November steps

 

Novemberという、冬の入り口らしい少し重くひやりとした語感の季節の中でも、三年生たちは元気いっぱいで、そして少しずついろいろなものが見えはじめるゆえに考えることも多い、そんな複雑さをはらんだ時期にさしかかっているのかもしれません。
タイトルは武満徹の有名なあの曲からですが、この曲を聴いていると感じる風が渡る水面のような不断の調性のゆらぎが、なんとなく三年生たちに似たものを感じて、彼らの会話や思考もこのように絶えず揺らぎながら少しずつ進んでいくのかなと思ったりもします。
とはいえ、先輩と後輩に挟まれ、忍者としての実力も発展途上の彼らが、進むべき方向性を見つけて11月の階梯に着実に歩みを進めてくれることを、強く期待するところでもあります。

 

 

「あれが子の星(ねのほし・北極星)だから、あっちが北だ」
「そのうえのぎざぎざ形の星は?」
「あれは錨星(いかりほし・カシオペア座)だよ」
「その上に見えるのが斗掻き星(とかきほし・アンドロメダ)だよね」
 校庭の外れにある大きな石の上で、寝そべったり座り込んだりしながら夜空を見上げているのは、三年生たちである。
「あ、流れ星だ」
 あさってのほうを向いていた三之助が声を上げる。その口から、白い息が湯気のように立ちのぼる。
「え?」
 数人が夜空に眼をやった頃には、流れ星はすでに姿を消していた。
「どこだよ」
「あっちのほう」
「ホントか?」
「ホントだってば」

「お、三之助。俺も流れ星みっけ」
 仲間たちの突っ込みに、三之助が頭を掻き掻き応えているところに、左門が声を上げる。
「どれ?」
「どっち?」
「あっちだ」

 


