ヒガンバナ

 

本当はお彼岸までに仕上げる予定でしたが、出遅れました_| ̄|○

いまは一年は組に溶け込んでいるきり丸ですが、最初はちょっとわだかまりもあったと思うのです。それが少しずつ溶け出したのは、土井先生や乱太郎たちのおかげ。

そして、少しずつ、土井先生に甘えていくことを知っていけばいいと思うのです。

 

 

「ヒマだね…ふわ~あ」
 壁に寄り掛かった乱太郎があくびをする。
「ヒマだな…ふわ~あ」
 床に仰向けに寝そべったきり丸にあくびが伝染する。
 開け放った襖の向こうに見える前栽から細く虫の声が聞こえる。休日の朝、退屈を持て余す二人だった。
「それにしても、しんべヱ急に出かけちゃったりして、どうしたんだろうね」
「福富屋さんの人がきてたよな」
 早朝に福富屋の使用人が訪ねてきて、文を読んだしんべヱは顔色を変えて着替えるとあたふたと出かけて行ったのだ。
「福富屋さんでなにかあったのかな」
「かもな」
「なにがあったとおもう?」
「さあな。さっぱりわかんね」
「だよねえ」
「わかないんだったらさ…」
 きり丸がむくりを身を起こす。「見にいくしかねえんじゃねえの?」
「…だね」
 乱太郎もニヤリとする。「いっちゃおうか?」

 


「…そういえば、まえにもこんなことがあったよね」
 外出届を提出して勇躍校門を出た二人が堺に向かって歩きだす。
「だな…けっこーしんべヱのパパさんってちょくちょくしんべヱにかえってもらいたがるよな」
「そうそう。ウソの病気だったり、さびしいからってだけだったり」
「牧之助がからんでへんなことになったりしてな」
「そーゆーの、カホゴっていうんだって」
「しんべヱのほうは、そーゆーのいやがってるんだけどね…」
 話しながら歩いていた二人の足が止まる。その先の道端に倒れている人影がひとつ。
 -あれって…。
 -だれがどー見ても花房牧之助だろ…。
 思わず顔を見合わせる。
 -どーする?
 -忍たまのお約束をおもいだせ。道端にたおれてる人にかかわるとロクなことがない!
 -じゃ、ここは…。
 -ムシにきまってるだろ! ムシ!
 頷いた二人は足早に倒れている人物を避けて通り過ぎようとする。さらに足を速めようとしたとき、人物の手がぴくりと動くや乱太郎の足首をむんずと掴む。
「ひゃぁぁぁあ!」
 お約束の展開だったが、驚いた乱太郎は思い切り悲鳴を上げる。
「ど、どうした!」
 振り返ったきり丸が眼にしたのは、怯えきって逃げ出そうとする乱太郎と、その足を小動物を捕らえる罠のように掴んでずりずりと顔を上げながら近づいてくる牧之助の姿だった。
「おいお前ら…この天下の剣豪、花房牧之助さまが倒れているというのにムシして行こうとするとはなにごとだあぁ」
「やめろ! はなせ!」
「なにが天下の剣豪だ! 乱太郎をはなせ!」
 遠慮なく手や顔を足蹴にする二人だったが、牧之助は堪えない。
「うるせえ! お前らなにか食い物よこしやがれ!」
「んなものもってないって!」
「もっててもおまえなんかにやるもんか!」
 必死の足蹴でようやく足首を捕らえる手が緩む。そのすきに急いで足首を抜いた乱太郎が「お前なんかにあげるもんなんかないからな!」と言い捨てて駆けだす。
「そうだぞ!」
 きり丸もすぐに後を追う。が、背後に感じた異様な気配に振り返って思わず「うげ!」と声を上げる。
「どうしたの、きり丸」
 先を走っていた乱太郎も振り返る。
「ぎょぇぇぇ!」
 先ほどまで行き倒れていたとは思えない勢いで牧之助が追いすがってきていた。
「ごらあああ! お前らメシよこせえ!」
「くるなああ!」
「にげろ! にげろ!」
 もはやパニック状態で逃げ惑う二人だった。

 


「はぁっ、はぁっ」
「もう…だいじょうぶか…」
 ようやく牧之助を振り切った二人が荒い息をしながら座り込む。
「きょうの牧之助…しつこすぎ…」
 いつになく長く追い回された二人は裏裏山の奥へと逃げ込んでいた。上級生たちが罠をかける練習に使っている森を潜り抜けて、ようやく振り切ることができたのだ。いまごろ牧之助は何かしらの罠にかかってもがいているところだろう。
「あ~あ、こんなとこまできちまったよ」
 辺りを見廻しながらきり丸がぼやく。
「しんべヱんとこいこうとおもってたのにね…」
 堺とはすっかり逆方向に逃げてしまっていた。
「どーする?」
 気がない声できり丸が訊く。
「いまから堺にいっても…ねえ」
 戻りはかなり遅くなってしまうだろう。
「だよな」
「ちょっとやすんだら、学園にかえろうか」
「そうすっか」
 帰りに小銭でも拾えれば無駄足となった外出の埋め合わせになるか、と自分なりに合理主義で頷くきり丸だった。

