなってしまったかもしれません。

 ちなみにFemme Fataleとは、運命の女という意味です… 。

 

 

 なお、一部に性的表現がありますので、このお話はR18とさせていただきます。

 

   

  1  

 

 

 

 

 -あれは?
 森に隠れた敵を探索する演習にきていた潮江文次郎は、ふと、山道で座り込んでいる娘の姿に目をとめた。
 -変装ではないな。
 相手の眼をごまかすにはどのような手もありだったから、村娘にでも変装して探索の眼をやり過ごす手もなくはなかったが、文次郎に言わせれば、それはあまり利口な手とはいえない。
 -だいたい、男が女装しても、骨格が違うのだからすぐバレる。下手な女装は、却って敵の眼を引くようなものだ。
 もっとも、1年は組実技担当担任の山田伝蔵にそのようなことを言おうものなら、文次郎といえどもタダではすまない。
 -山田先生の女装はいいとして、あの娘はどうしたのだ。
 物陰からいきなり現れては、娘を驚かしてしまう。だから文次郎は、あえて少し離れたところから、足音を立てながら山道を歩いていった。文次郎の足音に、娘が振り向く。
「どうされた、こんな森の中で」
 振り向いた娘の面立ちが、思いのほか色白で整っていることにたじろぎながら、文次郎は声をかける。
「背負子が、こわれてしまって…」
 娘が視線を落とした先には、薪を束ねた背負子が転がっていた。肩の部分が外れてしまっている。
「貸してみろ」
「…はい」
 あいにく、直せるような道具は持っていなかったが、懐の手拭を裂いてつなぎ合わせ、外れた肩の部分を結わえ付ける。
「この近くの者か」
「はい」
「それなら、とりあえずこれで家までは持つだろう。あとは家の人に直してもらえばいい」
 そう言って、文次郎は立ち上がる。
「ありがとうございました。ご親切に」
 娘が文次郎に向き直り、頭を下げる。

 


「森の中は危険だ。村の近くまで送ろう」
 自分の口から出た台詞に、文次郎は自分で驚いていた。
 -俺は何を口走っているのだ。見ず知らずの娘の前で、それも演習中に…。
「いえ、しかし…」
 遠慮する娘の口調には、いささか警戒するものが混じっている。
 -当然の反応だ。なかなか感じがいい。
 だから文次郎は、あえて快活な声で言う。
「私も同じ方向に向かっているのだから、同じことだ。遠慮するな」
 そう言うと、文次郎は先に立って歩き出す。
「…はい」
 女は背負子を負うと、歩き出した文次郎に続いた。

 


「ここまで来れば大丈夫です」
 森を抜けたところにある大きな榎の下で、娘は足を止めた。
「そうか。気をつけて行けよ」
「はい。どうも、ご親切に」
 娘は小さく頭を下げると、足早に立ち去った。
 -なかなか感じのいい娘だ。
 演習場の森に戻りながら、文次郎が先ほどから考えているのは、同じことばかりである。
 -清楚で、それでいて芯の強そうで…なんと完璧な娘なのだ。
 もう一度、会いたい。会って、話をしたい。
 それから休みのたびに、榎の幹に背をもたれ、枝に腰を下ろしている文次郎の姿があった。

 


 男に助けられてからしばらくしたときのことだった。私は、村はずれの森を通りかかった。村の鎮守の裏に続くこの森は、村の入会地の中でもいちばん不便なところだったから、あまり村人もやってこない。山向こうへの近道が通っていたから、まったく人が入らない場所でもないが。
 私は、山向こうへの使いを終えて、村に戻るところだった。あと一刻もすれば日は傾いて、足元は暗くなってしまう。早く戻って母を手伝って夕餉の支度をしなければならなかった。しぜん、足早になる。
 がさ、と頭上の枝が鳴った。ぎょっとして立ち止まった瞬間、何かが枝から飛び降りてきた。近くの戦場の敗残兵が盗賊となって村の周辺の山に潜り込んでいるというウワサを思い出す。
 目の前に現れたのは、若い男だった。いや、あの男だった。陽に灼けた、角ばった顔の、私を助けたあの男だった。
「待っていた…やっと、会えたな」
 -待っていた?
 たしかに、男はそう言った。
「俺…私は、文次郎という。…君、は…?」
「…奈津」
 気がつくと、ためらいなく名乗っている自分がいた。
 -いいのか。名を教えるということは、この男を受け入れると同じことなのに。
 きっとそれは、この男の待っていた、という言葉のせいだ。いつ通るか分からない私を、ずっとあの枝の上で待っていたということに。
「ナツ…というのか」
「はい」
「また…会いたい。ここで待っていれば…会えるか?」
 男の言葉はぶつりぶつりと途切れている。それはきっと、あまりこういう経験がないからだ。ふとそう感じた。そう感じることで、心に少し余裕ができた。
「この道はあまり通らないから…」
「どうすれば、いいか…教えて、くれないか?」