「星を見るのも難しいよな」
 よっと石から飛び降りた三之助が言う。
「なんでさ」
 まだ石の上に寝そべっている藤内が訊く。
「だってさ、子の星以外の星は毎日出る場所も時間も変わるだろ。必ず東に出る星とか、南に出る星とか、決まってればもう少し目安になるんだろうなって」
「あ、それ俺も思ってた」
 藤内が頷く。
「それに、いっぱいありすぎるしな。なんか見てるうちにどれがどの星かわからなくなってくるよな」
 左門が手をかざして夜空を見上げてみせる。
「左門は方向音痴だから、すぐ違う星に目移りするんじゃないのか」
「三之助だけには言われたくないぜ!」
 三之助が混ぜっ返したところに、左門がむきになって言い募る。ははは…と笑い声が上がる。やがて、石の上に残っていた藤内たちも飛び降りてきた。
「うう寒っ。さすがに霜月(11月)にもなると、冷えるよな」
 梢を揺らして吹き抜ける風が、落ち葉を巻き上げる。藤内が手をこすり合わせる。
「ああ、ジュンコともしばらくのお別れだし…冬なんて大嫌いだ」
 孫兵の嘆き節に、みな初めて孫兵の首周りからジュンコの姿が消えていることに気づいた。
「そういや、ジュンコはどうしたのさ」
「ついに…ついにジュンコが冬眠に入ってしまったんだよ。それも今日!」
 孫兵の掌が顔を覆う。大仰に首を振りながら悲劇的に語る。
「ああ、なんという喪失感だ! これから春まで、僕はどうやって一人で生きていけばいいんだろう!」
「まあまあ、孫兵…春になればまた会えるんだし、ずっといっしょにいるより、時には別々に過ごすほうが恋心も募るっていうだろ?」
 数馬が大人びたことをいう。
「てか、数馬、どこでそんなこと覚えたんだよ」
 作兵衛が呆れたような、感心したような声を上げる。
「この前、くノ一たちが新野先生のところに薬草術の実習にきたときに、誰かが医務室に忘れていった草紙に書いてあったんだ」
「つまりそれって、恋愛小説ってやつ?」
 作兵衛が身を乗り出す。
「まあ、そんな感じ。伊作先輩は『いかにも女の子が好みそうな内容だね』っておっしゃってたけど」
 淡々と数馬が説明する。
「そうなんだ…てか、六年生の先輩とのどかにそんな草紙見てられるなんて、保健委員会はいいよな」
 ため息混じりに左門がいう。
「ま、会計委員長の潮江先輩じゃ、ありえないよな」
 作兵衛の声に、数人が笑い声を上げる。
「笑い事じゃないんだぜ…マジで」
 左門がふたたび大きくため息をつく。
「…この前だって、何の理由も無く『これから鍛錬だ!』って言い出して、10キロ算盤かついで匍匐前進させられたし」
「そりゃハードだね」
 数馬が同情したようにいう。
「いつもは、誰かがミスしたらそれをネタに鍛錬に持ち込むんだけど、誰もミスをしなかったからとりあえず鍛錬したみたい」
「体育委員会なんて、それを言ったら毎日鍛錬みたいなもんだよ」
 三之助が肩をすくめる。
「裏裏山まで5往復とか、フツーにやるから。七松先輩は」
「「ああ…」」
 全員が頷く。体育委員会の活動の後は、たいてい両脇にぐったりした金吾と四郎兵衛をかかえて豪快に笑う小平太と、その傍らで迷子縄でつながった滝夜叉丸と三之助がへたりこんでいるという図が展開されていた。
「まあ、なんていうか、もはや人間じゃないというか…」
「会計委員会や体育委員会に比べれば、他の委員会は楽だよな」
 三之助がぼやく。
「まあ、体力的には楽かもしれないけど…」
 藤内が言いよどむ。
「どうした、藤内」
「作法委員会だって、委員長の立花先輩は優秀すぎてなに考えてるか分からないし、四年の綾部先輩は穴掘りのことしか考えてないし、なにをやるにも気を遣うんだぜ。生首フィギュアも扱わないといけないし」
「ああ、それ、精神的にきつそうだな」
 三之助が同情したように言う。
「用具委員会はどうなのさ」
「用具委員会か?」
 数馬に話を振られた作兵衛が考えるように視線を泳がせる。
「そりゃまあ、委員長の食満先輩は、特に潮江先輩とケンカしたあとなんかは手がつけられないし、用具委員会は先輩と俺以外は一年ボーズばっかだから戦力的に弱いし」
「それなら生物委員会はもっと戦力弱いよ」
 孫兵が声を上げる。
「生物委員会はそもそも六年の委員長がいないから、五年の竹谷先輩が委員長代理だし、あと僕を除けば一年ボーズばっかだし」
「真ん中の学年って、いちばんやりにくいよな」
「そうそう。先輩たちみたいに指示することもできねぇし、一年ボーズどもだって、先輩の言うことなら聞くのに、俺たちが言ったことなんて聞いてんだか聞いてねぇんだかわかんねぇし」 

 


「お前たち、こんなところで何をしてるんだ?」
 だしぬけに大きな影が目の前に現れて、三年生たちはびくりとした。
「あ…食満先輩」
 作兵衛がひきつった笑いを浮かべる。
「先輩は、自主トレですか?」
「ああ、そうだ。それで、お前たちはなにをしてるんだ?」
「その、僕たちは、星座を見る実習をしていたんです」
 取ってつけたような笑顔の孫兵が、慌てて説明する。
「星座を見る実習?」
 留三郎が思わず夜空を見上げる。
「はい…忍者は夜間行動をするとき、星座を見て方向を見定めると習ったものですから」
「そうなんです…だから、さっそくみんなでやってみようって」
 作兵衛が付け加える。
「ふむ、そういうことだったのか」
 留三郎も納得したようである。
「だが、もう遅いぞ。お前たちも早く寝るんだ。いいな」
「はい」
 後輩たちの返事を聞くか聞かないうちに、留三郎は姿を消した。言ったところで素直に部屋に戻るはずなどないことは、過去の自分たちの行動を考えれば明らかだったから。

 


