炉辺で

乱太郎の両親は、実にいい味を出していますね。こういう両親に育てられれば、乱太郎が素直で心優しくて親孝行でかわいい男の子になるのも納得というものです。

そんな両親が、炉辺でどんな会話を展開しているのか、いろいろ想像してみました。

 

タイトルは、シューマン「子供の情景」より、第8曲 Am Kamin

 

 

 

「父ちゃん…!」
「乱太郎!」
 学園が休暇に入り、帰宅した乱太郎に気付いたのは、畑仕事をしていた父の平之介だった。思わず駆け寄る。乱太郎の手がもう少しで父親に届くというところで、どすんと音がした。父親がいた場所に、何か別の影がいる。
「え?」
 駆け寄りながらも思わず声を上げた次の瞬間、乱太郎は母親の腕に抱きすくめられていた。
「乱太郎! よく帰ってきたねえ…」
「あの…母ちゃん? 父ちゃんは?」
 久しぶりの母親の体の温もりを感じながらも、乱太郎は突っ込みを忘れない。
「あら? そういえば、どこに行ったんだろうかねえ」
「ここだここだ」
 足元からくぐもった声が聞こえる。足元に眼を向けると、突き飛ばされて道端の溝に頭から突っ込んでいる平之介が手足をばたつかせていた。
「あらあ、父ちゃん、どうしたんだい」
「いや、母ちゃんが突き飛ばしたんでしょ」
 乱太郎がなおも冷静に突っ込む。
 

 

 囲炉裏の中で、ちろちろと小さい炎があがる。炉辺では、乱太郎の両親が、それぞれの手仕事に勤しんでいる。その傍らでは、乱太郎が寝入っている。
「こうやって寝顔を見ていても、すっかり凛々しくなったねえ」
 繕い物の手を休めて、乱太郎の寝顔を眺めながら、母親がため息混じりに言う。平之介は縄を綯っている。
「そうだな」
 2人は、ふたたび炉辺でそれぞれの作業を続けた。
「そういえば、忍者仲間の藤助が言っていたが」
 平之介が思い出したように口を開いた。
「最近、ナメタケ城に仕事で行くことが多いらしい」
「あら、うらやましいわねえ」
「それがだ。ナメタケ城では新たに人事コンサルタントとかいう奴を雇い入れたらしい」
「こんサル? 変わった猿だねえ」
「いやいや、猿じゃない」
 平之介が苦笑して手を振る。
「コンサルタントとは、専門的な立場からいろいろ助言する仕事をする人のことなんだそうだな」
「なんだ、そういうことなのかい」
「それで、その人事コンサルタントが、何かというと、人材育成がどうのとあちこちの部署に口を出して歩いているらしい。で、殿様もご家老様もそやつの言うことを喜んで聞いているらしい」
「まあ、そうなのかい」
「で、そのコンサルタントとやらが忍者隊にきて、今は人材育成は内部で行うべきだと、こう言ったんだそうだな」
「どういうことだい?」
「だから、ナメタケ城のような大きい忍者隊を持っていないお城では、自前で忍者を育成できないから、いままではフリーの忍者を雇ったり、忍術学園のようなところから卒業生を受け入れたりしていたが、そうではなく、ナメタケ忍者隊のなかで忍者を育成しろということなんだな」
「でも、今まで育成できなかったからそうしなかったんだろうに、どうやるんだろうねえ」
「それでだ」
 平之介は身を乗り出した。
「そのコンサルタントが言うには、ドクタケ城のように少数精鋭で育成すればいい、ということなんだ」
「少数精鋭、ねえ…」
 少数にはちがいないけど、とつぶやく。その横顔を見やりながら、平之介は続ける。
「その考えに、殿様もご家老様も大乗り気になってしまったらしいんだ」
「あら」
「それで、さっそく第一期生を募集するということになった」
「そう」
 だから? と平之介のほうに顔を向ける。いやな予感がした。
「まさか父ちゃん、乱太郎を…」
「そうだ。そのまさかだ」
「だって、乱太郎は、忍術学園の生徒なんだよ?」
「だが、忍術学園を卒業したあと、どうなると思う」
「そりゃ、どこかのお城に就職するだろうさ」
「だが、就職できなかったらどうする」
「そんなわけはないでしょうよ」
 思わず吹き出してしまう。
「なにがおかしい」
「だって、忍術学園の卒業生は、みんな優秀な忍者になるんだよ。どこのお城も雇ってくれないなんてことがあるわけないじゃない」
「いや、わからんぞ」
「どういうことだい?」
「藤助が言っていた。忍者の需要は、お城の都合で決まる。いくら優秀な成績で忍術学園を卒業しても、お城で雇う気がなければ、行き場がなくなってしまう。それに比べて、お城で直接育成する忍者であれば、まちがいなくそのお城の忍者隊に入ることができる。ナメタケの忍者隊に入ることができれば、乱太郎もこの猪名寺家先祖代々のヒラ忍者の立場から脱出できる。そう思わないか」
「そりゃそうかもしれないけど…」
 乱太郎の寝顔に眼をやりながら、なおも考え込んでしまう。
「せっかく仲のいい友達もできたっていうのに、忍術学園をやめることなんてできるのかねえ」
「善は急げだ。藤助が言うには、第一期生は試験は行わないそうだ。その代わり書類選考があるから、乱太郎を入れたければ成績表をもってこいということだ」
「父ちゃん、もうそんなことまで話をしていたのかい?」
「ああもちろんさ」
 平之介は胸を張った。
「ナメタケ忍者学校の責任者になる予定の、忍者隊の副長殿にも話しはしてあるそうだ。優秀な子どもであれば、ぜひ編入させたいと仰っていたそうなんだ」
「そりゃ、私の乱太郎なら、簡単に編入できるかもしれないけど…」
 頬に手を当てる妻に、思わず突っ込む。
「私の、とはなんだ。わしの乱太郎でもあるんだぞ」
「そうね、父ちゃんと私の子だもんね」
 最後は、手を取り、うっとりと見詰め合う猪名寺夫妻であった。