 


 -奈津…か。
 何度も何度もその名を胸の中で繰り返しながら、文次郎は学園への道を急いでいた。
 日ごろ、学園で女っけのない生活をしている文次郎には、年頃の娘にどのように自分の好意を伝えたり、次の約束を取りつければいいのか分からなかった。すでに自分が何をどう話したかもおぼえていないが、確かに娘は名前を教えてくれた。そして、どこで待ち合わせればいいかを教えてくれた。俯き、羞じらいながらも、それは明らかに文次郎への好意がある証拠だった。
 -奈津、奈津というのか…。
 心臓が堰を切ったように轟いている。これこそが、人を好きになるということなのだ…気持ちが高ぶるあまり、軽い眩暈すら文次郎はおぼえる。

 


 数日後、その場所へ行くと、文次郎は待っていた。物陰から姿を現した文次郎は、少し狎れたように、私の手を取る。
 私は、文次郎がどこの村の者か訊いた。しかし、いくら訊いても文次郎は答えをはぐらかした。
 そういえば、文次郎は、私の家について訊くことはなかった。農家の娘とでも思って、訊くまでもないと思っているのだろうか。訊かれたからとて、答えられるかどうかは別問題だが。
 しかし、私には、文次郎がどこの者か、おおよそ見当がつきかけていた。あの森の方向にあって、あえて属性をはぐらかすものがあるとすれば、忍術学園…。
 文次郎は訥々と、家族や友人のことを語っていた。だけど、その友人たちとどこで、なにをやっているのかを教えてくれることはなかった。しかし、それもさほど気にはならなかった。女とはどういう話をすればいいのか明らかに分かっていない、その不器用さが、好ましかった。

 


 その次に会ったとき、身体を許した。
 例によって、訥々と語る文次郎の話も途切れて、不意に沈黙が訪れた。おどおどと顔を近づけてくる文次郎に、私は目を閉じて唇を受け入れる意思を示した。
 文次郎の唇が私の唇をふさいでも、まだその手は私の肩のあたりでわなわなと震えているのがわかった。だから私は、こうやればいい、と文次郎の肩に手を添えた。
 それが、文次郎の理性を吹き飛ばすスイッチだったとは。文次郎は、がしと私の肩を抱き寄せると、そのまま地面に押し倒した。狂ったように胸に顔を埋めてくる文次郎の髷が、私の目の前で奔馬のように跳ねる。次第にぼんやりとしてくる視界に踊る奔馬の影を見ながら、私の理性も徐々に溶け出していった。
 そのときが来た。私も初めてだったが、文次郎も初めてだったらしい。戸惑っている文次郎を、私もどうすることもできなかった。やがて意を決したように入ってきた文次郎は、最初はためらいながら、徐々に性急に、衝き進んでいく。

 


 -これはもう、運命だ。俺には奈津しかいない。
 高揚する思いを抑えかねて、文次郎は叫びだしたい衝動に駆られる。
 -このような女にめぐり合えるとは…!
 忍として生きていくことを決めてから、自分には、本当に愛する女というものが現れるとは期待していなかった。忍とは、あらゆる他人を疑わないことには生きていけない。まして三禁のひとつである女色に溺れないためにも、近づいてくる女には特に警戒しなければならなかった。だから、自分が仮に女と寝ることがあっても、それは仕事のために必要なことでなければ単なる性欲のはけ口であって、いずれにしても恋愛感情とは別のものであるはずだった。そう思っていた。
 -だが、これは運命の出会いなのだ。打算も立場もない、真実の出会いなのだ…!
 すっかり舞い上がった文次郎には、この出会いは運命としか受け取れない。つい先ほどまでのやりとりは、甘い記憶として文次郎の中に繰り返されている。

 


