余人を以って、代え難いから(2)

 

 外からは、虫の声が聞こえる。窓から入った風が灯影を揺らす。
 -ここは、率直なところを話してやる方がいいだろう。
 相手は10歳の少年である。だが、自分には、その場しのぎの言葉など口にはできなかった。怜悧な彼なら、意を尽くして話せば理解できるだろう…残酷な、事実を。
「忍には、いろいろな種類があることは、授業で話した。覚えているな?」
「はい」
 ここで迷いのない返事ができるのは、は組では庄左ヱ門くらいなものだろう。
「復習になるが、忍には大きく分けて二つの種類がある。戦忍などのような、動き回って各種の作戦行動をする忍と、穴丑などのような、その土地に潜って情報を収集、提供する忍だ。動の忍と静の忍と言ってもいいかも知れない。どちらも大切な役割を果たしているが、庄左ヱ門。お前がなりたいのは、どちらの忍だ」
「それは…動のほうというか、先生方や利吉さんのような忍者になりたいです」
 それが、一年生らしい偽らざる気持ちだった。学園の教師たちは多かれ少なかれそのような経験を積んだ者ばかりだったし、現に授業で学んでいることは、作戦行動に携わるのに必要なことがほとんどだった。

「そうか」

 半助は、言葉を切った。
「だが庄左ヱ門。お前には…」
 息を呑んだ庄左ヱ門が上体を乗り出す。
「お前には…そのような忍は、向かないと思う」

 


 こん…遠くで学園長の庵の鹿威しが響くのが聞こえた。虫の声が一段と高くなった。
「…」
 なぜですか、と太い眉根を寄せた顔が問いかけている。意志の強そうな眉。ひざの上においた拳が細かく震えている。
「お前はな、庄左ヱ門、優しすぎる。だが、忍は非情にならなければならない時がある。お前が非情に徹することができるとは、私には思えない。それが理由だ」
「先生は…誤解していらっしゃいます」
 少年はふと顔を背けた。
「ぼくが優しすぎるを思われるとしたら…それは、ぼくの学級委員長としての姿しかご覧になっていないからです。忍なら、任務のためになにができるかを最優先する。今学んでいる兵法や忍術も、そのための道具に過ぎません」
 -思ったとおりだ。
 半助はそっとため息をつく。この少年には、今、授業で学んでいる内容の本質が見えている。兵法も忍術も、所詮は手段に過ぎない。時に応じてそれらの手段をどのように使いこなすか、それが授業の本質である。は組はもちろん、一年生を通して、そのことが分かっている生徒がどれだけいることか。
 -だが庄左ヱ門。お前が言う「任務」を、お前はどれだけ理解しているのか?

 


「では聞くが庄左ヱ門。お前は、目の前で敵の手に落ちた乱太郎が責めにあっていても、そのまま任務を続けられるか。団蔵がひどい目にあって助けを求めていても、そ知らぬ顔をできるか」
「…」
 庄左ヱ門は言葉に詰まった。乱太郎や団蔵が、そのような責めに遭っていたら…当然、どうやって救出するかを考えるだろう。そのためにこそ、自分の脳細胞はフル回転するべきものなのだ。もし自分一人だったら、敵の警備の最も手薄になる瞬間を狙うだろう…は組の仲間がいれば、足の速い三治郎に各所で火を上げさせて敵を撹乱するか、あるいは油断させるために、きり丸やしんべヱに一芝居打たせてその瞬間に…庄左ヱ門の頭の中には、いつの間にかいくつかの状況別のシミュレーションが展開され始めていた。そして、その中には、彼らを見捨てて行くという選択肢は含まれていなかったのである。
「お前は今、どうすれば助けられるかを考えている…違うか?」
 図星を突かれて、庄左ヱ門は動揺を隠すことができなかった。

 いつも共に時を過ごす仲間。共に先生に怒られ、共にサッカーに興じ、時にトラブルに巻き込む仲間。時に「冷静ねっ」と突っ込みを入れ、時に全面的に頼ってくる仲間。彼らが、苦痛に顔をゆがめ、自分に助けを求めている場面に遭遇してしまったら、どうすべきなのか。
 -決まっている。
 なぜなら、同じは組の仲間だから。

 

 