 


「そういえば、もうすぐ参観日だね」
「んなのあったっけ」
 学園に向かって歩きながら呟いた乱太郎に、頭の後ろで腕を組んだきり丸が興味なさそうに応える。
「そうだよ。まえの参観日のときは、しんべヱが日にちまちがえてパパさんにしらせちゃって、おおさわぎになったじゃん」
「そーいえばそーだな」
 そんな騒動も一年は組であれば日常である。たいしたインパクトもない騒ぎだったと歩きながら思い出すきり丸だった。
「あ~あ、また父ちゃんと母ちゃんそろってくるのかな…」
 前回は夫婦で柄にもない盛装で登場して大いに気恥ずかしかったのを思い出して乱太郎はぼやく。
「ま、親御さんなんてそんなもんじゃねーの? おれはよくわからないけど」
 なにげなく付けくわえた一言だったが、とっさにしまったという表情になる乱太郎だった。
「ごめん…そういうつもりじゃなかったんだけど…」
「きにすんなって」
 きり丸の口調は変わらない。
 -そういや、まえだったらこんなふうには思えなかっただろうな…。
 ふと学園に入った時のことを思い出す。

 


 今となっては、どこでどうやって忍術学園のことを知ったのかも、どうして入学しようと思ったのかも思い出せない。ただ、入学するにはそれなりの学費がかかると知って必死で銭をためた。そして、そもそも学園に入るような子どもは、それなりに学費を出せる家庭に恵まれていることを知る。少なくとも苗字もない、天涯孤独の子どもが入るようなところではないらしかった。
 そして、クラスメートたちが実に気軽に親のことを愚痴るのもきり丸にとっては驚きだった。子どもとはそういうものだと理解するまでは、一人ひとりの肩を揺すってなにゼータクなことを言ってるんだと言いたくなる衝動に駆られた。みな、同じ年とは思えないほど幼く見えた。最初に仲良くなった乱太郎としんべヱも例外ではなかった。
 -でも、そんなのどーでもよくなった…。
 教科担当の半助は、なぜか自分に気をかけてくれた。学園が休みの時は自宅に連れて行ってくれた。そして、ふと漏らした言葉。似たような育ち方をした…。

 

 あの時、はっきり分かった。もう自分には親兄弟はいないけど、半助がいるということが。失った家族のぽっかり空いた心のスペースに少しずつ半助の姿が現れてきて、その瞬間、しっかりとそこに座を占めたことを。もう半助は家族なのだと思えるようになったと。
 だから、もうクラスメートたちの親トークになんのわだかまりもおぼえない。たしかに参観日に教室の後ろで授業を見守るのは誰にも見えない存在かも知れない。だが、眼の前に立つ青年こそ親代わりなのだ。それになんの問題があるというのだ。
 -でも、そんなことだれにも言うべきじゃないんだ…。
 たとえ最も親しい友人であっても、それは自分の心ひとつにとどめておくべきことだった。そう思えた。
 

 

 

 

 

 

 

「そんなことがあったのか」
 先に立って歩いていた半助が振り返りながら言う。
「そうなんです」
 次の休み、町内の溝掃除のために家に戻る半助ときり丸だった。
 -参観日か…。
 授業計画や保護者とのやり取りを考えて軽く胃痛をおぼえる半助だったが、ふと思いついたように足を止める。
「せんせい?」
 きり丸が不思議そうに見上げる。
「ちょっと、こっちに行ってみないか」
 あらぬ方向を指して微笑む半助にきり丸があからさまに嫌そうな声を上げる。
「こっちスかあ?」
 その道を通っても家に帰れはしたが、かなり遠回りになる。それだけバイトに充てられる時間がなくなる。
「まあそう言うな」
 構わず軽く頭を撫でると、半助はふたたび先に立って歩き出す。
「あ、まってくださいよ…」

 