 ことが終わったあと、奈津は文次郎の胸に頭を預けていた。目を閉じているその顔は、眠っているようにも見えた。
「なにをしている?」
 そのまま目覚めないのではないかという不安にかられて、声をかける。
「…聞いていた」
 ややかすれたような声で、答えがあった。
「なにを?」
「鼓動を」
 目を閉じたまま、あるかなきかに娘は返す。
「心の臓はもっと下だ」
「ここでいい」
「…」
 好きにさせてやろうと思って、文次郎はしばしじっとしていた。
 不思議な感覚だった。思えば、自分の裸の胸に誰かの頭が触れているなど、仲間たちと相撲でもとっているとき以外にはない経験だった。
「寒く、ないか?」
 自分は大丈夫だが、娘が夜風に肌をさらしていてはと思って声をかける。
「文次郎は、暖かいから…」
 …思えば、奈津の身体はひどく冷たかった。胸に寄せている頬といい、背に添えた指といい、この指に絡めた黒髪さえも。いま、学園に向かって足早に歩く顔にあたる夜風に、あの冷たい感触が甦る。

 


 それから数日おきに、文次郎は私の元へ通ってきた。
 私を抱くときの文次郎の男の動作は、性急で、手荒で、私はいつも踏みしだかれ、散らされた。
 狂奔の時が終わると、文次郎はいつも、すまない、と言って、無骨なりにやさしく肩を抱いてくれた。
 それから私たちは、いろいろな話をした。日々あったくだらないこと、お互いを待つ間に考えたこと、昔きいた物語、月の話、星の話。
 こんなにいろいろ話せることがあるとは、思わなかった。自分たちの家族や、今やっていることや、将来のことについてはまったく封印しているのに。

 


 -今日は、会えるだろうか。
 食事のときも、文次郎は上の空である。そんな文次郎の変化を、食堂のおばちゃんはすでに捉えていた。 
 -おやおや、すっかりお熱だね。
 長年、食堂のおばちゃんとして忍たまたちに接していれば、それが恋煩いであることくらい、すぐに分かる。
 -それにしても、潮江君がねぇ…。
 意外でもあり、頷けるものもあった。あの堅物の文次郎が、どこでどうやって相手を見つけてきたのやらと思う一方、文次郎だからこそ、いったん恋に落ちると、重症の恋煩いになるのだと納得もできた。
 -私から何か言うのも変な話だし、もう少し様子を見るとするかね…。
 微妙な年頃の、微妙な悩みである。こちらから訳知り顔に関わるべきではないだろう。
 -ただし…。
 顔を引き締めて、箸が止まったままの文次郎につかつかと近づいて、声を上げる。
「お残しは、ゆるしまへんでぇ!」

 


「は、はいっ! おばちゃん!」
 文次郎が慌てて食事をかきこむ。隣のテーブルから見ていたのは、伊作と留三郎である。
「留三郎、さいきん、文次郎の様子がおかしいと思わない?」
 汁の椀を手にしたまま、伊作が訊ねる。
「ん? そうか?」
 煮物を口に運びながら答える留三郎は、明らかに関心がない様子である。
「なんだかいつもみたいにギンギン言ってないし、顔色も悪いようだし…体調が悪いのかな」
「そんなことはないだろう。だいたい文次郎はいつもギンギンうるさいから、少しぐらい体調が悪いほうが静かでいい」
 飯を頬張りながら、留三郎は言う。
「そんなものかな…仙蔵はどう思う?」
 向かいで汁をすする仙蔵に、伊作は話を向けた。
「知らん。たしかにいつもより静かとは思うが」
 仙蔵の返事は、いつもながら素っ気ない。
「そうか。保健委員としては、ちょっと心配なんだけど」
 伊作はまだ心配らしく、ぶつくさ言っている。
 -本気か、コイツら。
 仙蔵は、目の前の2人にあからさまに呆れた視線を向けそうになって、あわてて膳に眼を落とす。
 -あれは、誰がどう見たって恋煩いだろうが。そんなことも分からんのかこの2人は…。
 相変わらずもりもり食べている留三郎と、箸を動かしながらも仔細らしく文次郎を見やる伊作に、仙蔵は軽い苛立ちすら覚える。
 -ったく、いい歳してどこまで鈍感なんだ…まあ、コイツら、自分たちがくノ一にどう思われているかも分かってないくらいな鈍感だから、仕方のないことなのかも知れんが…。
 それぞれ、戦闘や医術には長けている2人だが、いかにも女っけのない2人でもあった。
 -伊作といい、留三郎といい…私たちは若いんだ。もっといろいろな楽しみがあることを知らなければ損だろう…。
 それに、女を知っておくことも、忍の修行として重要と仙蔵は考える。
 -あまり女に免疫がないと、忍の三禁にあっさり陥るもとになる。今の文次郎のようにな。
 仙蔵は、すでに掴んでいる。文次郎の想い人の正体を。

 

 

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