「食満先輩って、ちょっとおっかないよな」
 孫兵がジュンコの頭をなでようとしながらぼそっと呟く。もっともその指先は空を切って、またも孫兵はジュンコの不在を思い知らされたのだったが。
「ああ、そうかもな」
 作兵衛は反論しない。
「…でも、すっごく頼りになる先輩なんだ」
「頼りになる?」
「ああ。留三郎先輩、ああ見えてすごく後輩思いで、何かあるときには必ず守ってくれるんだ」
 いつもは闘い好きだけどな、と付け加えて作兵衛は苦笑いする。
「そうなんだ」
「だから、ときどきものすごくこわくなるときがあるんだ」
「食満先輩が?」
 話を聞いていたのかいなかったのか分からないようなことを左門が訊く。
「いや、そうじゃなくて…先輩が卒業されたあとが、さ」
「どういうこと?」
「言ったろ? 用具委員会は六年の留三郎先輩の次には三年の俺しかいないんだぜ。俺、先輩みたいにはやってけねぇんじゃなぇかなって…」
 作兵衛はうつむく。
「それ、僕も思ってた」
 数馬の声に、皆が顔を上げる。
「数馬も、か?」
 作兵衛が訊く。
「ああ。保健委員会も、伊作先輩の次は僕しかいないし。伊作先輩は内経(医学理論・鍼灸)も本草(薬剤学)の知識も新野先生に認められるほどすごいけど、僕なんかぜんぜんだし」
「それ言ったら、作法委員会だって同じだよ」
 藤内も声を上げる。
「作法委員会には、四年の綾部先輩がいるじゃないか」
「そりゃそうだけどさ…穴掘り小僧とか天才トラパーとか言われてるけど、綾部先輩、穴掘り以外のことには関心がないっていうか、なに考えてるか分からないっていうか…」
「まあ、たしかに、ね」
 藤内がぼやいたとき、皆の頭の中には、飄々とした表情で鋤を担いでいる喜三郎の姿が思い浮かんだのだった。
「…それに、立花先輩はものすごく優秀で近寄りがたい感じだし」
「そりゃそうだよな」
 これもまた、皆の同意を容易に得られるぼやきだった。
「でも、それ言ったら、六年生の委員長がいない生物委員会はどうすんだよ」
 孫兵が言う。
「竹谷先輩がいるじゃないか」
「そうだけどさ…」
 孫兵は手持ち無沙汰に手にした小石を放り投げた。
「それに、いま五年生ってことは来年は六年生の委員長になるわけなんだし、いきなり委員会の責任を負わなきゃいけなくなるのとは違うんだから、まだいいんじゃないかって思うけど」
「そうだけどさ…」
 数馬の指摘ももっともだと思いながら、なお孫兵は言わずにはいられない。 
「でも、それって委員長をしっかり支えないといけないってことだろ? 今だって竹谷先輩の実力に追いつける自信がないのにさ…」
 

 

 ざわざわ…と学園長の庵の竹やぶを鳴らした風が、梢を揺らしながら三年生たちのいる石の周りを吹き抜けていった。
「うう、寒っ…!」
 襟を掻き寄せた作兵衛が声を震わせる。
「こんな寒いところで、なにやってるんだろうな、俺たち」
 藤内がごそごそと作兵衛に身を寄せる。
「だな…」
 数馬も加わって、三人が石の下にうずくまる。そろそろフロ入って寝ようか、と誰かが言いかけたとき、
「お、流れ星みっけ」
 ふいに夜空を指差した三之助が、石によじ登る。
「ホントか?」
 孫兵が疑わしそうに言うが、「俺も見た」と左門も石に飛び上がった。
「もっと見つけようぜ」
 石の上に立った三之助に、石の下にうずくまっていた三人も次々に石に上り始めた。最後に、仕方がないな、とため息をついた孫兵が、飛び上がってくる。
 -ま、もう少しこうやって外で話してるのもいいかな。
 と思いながら。

 