「先生がおっしゃることはよく分かりました。ぼくには、は組の仲間は、大事すぎます。そのことは、忍者として生きていくには邪魔だ、ということですね」
 ひざの上で握り締めた拳の上に落ちる涙が止まらない。学園で学び始めて、すぐに自分の中に巣食いはじめた疑問。その答えも、あらかた見えてはいた。だが、今は学び始めたばかりの一年生だ。嘘でもいいから「そんなことはない」という言葉を求めていた。そして、そのような気休めを決して口にできない人物に問いかけたのは、自分だ。
「そういうことだ。…だがな、だからといって学園で学ぶことが無駄というわけではないぞ」
「…」
 庄左ヱ門が上げた顔には、涙の筋が残っている。
「お前の家は、洛北の炭屋だ。いつかはお前が店を継ぐ日がくるだろう。すでに教えたとおり、炭は戦には欠かせない重要物資だ。その炭の流通を押さえる立場になったとき、ここで教えたことが必ず役に立つ」
「どういう…ことですか」
「それはな…」
 言いかけて、半助は少し考えた。これから言おうとすることは10歳の少年には難しすぎるかもしれない。上級生さえきちんと理解しているか怪しい者もいる。
 だが…この聡い少年なら分かるかもしれない。
「…先生?」
 自分をまっすぐ見つめる少年に、半助はふたたび目を合わせた。
「庄左ヱ門、忍の存在意義を考えたことがあるか」
「存在…意義ですか?」
「そうだ。それはな、情報だ。さっき、忍には大きく分けて二つの種類があると言っただろう。情報というと、戦のときに敵方に忍び込んで…と考える者が多いが、一つの場所からふだんの人の動き、ものの動きを押さえることも、重要な情報だ。いつもより炭の注文に増減があるか、どのようなところからの発注か、支払う銭の種類、街道を行き来する人の数や格好、すべて重要な情報だ。特にお前の家は洛北にある。天下をうかがう武将たちが行動を起こすとき、避けて通れない土地だ。自分の命や商売を守るためにも、情報から先を見る目を養っておかないと、生きていくことはできない。それは武将たちにとっても同じことだ。だから、忍が必要とされる」
「情報をつかんで、生かすことを学園で学ぶ必要があるということですね」
「そういうことだ」
 半助はほほえんだ。やはり庄左ヱ門は聡い。物事の本質を見抜く力と強い意志を持っている。これでメンタルの問題がなければ、さぞ優秀な忍になるだろうが…だがそれは、本人がいちばんよく解っていることだろう。

 


「それにだ」
 半助は立って、在学生名簿を持ってきた。文机の上に広げる。
「学園にはたくさんの生徒がいる。だが、その全員が忍になるわけではない。六年生が少ないのは知っているだろう。それぞれの事情で、途中で学園を去るからだ。また、卒業しても、忍になるとは限らない。家の仕事を継いだり、ほかの仕事に就いたりしている者もいる。忍にならなくても、ここで学んだことを生かして、それぞれの仕事に就いている。それにな…」
 半助の言葉に力が増した。
「学園の生徒の出身はさまざまだ。そして、卒業後の進路もさまざまだ。もし学園に入っていなければ、虎若の家の鉄砲隊と知り合うこともないだろうし、団蔵と共に行動して、馬借の情報力を知ることもなかったかも知れない。他のクラスや学年の生徒もそうだ。ここで一緒に学んだことで、みな、お前のかけがえのない人脈となって、いざというとき頼れる仲間となる。卒業してもだ。私たち教師もそうだぞ。お前が困ったときには、山田先生も私も…お前はいやかもしれないが安藤先生だって、お前のために力になる用意がある。それが忍術学園だ」
 もちろん、敵味方に分かれたときには、命を懸けて戦わなければならないのだが…。
 庄左ヱ門の顔に、わずかに笑みが戻った。
 -だからこそ、お前には学び続けて欲しい。
 心から、そう願うのだ。

 


「さあ、もう遅いぞ。早く寝なさい。明日は裏裏山までマラソンだと山田先生から聞いているぞ」
「はい。失礼します」
 いつものようにはきはきとした口調で言うと、庄左ヱ門は部屋から去っていった。

 -そうだ。お前なら、忍にはなれなくとも、有為な人物として必要とされ、生きていくだろう。
 半助は、庄左ヱ門らしい丁寧な字で記された学級日誌に目を通しながら考える。
 -庄左ヱ門、お前には、静の忍が向いていると言い忘れてしまったな。

 -それはな、お前の優しさ、お前の誠実さが、お前の弱さを補って余りあるからだ。それこそが、穴丑のような、敵地に気付かれないうちに潜入して地歩を築くような役割には欠かせないものなのだ。そして、お前には、卒業してからも、は組の連中の拠り所になってはくれないか…。
 それがあまりに早すぎる、そして勝手な願いであることは分かっていた。それでも、それが庄左ヱ門にもっとも似つかわしいように思えてならなかった。
 窓の格子から、月の光が差し込んでいる。

 

<FIN>

 

 

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