「うわぁ…!」
 眼の前に広がる景色に思わず声を上げるきり丸だった。
「すごいや!」
 谷あいに折り重なるように広がる巾着田は黄金色に色づき、畔は真っ赤なヒガンバナで埋め尽くされていた。
「な、来たかいがあっただろう?」
 腰に手を当てた半助もまぶしそうにあたりを見渡す。
「はい! でもフシギだなあ…」
 すっかり眼を丸くしたままきり丸は呟く。
「どうした?」
 半助が眼を向ける。
「ここの田んぼは、夏のあいだになんどか草とりのバイトに来たんスけど、そんときはこんなにヒガンバナがあるなんて気がつかなかったから…」
「そうだな」
 頷いた半助がおもむろに腰を下ろす。
「そーいえば、どうしてヒガンバナっていうんですかね」
 並んで腰を下ろしながらきり丸が訊く。
「お彼岸の頃に咲くからなんだろうが…たしかに気がつくと咲いている花だな」
「根っこに毒があるって乱太郎がいってましたけど」
「そうだな。毒もあるが薬にもなる。毒があるからミミズもモグラも近寄らず、田を守る花とも言われている」
「そういや、もうすぐお彼岸っすね」
「そうだな」
 ふたたび眼の前の景色に目を向ける二人だった。
「なんでお彼岸っていうんですかね」
 ぽつりときり丸が呟く。
「彼岸というのは仏道でいう悟りの世界をいう」
 昔、聞いた話を思い出しながら半助は説明する。「六波羅蜜といわれる修行をすることで、彼岸の世界に行くことができる。その修行をするのにいいのが、昼と夜の時間が同じになるこの時期だと言われている。そこから、この時期に先祖を供養することによって、極楽浄土に行けるように祈るようになったのだろうな」
「そうなんすか。さすが先生、なんでもしってるんスね」
 感心したように言ったきり丸が膝を抱える。
「何でもというわけではないさ」
 苦笑した半助が続ける。「ただ、せっかくの機会だから、亡くなった者たちに思いを馳せたいと思っただけだ」
「そうっすね」
 膝を抱える腕にいつの間にか力が入っていた。
 -おれの父ちゃんと母ちゃんも…。
「では、私たちも亡くなった者たちを供養しようか」
 穏やかな声にきり丸がいぶかしげに見上げる。
 -でも、父ちゃんも母ちゃんも、お墓もないんすけど…。
「食堂のおばちゃんのおはぎを作ってもらったんだ」
 言いながら半助は荷物を解く。「亡くなった者たちと一緒に食べるつもりで食べよう。それも立派な供養になる」
「うわあ、うまそう!」
 笹の葉に包まれたおはぎを手渡されたきり丸が弾んだ声を上げる。「いっただきまーす!」
「いただきます」
 手を合わせた半助が、胡坐をかいたままおはぎを口に運ぶ。自分の運命が激変した夜、屋敷が焼き討ちされた夜に命を落とした両親と家臣たちへの万感の思いを込めて。
「…」
 手についた餡をなめていたきり丸が、ふとその横顔に眼をやる。
 -先生も、つらいことがあったんだろうな…。
 もしかしたら、自分よりもっと苛烈な運命の暗転が。
 -おれ、先生みたいになれるかな…。
 今もまだ、あの日の夢を見ることがある。そんなときは、目覚めてからもしばらくは動悸がおさまらずに布団を引きかぶって喘ぐこともあった。それは、きっと一生自分に付きまとう記憶なのだろう。
 いつか半助に言われたことがあった。亡くなった者たちを思い出すことは、少しも恥ずかしいことではない、とても大切なことだと。では、自分はあの日の記憶を抱えたまま、半助のような穏やかな笑顔を見せることができる大人になれるだろうか。
 -ぜったい、ムリだ…。
「ん?」
 いつの間にか抱えた膝に顎を埋めて、眼だけじっと見つめていた。視線に気づいた半助が振り向く。
「どうした?」
 いつもの優しい笑顔で訊く。
「いえ…べつに」
 慌てて眼をそらすきり丸だった。一瞬首を傾げた半助が、「じゃあ、そろそろ行くか」と言いながら立ち上がる。
「…はい」
 のろのろときり丸も立ち上がる。と、唐突に頭をわしわしと撫でられて思わず首をすくめる。
 -せんせい?
 見上げると、腕を伸ばして大きな掌を頭にのせる半助と眼が合った。なにも言わずに微笑みかける。
 いつもなら「なにやってんスか」と口を尖らせるところだったが、今回は違った。もっと掌の温かみを感じていたかった。
 気がつくと、足を踏み出して半助に近づくと、額をおしつけていた。一瞬、戸惑ったように止まった半助の掌が、ふたたび動き出すと同時にもう一方の掌が背に添えられる。
「…」
 不思議となんの照れもためらいもなかった。ただ無心に半助の温かみを感じたかった。黙ったまま、ごわごわした着物越しの温もりを感じていた。
「…」
 黙ったまま、半助も小さな身体を受け入れていた。
 そよと吹いた風にヒガンバナが揺れる。 

 

<FIN>

 

 

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