 


「…」
 乱太郎は、眠ってなどいなかった。ふと目覚めたとき、両親の会話が耳に入ってきた。自分のことらしいと察した乱太郎は、眠ったふりをしながら、耳を澄ませていた。
 -なんだって? 私が転校させられちゃうって?
 にわかには信じられない話に、乱太郎は衝撃を受けた。
 -それじゃ、きり丸やしんべヱや、は組のみんなと別れちゃうってこと?
 乱太郎は唇を噛む。
 -そんなの、ぜったいにいやだ!
 だが、その一方で、両親が寄せる期待を意識せずにはいられない自分もいるのだ。
 -私がナメタケ忍者学校に入って、将来ナメタケ忍者隊に入ることができれば、父ちゃんも母ちゃんも、すごく喜ぶだろうな…。
 両親を取るか、友人を取るか。今の乱太郎にはどちらも大事すぎて、一方を択ぶことなどとてもできそうになかった。だが、そう遠くないうちに、決断を迫られる日が来るのだろう。いや、あるいは自分には選択の余地もないままに歩むべき道が示されるのかも知れない。
 -どうしよう。どうしよう…。
 砂を吐きそうな甘いムードに浸っている両親を尻目に、乱太郎はひとり、布団の中で身じろぎもせず、悩み惑っていた。

 


 数日後、藤助がやってきた。家には平之介だけがいた。母親は、乱太郎を連れて買い物に出ていた。
「して、どうでしたか、藤助どん」
「どうもこうも…いいか、平之介、落ち着いて聞くのだぞ」
「というと?」
 悪い予感がして、平之介は口ごもった。
「まあ、そのとおりだ」
 藤助は、あっさりと言う。
「成績表を見た副長殿が、即座に言われた。この成績では、編入はとてもムリだとな…今回は諦めてほしいとのことであった」
「そうですか…」
 平之介は力なく座り込んだ。

 


「残念だったね、父ちゃん」
 その晩、炉辺では、いつものように縄を綯い、繕い物をする乱太郎の両親の姿があった。傍らでは、乱太郎がすでに寝入っている。
「そうだったな。でも、あそこまではっきり成績がどうのといわなくても…なぁ、母ちゃん」
「そうだねえ。そう言われると、なんだかあたしもちょっと悔しくなってくるねえ」
「まあ、乱太郎にはまだ話していなかったのが、不幸中の幸いだったな」
「そうだねえ。びっくりさせてやろうと思って黙っていたけど、まさか成績のことで編入を断られるなんて、思ってもいなかったからねえ」
 -やった! 転校しなくていいんだ!
 もちろん、乱太郎はまだ眠ってはいなかった。寝たふりをしながら、両親の会話に耳を澄ませていたのだ。
 -よかった。成績が悪くて。
 一瞬、頭を抱える半助の姿が頭を過ぎったが、乱太郎には、学園に残れることが分かった安堵のほうがはるかに大きかった。
 -これで、きり丸やしんべヱと別れ別れにならなくてよくなったんだ…。
 安心したせいか、急激に眠気が襲ってくる。
「おや、この子ったら、笑顔になっているよ」
 繕い物の手を止めて、母親が乱太郎の寝顔を覗き込む。
「なにか、楽しい夢でも見ているのかな」
 平之介も、乱太郎の寝顔に眼をやる。
「そうだね。きっと、きり丸君やしんべヱ君たちと遊んでる夢でも見ているんだよ」
「そうだな。きっと、そうだな」
 平之介たちも、顔を見合わせてにっこりとする。囲炉裏にちろちろと燃える火が、その横顔をゆらゆらと照らす。

 

 

<FIN>