 石の上に立って、手をこすり合わせながら流れ星を探す。
「うう、寒っ…」
 いま、ひときわ強い風が吹き渡る。三之助の目の前で背を丸めている作兵衛の髷が吹きあおられて、一瞬、首筋が露わになった。何かを思いついたらしい三之助は、にやりとしてその背に近付く。
「こういうときは…湯たんぽ!」
 言いながら襟首から背中に手を突っ込む。
「びえぇぇぇ! 冷てぇっ!」
 けたたましく叫び声を上げた作兵衛が振り向こうとするが、背中にすっぽりと腕を入れられているので動きが取りにくい。後ろを向こうとすると、自分の背中とともに三之助の身体も動いてしまうのだ。
「おっととと…」
 作兵衛の背中の動きによろめいた三之助が、その背から腕を抜こうとする。と、ようやく三之助に向き合うことのできた作兵衛が、三之助の袷に手を突っ込む。
「さっきのお返しだっ!」
「ひゃっ! つべてぇっ!」
 上着と襦袢をすり抜けて素肌についた冷え切った手に、三之助が思わず声を上げる。
「よし、俺も…湯たんぽ!」
「やったな!」
 三之助と作兵衛の様子を見ていた仲間たちも、てんでに手近にある襟首や袷に手を突っ込む。やられたほうも、手を引き抜こうとしたり、相手の袷に手を突っ込もうとしたりと応戦して、しばし彼らはひとかたまりになってじゃれあっていた。
「はぁ、はぁ…もうダメ」
「あっつ…汗かいてきたぜ」
「ちょっと休もうぜ」
 息を切らしたまま、石の上に大の字になる。全身から湯気が立つのが見えたが、たちまち冷たい風に吹かれて消えてしまう。 

 


「それにしても、寒いよな」
「だからこそ、きれいな星空なんじゃないか」
「それもそうだな」
 石の上で大の字になって、広げた腕に誰かの頭や腕が重なって、自分の頭も誰かの腕に預けながら、一面に広がる星空を眺める。
「それにしても、子の星(ねのほし・北極星)の上にあった錨星(いかりほし・カシオペア座)は、どこ行ったんだろ」
 左門が誰にともなく言う。
「もっと左上だよ」
 ぼそりと藤内がつぶやく。
「あ、ホントだ…」
「ちょっとしゃべってただけなのに、あんなに動いちゃうもんなんだな」
 作兵衛の顔も、夜空に向けられたままである。
「あっという間なんだな…」
 孫兵の言葉に、みな黙りこむ。
「時間なんてあっという間だから、やらなきゃいけないんだよな」
 自分に確認するように、数馬が続ける。
「なにをやるのさ」
「やらなきゃいけないことをやらなきゃ、ってこと」
「どういうことだよ」 
「伊作先輩みたいにさ」
 夜空にまっすぐ眼を向けたまま、数馬はひとりごとのように言う。
「…」
 仲間たちは、無言で続きを待つ。
「伊作先輩って、不運委員長っていわれるくらい不運でさ…でも、医術にはものすごく優秀で、新野先生からも認められててさ…それって、いくら不運でも、ちゃんと努力すれば、ああなれるってことなんだなって思うんだ…」
「不運は関係ないってことか…」
 孫兵がつぶやく。
「でもきっと、やるべきことをやるには、時間は足りなさすぎるんだ」
 長いストレートヘアをなびかせた委員長の姿を思い浮かべながら、藤内はうめくように言う。いくら時間があったところで、仙蔵のような実力を身につけることなど不可能なように思えたから。
「足りないのはみんな同じだし、持ってる力はみんな違うんだから、同じようになろうなんて思わなければいいんじゃないかな…伊作先輩だったら、きっとそう言うと思う」
「そりゃ、伊作先輩は医術にはすごいからそう言えるのかも知れないけどさ…」
 そんなことは、何かに秀でた能力を持っているから言えるのではないか、と孫兵は考える。だが、数馬が続けた言葉に、そんな考えも消し飛んだ。
「前に、伊作先輩に言われたことがあるんだ…一年生のときにできなくて、今できるようになっていることがどれだけあるか考えてみろって」
「…。」
 全員がしばし考えをめぐらせる。
 -たくさんあるだろって、おっしゃってたな。
 微笑みながら話していた伊作のやさしい表情を思い出しながら、数馬も黙りこくって夜空を眺める。
「…けっこう、あるよな…」
 三之助がぽつりと口にした。
「ああ、ある!」
 左門が力強く同意する。
「もしかしたら、留三郎先輩たちも、同じように考えてたのかもしれないな…俺たちくらいのときに」
 ふと浮かんだ考えを口にした作兵衛に、皆が頷く。
「だよな」
「そうだよ、きっと」 

 


 -まだまだ遠い背中だけど、きっと追いつくことができる…。
 背中からしんしんと寒さが凍み上げてくるような底冷えのする夜だったが、誰もが離れ難くて石の上で大の字になっていた。
 -今日見た星空は、きっとずっと忘れない…。
 誰も口にだしては言わないが、それは確信だった。

 

<FIN>