余人を以って、代え難いから

庄左ヱ門三部作その1

 

ふだんは一年は組のリーダーとしてクラスを引っ張るしっかり者の庄左ヱ門ですが、ふとしたきっかけで弱さを見せることがあってもいいのです。まだ10歳なのですから。

土井先生は、この優秀な少年ゆえの深い悩みに、どう応えるのでしょうか。

 

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 昼はまだ暑いが、夜風は秋の気配を告げていた。
 半助は教師部屋で一人、授業の準備をしていた。同室の山田は、学園長の庵に呼ばれて帰ってこない。

 


「先生、失礼します」
 入ってきたのは庄左ヱ門だった。
「今日の分の学級日誌です。確認をお願いします」
「おう。後で見ておくから、置いておいてくれないか」
「はい」
 いつもならすぐに座を立つ庄左ヱ門が、今日はまだ何か言いたげに座ったままでいる。
「どうした。庄左ヱ門」
「あの…先生にひとつうかがってよろしいでしょうか」
「どうした。改まって」
「先生、ぼくは…」
「うん?」
「ぼくは、忍者に向いているでしょうか」
「え…」
 思いがけない質問に、半助は手にしていた筆を取り落としそうになった。学級委員長として、いつも自信に満ちてクラスを引っ張っている庄左ヱ門が、いったいどうしたのだ…。
「誰かに、なにか言われたのか」
 真っ先に頭に浮かんだのは一年い組教科担当教師の安藤である。いつもは組をアホ呼ばわりし、一方で目の敵にしている安藤は、は組の生徒に対し、よく嫌味を言う。それに対して自分もつい本気になって相手をしてしまうのだが、庄左ヱ門も、は組の名誉を守るためによく食い下がっている。そんな売り言葉買い言葉で何か安藤に言われたのかもしれない。
 -大人気ないところがあるから…。
 自分も人のことは言えないが。
「安藤先生か」
「いえ、違います」

 


 やりあったのは、い組の伝七だった。廊下を歩いていると、伝七が不意に絡んできたのだ。
「おい、庄左ヱ門。お前のクラスの兵太夫が、また作法委員で使うフィギュアをめちゃめちゃにしたな」
「そうなのか…ごめん」
 は組のメンバーの失態は、自分の失態と心得ている庄左ヱ門は、素直に謝った。だが、伝七はそれで収まらなかった。
「吉野先生も、困ってらっしゃる」
「だから、こうして謝ってるじゃないか」
「謝って済む話か」
「じゃ、どうしろというのさ」
「は組は、根本的におかしいんだ」
「なんだって! なんでそこでは組の話になるんだ」
 は組のことを貶されると本気で怒ってしまう庄左ヱ門だった。

 


「庄左ヱ門、お前のようなやつのことを何というか知ってるか」
「なんだ」
「井の中の蛙、っていうんだよ」
「なんだと」
「アホのは組のなかでは、お前は成績優秀だろうが、ぼくたちい組に来れば、お前もただのおちこぼれ生徒だってことだ」
「なんだと…伝七、お前ぼくにケンカ売ってるのか」
「ああ売ってる」
「どうしてだ」
「安藤先生がおっしゃってたぞ。忍術学園のトラブルの90%は一年は組が原因だって。は組がいるからい組までが『トラブルメーカーの忍術学園の一年生』って言われるんだ。迷惑なんだよ。はっきり言って」
「くそ…」
 は組の仲間たちがいれば、「相手にすんな」と止めてくれただろう。だが、庄左ヱ門はあいにく一人だった。
「お前にだって分かってんだろ。お前に忍者は向いてない。アホのは組にいつまでもしがみついてるのがいい証拠だ。本当に忍者として上達したいなら、は組なんか捨ててい組に編入すべきなんだ。お前ならすぐ認めてくれると思うぜ」
「ぼくはは組の学級委員長だ。は組を捨てるなんてありえない」
「だから、忍者に向いてないというんだ」
 伝七は鼻で笑うそぶりを見せた。
「学級委員長だろうがなんだろうが、いざというときは仲間を見捨てる覚悟がないと、忍者は務まらない。安藤先生がそうおっしゃっていた」
「それとこれとは違うだろ」
「どう違うのさ」
「それは…」
 庄左ヱ門は歯ぎしりをした。
「お前はしょせん、は組の学級委員長で満足できる程度のやつなのさ。でも、忍者は、あてがわれた役目に必死になってるだけじゃ務まらない。つまり、お前には忍者になんかなれないってことなんだよ」
 言い捨てて、伝七は走り去った。
 -なんだと…。
 一人、廊下に取り残された庄左ヱ門は、拳を握りしめていた。
 -なんで、あんなやつに、あんなこと言われなきゃいけないんだ…。
 しかし、忍者に向いていない、という言葉が、庄左ヱ門の胸に鋭く突き刺さっていた。それは、学園で学び始めてすぐに抱き始めた疑問でもあった。
 -ぼくは、忍者に向いているんだろうか…忍者が、務まるのだろうか。

 


「いえ。いや、それもありますが…」
「どうしたんだ」
「ずっと、疑問だったんです」
「ずっと…って…」
 まだ一年生だろう、という言葉を半助は呑み込んだ。ほんのちょっとしたきっかけで、自分が忍に向いているか、忍としてやっていけるかという疑問を抱き、スランプに陥る生徒は多い。ただし、それは上級生の話だ。一年生は、まだ忍術とはなにか、忍術学園とは何をするところかを把握するだけで精一杯で、自分の適性を鑑みる余裕などないと思っていたのだが。
 -さて、どう答えたものか。
 実は、答えは決まっていた。ただ、それは、一年生にぶつけるには酷なものだった。だから、考えているのだ。どのように伝えればいいものか。
 

 

「先生、ぼくは、本当に忍者に向いてるでしょうか」
 端座して、まっすぐ自分を見つめる庄左ヱ門の姿に、半助は覚悟を決めた。文机を脇によけると、庄左ヱ門に向かい合って正座する。

 

 

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